職業としての学問 (岩波文庫 白 209-5)

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  • Amazon.co.jp ・本 (91ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003420959

作品紹介・あらすじ

第1次大戦後の混迷のドイツ。青年たちは事実のかわりに世界観を、認識のかわりに体験を、教師のかわりに指導者を欲した。学問と政策の峻別を説くこの名高い講演で、ウェーバー(1864‐1920)はこうした風潮を鍛えらるべき弱さだと批判し、「日々の仕事(ザッヘ)に帰れ」と彼らを叱咤する。それは聴衆に「脅かすような」印象を与えたという。

感想・レビュー・書評

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  • 5冊目『職業としての学問』(マックス・ウェーバー 著、尾高邦雄 訳、1936年7月 発行、1980年11月 改訳発行、岩波書店)
    社会学者として名高いウェーバーが、1919年1月にミュンヘン大学で行った講演のテキスト。
    職業として学問に従事することを志す人間に対し、ドイツにおける職業としての学問の現状、そして学問に専心することへの心構えを説く。
    ナチ党成立の前年に行われた本講演。まだ自由の気風が独にあったのだ。

    「いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしになしうるすべては、無価値だからである」

  • 研究者・教師としての心構え的な物が書かれていた。

  • ウェーバー流に、学問とはなんぞや、教師とはなんぞやと、論を展開している。福沢諭吉の学問のすすめと比較すると、面白かった。

  • 特に目的はなかったのだが、ふと気になって読んだ本。
    1917年のマックスウェーバの名講義の訳らしい。

    大変難怪な語り口で書いてあり、理解が難しい。w

    <印象的だった点>
    - アカデミックの現状
    特に、運とめぐり合わせによる部分が大きいこと

    - いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしにないするすべては、無価値だからである。

    - 教師は、指導者ではない。

  • 【レビュー】100年前にドイツで語られた学問の意義について。今も全く色褪せない。
    学問は、ある人が「どのように生きるか」について答えるものではないし、“学問の” 指導者は決してその命題に答えるべきではない。学問の役割とは、複雑化する社会の中で「自分が一体何をしているのか」について様々な面から究極的な理解を与え、各人がそれぞれの行為について自ら責任を負えるようにすることである、と。

  • ・何事も忘れて対象の物事に熱中できる人が学問に向いている・・・。その通りだと思う。
    ・「霊感」→情熱があり、運があり、研究を怠っていない時に与えられる。
    ・学問だけでなく、芸術やビジネスにも通じる。
    ・「仕事」→自分を滅して専念するもの →自分の名を売る×
    ・概念、永遠の心理は移ろいゆくものではない。

  • 科学の限界、宗教の限界この2つを明らかにすることによる、生き方の提案。
    科学万能主義が蔓延る21世紀を生きる私たちだからこそ、改めて立ち止まって考えたい内容。

  • ようやく読めた。一読のみでは内容を十分に理解しているとは到底言えないが、以下、現時点で読み取れたことを記載しておく。
    旧訳の序(p.85~)によると、本書におけるウェーバーの主張は主に3点である。1点目は生計の資を得る道としての学問の現状、2点目は職業としての学問にたいして人々(特に教師および研究者)がとるべき心構え、3点目は学問の職分そのものについてである。1点目について印象的であったのは、学問を職業にすることには「偶然」が大きく作用するという主張である。つまり、実力いかんよりも、学問を職業とするためには、運の側面も重要であるということである。これは現代にも通用する。2点目については、やはり「日々の仕事(ザッヘ)に帰れ」という叱咤である。文章から想像するに、当時のドイツでは、文壇上から特定の政策に関する評価、主張を行う教師や、あるいはそれを求める学生などが存在していた。これに対しウェーバーは、「学問」と「政策」とは根本的に異なるものであるということを主張した上で、個々人に与えられた仕事に集中しろと主張する。特定の学問に専心すること、仕事以外のことに心酔しないことの重要性を説くのである。3点目に関しては、合理化が進み、学問それ自体も機械化の危機に瀕している現代において、学問に求められていることは、「明確さ」と「責任感を与えること」であると述べる。現象自体が複雑化している中で、全てを語ろうとするのではなく、(例え一部分であろうとも)特定の学問的見地から、明確な学問的成果を生み出し、それを評価ではなく、ただ知見として学生に提示することによって、学問を修めるものに責任を付与することであると解釈した。
    この講演はすでに100年以上前のものであり、ここでの主張を全て現代にも応用できるとは限らない。しかし、当時のドイツの時代背景とともにこの主張を読み解くことで、彼が何を危惧し、批判し、主張しているのか、という構造に触れることができる。これは、現代にも通じるものがあると思う。現在は、総合政策的な、複数の学問的知見を組み合わせることによって、社会課題を解決するアプローチも出てきている。良くも悪くも、学問よりも、実社会に役立つことの比重が重くなってきている感覚がある。では、その中で、社会科学を探究する意味合いとは何か。ザッヘに専心しながらも、自分なりに考えを深めていきたい。

  • 三十代手前にもなってようやっとこの本を手にとって読んだんですが、願わくば大学生の時にこの本を読むべきだったと大変後悔しました。

    アカデミックな世界で仕事をするとはどういうことか、この本にだいたい余すところなく書かれています。第一次大戦後のドイツであろうと21世紀の日本であろうと、本質は変わらないと思います。

    つまり、「どんだけニッチなんだよ」と人から笑われようがその分野で百年千年先も残る仕事を打ち立てることにどこまでこだわれるかが「学者の仕事」なんだということ。「この写本のこの一箇所の解釈」にどれだけ手を尽くし考えを尽くせるか、そういうことに情熱を傾けられないのであれば学者の仕事なんぞ「向いてない」、「もっと他のことをしたらいい」とはっきりウェーバーは言ってのけます。

    かっこいいっすね。

  • 短いが、内容はかなり難しく、また読み直さなければならないと感じた。

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著者プロフィール

1864-1920年。西洋近代について考察したドイツの法学者・経済学者・社会学者。代表作は、本書に収められた講演(1919年公刊)のほか、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1920年)など。

「2018年 『仕事としての学問 仕事としての政治』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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