経済学・哲学草稿 (岩波文庫 白 124-2)

著者 : マルクス
制作 : 城塚 登  田中 吉六 
  • 岩波書店 (1964年3月16日発売)
3.52
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  • Amazon.co.jp ・本 (311ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003412428

経済学・哲学草稿 (岩波文庫 白 124-2)の感想・レビュー・書評

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  • 山之内先生の著書を読んで、マルクスの言う疎外の意味が分かったような気がします。いずれにしても僕には敷居が高すぎた感があります。

  • 資本主義とそれを支える国民経済学への批判。
    現代日本に生きる我々にとっては、マルクスの資本主義批判は今一つリアリティに欠けるように思われる。しかしそれは他ならぬマルクスの功績と呼んでもいいのではないか。マルクスやその継承者らの批判があったからこそ、現在のいわゆる修正資本主義がある。逆に言えば、本書は古典的資本主義の復古を図ろうとする動きに対する警鐘となるだろう。マルクスのヒューマニスティックな資本主義批判は至極真っ当であるように思われる。

    後半は有名な疎外論。「疎外」という概念を知っているだけで思考が整理される場面は多い。人間が自ら生み出したものに疎外され、人間性を失ってしまうという、マルクスが提起した問題は今でも価値を失っていない。それどころか、我々が実生活において「疎外」に遭遇する場面は非常に多い。あらゆる物事の本質を見抜くテクニックを、マルクスに教えてもらったような気分だ。

    読んだのは第三草稿の〔四・貨幣〕まで。ヘーゲル哲学を扱った残りの部分は、いつか気が向いたら読む。

    “労働者が骨身を削って働けば働くほど、彼が自分に対立して創造する疎遠な対象的世界がますます強大となり、彼自身が、つまり彼の内的世界がいよいよ貧しくなり、彼に帰属するものがますます少なくなる” pp87-88

    “人間(労働者)は、ただわずかに彼の動物的な諸機能、食うこと、飲むこと、産むこと、さらにせいぜい、住むことや着ることなどにおいてのみ、自発的に行動していると感ずるにすぎず、そしてその人間的な諸機能においては、ただもう動物としてのみ自分を感ずるということである” p92

    “自由な意識的活動が、人間の類的性格である。ところがこの生活そのものが、もっぱら生活手段としてだけ現れるのである” p95

    “貨幣が、私を人間的生活に、社会を私に、私を自然と人間とに結びつける紐帯であるとすれば、貨幣は一切の紐帯のなかの紐帯ではないか!それは一切の紐帯を解きはなしたり結びつけたりできるのではないか!だからそれはまた、一般的な縁切りの手段ではないか!” p183

  • わりとコンパクトな頁数なので読み始めた。だが、しっかり難しいのであった。
    「経済学草稿」に相当する部分は、アダム・スミスらの「国民経済学」を引用しつつ、その限界を批判し、自らのマルクス経済学の視座・立脚点を見出そうとする記述である。工場労働者が強いられている労働の在り方そのものに仔細に着目して、資本家が利潤を容易に搾取する構造を詳らかにしたいのだ、という姿勢・学問的立場が浮かび上がってくる。資本論のように、細かい数式が頻出することもないので、比較的読みやすい。

     一方、文庫後半の“第三草稿の五”と“第四草稿”が表題でいう「哲学草稿」に相当する部分である。これがまた難解であった。
     マルクスの史的唯物論の基盤にヘーゲル主義がある、…と教わった気がする(高校の倫理社会だったか…)。マルクスが、ヘーゲルの思想を批判的に捉えつつ、且つ、ヘーゲルの思想から、使える部分は使いたいと考えているその思考の営みが書かれているらしい。
    これがまた、分かり辛い文章なのであった。
     私は翻訳の良し悪しを評する程の読書家では無い。ただ、この「哲学草稿」の部分は、翻訳以前に、原文そのものが難しいと思われるのだ。
     なぜか? 草稿だからである。つまり、マルクスの思想が完成されていくプロセスの初期に、思考の叩き台としてノートに書き連ねた文章だからである。思考も文章も、まだこなれていなくて説明不足、時には一人語りのような感じもあり、他者に伝えるべく推敲された文章ではないのである。ただ、マルクスの思考のプロセスをたどることは歴史的な意味があるため、世界中の研究者たちが本書をひもとくらしい。そういう“史料的な価値”で読まれている著作なのだ。
     聞くところによると、本書の思考の系譜に連なる「ドイツイデオロギー」なぞは、マルクスの思考と文章が多少洗練されていて、幾分読みやすくなっているらしい。
     いずれにしろ、本書は、読書の対象となる代物ではない。と私は考える。

     ただ一つ、興味深い側面もある。 
    共産主義、社会主義に関する記述が織り込まれている箇所が幾つもあるのだ。

    「共産主義はもっとも近い将来の必然的形態であり、エネルギッシュな原理である。」
     などと書いてある。(p148) ( 他にも各所あり p127、128 、130、131、144、147 、149、160、161、162、216 他 )
    共産主義とか社会主義という言葉は、「資本論」では明確に書かれている部分はごくわずかである。それに比べて「経済学・哲学草稿」では、社会主義・共産主義について比較的多く書かれている。( 上記の部分についての脚注は必読。本書でマルクスは、共産主義と社会主義を逆の意味合いで使っている、とされる。)

  • 図書館で借りて来たが読めずに返却した。

  • 手許にあるのは昭和44年第10刷

  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方』
    文庫&新書百冊(佐藤優選)179
    マルクスと資本主義

  • 『ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙』(ヨースタイン・ゴルデル著、1995年、NHK出版)じゃないけれど、13歳の私は哲学少女でした。

    といっても、どうしようもなく小生意気で、手に負えない難題を周りの大人たちに問いかけては困らせていた、訳ではなく、たった一人で密やかに自問自答する寡黙な存在でした。

    その頃、どれだけ理解できていたかは今となっては定かではありませんが(たぶん半分も分かってなかったと思います)、小説を読む合間に、多いに背伸びしてデカルトやパスカルやスピノザやライプニッツやルソーやカントやニーチェやヘーゲルやキルケゴールを読んでいきました。

    きっとあの頃は、1日が50時間くらいあったのだと思います。飽きるほど本を読み、京都中を駆け回り、映画を見まくってもまだ時間が余る感じがしたものです。

    マルクスに手を染めたのは中2の夏、ちょうど祇園祭の吉符入、7月1日の初日でしたからよく覚えています。

    その時です、通称『経・哲草稿』というこの本で、初めて訳者の一人の田中吉六に出会ったのは。

    たしか1907年生まれだと思いますから、おそらくご存命ではないはず(今年102歳)ですが、いまWikipediaで見ようとしてもありませんし、関連する項目も少ないです。

    ひょっとして、それは、ひとえに彼がエリック・ホッファーと同じように、まったく独学で哲学を学んだ人だったからかも知れません。

    エリック・ホッファー(1902~1983)とは、正規の教育を受けずに炭鉱夫や沖中士などをして、独学で哲学的思索を深め著作を表した人。

    たとえば今の日本で在野の哲学者というと、フッサールの訳本『経験と判断』(1975年)もありますが、それより何と言っても一連のヘーゲルの著作を翻訳して私たちの理解に手を貸して下さったあの長谷川宏や、北海道に根付いて住民運動と共に実践的思想を構築し深めて来られ、レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』(1977・78年)の共訳者でもあり『風の吹きぬける道を歩いて・・・現代社会運動私史』(2008年)を表された花崎皋平や、2003年の刊行は話題騒然でしたが、『磁力と重力の発見』全3巻を上梓した元東大全学共闘会議代表の山本義隆などがスグ思い浮かびますが、彼らはみな東大卒という高学歴者ばかりです。

    それに較べて、今のところ私が知る限りでは、学校へも行かず日雇い労働者として生活して、まったくの独学で哲学を学んで著作を出したのは、田中吉六とエリック・フォッファーだけです。

    中でも田中吉六は、ドイツ語のマルクスの著作を翻訳するという、普通では考えられない困難な仕事をやってのけた人ですから強く私を引き付けます。

    この『経・哲草稿』と『ドイツ・イデオロギー』には、国や社会や家庭からの自由についての思索が溢れていて、私をとても魅惑しましたし、『経・・・』は、働くということはどういうことなのか。働くことは本来は自己実現して喜びであるはずなのに、資本主義社会ではそうではなく、自己疎外される。それをどのようにして乗り越えていくのか・・・などを考察して示されて、いきなり私は世界の問題の中心部へ連れて行かれたようでした。

  • マルクスの著作は久しぶりに読んだ。「草稿」とあるとおり、下書きでのようである。
    ごく大筋は他のマルクスやエンゲルス、レーニンの著作で読んだので特に真新さはなかった、といえばかなり大雑把ではあるけども、「賃労働と資本」や「賃金・価値及び利潤」で触れられていたような内容に深く立ち入っている。(逐一説明せよと云われると、それは困ってしまうが・・・。)

    ただマルクスの全ての体系は、彼のオリジナルであるわけではなく、随所にアダム・スミスの著作やリカードウの著作を引用しつつ比較検討しているようである。彼の研究の深さがうかがい知れる。

    特に「地代論」と第二草稿と第三草稿の私有財産に関するところは非常に興味深かった。
    しかし最後のヘーゲル哲学のところは難解であったけども。どうも哲学というものは難しい。

    確実に本意は汲み取れていないように思う。最近光文社古典新訳文庫で出版されているようなので、そちらも早いうちに読んでみたい。

  • マルクスに初めて挑戦してみた・・・が・・・

    「草稿」なので、読者に判りやすいように書かれておらず、
    初回挑戦 撃沈。

    国民経済学派と対比しながら「労働」を共産主義がどのように捉えるかを説明しているが、共産主義者側の論点がよく飲み込めなかった・・・
    国民経済学派の言い分のほうはすんなり理解できたのですけれども。

    今度は草稿ではなく、ちゃんと本として完成されたものを選んで再挑戦したいと思います。

    ヘーゲル弁証法の章はかなり興味深いです。また改めてヘーゲルに挑戦してみたいと思います。

  • 私自身よく分かってないと思われるが、資本論なんかよりは読みやすいと思いますよ。
    第1草稿〜第3草稿の途中までが経済学草稿にあたるんですが、その辺りは面白かった。
    まぁ今思い返すと何書いてあったかあんまり覚えてない辺りやっぱり確実にわかってないんですがwww
    シェークスピアかなんかからわざわざ”金は娼婦である”なんて引用してるのには思わず笑ってしもたw
    哲学草稿はヘーゲル詳しくないのもあって読んでないっすー。
    今読んでもどうせ分からないし。

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