法の精神 下 (岩波文庫 白 5-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (533ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003400531

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  • モンテスキューの三権分立論は近代立憲主義の重要な構成要素とみられているが、モンテスキューが企図したのは、封建貴族がその裁判権を通じて絶対王政の恣意的な権力行使を抑制することであり、近代的中央集権国家のプロトタイプである絶対王政に旧勢力である貴族階級を対置するものだ。啓蒙主義のチャンピオンと目されるモンテスキューも、その限りにおいて明確に「反近代」であった。本巻ではフランス封建法の起源と変遷を辿りながら、社会的勢力としての貴族階級の興隆と衰退を、その裁判権を軸に論じていく。

    モンテスキューは貴族が封地の給付を受けて軍役義務を負うというヨーロッパ中世に定着した封建制の起源を「ゲルマンの森」に見出しているが、モンテスキューが特に注目するのは、軍事的権力と裁判権を一体のものと見做すゲルマンの慣習である。「いつの時代でもすべての家士の領主に対する義務は、武器を持ち、その同輩を領主の法廷で裁判することであった。」この慣習を背景として、軍役と結びついた封地とともに裁判権を貴族に委ねるという封建的法秩序が形成される。この裁判権が貴族の力の源泉となった。打ち続く戦乱の中で、王権は貴族の軍事力に依存せざるを得ず、封地の世襲化が進むとともに裁判権も家産化し、貴族は王権に対抗できる実力を蓄えていく。

    中世の終わりと絶対王政の伸張は貴族の手から裁判権がこぼれ落ちていくプロセスでもある。貧困化した貴族の裁判権は上級領主へと移転し、かつて一体であった封地と裁判権は分離する。また訴訟を確定させる決闘の廃止は控訴に道を開き、その頻度が増えるに連れて裁判所は常設化され、統治機構に統合されていく。こうして裁判はもはや貴族階級の占有物ではなくなりつつあったが、ローマ法の再生による学識法曹の出現がこの傾向に拍車をかけた。

    モンテスキューが本書を書いた18世紀には、貴族階級は王権に対抗し得る社会的勢力としての実態を既に失っていた。ならばモンテスキューは単なる反動と言うべきなのだろうか。そうした見方も確かに存在する。だが、大衆民主主義と行政国家化の進展により立法権と執行権が巨大な「ビヒモス」と化しつつある現代、司法権の独立を担う法曹には少なくとも「精神の貴族」であり続けてほしいものだ。

  • 関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB00167331

  • 前半は宗教における決まりを法に見立てて考察したものである。日本におけるキリスト教の禁教に対して、日本人の心の残忍な性格、というのは、イエズス会の植民地支配の実態を隠したものであり、それを無視したものであろう。
    また、その後の家族に関する刑罰がやたら具体的である。後半はフランスの法に関する説明である。
     全体として、フランスの法に関しての論文を書くには欠かせない本であろう。

  • オフィス樋口Booksの記事と重複しています。アドレスは次の通りです。
    http://books-officehiguchi.com/archives/4308325.html

    「中学の社会で、多くの人がモンテスキューの著書『法の精神』を耳にしたと思う。『法の精神』で三権分立を主張したことでも知られている。文庫本ではあるが、大学入試レベルの世界史の知識がないと、初学者にとって難しいと感じるかもしれない。今後、この本のなかから気になる箇所を引用する形で配信したい。 」

  • 『法の精神』全訳の最終巻。第24編から第31編まで。まず最初の2編で、宗教と法律の関係が論じられる。ピエール・ベイルに対する批判が明記されているにもかかわらず、この箇所は『法の精神』がキリスト教批判の論理を具えているのではないかと疑われた部分でもあった(はず)。この箇所ではもっぱら、宗教の教義が国制との関係でどのような機能を果すのかが綿密に検討されている。その後、法律が規律する領域をきちんと区分けするべきことを説く第26編を経て、第6部に入る。おそらく、モンテスキューを単に権力分立の理論家として捉えるのではなく、「ゴシック政体」の特色を抽出しようとした思想家として捉えるのであれば、この部は極めて重要な箇所であろう。トゥールのグレゴリウスなど、フランク人の歴史についての著作やゲルマン部族法典を材料として、ゲルマン国家における裁判権のあり方や裁判での慣習、封建制についての考察が大半を占める。第11編6章で示されるような権力分立の抽象的理論とは異なり、この箇所の記述は優れて歴史的であり、裁判権に対する考察などは、中世の支配権のあり方を記述する際に「裁治権」というカテゴリーを用いて記述する現代の中世研究者とも共通する視点をその中に見て取ることができるかもしれない。ともあれ、フランク人の国家に対するモンテスキューの評価は、31編18章のシャルルマーニュに対する評価に集約されているように思われる。いわく、「カルル大帝は、貴族身分の権力をその限界内にとどめ、聖職身分および自由人に対する抑圧を阻止しようと考えた。彼は、彼らが相拮抗し、自分が主人としてとどまるような具合に国家の諸階層の中に均衡を作り出した」。そして、ルイ柔和王との対比でこう述べられる。「このように、この第二家系〔カロリング朝〕の歴史においても、ピピンとカルル大帝こそが求められているのである。人々が見たいのは国王であって、死人ではない」。「諸階層の均衡」を保つ国家こそが、模範とすべき国家であると言わんばかりの論調をこのようにモンテスキューは提示しているが、このように身分社会における秩序を追求した思想家が、脱身分制化されて抽象的な権力分立論の理論家として受容されていく過程も、それはそれとして分析の余地があるだろう。

  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方』
    文庫&新書百冊(佐藤優選)148
    国家・政治・社会

  • 上・中・下、一貫して耐えて読まねばいけません!
    社会科学を志すならとくに。

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