アメリカのデモクラシー 1 下 (岩波文庫 白 9-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003400937

作品紹介・あらすじ

本巻に収めた第二部では、大国となりつつある米国で、デモクラシーが前例のない大規模に機能するには何が問題となるかを検証、後世の米ソ対立を予言する文章で締めくくる。「いつの日か世界の半分の運命を手中に収めることになるように思われる」。

感想・レビュー・書評

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  • 民主主義というテーマにおいては有名で重要な本らしいので、読んでおくことにした。
    第1巻の出版は1835年で、南北戦争前である。主にイギリスの出身者たちがつぎつぎと北米に入植し、開拓し、社会を築き上げていく黎明期を描き、分析している。トクヴィルはフランス人なので、フランスの君主制との違いが、折に触れて指摘される。
    トクヴィルによると、北米は入植によって生まれた当初から「民主的」であり、住民間に階級差はなく(黒人奴隷やインディアンを除く)、自然発生的な共同体「タウン」において、自治的に倫理や法が築かれていったという。キリスト教をベースにし、そこからタウンみずからが、<掟>を制定していったのである。そこで、ホーソーンの『緋文字』に描かれたあの街、あの掟、あの「罰」が生まれたわけだ。
    トクヴィルの合衆国民主主義の分析は、たぶん当時としては画期的なものだったろう。ただし、現在の視点から読むと首肯できない点もあるが。
    対等な人間たちのあいだでの<多数者>が実質的に政治を動かしていくという民主主義ルールは、ともすれば世論という名の「衆愚」の醜悪をさらけだす危険があると私は思うのだが、トクヴィルはそこまでは言ってない。アメリカ合衆国の民主主義を最高のものとして語っているわけではないが、その価値を認めてもいる。なかなかに冷静な見方で、多義的に捉えている。
    第2巻(岩波文庫ではさらに上下に分かれる)はさらに突っ込んで民主主義について考察するようなので、楽しみだ。

  • 第1巻下では本書の中心テーマである「自由」と「平等」のパラドクスが本格的に論じられる。トクヴィルは民主主義の基本的な価値観を「平等」とみる。これはフランス革命が掲げた三大理念の一つだが、「平等」の進展が社会における「自由」の基盤を侵食することへの危機感がトクヴィルに本書を書かせたと言ってよい。革命は「平等」を希求して王権を打倒したが、実は王権こそが「平等」の推進者であった。王権は中央集権化をはかる過程で、大方の貴族階級と彼らが構成する中間団体の特権を剥奪し、王権という頂点を除いて、かなり「平等」な社会を革命以前に既に実現していた。このことを看破したのがトクヴィルの今一つの名著『旧体制と大革命』である。王権に寄生しながらも王権を牽制し得る貴族階級は、「専制」に対して「自由」を守る防壁であったが、「平等」を至上価値とする民主主義は「専制」と親和性が高い。したがって、より一層の「平等」を求めて容易に「多数者の専制」に転化し得る。

    多数者が優位を占める社会では個人の卓越性は顧みられず凡庸が支配的となる。誰もが他人のことを気にかけて、他人に似ることで安心を得る。知らず知らずに 「自由」は蝕まれていく。さりとてトクヴィルは「自由」を擁護するために貴族階級を復活せよと主張するのではもちろんない。彼が「自由」を守る工夫としてアメリカ社会に見たものは、行政における地方分権、既成事実や慣習を判例として重んじる法律家精神、市民に政治意識と社会に対する義務感を植え付ける陪審制などである。かつての貴族階級に代わり、こうした諸々の制度や風習が、中央集権的国家から「自由」を守る防波堤となり得ると考えたのである。

    後半ではアメリカ社会におけるインディアンと黒人の地位が論じられるが、ここでも「平等」意識についての凍りつくようなリアルな観察眼に瞠目させられる。奴隷制が存続していた南部諸州のほうが白人は黒人に愛着を持ち、黒人は白人の支配を当然のこととして受け入れる。奴隷制を廃止した北部では黒人ははるかに非人間的な扱いを受け、白人を羨望の眼差しで見つめる。マイノリティーが社会の中で権利を認められるようになればなるほど、彼らへの差別は激しくなるという逆説だ。絶対的な「不平等」より中途半端な「平等」のほうが社会に深い亀裂を生むというのは、綺麗ごとでは済まない人間の悲しい性なのかも知れない。ちなみに評者が参照した英訳版(抄訳)ではこの部分はカットされている。この一事をもって断定できることでは勿論ないが、アメリカにおけるトクヴィル受容の一面性を象徴しいているようにも思われる。

  • 金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=28924

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BA74250267

  • 読むのに ものすごい時間を要した。
    第10章 興味深い

  • 国家の成立、連邦、自治など、国の在り方とはどのようなものかについて、またいろいろと考えさせられた。
    人種差別、先住民族の強制移住や文化の破壊など、現代にいたっても大きな社会的課題である事柄について、しっかりと書いているところも、時代を超えて議論ができる書物であると思う。
    どの章も面白く、一度では取り込め切れないところがあり、再読したいと思う。

  • 160ページでストップ

  • 出口治明著『ビジネスに効く最強の「読書」』で紹介

    1831年から1832年まで、ジャクソン大統領時代の米国社会を描いた近代デモクラシー論。

  • 下巻は、市民社会と習俗に焦点を当てると伴に、貴族社会と民主社会の比較から、(当時)将来来るべく民主社会の課題や有るべき姿を述べ、民主社会における中央集権化、独裁主義化への懸念を見事に予想している。
    貴族社会には主権者である国王が民衆に直接支配力を及ぼすことができないクッション(貴族)があったとし、米国では、それを地方自治の仕組みに取り入れ、中央集権化、独裁主義化へ向かわない仕組みを内在化させたとする。

    なぜ、アメリカ人は産業に向かわせるのか、民主化された社会で客観的な物差しは金でしかない等、現在の米国社会を示す考察をこの時点で為し得ている。

    以下引用~
    ・(アメリカの)国民にあって怖れるべきことはすぐに立て直せる少数の人々の破滅ではなく、万人の活動停止と無気力である。大胆な産業活動こそ、そうした国民の急激な進歩と力と栄光の第一の源泉である。
    ・・・このため、合衆国では、破産した商人は異様に寛大に遇される。

    ・専制は民主的な世紀には特別恐るべきもののように思われる。

    ・同業組合や貴族から奪った行政権をすべて主権者一人に委ねる代わりに、その一部を普通の市民が一時的に形成する二次的段階に託すことができる。このようにすれば、平等を減ずることなく、私人の自由はより確実になるであろう。われわれのように言葉にこだわらないアメリカ人は彼らの行政区画の最大のものを指すカウンティ(伯爵領)という語を残した。だが、それを部分的に地方議会で置き換えた。

    ・合衆国では武勲はあまり評価されず、いちばんよく知られ、高く評価される勇気は、誰よりも早く港に着くために嵐の海と闘う勇気であり、不平一つ言わずに、荒野の窮乏生活に耐え、またいかなる窮乏よりも残酷な孤独に耐える勇気である。

    ・人と人との間にはっきり目に見える違いを生み、少数のものを仲間から際立たせるものは金の他にほとんどない。富に発する差別は他のあらゆる差別が消え、減っていくと共に大きくなる。

  • トクヴィルは序文で、アメリカでは人民の権力が制度や形式を思うままに破壊ないし修正していると指摘し、その本能と情熱は何か、それを推し進め、あるいは抑制する仕掛けは何か、その将来の帰結は何かを本書で明らかにすると論じている。

    1章によれば、アメリカでは、人民が直接その代表を任命し、議員は、人民に従属しているが、代議制が採用されている。2章によれば、アメリカには、もはや大きな目標を持つ「偉大な」政党はない。政治的信念のない「矮小な」政党があるにすぎない。3章では、アメリカには出版の自由があり、新聞の独立があるという。4章によれば、アメリカには政治結社が無数にあり、社会的権威には疑いの念を抱いている。結社の自由は、多数者の専制に対する保証でもある。5章によれば、普通選挙が優れた為政者を生み出すわけではないが、アメリカでは、上院議員を選ぶ選挙が二段階であるため、民主制の欠点を是正している。また、民主制の運営は、それ自体安価で済んでいるというわけではなく、戦争がないために支出が少ないにすぎない。アメリカには徴兵制がないため、大規模な戦争を遂行しえない。それゆえ、諸外国との関わりは抑制的でなければならない。なお、外交政策は、民主制の原理に基づいているわけではないとされている。6章によれば、民主政の利点は、最大多数の福祉を目指す点にある。民主制は、政治的権利の観念を行き渡らせ、人々は、自身の権利を置かれないために他人の権利を攻撃しないようになる。7章の議論では、アメリカでは多数者が絶大な権力を持ち、この帰結は、将来にとって危険であり、自由を失うかもしれないという。8章では、多数者の専制を和らげている理由の一つは、中央行政の権力の弱さにある。さらに、貴族的牽制、すなわち、保守的な性格を有する法曹精神もある。9章では、アメリカでの民主制維持の主な理由が偶然、法制、習俗に求められている。そこには境遇と知性の平等、広大無辺の大陸、秩序への意識や商業的情熱がある。法律では、連邦制度、地方自治、司法権の構成が多数者の動きを方向づけている。また、キリスト教という点で一体性があるが、宗教は、政治権力と結びついていない。習俗の民主制に対する影響は、すでに第一部で論じられていた。10章では、連邦が持続する可能性が三つの人種を考慮することで検討されている。インディアンは、絶滅する運命にあろう。黒人は、奴隷制とともに生きており、それは人種的相違に基づいているため、問題は永続的である。北部での奴隷制廃止は、南部での廃止を困難にしており、いずれ黒人と白人の深刻な対立が生じるだろう。だが、連邦は、各州が経済的利益や精神的・道徳的見解の一致からして崩壊しないだろう。共和制も、宗教的習慣や平等があるため持続するだろう。

    トクヴィルによれば、アメリカの民主制を他国にそのまま移植してもその制度は維持しえない。とはいえ、アメリカは、民主政の病理に治療法を施しており、民主制に絶望する必要はない。彼は、ヨーロッパがアメリカから学ぶべき教訓を引き出していると言えるが、詳細なアメリカの(欠点を含めた)現状分析からうかがえるように、きわめて慎重な形でこれを行う必要があると考えているように見える。彼が恐れている事態の一つは、多数者の専制である。

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    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00108127

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