共産党宣言 (岩波文庫 白 124-5)

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  • / ISBN・EAN: 9784003412459

作品紹介・あらすじ

「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という有名な句に始まるこの宣言は、階級闘争におけるプロレタリアートの役割を明らかにしたマルクス主義の基本文献。マルクス(1818‐83)とエンゲルス(1820‐95)が1847年に起草、翌年の二月革命直前に発表以来、あらゆるプロレタリア運動の指針となった歴史的文書である。

感想・レビュー・書評

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  • 共産党宣言
    著:K・マルクス
    著:フリードリヒ・エンゲルス
    訳:大内 兵衛
    岩波文庫 白124-5

    1848年フランスの2月革命、オーストリア、プロイセンの3月革命をはじめ、ヨーロッパは諸国民の春と呼ばれる、「1848年革命」という転機を迎えていた それは、ヨーロッパをナポレオン以前に戻そうとする、ウィーン体制が崩壊した年でもあった。
    2人のドイツ人である、マルクスとエンゲルスが、同年に発したのが、本書である、「共産党宣言」である

    当時も産業革命を背景として、強欲な資本主義があって、その対極に、共産主義という概念が生じた
    いわゆる二元論的な世界である

    これまでは、ブルジョアが握っていた、社会資本を、共有化して、貧富のない世界にするというのが、本旨である そして、そのために、ブルジョアから政権を、プロレタリアが奪還するという革命の宣言なのである

    気になったのは、以下です

    ■ブルジョアとプロレタリア

    ・今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である
    ・ブルジョア社会はいきなりできたのではない
    ・農奴⇒城外市民⇒大航海時代⇒マニファクチャラー⇒近代ブルジョア社会
    ・近代ブルジョアとは、封建社会の崩壊と産業革命が生み出した新しい支配層であることをいっている
    ・封建社会においては、圧迫された身分であり、自由都市にあっては、武装し、自治をもった組合をなした
    ・独立した都市共和国は、農村を取り込んで巨大化し、近代的代議士制国家を築く
    ・近代的国家権力とは、全ブルジョア階級の共通の事務をつかさどる委員会にすぎないといっている
    ・ブルジョアは、医師、法律家、僧侶らを特権階級から単なる賃金労働者に変えた
    ・これまでは変わることがなかった社会について、生産のたえまない変革、あらゆる社会状態のやむことのない動揺 永遠の不安定と運動が、ブルジョア社会の特徴である
    ・ブルジョア階級は封建制を打ち倒すのに用いた武器は、いまやブルジョア階級自身に向けられる
    ・それは、近代労働者の階級をいう
    ・機械の拡張、分業などで、労働者にとって機械の単なる付属物となったといっている 単純で、単調な、だれでも習得できるこつを要求されるだけになった
    ・全国に分散されている労働者が結集したものがプロレタリアである
    ・プロレタリアは、ブルジョアに対立する、ほんとうに革命的な階級である

    ■プロレタリアと共産主義者

    ・共産主義者の目的とは
     ①プロレタリア階級の形成
     ②プルジョア支配の打倒
     ③プロレタリア階級による政治権力の奪取
    ・私有財産の廃止をしようとするも、10人に9人については、既に廃止されているのだ
    ・個人的財産がブロジョア的資産に転化し得なくなる瞬間から、個人が廃止されたとみなされる
    ・労働者革命の第1歩は、プロレタリア階級を支配階級まで高めること、民主主義を闘いとること
    ・変革への手段
     ①土地収用を収奪し、地代を国家支出に振り分ける
     ②強度の累進税
     ③相続税の廃止
     ④すべての亡命者および反逆者の財産の没収
     ⑤国家資本および排他的独占をもつ国立銀行によって、信用を国家の手に集中する
     ⑥すべての運輸機関を国家の手に集中する
     ⑦国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良
     ⑧すべての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成
     ⑨農業と工業の経営を結合し、都市と農村との対立を次第に除く
     ⑩すべての自動の公共的無償教育、児童の工場労働の撤廃

    ■社会主義的及び共産主義的文献

    ・封建的社会主義
    ・小市民的社会主義 小市民層 プロレタリアとブルジョアの間の階級層
    ・ドイツの社会主義、または、「真正」社会主義 フランス人の主張の下に哲学的空語をさしこむこと
    ・保守的社会主義 ブルジョアによる改良
    ・批判的・空想的社会主義 プロレタリア階級未発達時に現れる

    ■種々の反対党に対する共産主義者の立場

    ・共産主義者は、労働者階級の直接当面する目的や利益を達成するために闘う

    フランス 保守的、急進的ブルジョア階級に反対して、社会主義、民主党に結びついている
    スイス 急進派を支持する
    ポーランド 農業革命こそ、国民的解放の条件
    ドイツ ブルジョア階級が革命的に振舞うかぎり、共同して、絶対王制、封建的土地所有、小市民派と闘う

    ・共産主義者は、どこにおいても、現存の社会的ならびに政治的状態に反対するあらゆる革命運動を支持する
    ・これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ、自己の目的が達成される

    結論 万国のプロレタリア団結せよ

    目次
    ドイツ語版への序文
     一八七二年(マルクス・エンゲルス)
     一八八三年(エンゲルス)
     一八九〇年(エンゲルス)—— 一八八二年ロシア語版への序文(マルクス・エンゲルス)を含む
    英語版への序文(一八八八年 エンゲルス)
    ポーランド語版への序文(一八九二年 エンゲルス)
    イタリー語版への序文(一八九三年 エンゲルス)

    共産党宣言
     第一章 ブルジョアとプロレタリア
     第二章 プロレタリアと共産主義者
     第三章 社会主義的および共産主義的文献
     第四章 種々の反対党に対する共産主義者の立場

    校 註
    一八八八年英語版との対照
    解 説

    ISBN:9784003412459
    出版社:岩波書店
    判型:文庫
    ページ数:116ページ
    定価:570円(本体)
    1951年12月10日第1刷
    2007年04月05日第86刷改版発行

  • 題の通り、当時の共産主義の理論と実践が記述されている。現代で共産主義というとイデオロギー的な他意を含みがちであるが、本書ではその根幹を成すロジックに触れることができる。

    ありがちな誤解として一切の財産の私有の廃棄というものがあるが、本書ではそれは明確に否定されている。本書で述べられているのはあくまで生産手段たる資本の共有財産化であり、それはプロレタリアが元々所有していない、所有できないものを指している。また同時に、相続も資本の拡大と階級間の対立を助長するものにすぎないことから、これも否定している。

    これらの原則は、突飛で理解に苦しむような類の思想というよりはむしろ、現代の価値観に照らしても妥当なもののようにも感じられる。多く働いた者、能力の高い者は社会への貢献も大きいことから高い報酬を得ることは正当化されるし、また同時に、この報酬が人々の社会貢献を動機づける。一方、多くの相続を受けた者はその財産の一部を資本として所有することで、働くこともなく資本が財を生み、報酬を受ける。この報酬を前者の報酬と比較すると、その正当性は低いように感じられる。労働とその成果こそが報酬を与えられるべきものであり、資本の所有に対する報酬は正当性に欠けることから、これを廃止し、資本を共有財産化する。それにより歴史上初めて階級間の対立を排除し、理想社会を実現できるのではないか。

    一方で、現代の社会の観察を考察に含めると、本書の執筆当時と比べて二つの点で状況が異なっていることが分かる。1点目は、資本投資による生産性の向上である。資本主義社会では、資本家の資本投資により生産性が向上する。この生産性の向上こそが市場における競争の一つの恩恵である。競争がなければここまでの資本投資は実現しなかっただろうし、当時の社会では資本投資によって現代ほどの高い生産性が実現可能であるとも想像できなかったであろう。(本書執筆からの150年で生産性は100倍になったとも言われている。)2点目は、資本コストの低廉化である。当時想定していた資本というのは工場、機械、土地、といったものであり、それらは大きなコストを要求した。それ故、資本を持たぬ者たるプロレタリアには、労働による賃金を蓄積したところで資本の所有に到達することは不可能であるように思われた。(正確には、マルクスの資本論において労働賃金は労働の再生産費用に他ならないため、そもそも蓄積すること自体が不可能であるという理論であるが。) しかし、インターネットの到来以降資本の所有に必要なコストは下がり続け、現在では誰もが持つスマートフォン一つでもアプリケーション開発が可能となった。さらに、本書で述べられている生産諸関係も大きく変化した。当時は資本を持つブルジョワと資本を持たず労働で賃金を得るプロレタリアの関係構造であったが、現代では個人がブログ投稿やYoutube動画投稿によって広告収入を得られるようになり、その生産諸関係はより複雑化したと言える。

    以上の考察より、本書の執筆当時と社会構造が変化していることは明らかであるが、それは決して本書が無意味な過去の産物と化したことは意味しない。本書内でも述べられている通り、社会の変化とともに本書内に時代と合致しない箇所が出現し、それらに改変が必要であるとしても、歴史的文書として本書を参照し理解することには大きな意味を持つと感じている。

    そしてなにより、とても薄い!たった50頁ほどである!もちろんより深い理解のためには他書物の参照が不可欠であるため、この50頁で全てが分かるというわけではないが、一つの思想体系のエッセンスであることに違いはない。一度は自身で読んでみることを推奨したい。

  •  久しぶりに読んだなあ,マルクス・エンゲルスの文章。
     いま,
    内田樹✕石川康宏著『若者よ,マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱』(かもがわ出版,2010年)
    を読んでいる。高校生以上向きに書かれた本書は,二人の手紙のやりとりという形をとってマルクス・エンゲルスの著書を順に読み解いていく。二人の手紙風の文章は,「簡潔!」とまではいかないけれど,これまで読んだどのマルクス解説書よりもわかりやすいし読みやすい。今の日本の社会で,ほとんど消えかかっているマルクス(の著作や思想)の現代的な意味を掘り起こしていこうという本だ。
     その最初に取り上げられているのが『共産党宣言』である。『共産党宣言』には,なぜ共産党が生まれる必要があるのか,これまでの社会はどんな歴史をたどり,結果,今(1850年代ごろ)はどんな時代であり,このあとどのような社会をつくる必要があるのか,その歴史の流れを必然として描き出している。熱い思いは十分伝わってくる。ブルジョアジーやプロレタリアートなんて言葉は,若い子知っているのかな。高校生なら習っているか。

    一箇所だけ引用。

    そしてついに,(ブルジョアジーは)大工業と世界市場とがつくりだされてからは,近代の代議制国家において独占的な政治的支配をたたかいとった。近代の国家権力は,ブルジョアジー階級全体の共同事務を処理する委員会にすぎない。(下記著書のp.64)

     今の日本で自民党を支持しているのは経団連など財界だ。まさにブルジョアジーが日本政府を圧力で指導している。
     さて,わたしが読んだ「共産党宣言」は,岩波文庫版ではなく『マルクス=エンゲルス8巻選集』(大月書店刊)に収録されている文章である。この『8巻選集』は,40年前,学生時代に購入したモノだ。これをきっかけに,もう一度,パラパラと読んでみようと思う。1200円/冊✕8冊=9600円もしたんだな。
     ちなみに『共産党宣言』は「第2巻」に掲載されている。

  • 『共産党宣言』マルクス・エンゲルス著を読む。

    自殺者が年間十万人を超え、
    不登校引きこもり、無気力が多く、
    鬱病などの精神疾患が席巻しているわけは、
    やはり、
    「人間が人間らしく生きられず、
    生産を高めるための機械であることが生きる意味」になっている社会の現状があると思います。


    いかに心が優しくても、人を思いやる心があろうとも、絵を描いたり音楽を奏でる才能や、美しい文章が書ける人、いかに知識や教養のある人でも、
    資本を拡大するための定められた単純な作業さえもできなければ、
    「社会不適応」
    「お前には生きる権利はない」
    という扱いを受けることになります。

    鬱になろうが、病気になろうが、人がその結果死のうが、
    資本と生産性が、人命よりも優先されることになります。
    人命や人権の尊重は、「そうしないと結果生産性が上がらないから」という建前で守られているだけです。


    いわば、世界は資本主義という宗教に侵略され、洗脳されており、
    貨幣というお札に宿る神さまに対する偶像崇拝を強制され、
    そのために人が死んだり殺しあったりするわけです。

    星空の美しさや、大海原や大自然の美しさ、
    人間存在の神秘にゆっくり想いを馳せる余裕もない。



    マルクスは、
    資本主義社会の問題点を提起し、
    「一人ひとりの自由な発展なくして、
    全ての人の自由な発展はない」
    という互いに助け合う社会の理想を説いたわけです。

    資本主義社会というのは、
    お金を生み出す仕組みを持っている金持ちがますますお金持ちになる。
    というか、どんどん発展していかないと、潰れてしまう運命にあるから、
    馬車馬のように資本を拡大させ続けなければいけない。

    働く人は、
    その資本を拡大させるための「商品」であり、利潤を生み出す機械の一部でしかない。

    たとえ、何でも生産してくれる機械ができたとしても、
    それでも、「人間」から「人間」が搾り取る構図は変わりません。

    それどころか、仕事の喜びや特殊技能は、ますます機械に奪われます。


    誰が悪いというわけでなく、
    「そういうゲーム」なのです。

    「モノポリー」というゲームの勝敗は、
    誰か一人が、全ての市場を独占し、ほかの全てのプレイヤーを破産させることで決まりますが、
    ゴールが破綻と決まっているのが、資本主義というゲームのシステムなのです。

    そして、誰一人としてこのゲームから降りることはできません。

    マルクスは、資本主義の終焉を予言し、
    世界中の労働者が、国境を越えて団結し、革命を起こして、
    工場や資本を全員で共有する、分かち合う社会を言いましたが、
    社会主義の歴史実験は失敗に終わり、
    百年経っても、現状は変わっていません。




    ただ、
    マルクスさんの分析は「正しい」かもしれないけれども、
    真ん中の一行を除いてはほかに、
    「ワクワク」はしないのです。

    世の中こういう風におかしい、
    社会の構造のため、こんなに苦しんでいる人がいる、
    こういう風に変えなければ!

    というのはものすごく共感できるのですが、
    これって果たして「生命の原理」に合致するのかという問題です。

    生命の原理とは、宇宙が膨張し生成発展していくのと同じで、
    自己の可能性を最大限に発揮していくことだと思うのです。


    自然界って、強いものと弱いもののバランスで成り立っているわけで、
    「捕食者は許せない」と、捕食者を一掃して、みんな草食動物だけにしたら、結局みんな死ぬよ?

    正しい階級分け、正しい差別、正しい格差は必要です。
    強者は弱者を搾取するのでなく、威張るけれども、護る。
    弱者は、自分の分を受け入れる。

    武道には強さによって帯がヒエラルキーのように見事に分かれていますけれども、いい仕組みだと思うのです。

    無論、日本にも部落差別などありましたし、支配者の差別的な政策もありました。
    そういうところは、変えていかねばなりません。




    共産主義がうまく立ちいかなかった原因って、
    ある意味この、「ワクワクのなさ」だと思うんです。

    世の中こうじゃなきゃいけないばっかりで、
    個人の立身出世や夢や自己実現というものが押さえつけられているわけです。

    より高次の理想社会のために個人が犠牲になる全体主義は、
    ナチスにも言えました。

    日本やアメリカの発展は、
    頑張ったら、テレビやクーラーが買える、彼女とデートに行けるみたいな些細な夢だったりしたんですね。

    あと、精神性を大切にしたこと。

    祈りと言ってもいいかもしれません。

    全てを唯物的に考えた社会主義諸国が物質的に没落して、
    精神性を大切にした自由主義諸国が発展したのは皮肉としか言いようがありません。

    資本主義の権化と言われたロックフェラーは、
    実は経験なクリスチャンで、ずっと教会への十一献金を欠かさず、人生後半生は慈善事業に財産を使っています。


    マルクスは、思想も哲学も真理も法も普遍的なものでなく、
    所詮は物質的な経済状況の上に置かれるものでしかないと言いました。

    マックス・ウェーバーという社会学者は、
    マルクスの言い分を認めつつも、
    精神性が物質的世界を変えてしまうケースがあることを指摘しました。



    「哀しみ」「憎しみ」「許せない」「被害者意識」ベースではじめたものって、
    確かに、「正しい」し、「共感」もできます。
    ですが、その先が見えないんです。

    負の感情で巻いた種や、起こした行動は、
    それが「正義」に満ちたものであればあるほど、
    負の結果を刈り取ることになると思うのです。


    左翼の方々や、社会活動をしておられる方は、
    誠実で優しくて、弱者の苦しみや不正義に対して敏感という方は多いのです。
    そしてその問題に対してしっかり行動を起こして訴えかけている。


    でも、それで幸せになった人って見たことないんです。


    それどころか、余計自分自身に苦しみが跳ね返って、矛盾は大きくなったり、
    仲間同士で憎しみあいや暴力が始まる。

    「許せない」「こんな社会間違っている」ではじめたものは、
    同じものを、自らの内部に抱くようになります。

    同情をやめろとか、差別や貧困を放置せよ無関心になれというのではなく、
    根っこにある心の部分を見直して欲しいのです。

    マザーテレサは、
    「反戦活動」はしませんでした。
    そのかわり「平和活動」を喜んでしました。




    物事何でも、言葉が大切です。

    初めっから、
    「ヨーロッパに共産主義という幽霊が出て、みんな恐れているぜ!」
    「階級闘争こそ歴史」
    と、敵とバトる前提ではじめているじゃないですか。


    締め括りも、堂々と、
    「これまでの一切の社会秩序を暴力によって転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。」

    って、恨みベースでやってるから、
    どこまで行っても、敵と憎しみと闘争を必要とするんです。



    平和や人権を唱えながら、暴力的になる左翼活動家、
    なんでもかんでも、被害者になって取るに足らない些細なことを差別だと騒ぎ立てる人々、

    実際のところ、本人に原因のあるコンプレックスを社会のせいにして無限に正当化して、怒ってるだけではないでしょうか。

    これは、もちろん、他国に対して差別的になる右翼にも言えることですが。


    被害者意識や苦しみで団結するのではなく、
    愛と尊敬と夢を叶えるビジョンによって団結し、
    それぞれのフルパワーを出しながら、みんなの夢の実現に寄与する団結が必要です。

    キリストの言う、それぞれの十字架というのは、
    自分が自分であること全ての苦しみだけれども、
    それを愛と生命と喜びにつなげていく連帯だと思うのです。


    愛と光で連帯していこう、
    愛と祈りで革命を起こしていこう。

    具体的にやることはそれぞれ違うですが、
    根っこの種のところそれを置くことが一番大切だと思うんですね。


















  • 読みながら考えていたのは、社会における問題の根本にあるのはなにかということ、そして社会運動の導き方について。
    前者は、マルクスにあっては資本主義経済体制があらゆる問題の根本を形作ると考えられている。この問題は今なお未解決であり、論者によって意見が分かれるものである。ウェーバーは資本のみに帰せず思想も問題にした。言うまでもなく、これはべつに経済的不平等のみを問題にするものではない。マルクスが「ここで問題にしているのは、単なる生産用具としての婦人の地位の廃止だ」(p64)で述べている通り、フェミニズムのような地位的ヒエラルキーの根本にも資本主義経済体制があるのではないか、という指摘。不平等が常に社会には存在する、というマルクスの意見に反対できる人はいないでしょう。このような不平等は結局何に帰結するのか、社会構造のどこを変えればあらゆる問題は解決するのか。現在にあってもあらゆる問題の根本をいかに捉えるか、資本主義に対する包括的かつ的確な視野は提供されていない。それはアクセル・ホネットとナンシー・フレイザーの論争にも見られる問題だとおもいます。
    後者については、実践を通じて社会主義の実現が挫折したと見られている今、資本主義の打倒を必然的なものと考える見方は廃棄されているが、しかしながら社会運動を鼓舞するために歴史の必然性を説くことは有効だったし、それが出来ない現在は大変厳しいものだと。つまり目的論的に世界は導けるかということ。運動の成功を未来にあって保証する、そのような歴史観を手にしていたからこそマルクス主義は大きな影響を及ぼし社会における実践をもたらしたのではないか。その可能性、歴史の必然を説く可能性が廃棄された今、社会運動を導く強大な基礎付けは一体どのように可能なのか。
    とにもかくにも本書が歴史的に果たした役割は大きく、その有効性は失われていない。

  • 『共産党宣言』の原文和訳。内容は婉曲的であるため、前情報なしでロジックを理解することは難しい。
    ただし、文中からはブルジョア社会に対するマルクスの怒り、危機感と焦燥が伝わってくるようで、これが20世紀に世界を社会主義へと向かわせた理由が解った気がする。その意味でも一読する価値はあるかと思う。

  • 『共産党宣言』は、1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれ、ロンドンで公刊された。マルクス主義者による国際秘密結社「共産主義者同盟」の綱領であり、共産主義の目的と見解を初めて明らかにした文書である。
    本書にも収録されている、エンゲルスによる「1883年ドイツ語版への序文」の中で、『宣言』の根本思想は、①各時代において、経済及びそれから必然的に生まれる社会組織は、政治や知的活動の基礎となる。②これまでの全ての歴史は階級闘争の歴史、即ち、搾取される階級と搾取する階級、支配される階級と支配する階級の間の闘争の歴史であった。③今や、搾取され圧迫される階級(プロレタリア階級)を搾取し圧迫する階級(ブルジョワ階級)から解放するためには、全社会を永久に、搾取、圧迫及び階級闘争から解放しなくてはならない。の3つであると述べており、これらが『宣言』の骨子である。
    『宣言』は、有名な一文「ヨーロッパに幽霊が出る―共産主義という幽霊である。古いヨーロッパのすべての強国は、この幽霊を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる・・・」で始まり、第1章では、これもまた有名な一文「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」に続けて、ブルジョワ階級の出現が社会をどう変えたか、なぜプロレタリア階級による闘争の勝利が必要か、という『宣言』の要旨が述べられている。
    更に、第2章では、共産主義がめざすものは、所有全般の廃棄ではなくブルジョワ的所有の廃棄であり、具体的な施策として、①土地・銀行・工場・運輸手段の国有化、②強度の累進税、③相続権の廃止、④教育の無償化などの必要性を強調し、第3章では、18~19世紀のヨーロッパに存在した様々な社会主義的思想について賛否を述べ、第4章では、共産主義者は、各国の現存の社会的・政治的状態に反対するあらゆる革命運動を支持すると宣言しているが、3章、4章あたりは、当時存在した「共産主義」への批判的意見や拒否反応を和らげるためのものとも読むことができる。
    そして最後に、「万国のプロレタリア団結せよ!」という、これもまた有名な章句で締めくくられている。
    翻って、現在の世界を見ると、移民・難民の急増、テロの頻発、それらを背景にした偏狭なナショナリズム/ポピュリズムの嵐と、世界が歴史的な曲がり角にいるのは明らかで、その大きな原因のひとつが、世界の随所に存在する「格差」にあることは間違いない。私は、基本的には共産主義に賛成する立場を取らないが、格差を縮小するため、貧困な人びとでも最低限の生活を営むための社会的な仕組みは不可欠であると思っており、『宣言』にはそのヒントがあるようにも思うのだ。
    パラダイムの転換点にある今こそ、改めて読み返していい歴史的文書ではないだろうか。
    (2019年11月了)

  • 共産主義を学ぶ集中講座、終わり。マルクス、エンゲルスの「共産党宣言」、レーニンの「国家と革命」、毛沢東の「毛沢東語録(超訳)」を参考図書とした。
    まだまだ稚拙ではあるが、学びは以下2点。
    一つ目は、共産主義の真の実践者は、おそらく毛沢東ただ一人だったのであろうという理解。
    パリ・コミューンの不完全さ、ソ連の自壊、この歴史的に重要な共産主義社会はいずれも現存していない。
    しかしながら、中国共産党による中華人民共和国だけは、60年以上継続し、現存している。
    革命家としての毛沢東と、それを鄧小平が開放路線へ導いた奇跡的な進化があってのこそだとは思うが、それほど共産主義というものがユートピア的なもの(基本的に成立し得ないもの)であることを物語っている。

    そして二つ目は、世界が閉ざされ、組織や環境が硬直化すると、物事は悪い方向へ向かうということ。
    そして、世の中が悪い方向へ向かう時、暴力は正当化されてしまうということ。
    今まさに、世界中でイデオロギーが再燃しているように感じる。
    これからの未来が不安になった今日この頃。

    以下、備忘録を兼ねた概要
    「共産党宣言」
    マルクス、エンゲルスの主張。封建社会の終わりは、単に新たな抑圧者を生み出したに過ぎなかった。それがブルジョワ社会。階級闘争の終わりを目指したのが、共産主義革命。プロレタリア階級がブルジョワ階級を支配し、強力的に古い生産諸関係を廃止することで、最終的には階級そのものを廃止するという考え方。

    「国家と革命」
    国家は抑圧のための権力であり現代の国家はブルジョワジーがプロレタリアートを搾取・支配する組織である。このような階級支配を終わらせ、国家を廃絶することが究極の目的。
    マルクスによるパリ・コミューンからの学びを中心に、暴力、プロレタリアによる独裁を強調。プロレタリアート革命によるプロレタリアート独裁を経て、階級は廃絶され、国家も死滅していくという主張。そして日和見主義や無政府主義への批判、決別。

    「毛沢東語録」
    18. 愛国主義と国際主義:日本、イギリス、アメリカ、ドイツ、イタリアを意識。すべてのプロレタリア階級と手を組んで世界の民族と人民を解放する。民族主義や愛国主義を否定。
    19. 文化と芸術:階級を越えた芸術、政治から独立した芸術は存在しないとの理解。芸術の自由な発展、自由な議論を認めながらも、政治路線に属した芸術を否定。
    →毛沢東が、国際的な視点や芸術に対して、これほど開かれた考え方を持っていたことは意外。

  • これを読んだ当時はマルクスの慧眼に気付かなかったが、ブルデューなどの階級社会論を読んでから、なるほどと思った。かつてから階級社会では、上位の階級は国際的にラテン語でコミュニケーションを取り、さらに上位の王室では婚姻により女性を通じたコミュニケーションがあった。フランス革命時に対仏大同盟、対革命の連合が出来たのはそのような横のつながりが、国を別にしても潜在的に存在していたからである。上位こそ横の連帯が強く、国際的に融通が利くが、末端に行くにつれ人々は分割され、いわゆる分割統治の形態がとられる。中間共同体を失った近代以降では、末端の人々をむずびつけるものは無きに等しい。国単位でみても、ウォーラーステインの世界システム論では、中核国家、覇権国家程横の融通が利く産業形態を持ち(金融など第三次産業)、周縁など末端に行くにつれて潰しの利かない(すぐに産業の転換が出来ない)モノカルチャー経済化して、結果的に分割統治の垂直的関係が存在していると紹介されていると私は思う。さて、そこでマルクスが放った大号令が共産党宣言―「労働者よ、団結せよ」―である。上位の横の連帯に対抗すべく、ブルジョワの欺瞞を打ち砕くべく、下位の労働者こそが団結する必要がある。そう言ったのである。共産党宣言にこんな歴史的意義があることを、もっと早く知りたかった。

  • 薄い本にも関わらず、それなりに時間がかかった。
    マルクス自身も文中で触れているが、これはアジテート用に書いたものであり、それ故、なかなか迫力のある文章。
    まあ、マルクス主義も廃れている今の時代を生きているせいか、自分には与することはできないけれどね。

    『われわれと争うのはやめたまえ。諸君の思想そのものが、ブルジョア的生産諸関係および所有諸関係の産物なのだから』というロジックは、フェ◯ニストがよく反論で使う、『その考えこそ、男性主義・家父長制の思想から導き出されるもの』と言う思考回路に似ている。
    これはある意味、敵なしなのかもしれないけれど、それ以上先に進まず、また、何も産み出さないよね。
    こういったロジックの人は皆さんの周りにはいますか…?

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著者プロフィール

カール・マルクス(Karl Marx):1818-83年。ドイツの経済学者・哲学者・革命家。科学的社会主義の創始者。ヘーゲル左派として出発し、エンゲルスとともにドイツ古典哲学を批判的に摂取して弁証法的唯物論、史的唯物論の理論に到達。これを基礎に、イギリス古典経済学およびフランス社会主義の科学的、革命的伝統を継承して科学的社会主義を完成した。また、共産主義者同盟に参加、のち第一インターナショナルを創立した。著書に『資本論』『哲学の貧困』『共産党宣言』など。


「2024年 『資本論 第一巻 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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