現代議会主義の精神史的状況 他一篇 (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003403013

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  • 民主主義と自由主義という二つの概念は、我が国の政権政党の名を見てもわかるように、いとも簡単に並べられ、しかも議会主義とほとんど同義のように考えられている。しかしシュミットによれば、公開の討論によって合理的で最適な政治的解が導かれるという議会主義の精神的基礎は自由主義であって、本来民主主義と何の関係もない。ここでの自由主義とは、市場における自由な競争が予定調和をもたらすという古典的市場経済像とパラレルなものだ。一方民主主義とは治者と被治者の「同一性」を基礎とする統治原理である。文字通りの「同一性」が実現不可能であるとすれば、それを擬制する一つの技術として、多数決原理、即ち議会主義が民主主義と手を携えることはある。だがこの結びつきは必然ではない。

    要は何をもって同一と「見做す」かであるが、本書第2版の2年後(1928)に主著『 憲法論 』においてシュミットが行った離れ技が「代表(Repräsentation)」概念のカトリック的な再定義だ。「代表」とは選挙によって選ばれた者が国民の「代理」となることでも、国民から「委任」を受けることでもない。本来無限なる神がイエスに受肉化したように、不可視の実在を顕現させる形式(フォルム)、これが「代表」に他ならないという。 この特殊カトリック的な「代表」概念に「再現前」という訳語を与えたのは和仁陽氏であるが、ここに大衆の拍手喝采により不可視の実在たる国民が独裁という統治形式において顕現するというロジックが完成する。

    本書が書かれたワイマール体制下、議会は政党による密室の取引が常態化し、自由な討論を通じた対話や説得という理念がフィクションに過ぎないことは誰の目にも明らかであった。シュミットの理論は、大衆の圧倒的な支持を得たカリスマ的指導者による「決める政治」を待望する時代の気分にぴたりとフィットしていたことは確かだ。そこにはデマゴギーや御用学者と言って済ます訳にはいかない、民主主義のある本質的な一面が含まれてもいる。

    訳者で解説を寄せている樋口陽一氏は憲法学の大家であるが、フランス革命を高く評価するシュミットに共感しつつも、後にナチスのユダヤ人排斥を正当化したシュミットを批判する。さしずめフグは美味いが毒には気をつけろといったところだろうが、それは少々虫がいいというものだ。むしろ毒を食らわば皿までも・・・それが嫌ならフグには手を出すなと言うべきだ。ギロチンと恐怖政治から「自由、平等、博愛」といった耳ざわりのいい革命精神だけを安易に救出すべきではないし、ルソー的民主主義が独裁(或いは全体主義)と紙一重であることは政治理論にとって永遠のアポリアでありアイロニーではなかったか。樋口憲法学を論評する資格は評者にはないが、氏の啓蒙書や本書の解説を読む限りでは、そこにアキレス腱があると思えてならない。

著者プロフィール

一八八八~一九八五。ドイツの法哲学者、政治理論家。「敵は殲滅せよ」という友敵理論や「例外状態」を想定して強力な権力の登場を説く「例外状態理論」などで知られ、ナチス政権の理論的支柱と言われた。戦後、逮捕・訴追されたが、ニュルンベルグ裁判で不起訴。著書に『陸と海 世界史的な考察』(日経BPクラシックス)、『政治的ロマン主義』、『政治的なものの概念』、『現代議会主義の精神史的地位』、『大地のノモス』他。

「2021年 『政治神学 主権の学説についての四章(日経BPクラシックス)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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