ドイツ・イデオロギー 新編輯版 (岩波文庫)

制作 : 廣松 渉  小林 昌人 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 226
レビュー : 15
  • Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003412435

作品紹介・あらすじ

近代化へと身悶えするドイツで、「近代」の夢と失望を哲学的に先取りしたヘーゲル左派。その運動を自己批判を込めて総括した若きマルクスとエンゲルスは、本書で「近代」のパラダイムを超える世界観を定礎した。定評ある広松渉編訳・新編輯版にその後の研究成果を反映させ、豊富な訳註を加えた、文庫決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 唯物史観完成の書、らしい。まあ、難しいことはわからないが、抽象的哲学的な観点から社会を理解することをやめ、実践的な、実際の活動に即した社会の理解をめざした、ということか。

    印象的だったのは、のちのマルクス主義歴史学に大きな影響を与えたと思われる一節。

    「抽象されたものは、しかし、哲学のように、それに従えば歴史の各時代がうまく切り盛りできるといった処方箋や図式を与えてくれるものでは決してない。むしろ、<歴史上の>史料や考察の整理に、<さまざまな成層の現実的・事実的な連関の探求に、着手する>そして史料が過去の時代のものであれ現代のものであれ、現実的な叙述に着手する、その場面から初めて困難が始まる。この困難が<解消される>除去される条件となる諸前提は、この場面ではまだあるはずもなく、各時代の諸個人の現実的生産過程と<実[践的]>営為とを研究することを通じて、初めて<生[じる]>おのずから明らかになる。」(p33、<>は抹消部、[ ]は補訳者による補足)

    あと、「フォイエルバッハに関するテーゼ」から印象的な一節。ここはマルクス執筆。

    「フォイエルバッハは宗教の本質を人間の本質へと解消する。しかし、人間の本質とは、個々の個人の内部に宿る抽象物なのではない。それは、その現実の在り方においては、社会的諸関係の総体(アンサンブル)なのである。
     フォイエルバッハはこうした現実的本質的の批判に立ち入らないので、否応なく、
    (1)歴史的な行程を無視し、宗教的心情をそれだけで固定化し、抽象的な―孤立化した―人間の個体を前提とせざるをえない。
    (2)したがって、本質はただ「類」として、多くの個人たちを自然的に結び付けている、内なる、物言わぬ普遍性として、捉えられうるにすぎない」(p237)

    歴史学者がよくやる批判のやり方ここにあり、という感じ。とはいえ、やっぱりこういう考え方は現在においても有効だと思ってしまう。人間の本質論から歴史を語ることは、人間の活動を捨象してしまい、社会や人間をとらえることが結局はできない、ということだろうか。

  • 『ドイツ・イデオロギー』は、1845から46年にかけてマルクスとエンゲルスが共同執筆した草稿を編集したものであり、初めて公刊されたのは1926年のリヤザノフ版である。リヤザノフの粛正に伴って1932年にはアドラツキー版が刊行され、これが「決定版」と看做された。古在由重による岩波文庫の旧訳もアドラツキー版に基づく「抄訳」であった。しかし、その後廣松渉氏が綿密なテキストクリティークを経て既存版を「偽書」に等しいと断じ、自ら編集したドイツ語版および日本語訳を世に問うた。1994年にこの廣松訳を岩波文庫に採用することが決定したが直後に廣松氏が他界、文庫版への協力を求められていた小林昌人氏が廣松訳をベースに完成させたのが本書である。廣松氏によれば、『ドイツ・イデオロギー』はマルクスが疎外論から物象化論に転回したことを示す重要文献であり、それを(アップデートされた)廣松氏自身の翻訳で検証できるのだから実に有り難い。

  • 内田樹・石川康宏の『若者よマルクスを読もう1・2』で引用・紹介されて面白そうだった『ドイツイデオロギー』を早速読んでみた。

    この本は、マルクスとエンゲルスの両者が共同して書いていた手稿を、むりやりツギハギしたもので、普通の体裁の本よりも少し読みづらい。ぼくは、最初の凡例もろくに読まず、ざくざくフィーリングで読みすすめた。

    全体は、「ドイツイデオロギー」すなわちヘーゲル学派がいかに間違っているか、を言い立てる前半部と、マルクス乃至エンゲルスの史的唯物史観を、具体的に開陳してみせる後半部とにおおざっぱに分けることが出来る。

    『若者よマルクスを読もう1・2』でも引用されていた、「重力の思想に取り付かれた男」の話は、ドイツ観念論がいかに間違っているかを示す比喩で、全体を通してもやはり印象に残った。重力の思想に取り付かれている事が原因で、男は重力に支配されて水に溺れてしまうのだから、重力の思想さえ忘れる事が出来れば、以降溺れる恐れはない、という戯画はヘーゲル哲学のあてこすりである。つまり、ヘーゲルによれば、人間が考えたことに世界が支配されるのであって、世界が人間の考えることに支配を及ぼすのではない。マルクスはこれを「逆立ち」と言っている。

    前半は抽象度が高く、手稿の入り乱れ方も激しくて、よく分からなかった。もっとも、文中で槍玉にあがっているヘーゲルもフォイエルバッハも、基礎教養として欠如しているので、分からないのが正しいのかもしれない。「聖マックス」とか「聖家族」とか「聖」という語がしばしばキーワードになっているのもどういう意味なのか、おそらく先行文献を参照しないと、文脈が分からない。しかし、後半は歴史がいかに「生産緒力」と「交通」と「分業」によって、メカニカルに即物的に発展してきたか説明していて、基礎教養も必要なく、面白く読めた。

    このへーゲルとマルクスの相違というのは、超越と内在の相克という対称として、プラトンとアリストテレスから続く相克の系譜とも照合できるのかもしれない。とりあえず、次はヘーゲルの『歴史哲学講義』にブックサーフィンしてみようと思う。

  • 面白い。

    分業による所有形態の多様化。
    その前提としての、生産形態・交通形態のあり様について。人間を規定する諸条件あるいは階級は、そうした物質的形態に関係する。

  •  マルクスとエンゲルスが、彼らなりの唯物史観を思いつくがままに書きなぐった著作。
     書きなぐった、というのは大げさな表現ではないだろうと思う。メモ書きのような断片が多く、それらから彼らのフォイエルバッハ理解を知ることができる。理論重視で突っ走ることから、イデオロギーという言葉を知らしめた一冊であることも頷ける。

  • マルクスとエンゲルスの草稿。題名どおり、当時のドイツ哲学界におけるイデオロギーを批判し、新たな理論を構築しようという意気込みに満ちた著作。「ドイツ・イデオロギー」が具体的に誰の思想を意味しているのかという点はもっと考慮されていいように思うが、理論の精緻さのみを重視し感覚的な人間を忘れているという批判はいまなお薬としては有効だろう。もちろん、マルクス主義そのものがそうしたイデオロギーに堕しているという可能性は常に考慮されてしかるべきだが。いずれにせよ、理論と実践の問題を考えるうえでは欠かせない著作内容。

  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方』
    文庫&新書百冊(佐藤優選)181
    マルクスと資本主義

  • とにかく読みにくい。ぐだぐだと考えたことが述べ連ねられている。そこかしこに後に資本論で書かれることのメモ書きが顔をのぞかせている。不完全であるが故に、なぜ資本論がいわゆるマルクス主義として読むことのできる書物になってしまったのかが想像できる。ドイツイデオロギーの方が言いたいことがまとまっているから。資本論は敵が増え過ぎて誰に対してなんのために書かれているのかよくわからない。この本では確かに唯物史観である。しかしそれは、ヘーゲル左派の論敵が史的唯物論でないからにすぎない。資本論でわからないことかはドイツイデオロギーではわかる。でも資本論はわからない。

  • マルクスやエンゲルスの体裁が整った著作とは違って、これはノートのような紙に思いついたこと、またはどこかで学んだことをひたすら書き連ねた本である。またエンゲルスが主に執筆した箇所をマルクスが書き加えたり、線を引いて消したり、また絵のような内容を書き加えたりしている。
    体裁が整った著書は当然だが取捨選択しているので、彼らがどのような発想をしているか、も当然だが取捨選択している。しかしこの本に関しては思いついたこと、また学んだことの成果をそのまま載せているので、彼らがどのようにして「唯物史観」や「共産主義」の原理を構築したかが読み取れるし、またフォイエルバッハの哲学をどのように学んでいたか、が分かる。
    とはいえ、断片的であるのは当然で、分かりにくいのはたしか。ただ生々しいマルクス、エンゲルスの頭の中身がわかる気もする。

  • マルクス著廣松渉編マルクス攻略本

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