社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)

制作 : Max Weber  富永 祐治  折原 浩  立野 保男 
  • 岩波書店
3.66
  • (23)
  • (18)
  • (39)
  • (5)
  • (1)
本棚登録 : 357
レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (362ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003420928

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 読み直したさ:★☆☆
    理念型は意義ある連関を分析するための手段である。
    〈感想〉
    社会科学について勉強し慣れていないため,頭の切り替えができるまで読むのが苦しかった。仲正・ウェーバーを読むをサラッと読んでから読んだが,あらためて仲正本を読み直したい。
    解説は読んだ方がいいのだろうか。

  • 補訳者の働きが見事。一番重要なキーワード「理念型」についても、提示された「理想気体」とのアナロジーが本当に見事で、かつ、概念の理解を易しくしてくれる。

    それにしても幾度となくうならされる。大変な本。

    ===(以下、論旨)===

    社会政策と科学の結びつけ(関係)について、問題の所在を指摘する。まずは「存在(sein)」と「当為(sollen)」の分離の必要性のこと。
    経験科学が論じ得るのはせいぜい前者。後者、つまり価値の妥当性を評価するのは科学ではなく信仰であり、そこには「価値秩序の神々の争い」がある。
    個別問題において"さえ"、特定の目的の自明性は薄れるのだから、実践的な個別問題の解決のための一義的規範・原理など、存在しえない!
    だから、自分が念頭に置く「究極最高の価値基準」がいかなるものか(どこで悟性に、どこに感情に訴えているのか)を、常に鋭く明示する必要がある。
    但し、「問題」性を見出す瞬間に、それへの関心という形で、主観的見方が元になってしまう、という危険がある。では、社会科学的認識(研究領域)とは、どう画定されるされるのか?(我々の追求する心理の客観的「妥当」とは?)

    われわれの科学は、"ひとつの"特定の観点のもと、歴史解釈を得ようと努め、"ひとつの"部分像ないし予備労作を提供するもの。
    だから、一元論的「唯物史観」――例えば経済学において、「経済的動因から演繹できないものは"すべて"、まさに"それゆえ"、科学上"意義のない"『偶然』として取り扱われるか、判別しがたいほどに拡張されて、なにほどか外的手段に結びついている人間の利害関心が、ことごとく当の概念のなかに引き入れられる」ようなもの――は、断固拒否すべきなのだ。
    文化生活ないし社会現象の分析にあって、特定の「一面的」観点を"ぬきにした"、端的に「客観的な」科学的分析といったものは、"およそありえない"!

    個別問題の認識において、「法則」なんかでなく、「独自の布置連関」が大切。だが"比較"は有意義で、そのための"手段"としてのみ、法則・要因の確定は必要だ
    (但し、最も普遍的な法則は無価値で、特殊化された固有観点から!
    自然科学等では普遍法則の発見こそ志向されるが、社会科学ではそうもいかない)。
    そこで、"理念型"――実在の特定要素を、"思考の上で"高めてくれる、一つのユートピア的性格をもつし思想像――を提案したい。これは、理想や規範とは異なり、純然たる理念上の極限概念であり、その構成は目的でなく手段。
    もっとも、社会はつねにゆれ動くものであり、各概念は暫定性・不確実性をもつため、つねにこれに追いつこうと「総合原理の探求」を志向すると共に、抽象と具体の行き来により、「概念の意義の限界」を指摘し批判することこそ、社会科学の役割である。

  • [ 内容 ]
    今世紀初頭、社会科学に巨大な業績をのこしたヴェーバーが、社会科学の方法論について論じた記念碑的論文(1904)。
    認識理想としての「価値自由」と方法概念としての「理念型」を定式化し、後世に大きな影響を与えた。
    本文の理解を助けるための付録3篇、詳細な解説・注、索引を付す。
    旧版『社会科学方法論』の補訳新版。

    [ 目次 ]


    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 非常に難しい本。何度か読んでいるがまだよく理解できていない。カーの『歴史とは何か』、内田義彦の『読書と社会科学』などに通じている内容だと思う。

  • ○この本を一言で表すと?
     社会科学の「客観性」について「客観的に」考察しようとした本


    ○考えたこと
    ・精読してもよく分からないだろうと思えるところは流し読みしたので、誤った理解があるかもしれませんが、以下のことを読み取りました。

    ・普遍的な法則を社会科学で示すのは困難。

    ・社会科学の論文を書く者は自身の価値基準を明示すべき。価値判断と事実認識を峻別すべき。そうでないとフェアではない。

    ・社会と経済の関わりは3パターン「<経済>現象」「<経済を制約する>現象」「<経済に制約される>現象」

    ・「一般的な社会科学」を導き出すのは困難であり、何らかの価値基準や一面的な観点を元に抽出し、主題を限定しないと社会科学は導き出せない。

    ・ドイツ歴史学批判「歴史の因果関係は歴史学者が考える要因<のみ>ではない。因果関係を主張したいなら全ての因果関係を解き明かす必要があり、実質不可能。歴史学者は自身が主張したい要因を過大、もしくは唯一のものとみなしている」

    ・抽象理論を実在に当てはめて事実とするには無理がある。抽象化した要因で考えられた理論は現実と一致しない。

    ・「重商主義」「封建制」「教派」などと定義づけすることは、その視点からしか歴史を見られないようにする恐れがある。


    ○参考にならなかった所、またはつっこみどころ
    ・「○○である、というわけではない」といったような記述が長文の最後に出てくるパターンが多く、「結局どっち?」と迷うことが多かったです。

    ・前提知識がないとよく分からない内容が多かったように思いました。

    ・古典にはありがちかもしれませんが、結論を分かりやすく明快に書けば5分の1以下のボリュームに納まってしかもわかりやすくなるのではと思いました。

  • 事実認識と当為認識は如何にして分離し得るか。-ヴェーバーはそれを自分の認識が徹頭徹尾、主観的な認識であることを自覚すること、そしてそれを明示することだ、と言う。そうすることで主観的な認識は客観性によって担保される、言い換えると、認識を事実認識へと高めることができる、と考えた。つまり、それは自己を他者化すること、他者に対して自己を啓くことである。

  • 世界に起こる出来事がいかに完全に研究され尽くしても、そこからその出来事がいかに完全に研究されつくしても、そこからその出来事の意味を読み取ることはできず、かえって意味そのものを創造することができなければならない。つまり世界観とは決して経験的知識の進歩の産物であり、したがって、われわれをもっとも強く揺り動かす最高の産物ではないものである。したがって、われわれをもっとも強く揺り動かす最高の理想はどの時代にも、もっぱら他の理想との闘争を通して実現されるほかはなくその際、他の理想が他人にとって神聖なのはわれわれの理想がわれわれにとって神聖なおとまったく同等である。

  • マックスヴェーバーの社会科学入門的な著作であり、名作として知られる。

    本書は社会科学における意義とその目的・方法について言及している。
    「社会科学本来の任務は、具体的な歴史関連の文化意識の認識に仕えることこそが究極の目的で、絶えず新しい観点や概念構成を追い求めるようなことではない」という、社会を観察する立場を貫いて論じている。

    本書の中で、社会科学の本質的な任務について書かれた一文がある。
    “社会科学の本質的な任務とは、理念を解明して精神的に理解させる事である”

    では、なぜ理念を解明することが重要なのか?
    マックスヴェーバーは、20世紀初頭(1905年に書かれている)の世界を次のように認識している
    「認識の木の実を喰った一文化期の宿命として、他の理念が他人にとって神聖なのは、われわれの理想がわれわれにとって神聖なのとまったく同等である。それゆえわれわれを揺り動かす最高の理想は、どの時代にも他の理想との闘争を通して実現されるほかはない」

    マックスヴェーバーにとって理念とは究極の公理に近づく方法であり、神々の黄昏を理解するための道ともいえる。それゆえ理念を解明することの意義を神秘的な表現を使って描いている。
    「あの最高の価値理念から分かれ出てくる光は、時を貫いて流転していく膨大な出来事の混沌のなかから、たえず交替していく一有限部分をとらえてそのときどきに降り注ぐのである」

    本書が非常に難解に思われるのは、一般の人々に向けて書かれた論文ではないからかもしれない。本書に書かれた内容は「雑誌アルヒーフ」の傾向(立場)を示したもので、当時の思想家や政治運動家に向けて書かれたという特性はあると思う。
    それゆえ、核心については理解されている前提で書かれているのではないか。本書が婉曲的な表現で書かれていると思われがちな問題がここにあるように感じた。
    例えば、本書冒頭にでてくる文章だが、
    「われわれは意欲された目的の達成が、予見出来る出来事の連鎖を介して、他のいかなる価値を損なうことになるか、そうした形でなにを犠牲にするかという問いに答えることができる」

    マックスヴェーバーたちの意欲された目的というのは、本書では明示されていない。思考実験の結果、出来事の連鎖によって得られた結論に関しても然り。
    マックスウェバーが社会科学によって達成されるべき “何か”について明確わかってくると、本書に対する印象も変わるのだろうなとは思う。

  • ヴェーバーはやっぱりかっこいい
    価値理念同士を科学的に否定し合うことはできない、ということをこの本で学んだ
    解説がついているのもありがたいが、段落によっていい解説と納得できない解説がある、依って立つ価値理念の違いである

    科学は現実を写真のように一面的に写し取ることしかできない——すなわち理性は現実界を目にすることができない——という意訳はゆるされるだろうか。そういうところでヴェーバーはニヒリストのような気がしていたが、職業としての学問なんかを読んでいると、マルクスのように日々の市民生活の中で真実に辿り着こうとしている、そのうえでヴェーバーはザッヘということに着目しているところが真面目な彼らしいと思う

  • 三浦展氏の座右の書。

全18件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

マックス・ヴェーバー(Max Weber)
1864年4月21日 - 1920年6月14日
ドイツの政治学者・社会学者・経済学者。社会学における重要な概念、方法論を築く。
西欧近代文明の根本原理に「合理性」があり、文明の発展を「現世の呪術からの解放」の系譜として考察した論文『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を記す。これが代表作の一つとなる。
ほか、講演『職業としての学問』『職業としての政治』がまとめられ、広く世に読まれている。

マックス・ヴェーバーの作品

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする