自由論 (岩波文庫 白 116-6)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003411667

感想・レビュー・書評

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  • 代表的リバタリアン(功利主義者)であるジョン・スチュワート・ミルによる自由論。難解であるし、翻訳も古く理解しにくかった。
    「人間は自由にその意見を構成し、また自由にその意見を腹蔵なく発表しえなくてはならぬ」p113
    「(個人の自由の制限)個人は、他人の迷惑となってはならない」p114
    「唯一の確実な永続的な改革の源泉は自由である。なぜならば、自由によってこそ、およそ存在している限りの個人と同じ数の独立した改革の中心がありうるからである」p142
    「多くの場合に個人は、標準的に見て、特定の仕事を政府官吏のように巧みに処理することはできないのであるが、それにもかかわらず、その仕事が、個人自らの精神教育の一手段として、個人によって為されることが、政府によって為されるよりも望ましいのである」p218
    「(ベンサム)人間の行動はすべて利己心の発動であり、快楽を求め苦痛をさけようとするのが、人間の行為の動機である。真の利己心は、すべての人の調和を求めるような利己心である。もし利己心が互いに衝突すれば、それは結局各人の利益を害することとなり、到達されるべき利益は失われてしまうからである」p276
    「国家や法律はそれ自体は自由を侵害するものであるから、悪である。しかし国家や法律によって、誤った利己心によって行動する個人を抑圧するのでなければ、社会の調和は得られない。したがって国家や法律は、悪ではあるが、やむを得ない悪であるといわねばならない。これがあることによって、最大多数の最大幸福が達成されるのである」p277

  • wired・近代と社会・5位

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    【要約】


    【ノート】
    (wired)
    言論や思想の「自由」とそれに対する規制。現代にあってなお先鋭的な問題であり続ける「自由」を考えるうえで、何度でも立ち戻ることが望まれる古典中の古典。

    ◆ユーザーからのコメント
    卒論のテーマ。人様に迷惑かけなけりゃ全て自由! でも100%迷惑かけずに生きるってのが本当難しいのよねえ……/自伝のほうが好きですが

  • ブックマートにて古書で購入。日付は不明だがかなり昔だろう。第一章の冒頭に、この論文の主題が意志の自由でなく市民的・社会的自由だとの記載があり、「思てたんと違う!」となったがとにかく読了。原題が『On Liberty』でFreedomではない点からも、本源的自由というよりは抑圧からの解放に向けて論じていることが判る。ベンサムの功利主義は嫌いなのだがこっちはさほど嫌悪感も抱かず読めた。あと編集者による〈あとがき〉が実に感動的。

  • 国家と個人の関係に関する古典。
    非常に難解。

  • 編者の「あとがき」によれば、ミルの『自由論』は、明治初期の自由民権運動に少なからぬ影響を与えたということだが、ミルが掲げた自由の理念は、残念ながら現代日本においてきちんと理解され、普及しているとは言い難い。

    「他人を不快にする自由は認められない」というのが、日本人の最大公約数的な“自由観”だが、ミルによれば、快・不快の概念は個人の自由を制限する原理たりえないという。個々人の自由の実現や意見の発表は、他人の不快感を誘発しないことには不可能であることしばしばである。我々は、我々自身の自由を享受するために、他者の自由も認めなければならないし、それによって引き起こされる“不快感”を甘んじて耐え忍ばなければならないのである。

    我々日本人は「表現の自由は無制限ではない」などと安易に口にしがちである。しかし、絶対不可侵の内心の自由を保証するために、表現(言論)の自由がいかに重要で、手厚く保護されなければならない権利であるかが本書を読めば理解できる。現代社会においては正しいということがわかりきっている“常識”でさえも、なぜそれが正しいと言えるのかを常に問い続けるために、アンチテーゼとなる反対意見の存在を認めなければならない。それはその“常識”を共有する側の人々にとっての利益ともなる、とミルは説く。

    ミルは、自説を述べた後に必ず、想定される反対意見を挙げ、それに対する再反論を述べている。丁寧な議論の進め方は、ミルの思想の説得力と論理的明快性を補強して余りある。思考を整理したり、文章を書いたりする上でも大いに参考になると思う。

    文章全体の組み立て方も素晴らしいが、一つ一つの文に込められた、アフォリズム的な力強さも魅力的。以下にいくつか引用する。

    “仮りに一人を除く全人類が同一の意見をもち、唯一人が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその一人を沈黙させることの不当であろうことは、仮りにその一人が全人類を沈黙させうる権力をもっていて、それをあえてすることが不当であるのと異ならない”(p36)

    “かつては一般に信じられていた多くの意見が現代によって拒絶されていることが確かであるように、現在一般に信じられている多くの意見が、未来の時代によって拒絶されるであろうことも、同様に確実なのである”(p41)

    “人々が自由なる論議を肯定する主張の妥当であることを承認しながら、しかもこのような主張の「極端に押し進められる」ことに対しては反対するというのは、実に奇怪なことである。彼らには、挙げられた理由が極端な場合に対して有効でないかぎり、いかなる場合に対しても有効でないことがわからないのである”(p47)

    “真理は常に迫害に打ち勝つという格言は、多くの人々が次ぎ次ぎに繰りかえして終に普通のことになっている虚偽――しかも、すべての経験によって反駁されているところの、甘美な虚偽の一つに他ならないのである。歴史は迫害によって沈黙させられた真理の実例に満ちている”(p60)

    “或る事柄に関してもはや疑問がなくなると、その事柄については考えることを止めてしまうという人類の宿命的な傾向は、人類の誤謬の半ばを生み出す原因である”(p89)

    “およそ進歩なるものは、一つの部分的な不完全な真理の上にさらに真理を付け加えるはずのものであるが、その進歩でさえ、多くの場合に、一つの部分的真理の代りに他の部分的真理を置きかえるに過ぎない”(p95)

    “彼が、他人の注意と警告とに耳を傾けずに、犯すおそれのあるすべての過ちよりは、他人が彼の幸福と見なすものを彼に強制することを許すの実害の方が遙かに大きいのである”(p155)

  • 読了

  • 一体どこまでが他者に関わる行為であるのか、がポイントだと思った

  • ベンサムの功利主義を正反対の形で受け継いだJSミルの「On Liberty」

    多数者が支持しているからといって、それが普遍真理であるとは限らない。
    哲人皇帝マルクス・アウレリウスが当時のローマ帝国においてキリスト教を認めなかった事実もある。

    思想、言論、権威、制度、といった様々な面から「自由」と幸福の追求に関して提言がなされている。

    読むのに少し苦労したが、感銘をうけた一文を。
    「人間性は、模型によって作り上げられあらかじめ指定された仕事を正確にやらされる機械ではなくて、自らを生命体となしている内的諸力の傾向に従って、あらゆる方向に伸びひろがらねばならない樹木のようなものである。」

  •  
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4003411668
    ── ミル/塩尻 公明&木村 健康・訳《自由論 19711016 岩波文庫》
     
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A1%D4%BC%AB%CD%B3%CF%C0
    ── 西本 正美・訳《ミル自伝 19281215 岩波文庫》P154-156 精神の危機
     

  • 自由主義の名著。
    社会的な多数者などの国家権力でない、社会的権力による専制に対して警鐘を鳴らしており、現代にも通ずる問題を取り上げていた。
    ミルは本書のなかで、宗教からは中立的な立場に立っていることを述べていたが、多少なりともキリスト教文化の背景があるような記述も多々あったように感じた。
    本書は19世紀のイギリスを知る一次資料としてもよいのではないか。

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