世論 (下) (岩波文庫)

  • 岩波書店 (1987年12月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784003422229

みんなの感想まとめ

人間の思考はしばしばステレオタイプに影響され、その結果として世論が形成される危うさが描かれています。著者は、個人の自由意志による合理的判断に懐疑的であり、特に国政のような広範な問題に対して、市民が外部...

感想・レビュー・書評

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  • 「人はステレオタイプによって思考する」とした上巻を前提に、世論というものの危うさについて、またその処方箋について記述。
    作者は、ミルらに代表される個人の自由意志による合理的判断に懐疑的である。まして、自分の小コミュニティー(タウンシップ)と異なり、直接的に知り得ない外の世界たる国政においては、市民は外部から与えられた情報から取捨選択するしかない。その中で、世論は、政治家が作り出す象徴(アメリカニズム、自由)やムードに流され、「自由意志」により決定するのである。そこでは、世論は市民が作るものではなく、作らされるものに過ぎない。
    当然、筆者はデモクラシーを否定していない。そこで、筆者が働くマスコミにその役割が期待されるかと言えばそうでもなく、自己批判の精神を教育することを主張している。
    情報通信技術の発達、グローバル化が進んだ昨今でもデモクラシーをめぐる状況は、本書で描かれる世界と変わらない。むしろ情報の取捨選択ができないまま、情報が氾濫して、市民が怪しげな情報に食いついている。その情報を前提として、そもそも話が合わないという事態が増えていることに、筆者の主張する教育の重要性を認めるばかりである。そして、このことを見通していたかのような筆者に、ただただ舌を巻く。

  • 目次

    第5部 共通意思の形成
     第13章 利害関心の移行
     第14章 「イエス」か「ノー」か
     第15章 指導者たちと一般大衆

    第6部 民主主義のイメージ
     第16章 自己中心的人間
     第17章 自己充足したコミュニティ
     第18章 力、任命権、特権の役割
     第19章 装いをあらためた古いイメージ―ギルド社会主義
     第20章 新しいイメージ

    第7部 新聞
     第21章 一般消費者
     第22章 定期購読者
     第23章 ニュースの本質
     第24章 ニュース、真実、そして結論

    第8部 情報の組織化
     第25章 打ちこまれるくさび
     第26章 情報活動
     第27章 一般の人たちに訴える
     第28章 理性に訴える

    リップマン略年譜

    解説
     

  • 社会学を学ぶ人はまず読むべき本。1889年にニューヨークの裕福な家庭に生まれ、Harvard大学哲学科で哲学史を教えたリップマン。学内の編集部員を務めたことからジャーナリズムの世界に入る。1974年、85歳で亡くなるまでヴァニティフェア、ワシントンポスト、ニューズウィークで執筆をつづけていた。テレビの時代にはテレビ出演も多く行っている。世界大戦、ベトナム戦争を通してジャーナリズムの役割とその可能性を冷徹な目で観続けていた。本書は1922年第一次世界大戦後に書かれている。

  • ありのままの世界を見ることの難しさを説く上巻から、具体的にどのようにステレオタイプという物事をみる思考の型が利用されているのか。我々はどのように接せていけば良いのか、という展開がなされている。

  • 下巻は少しわかりづらい部分があります。
    なのでそこのところは注意ですね。
    ただし、この中にはン?と思う箇所があるはずです。
    我が国が犯した事柄が出てきますので。

    どちらかといえば読む方は上巻をお勧めします。
    こちらもああ、と思える部分はあるのですが
    上巻に比べれば落ちるでしょう。

  • 正直がっかり。100分de名著で注目したけどそこで引用された以上の内容はこの本には何もなかった。さらなる問題は翻訳の拙さ。主語が曖昧な文が多いし、それ以外の文でも原文を参照したいと何度思わされたか知れない。

    おそらくリップマンの原文は、多少古いところはあっても今も読むに足る文章なんだろうと思う。確信を持って何かを語ろうとしている著者の気配はひしひしと感じる、しかしその著者と読者との間にお粗末な日本語訳の壁が立ちふさがる。

    もし原文を読んでこの本の価値を認めた人がいるのなら、ぜひとも改訳に挑んでみてほしい。このままじゃ読むに値しないし、誰にも薦められません。

  • リップマン 「 世論 」


    下巻は 政治論、新聞メディア論。上巻の大衆心理学アプローチは面白かったが、政治や新聞メディアが強かった時代の本かも。現在の政治や新聞メディアに 世論に影響を与える力があるとは思えないけど。

    著者が伝えたかったのは
    *新聞メディアの再構築〜自己統治力の回復
    *真実の機能とは(ニュースと真実の機能を合致させるには)
    *today & tomorrow 日々の出来事を人類の進歩から評価し人々が未来を予見できるようにする新聞メディアの在り方

    真実の機能=隠された事実を表に出し、相互に関連付けて 人間が行動できるように 現実の情景を作る

    世論と象徴の曖昧さ
    *ばらばらの意見から成り立っている 一つの世論の曖昧さ
    *アメリカニズムという象徴は 特定の意味を持つ言葉でなく、全てのものと関連
    *調和をとりつける言辞は 様々な象徴を階層状に積み重ねる
    *象徴は 権威のある他人によって植えつけられる〜自分の支持者を統合する象徴を大事にする
    *象徴は一般大衆について行う。象徴は一体感を持つ






  • 社会
    政治
    哲学
    メディア

  • 840円購入2010-10-22

  • 下巻は、
    それまでの、今でいえば記号論や認知言語学にあたるものの萌芽をふまえた上で、
    政治や新聞(マスメディア)について論じている部分が多いです。

    民主主義の実際面において、
    民主主義の理論面から外れて支配層を作ってしまうことが
    さらっと書かれています。
    さらに、専門家をたとえとして
    「彼らも人の子」ゆえに「権力を楽しむ」とある。
    狭い範囲での(一人だけだとかの)利己的な善が、
    この権力を楽しむ行為ですよね。
    周囲からすれば悪になる善。

    本書『世論』は、
    「ひとは見たいようにものごとをみるものだ」
    (ひとは見てから定義するのではなく、定義してから見てしまう)
    っていうことが一番の主張であるとされているところがあるみたいですし、
    実際そうなのだろうけれど、
    その一番の主張ばかりをみるためにそぎ落とされた、
    『世論』全体にちりばめられている、
    面白くてそれなりに大事な部分があって、
    一番の主張さえ記憶すればあとはいい、みたいな、
    歴史の年号と事件名だけ覚えるようなのではもったいない。

    でに価値は決まった、とされている本でも、
    そんなの知るか!と読んでみれば、
    そうやって読んだ者の数だけ、
    やっぱり感想や教訓はでてくるんじゃないでしょうか。
    いやいや、それは間違いであり、価値はすでに決まっており、
    本書の主張は解析され尽くしています、
    とするのはおもしろくないですよねえ。

    著者・リップマンは俊英の伝説的ジャーナリストですが、
    そういった、「ひとは見たいように見てしまい、そこから生じるのが世論」
    というメカニズムを構造的に変えたかったようです。
    そのために、情報をつぶさに集めることを重要視します。
    ちゃんと諸事実に光をあてて、関連付けをして、
    それを民衆が受け取ることができるのを理想としました。
    そのために、ジャーナリズムも各種情報機関もがんばろう、
    といったように読み受けることができます。

    本書が出版されたのは、第一次大戦後の1922年。
    その後、第二次世界大戦が始まってしまい、
    本書は平和に役立たなかったのか、
    とネガティブな印象を持ってしまいがちですが、
    その時代に溜まっていた良からぬ雰囲気や、
    どうしようもないベクトル、人類としての経験の無さつまり未熟さ、
    などなどいろいろ混ざり合った時代の空気を
    一変させることはできなかったとしても、
    今読んでみてもわかるように、
    その内容は色あせてはおらず、むしろ新鮮です。
    つまりは、この本の内容の高みまで、
    この本からすれば後世の人間にあたる僕らでも、
    まだまだ消化できていない考えである、
    ということなんだと思います。

    学生ががんばって読むような種類の本かもしれませんが、
    その時期を過ぎても、興味を持って読んでみれば
    楽しめると思いますよ。

  • 本書はニュースには伝える側の主観が入っていることを
    肝に銘じよと警告する。

    人間はステレオタイプ化して物事を理解するものである。
    世論は必ずしも真実を反映するものではない。

  • 読み直したさ:★★☆
    人間の能力の限界,それを意識しなければならない。表現の自由が政治的なものとしてアメリカでは語られていることが実感できる。民主主義理論については17章を読んだらいいかな。「時間の長短」への着目。
    〈感想〉
    全体を通して明快で分かりやすく読みやすい。多少米史の知識が必要か(あるとさらに読みやすい)。

  • 日本語で「世論」というと世論調査や街頭インタビューなどで得られた声といったイメージが一般的だが、原著のタイトルである「パブリック・オピニオン」という言葉の通り、公共的な意思決定に当たっての合意はどのようにして形作られるのかということを考察した本である。

    公共的な意思決定、特にグローバル化が進み、自らが直接見ることができない世界の出来事に対する意見はどのように形成されるのかということを考察し、現在にも通じる様々な視点を提供してくれている。

    情報は、様々な形で屈折しながら伝えられ、また人々も自らがこれまで知らなかった世界の出来事であっても、「見てから定義するのではなく、定義してから見る」という傾向を持っている。このような形で形成される「ステレオタイプ」の重要性を指摘したのが、本書の第一のポイントだと思う。

    このような事態の中で意見の調和を取り付けようとすれば、しばしば物事を抽象化たり象徴化していくことで合意を形成しようという流れが生まれる。そして、具体的な事象は捨象されていく。しかし、筆者はそのような方法によって大衆行動が作られたとしても、それが何か建設的な結果を生むことはできないと断言している。

    むしろ社会的な課題の解決とは1つ1つの具体的な課題に対する具体的な解決であり、言辞によって抽象化されたものやニュースとしてメディアに取り上げられた象徴的な出来事に対する反応ではない。

    そのために必要なことは、人々が自分自身の目で物事の実際の姿を捉えて判断できるための環境を整えることであるというのが筆者の提言であると感じた。特に、独立した情報提供の機能と、複数の専門家の意見に接することのできる環境というのが、具体的に提言されている。

    この本が著わされてから100年近くたった現在、インターネットの進展によって、政府の発するものであれ現場で起こっている出来事であれ、一次情報の提供者へのアクセスの環境は格段に強化されたように思う。一方、世論の形成という側面では、SNS等の進展によっても大きな変遷はなく、やはり一人一人が自分自身の思考によって意見を形成し、それらをベースに社会的な出来事に対する集団的な判断をしていくということは、難しいことである。

    その要因は本書があらわされた時から変わらない人間の思考のパターン・傾向であり、筆者の論じた世論の難しさとその生態は、現在においても続いていると感じた。

  • 提供される象徴はこれほどふんだんにあり、それに託される意味はこれほど弾力性に富んでいる。それなのに、ある特定の象徴がある特定の人間の心に根づくのはどのようにしてなのだろうか。われわれが毛にあるものと認めている他人によってそれは植えつけられる。充分に深く植えつけられたなら、のちにはその象徴をわれわれに向かって打ち振ってみせる人を権威ある人と呼ぶことになる。しかし最初はその逆で、自分たちの共感する重要な人たちによって紹介される象徴だから、その象徴に共感を覚え、それが重要であると思われるのである。(p.49)

    象徴というものは、個々別々の観念から情動を吸い上げる力をもっているから、団結の機能を果たすものでもあれば、搾取の機能をもつものでもある。象徴は人びとを共通目的に向かって働かせることができる。(p.67)

    大衆が読むのはニュースではなく、いかなる行動方針をとるべきかを暗示する気配に包まれたニュースである。体臭が耳にする報道は、事実そのままの客観性を備えたものではなく、すでにある一定の行動型に合わせてステレオタイプ化された報道である。(p.76-77)

    新聞報道は目の届かない環境と接触するための主要手段であるとして世間に広く認められている。初期の民主主義によってわれわれ一人一人が自分で自発的にできると想像されていたことを、新聞はわれわれに代わって自発的にしてくれる、日に一回、あるいは二回、新聞はわれわれが関心をもっている外部世界の全容をあらわす真実の映像をわれわれに提供してくれる、ほとんど全国津々浦々でそう考えられているのだ。(p.169)

    ニュースは社会状況の全面を映す鏡ではなくて、ひとりでに突出してきたある一面についての報告である。ニュースは、地中で種子がどのように出芽するかを語りはしないが、いつ地表に最初の芽が顔を出すか教ええてくれることはある。(p.193)

    郎度王条件が悪いという事実があってもそれだけではニュースにならない。なぜなら、例外は別としてあらゆる場合、ジャーナリズムは素材を直接に報じるものではないからだ。ジャーナリズムは、素材があるかたちに整えられてからそれを報告する。(p.200-201)

    比較史や比較人類学の課程では、規範が想像力にいかに特殊な型づけをするかを生涯忘れないでいるように仕向けることができる。教師は人びとに、寓話を作っている自分、諸関係をドラマ化している自分、抽象的なものを人格化している自分自身に気づくよう導くことができる。(p.272)

  • 東大京大教授が薦めるリスト100選抜

  • 内容に比べて長いけれど、良い本。世論とはなにかとか、現在まで続く民主主義の幻想とか。

  • なぜ世論などという当てにならないものが、こんなにも巨大な力を持つようになってしまったのか。そんな憂慮から書かれた本書は、ジャーナリズム論という枠組を超えて、現代社会論としても読むことができる。

    非常時において国民の共通意志を形成するために情緒的な象徴が利用されることをリップマンは許容する(さしずめ現代日本においては「国益を守れ」というスローガンがそれに当たるだろう)。だがそれはあくまでも非常時に限られるべき話であるのに、平時においても大衆は常にこうした暗示に晒され続けている。そこに民主主義の将来はない。

    だからこそリップマンは、叡智ある人々は「にせの危機とほんものの危機とを区別しなければならない」(p.278)と説く。そして平時において理性と教育の力を用い、汚染された情報を一つ一つ純化していくことを通じて、民主主義の実質化を図っていくべきだと主張する本書は、メディア・リテラシーの嚆矢とも言えるだろう。

  • マッカーシズムとベトナム戦争を痛烈に批判した人。ジャーナリズム論の古典。

  • 著者リップマンは、哲学者でも思想家でも、社会学者でもない。アメリカのジャーナリストである。
    この本は「世論」をめぐって哲学者や社会学者ならこう書いたろう、と思われる道をどんどん踏み外していくような感じで、やはり、ただのジャーナリストだった。論理の筋道が一貫せず、散漫で、たちまち何を論じたいのかわからなくなってしまう。
    上巻の巻頭では「人は事実そのものに根ざして行動するのではなく、事実を反映させた幻想としてのイメージにもとづいて判断し、言動を起こすのだ」というリップマンの基本認識が語られる。このへんはなかば常識であろう。ここを厳密このうえないやり方で探究したのが、フッサールの現象学だった。
    上巻途中からの「ステレオタイプ」論はなかなか面白かった。これは本書の白眉と言えるだろう。
    しかし下巻は民主主義や新聞、外交上の情報活動などを語るに至っては、「世論」というテーマがすっかりぼやけてしまっている。
    1922年という、テレビもまだ無く新聞以外のメディアのないこの時代に、ここまでメディアと世論との相関を論じたという点では画期的だったかもしれないが、私の求めていた書物では無かった。
    個人個人の集積があたかも量子であるかのように、もはや「統計学的にしか存在し得ないもの」という実在として把握されてしまう「世論」なるものの、そのゲシュタルト生成過程における、マジョリティとマイノリティの言説のなりゆき、気分や恐慌として伝播してゆく何か得体の知れない集団心理的な現象、私がとらえたかったのはそうしたものだったのだが・・・。

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