自由論 (岩波文庫 白116-6)

  • 岩波書店 (1971年10月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784003411667

みんなの感想まとめ

個人の自由と社会の関係について深く考察されており、特に多数派の基準が少数派を不当に抑圧する危険性を指摘しています。個人の自由は、思想、嗜好、団結の自由の3つの領域に分かれ、これらが尊重されることで社会...

感想・レビュー・書評

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  • 社会が個人の自由に干渉する際、道徳や慣習が判断基準となるが、これは多数派の定めた基準に過ぎず、不当に干渉される原因となっている。



    個人の自由に干渉する事が正当となるのは、その干渉が自衛を目的としている場合だけ。



    社会全体の利益を考えると、国や多数派の安定を守るために個人を抑圧するのではなく、より自発的な個人を発展させる事。



    個人に与えられる3つの自由領域

    1.思想の自由

    2.嗜好と目的追求の自由

    3.団結の自由



    ある一つの問題に対して意見が対立し、世論や政府が権力を使って、少数派の意見を禁じようとしている場合に考えられる3つのケース。

    1.規制された意見が正しかった場合(少数派が正しい場合)

    人は周囲や尊敬している人が皆同じ意見である時に、自分の意見が完全に正しいと感じる。この無条件に信頼してしまう事を「無謬性の仮定」と言う。しかし、「世間」というものは社会のほんの一部でしかなく、人と同じくらい間違いを犯しやすい。そして、異端と見なされた意見が排除される傾向になると、人々は異端とみなされる事を恐れ、大胆に考え抜く事を控える。結果的に、国民全体の知識欲が低下し、真理の探究が滞り、その社会は衰退する。

    2.規制された意見が間違っている場合(多数派が正しい場合)

    本当に正しい意見であっても、あらゆる可能性を考えた上で十分に議論されなくなると、人はその意見の決まり文句だけを覚え、重要な意味を忘れる。事の本質を理解せぬまま、やがてあらゆる知恵や知識が形骸化され、実生活に役立てられない。

    3.どちらも一部が正しい場合

    日常で最も多いケース。物事は多面的であるが故に、論争で調整するしかない。多様性を認める事で健全な状態を維持する事ができる。



    人類の知性の発展の為には、思想と言論の自由が必要。



    人は自らの力を発揮する為に、考えて行動する事で成長する。それが多様であるからこそ個性なのであり、個々人があらゆる方向に成長する事で新しい発想が生まれ、ひいては国の発展へと導く。



    強者も弱者も同じように権利を尊重しあい、全ての人々の幸福が守られてこそ真の良き社会と言える。



    個人の自由の原則は、判断能力が成熟した大人でなければ適用できない。



    相手を思いやるが故の「善意の専制」も、個人の判断能力を奪い、主体性を失わせてしまう。

  • 個人でも国家でも、人の思想や行動について干渉せず、周囲の人間に危害を与えない範囲で自由にさせておくのが、社会や個人の精神、能力の発達のためによい。
    自己の信仰や思想が尊重されるべきなら、他者の信仰や思想も尊重するべきである。
    後半では、教育についても語られている。
    国家が教育内容に介入することは、国家にとって都合の良い思想や偏った知識を持つ国民を育てることになると。

    現在では当たり前とされていることが、ひとつひとつ検証されて、論として組み立てられてきたことなんだなと思った。

  • 西欧らしく「自由万歳!人間は自由でなければならない!」と熱く語る書物だと思っていたが、流石は末永く読まれる大作といった感じで現代の我々にも当てはまる有益な示唆が得られた。文章としては自由とは何か、 人々が求めるところの真理とは何か、宗教が与える影響はどんなものかという流れになっており、それぞれ具に根拠を挙げながら述べられている。心理について語る文章を見てみると、真理は反駁されるべくしてあるものであり、そうでないものは大衆を騙す空疎な虚構と同じだとあり、むしろ真理はそれと真反対の論理とかけあわせて見なければならないとしている。しかも、真理は完全ではなく一部分ずつ存在しており、一つのものだけが真理ではなく、それらを吟味して取捨選択していくことが大切としている。そして、一つのものだけが真理として追い求められやすい典型例としてキリスト教があげられている。キリスト教はそれ自体が真理として語られ、それ以外の一切の干渉が許されていないものであるが、それであるがゆえに支配者にとって有益なものしか付け加えられない格好の餌食になっていたのだ。そのため、真理のためには取捨選択できる超人(ニーチェの言葉を借りるのであれば)によって論駁されなければならないのである。それと似たような文脈で、自由のためには自由は規制されなければならないとしており、最後の締めくくりでは政府の干渉が反対される原因として個人の活躍の可能性の縮小があるとして挙げられていたが、政府が縮小すると官僚くらいしか門戸が開かれず、それこそ個人の活躍ができなくなるものだとミルは指摘している。

    ただ、これらの内容から、私たちは小さな政府の功罪を読み解くことができる。たしかに政府の過干渉は専制君主制のそれの要因になりうるが、現在の小さな政府はその権力の配分と利用方法を誤ったように思える。個人がもっと活躍できる環境づくりが政府としてなされればいいのになと思った。

  • 現代的で古臭さを感じない内容に驚く。
    日本語は少し古臭いが。

    第二章 言論の自由
    「一般に承認されている意見に対して抗議する人々(中略)が、もしも存在するならば、われわれはその抗議に対して感謝し、われわれの心を開いて彼らの言葉を傾聴しようではないか。」(93頁)

    第三章 個性
    「人々が悪い行為を為すのは、彼の欲望が強力であるからではなく、彼の良心が弱いからである。」(121頁)

    「現代においては、一般的なものへ順応しない(中略)という実例だけでも、即ち、慣習に膝を屈することを拒否するというだけでも、そのこと自体が一つの貢献なのである。」(135頁)

    第四章 政治体制(社会の権威)

  • 【内容】
    個人の自由。その擁護と意義。
    本書の焦点は社会的自由であり、意志の自由(自由意志)ではありません。
    まず議論の前段階として第1章で社会的自由の変遷に触れつつ本書の概要を示し、議論の限定により問題を浮彫にする第2-3章では思想の自由とその実現であるところの個性を扱い、最後に第4-5章で社会による圧力や実際的な問題に多く絡めた議論をして終わり。

    【類別】
    哲学、政治学、社会学、経済学に関連。
    功利主義(実利主義)及び古典的自由主義、西洋哲学の立場から。

    【源流】
    A・d・トクヴィル、W・v・フンボルト、J・ベンサム。
    一部、対置し示されるのはA・コント。

    【着目】
    多数者の暴虐(多数派の専制)、思想及び表現の自由、危害原理、愚行権、多様性、個性の養成、教育、公共の福祉に関する議論を含みます。
    宗教や一部啓蒙的思想に踏みこむ箇所もありますが、少なくとも前者についてはその構造を抽出しつつ例として扱っているためさほど違和感を覚えないのではないでしょうか。キリスト教が多く取りあげられるので、それに対する俯瞰的あるいは分析的な読み方をお奨めします。
    また、訳注が頁231-271と充実し且つ平易な表現で述べられているため、本文を読みづらく感じはするもののそれでも読みすすめたい人には訳注へ軸足の置かれた読み方をお奨めします。

    【備考】
    このレビューは第61刷に基づいています。
    率直に述べますと、本書の翻訳について拙さを感じる点が多少ありました。ただし原文を確認していないので、本書の訳文に限った問題であるとは断言しません。ともあれ古い訳を読みたいわけでないならば本書はお薦めしません。

  • 扱っている話題が幅広く、見識の広さを感じさせる。しかし、楽観的な人間観がどうしても気になる。啓蒙が必要であるという議論の背後には、啓蒙というのは成功裏に成し遂げることができるものであり、また同時に、それは万人にとって幸福を与えるものなのだ、とした前提がある。これは本当なのだろうか。彼自身、文明化については疑念を提示しているが、これは啓蒙自体にも提起し得るものではなかろうか。

  • すごく難しかった。

  • 論理的で面白かった。
    ただ、この版は字が小さいので内容も相まって読みにくいのが玉に瑕。

  • 819円購入2010-06-04

  • 2011/01/26

  • 代表的リバタリアン(功利主義者)であるジョン・スチュワート・ミルによる自由論。難解であるし、翻訳も古く理解しにくかった。
    「人間は自由にその意見を構成し、また自由にその意見を腹蔵なく発表しえなくてはならぬ」p113
    「(個人の自由の制限)個人は、他人の迷惑となってはならない」p114
    「唯一の確実な永続的な改革の源泉は自由である。なぜならば、自由によってこそ、およそ存在している限りの個人と同じ数の独立した改革の中心がありうるからである」p142
    「多くの場合に個人は、標準的に見て、特定の仕事を政府官吏のように巧みに処理することはできないのであるが、それにもかかわらず、その仕事が、個人自らの精神教育の一手段として、個人によって為されることが、政府によって為されるよりも望ましいのである」p218
    「(ベンサム)人間の行動はすべて利己心の発動であり、快楽を求め苦痛をさけようとするのが、人間の行為の動機である。真の利己心は、すべての人の調和を求めるような利己心である。もし利己心が互いに衝突すれば、それは結局各人の利益を害することとなり、到達されるべき利益は失われてしまうからである」p276
    「国家や法律はそれ自体は自由を侵害するものであるから、悪である。しかし国家や法律によって、誤った利己心によって行動する個人を抑圧するのでなければ、社会の調和は得られない。したがって国家や法律は、悪ではあるが、やむを得ない悪であるといわねばならない。これがあることによって、最大多数の最大幸福が達成されるのである」p277

  • wired・近代と社会・5位

    mmsn01-

    【要約】


    【ノート】
    (wired)
    言論や思想の「自由」とそれに対する規制。現代にあってなお先鋭的な問題であり続ける「自由」を考えるうえで、何度でも立ち戻ることが望まれる古典中の古典。

    ◆ユーザーからのコメント
    卒論のテーマ。人様に迷惑かけなけりゃ全て自由! でも100%迷惑かけずに生きるってのが本当難しいのよねえ……/自伝のほうが好きですが

  • ブックマートにて古書で購入。日付は不明だがかなり昔だろう。第一章の冒頭に、この論文の主題が意志の自由でなく市民的・社会的自由だとの記載があり、「思てたんと違う!」となったがとにかく読了。原題が『On Liberty』でFreedomではない点からも、本源的自由というよりは抑圧からの解放に向けて論じていることが判る。ベンサムの功利主義は嫌いなのだがこっちはさほど嫌悪感も抱かず読めた。あと編集者による〈あとがき〉が実に感動的。

  • 国家と個人の関係に関する古典。
    非常に難解。

  • 編者の「あとがき」によれば、ミルの『自由論』は、明治初期の自由民権運動に少なからぬ影響を与えたということだが、ミルが掲げた自由の理念は、残念ながら現代日本においてきちんと理解され、普及しているとは言い難い。

    「他人を不快にする自由は認められない」というのが、日本人の最大公約数的な“自由観”だが、ミルによれば、快・不快の概念は個人の自由を制限する原理たりえないという。個々人の自由の実現や意見の発表は、他人の不快感を誘発しないことには不可能であることしばしばである。我々は、我々自身の自由を享受するために、他者の自由も認めなければならないし、それによって引き起こされる“不快感”を甘んじて耐え忍ばなければならないのである。

    我々日本人は「表現の自由は無制限ではない」などと安易に口にしがちである。しかし、絶対不可侵の内心の自由を保証するために、表現(言論)の自由がいかに重要で、手厚く保護されなければならない権利であるかが本書を読めば理解できる。現代社会においては正しいということがわかりきっている“常識”でさえも、なぜそれが正しいと言えるのかを常に問い続けるために、アンチテーゼとなる反対意見の存在を認めなければならない。それはその“常識”を共有する側の人々にとっての利益ともなる、とミルは説く。

    ミルは、自説を述べた後に必ず、想定される反対意見を挙げ、それに対する再反論を述べている。丁寧な議論の進め方は、ミルの思想の説得力と論理的明快性を補強して余りある。思考を整理したり、文章を書いたりする上でも大いに参考になると思う。

    文章全体の組み立て方も素晴らしいが、一つ一つの文に込められた、アフォリズム的な力強さも魅力的。以下にいくつか引用する。

    “仮りに一人を除く全人類が同一の意見をもち、唯一人が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその一人を沈黙させることの不当であろうことは、仮りにその一人が全人類を沈黙させうる権力をもっていて、それをあえてすることが不当であるのと異ならない”(p36)

    “かつては一般に信じられていた多くの意見が現代によって拒絶されていることが確かであるように、現在一般に信じられている多くの意見が、未来の時代によって拒絶されるであろうことも、同様に確実なのである”(p41)

    “人々が自由なる論議を肯定する主張の妥当であることを承認しながら、しかもこのような主張の「極端に押し進められる」ことに対しては反対するというのは、実に奇怪なことである。彼らには、挙げられた理由が極端な場合に対して有効でないかぎり、いかなる場合に対しても有効でないことがわからないのである”(p47)

    “真理は常に迫害に打ち勝つという格言は、多くの人々が次ぎ次ぎに繰りかえして終に普通のことになっている虚偽――しかも、すべての経験によって反駁されているところの、甘美な虚偽の一つに他ならないのである。歴史は迫害によって沈黙させられた真理の実例に満ちている”(p60)

    “或る事柄に関してもはや疑問がなくなると、その事柄については考えることを止めてしまうという人類の宿命的な傾向は、人類の誤謬の半ばを生み出す原因である”(p89)

    “およそ進歩なるものは、一つの部分的な不完全な真理の上にさらに真理を付け加えるはずのものであるが、その進歩でさえ、多くの場合に、一つの部分的真理の代りに他の部分的真理を置きかえるに過ぎない”(p95)

    “彼が、他人の注意と警告とに耳を傾けずに、犯すおそれのあるすべての過ちよりは、他人が彼の幸福と見なすものを彼に強制することを許すの実害の方が遙かに大きいのである”(p155)

  • 読了

  • 一体どこまでが他者に関わる行為であるのか、がポイントだと思った

  • ベンサムの功利主義を正反対の形で受け継いだJSミルの「On Liberty」

    多数者が支持しているからといって、それが普遍真理であるとは限らない。
    哲人皇帝マルクス・アウレリウスが当時のローマ帝国においてキリスト教を認めなかった事実もある。

    思想、言論、権威、制度、といった様々な面から「自由」と幸福の追求に関して提言がなされている。

    読むのに少し苦労したが、感銘をうけた一文を。
    「人間性は、模型によって作り上げられあらかじめ指定された仕事を正確にやらされる機械ではなくて、自らを生命体となしている内的諸力の傾向に従って、あらゆる方向に伸びひろがらねばならない樹木のようなものである。」

  •  
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4003411668
    ── ミル/塩尻 公明&木村 健康・訳《自由論 19711016 岩波文庫》
     
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A1%D4%BC%AB%CD%B3%CF%C0
    ── 西本 正美・訳《ミル自伝 19281215 岩波文庫》P154-156 精神の危機
     

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