マルクス・エンゲルス 共産党宣言 (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (116ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003412459

作品紹介・あらすじ

「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という有名な句に始まるこの宣言は、階級闘争におけるプロレタリアートの役割を明らかにしたマルクス主義の基本文献。マルクス(1818‐83)とエンゲルス(1820‐95)が1847年に起草、翌年の二月革命直前に発表以来、あらゆるプロレタリア運動の指針となった歴史的文書である。

感想・レビュー・書評

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  • 『共産党宣言』は、1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれ、ロンドンで公刊された。マルクス主義者による国際秘密結社「共産主義者同盟」の綱領であり、共産主義の目的と見解を初めて明らかにした文書である。
    本書にも収録されている、エンゲルスによる「1883年ドイツ語版への序文」の中で、『宣言』の根本思想は、①各時代において、経済及びそれから必然的に生まれる社会組織は、政治や知的活動の基礎となる。②これまでの全ての歴史は階級闘争の歴史、即ち、搾取される階級と搾取する階級、支配される階級と支配する階級の間の闘争の歴史であった。③今や、搾取され圧迫される階級(プロレタリア階級)を搾取し圧迫する階級(ブルジョワ階級)から解放するためには、全社会を永久に、搾取、圧迫及び階級闘争から解放しなくてはならない。の3つであると述べており、これらが『宣言』の骨子である。
    『宣言』は、有名な一文「ヨーロッパに幽霊が出る―共産主義という幽霊である。古いヨーロッパのすべての強国は、この幽霊を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる・・・」で始まり、第1章では、これもまた有名な一文「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」に続けて、ブルジョワ階級の出現が社会をどう変えたか、なぜプロレタリア階級による闘争の勝利が必要か、という『宣言』の要旨が述べられている。
    更に、第2章では、共産主義がめざすものは、所有全般の廃棄ではなくブルジョワ的所有の廃棄であり、具体的な施策として、①土地・銀行・工場・運輸手段の国有化、②強度の累進税、③相続権の廃止、④教育の無償化などの必要性を強調し、第3章では、18~19世紀のヨーロッパに存在した様々な社会主義的思想について賛否を述べ、第4章では、共産主義者は、各国の現存の社会的・政治的状態に反対するあらゆる革命運動を支持すると宣言しているが、3章、4章あたりは、当時存在した「共産主義」への批判的意見や拒否反応を和らげるためのものとも読むことができる。
    そして最後に、「万国のプロレタリア団結せよ!」という、これもまた有名な章句で締めくくられている。
    翻って、現在の世界を見ると、移民・難民の急増、テロの頻発、それらを背景にした偏狭なナショナリズム/ポピュリズムの嵐と、世界が歴史的な曲がり角にいるのは明らかで、その大きな原因のひとつが、世界の随所に存在する「格差」にあることは間違いない。私は、基本的には共産主義に賛成する立場を取らないが、格差を縮小するため、貧困な人びとでも最低限の生活を営むための社会的な仕組みは不可欠であると思っており、『宣言』にはそのヒントがあるようにも思うのだ。
    パラダイムの転換点にある今こそ、改めて読み返していい歴史的文書ではないだろうか。
    (2019年11月了)

  • 共産主義を学ぶ集中講座、終わり。マルクス、エンゲルスの「共産党宣言」、レーニンの「国家と革命」、毛沢東の「毛沢東語録(超訳)」を参考図書とした。
    まだまだ稚拙ではあるが、学びは以下2点。
    一つ目は、共産主義の真の実践者は、おそらく毛沢東ただ一人だったのであろうという理解。
    パリ・コミューンの不完全さ、ソ連の自壊、この歴史的に重要な共産主義社会はいずれも現存していない。
    しかしながら、中国共産党による中華人民共和国だけは、60年以上継続し、現存している。
    革命家としての毛沢東と、それを鄧小平が開放路線へ導いた奇跡的な進化があってのこそだとは思うが、それほど共産主義というものがユートピア的なもの(基本的に成立し得ないもの)であることを物語っている。

    そして二つ目は、世界が閉ざされ、組織や環境が硬直化すると、物事は悪い方向へ向かうということ。
    そして、世の中が悪い方向へ向かう時、暴力は正当化されてしまうということ。
    今まさに、世界中でイデオロギーが再燃しているように感じる。
    これからの未来が不安になった今日この頃。

    以下、備忘録を兼ねた概要
    「共産党宣言」
    マルクス、エンゲルスの主張。封建社会の終わりは、単に新たな抑圧者を生み出したに過ぎなかった。それがブルジョワ社会。階級闘争の終わりを目指したのが、共産主義革命。プロレタリア階級がブルジョワ階級を支配し、強力的に古い生産諸関係を廃止することで、最終的には階級そのものを廃止するという考え方。

    「国家と革命」
    国家は抑圧のための権力であり現代の国家はブルジョワジーがプロレタリアートを搾取・支配する組織である。このような階級支配を終わらせ、国家を廃絶することが究極の目的。
    マルクスによるパリ・コミューンからの学びを中心に、暴力、プロレタリアによる独裁を強調。プロレタリアート革命によるプロレタリアート独裁を経て、階級は廃絶され、国家も死滅していくという主張。そして日和見主義や無政府主義への批判、決別。

    「毛沢東語録」
    18. 愛国主義と国際主義:日本、イギリス、アメリカ、ドイツ、イタリアを意識。すべてのプロレタリア階級と手を組んで世界の民族と人民を解放する。民族主義や愛国主義を否定。
    19. 文化と芸術:階級を越えた芸術、政治から独立した芸術は存在しないとの理解。芸術の自由な発展、自由な議論を認めながらも、政治路線に属した芸術を否定。
    →毛沢東が、国際的な視点や芸術に対して、これほど開かれた考え方を持っていたことは意外。

  • 読みながら考えていたのは、社会における問題の根本にあるのはなにかということ、そして社会運動の導き方について。
    前者は、マルクスにあっては資本主義経済体制があらゆる問題の根本を形作ると考えられている。この問題は今なお未解決であり、論者によって意見が分かれるものである。ウェーバーは資本のみに帰せず思想も問題にした。言うまでもなく、これはべつに経済的不平等のみを問題にするものではない。マルクスが「ここで問題にしているのは、単なる生産用具としての婦人の地位の廃止だ」(p64)で述べている通り、フェミニズムのような地位的ヒエラルキーの根本にも資本主義経済体制があるのではないか、という指摘。不平等が常に社会には存在する、というマルクスの意見に反対できる人はいないでしょう。このような不平等は結局何に帰結するのか、社会構造のどこを変えればあらゆる問題は解決するのか。現在にあってもあらゆる問題の根本をいかに捉えるか、資本主義に対する包括的かつ的確な視野は提供されていない。それはアクセル・ホネットとナンシー・フレイザーの論争にも見られる問題だとおもいます。
    後者については、実践を通じて社会主義の実現が挫折したと見られている今、資本主義の打倒を必然的なものと考える見方は廃棄されているが、しかしながら社会運動を鼓舞するために歴史の必然性を説くことは有効だったし、それが出来ない現在は大変厳しいものだと。つまり目的論的に世界は導けるかということ。運動の成功を未来にあって保証する、そのような歴史観を手にしていたからこそマルクス主義は大きな影響を及ぼし社会における実践をもたらしたのではないか。その可能性、歴史の必然を説く可能性が廃棄された今、社会運動を導く強大な基礎付けは一体どのように可能なのか。
    とにもかくにも本書が歴史的に果たした役割は大きく、その有効性は失われていない。

  • 薄い本にも関わらず、それなりに時間がかかった。
    マルクス自身も文中で触れているが、これはアジテート用に書いたものであり、それ故、なかなか迫力のある文章。
    まあ、マルクス主義も廃れている今の時代を生きているせいか、自分には与することはできないけれどね。

    『われわれと争うのはやめたまえ。諸君の思想そのものが、ブルジョア的生産諸関係および所有諸関係の産物なのだから』というロジックは、フェ◯ニストがよく反論で使う、『その考えこそ、男性主義・家父長制の思想から導き出されるもの』と言う思考回路に似ている。
    これはある意味、敵なしなのかもしれないけれど、それ以上先に進まず、また、何も産み出さないよね。
    こういったロジックの人は皆さんの周りにはいますか…?

  • おもしろかった!啓蒙を目的とするパンフレットってこういうものなんだなあと。

    抽象的な概念に類するような表現が多くて理解することは難しかったけれど(当時を生きていた人たちでさえしっかりと理解できたとはあまり思えない…)、民衆が同調しやすい、そしてしたがっている修飾語を冠した抽象的な言葉こそ最も扇動が容易な言葉なのではないだろうか。

    初めて読みましたが、共産主義について誤解していた部分が多々あったなあと知ることができました。
    私有財産の廃止、ではなく、ブルジョア的財産のみの廃止が目的みたいです。しかしいわゆる財産はブルジョア的なものがほとんどだから引いては財産全般の廃止につながってるみたいだけど。

    以下、引用。
    「ブルジョア階級は、(中略)封建的な、家父長的な、牧歌的ないっさいの関係を破壊した。かれらは、人間を(中略)結びつけていた色とりどりの封建的きずなを容赦なく切断し、人間と人間とのあいだに、むき出しの利害以外の、つめたい「現金勘定」以外のどんなきずなをも残さなかった。からあらは、信心深い陶酔、騎士の感激、町人の哀愁といった清らかな感情を、氷のようにつめたい利己的な打算の水のなかで溺死させた。かれらは人間の値打ちを交換価値に変えてしまい、(中略)自由を、ただ一つの、良心をもたない商業の自由と取り代えてしまった。」
    ここで批判。

    「ある時代の支配的思想は、つねに支配階級の思想にすぎないのである。
    一つの全社会を革命する思想というものがあるという。それはただ、旧社会の内部に新社会の諸要素が形成されたという事実を(中略)いっているにすぎない。」
    ここで納得。

    「支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命においてくさりのほかに失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。
    万国のプロレタリア団結せよ!」
    ブラボー!みたいな流れですね。

    個人的には、
    ヨーロッパには怪物が…
    あらゆる闘争は…
    のくだりよりも最後のフレーズが一番かっこいいですね。

    時代を変えるパンフレット、いろんなジャンルのものを読んでみたい!

  • これ、マルクスが29歳のときか…。読んでみて、ちょっと頭が良くなったような気は・・・あまりしない。やはり僕の感性はもう鈍りきっているのか。

    最後の文章、こないだ読んだ『若者よ、マルクスを読もう』では「鉄鎖のほか失うべきものをもたない」と書いてあったけど、僕が買ったこの第90刷は、「くさり」になっていた。なんとなく「鉄鎖」のほうがかっこいいような気がするんだけど、それは意訳にすぎる、ということなのかな。まあしかし、細かい訳をどうのこうの言ってもあまり意味はない。

  • 『共産党宣言』マルクス・エンゲルス著を読む。

    自殺者が年間十万人を超え、
    不登校引きこもり、無気力が多く、
    鬱病などの精神疾患が席巻しているわけは、
    やはり、
    「人間が人間らしく生きられず、
    生産を高めるための機械であることが生きる意味」になっている社会の現状があると思います。


    いかに心が優しくても、人を思いやる心があろうとも、絵を描いたり音楽を奏でる才能や、美しい文章が書ける人、いかに知識や教養のある人でも、
    資本を拡大するための定められた単純な作業さえもできなければ、
    「社会不適応」
    「お前には生きる権利はない」
    という扱いを受けることになります。

    鬱になろうが、病気になろうが、人がその結果死のうが、
    資本と生産性が、人命よりも優先されることになります。
    人命や人権の尊重は、「そうしないと結果生産性が上がらないから」という建前で守られているだけです。


    いわば、世界は資本主義という宗教に侵略され、洗脳されており、
    貨幣というお札に宿る神さまに対する偶像崇拝を強制され、
    そのために人が死んだり殺しあったりするわけです。

    星空の美しさや、大海原や大自然の美しさ、
    人間存在の神秘にゆっくり想いを馳せる余裕もない。



    マルクスは、
    資本主義社会の問題点を提起し、
    「一人ひとりの自由な発展なくして、
    全ての人の自由な発展はない」
    という互いに助け合う社会の理想を説いたわけです。

    資本主義社会というのは、
    お金を生み出す仕組みを持っている金持ちがますますお金持ちになる。
    というか、どんどん発展していかないと、潰れてしまう運命にあるから、
    馬車馬のように資本を拡大させ続けなければいけない。

    働く人は、
    その資本を拡大させるための「商品」であり、利潤を生み出す機械の一部でしかない。

    たとえ、何でも生産してくれる機械ができたとしても、
    それでも、「人間」から「人間」が搾り取る構図は変わりません。

    それどころか、仕事の喜びや特殊技能は、ますます機械に奪われます。


    誰が悪いというわけでなく、
    「そういうゲーム」なのです。

    「モノポリー」というゲームの勝敗は、
    誰か一人が、全ての市場を独占し、ほかの全てのプレイヤーを破産させることで決まりますが、
    ゴールが破綻と決まっているのが、資本主義というゲームのシステムなのです。

    そして、誰一人としてこのゲームから降りることはできません。

    マルクスは、資本主義の終焉を予言し、
    世界中の労働者が、国境を越えて団結し、革命を起こして、
    工場や資本を全員で共有する、分かち合う社会を言いましたが、
    社会主義の歴史実験は失敗に終わり、
    百年経っても、現状は変わっていません。




    ただ、
    マルクスさんの分析は「正しい」かもしれないけれども、
    真ん中の一行を除いてはほかに、
    「ワクワク」はしないのです。

    世の中こういう風におかしい、
    社会の構造のため、こんなに苦しんでいる人がいる、
    こういう風に変えなければ!

    というのはものすごく共感できるのですが、
    これって果たして「生命の原理」に合致するのかという問題です。

    生命の原理とは、宇宙が膨張し生成発展していくのと同じで、
    自己の可能性を最大限に発揮していくことだと思うのです。


    自然界って、強いものと弱いもののバランスで成り立っているわけで、
    「捕食者は許せない」と、捕食者を一掃して、みんな草食動物だけにしたら、結局みんな死ぬよ?

    正しい階級分け、正しい差別、正しい格差は必要です。
    強者は弱者を搾取するのでなく、威張るけれども、護る。
    弱者は、自分の分を受け入れる。

    武道には強さによって帯がヒエラルキーのように見事に分かれていますけれども、いい仕組みだと思うのです。

    無論、日本にも部落差別などありましたし、支配者の差別的な政策もありました。
    そういうところは、変えていかねばなりません。




    共産主義がうまく立ちいかなかった原因って、
    ある意味この、「ワクワクのなさ」だと思うんです。

    世の中こうじゃなきゃいけないばっかりで、
    個人の立身出世や夢や自己実現というものが押さえつけられているわけです。

    より高次の理想社会のために個人が犠牲になる全体主義は、
    ナチスにも言えました。

    日本やアメリカの発展は、
    頑張ったら、テレビやクーラーが買える、彼女とデートに行けるみたいな些細な夢だったりしたんですね。

    あと、精神性を大切にしたこと。

    祈りと言ってもいいかもしれません。

    全てを唯物的に考えた社会主義諸国が物質的に没落して、
    精神性を大切にした自由主義諸国が発展したのは皮肉としか言いようがありません。

    資本主義の権化と言われたロックフェラーは、
    実は経験なクリスチャンで、ずっと教会への十一献金を欠かさず、人生後半生は慈善事業に財産を使っています。


    マルクスは、思想も哲学も真理も法も普遍的なものでなく、
    所詮は物質的な経済状況の上に置かれるものでしかないと言いました。

    マックス・ウェーバーという社会学者は、
    マルクスの言い分を認めつつも、
    精神性が物質的世界を変えてしまうケースがあることを指摘しました。



    「哀しみ」「憎しみ」「許せない」「被害者意識」ベースではじめたものって、
    確かに、「正しい」し、「共感」もできます。
    ですが、その先が見えないんです。

    負の感情で巻いた種や、起こした行動は、
    それが「正義」に満ちたものであればあるほど、
    負の結果を刈り取ることになると思うのです。


    左翼の方々や、社会活動をしておられる方は、
    誠実で優しくて、弱者の苦しみや不正義に対して敏感という方は多いのです。
    そしてその問題に対してしっかり行動を起こして訴えかけている。


    でも、それで幸せになった人って見たことないんです。


    それどころか、余計自分自身に苦しみが跳ね返って、矛盾は大きくなったり、
    仲間同士で憎しみあいや暴力が始まる。

    「許せない」「こんな社会間違っている」ではじめたものは、
    同じものを、自らの内部に抱くようになります。

    同情をやめろとか、差別や貧困を放置せよ無関心になれというのではなく、
    根っこにある心の部分を見直して欲しいのです。

    マザーテレサは、
    「反戦活動」はしませんでした。
    そのかわり「平和活動」を喜んでしました。




    物事何でも、言葉が大切です。

    初めっから、
    「ヨーロッパに共産主義という幽霊が出て、みんな恐れているぜ!」
    「階級闘争こそ歴史」
    と、敵とバトる前提ではじめているじゃないですか。


    締め括りも、堂々と、
    「これまでの一切の社会秩序を暴力によって転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。」

    って、恨みベースでやってるから、
    どこまで行っても、敵と憎しみと闘争を必要とするんです。



    平和や人権を唱えながら、暴力的になる左翼活動家、
    なんでもかんでも、被害者になって取るに足らない些細なことを差別だと騒ぎ立てる人々、

    実際のところ、本人に原因のあるコンプレックスを社会のせいにして無限に正当化して、怒ってるだけではないでしょうか。

    これは、もちろん、他国に対して差別的になる右翼にも言えることですが。


    被害者意識や苦しみで団結するのではなく、
    愛と尊敬と夢を叶えるビジョンによって団結し、
    それぞれのフルパワーを出しながら、みんなの夢の実現に寄与する団結が必要です。

    キリストの言う、それぞれの十字架というのは、
    自分が自分であること全ての苦しみだけれども、
    それを愛と生命と喜びにつなげていく連帯だと思うのです。


    愛と光で連帯していこう、
    愛と祈りで革命を起こしていこう。

    具体的にやることはそれぞれ違うですが、
    根っこの種のところそれを置くことが一番大切だと思うんですね。


















  • ★ 広国大の電子ブック ★
    Maruzen eBook Library から利用
    ※ 音声読み上げ機能付き ※

    【リンク先】
    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000073070

  • よく言われる共産主義の私有財産の否定は所有自体を否定している訳ではなくブルジョワ的所有、つまり、社会の中の一部のみが私有することを否定し、モノは社会共通の所有物であると言うスタンス

  • 共産主義の古典であるのみならず、フェミニズムやコロニアリズム批判についても示唆的な記述が見られるさすがの著作。

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