ポケットアンソロジー 恋愛について (岩波文庫)

制作 : 中村 真一郎 
  • 岩波書店 (1989年11月16日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003500095

ポケットアンソロジー 恋愛について (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 恋愛について 中村真一郎編
    【愛の試み 福永武彦】
    ・人は孤独のうちに生まれてくる
    ・人は自分自身の力でしかそれをいやすことは出来ない。彼は自分の心のほかに真に相談する相手を持たず、自分の舌以外に傷痕を嘗めてくれる友を持たない。
    ・赤ん坊の持つ孤独は人を微笑させる。その孤独には、他人を傷つけるものも、自分を傷つけるものもない。もし閉鎖的という言葉を使うならば、この孤独は完全に閉鎖的であり、しかも同時に充足的である。それは一つの美しい矛盾をなしている。
    ・この世界を孤独の状態から外に迸りださせるもの、この世界をより豊かならしめる動機、それが愛である。愛がなければこの世界は非活動的な、死んだ孤独にすぎない。愛は孤独と相対的な言葉だが、決してその反対語なのではない。愛の中にも孤独はあるし、孤独の中にも愛がある。
    ・愛というものは、人が対象を決定し、その相手を愛すると自分が誓った上からは、その愛がどのような結果を招こうとも、それは彼自身の責任で、相手の責任ではない。愛が二人の人間によって試みられる以上、最初の決意がどのように固く、彼がいかに誠実であろうとも、相手の意思を曲げてまで、自分の思い通りに愛し愛されるとは限ってない。
    ・愛というものは常に相対的であって、一方だけの情熱とか、信念とか、希望とかいうものによって決定するわけにはいかない。
    ・様々の理由をくよくよと思い悩み、自己の内部の力を沮喪させ、本来は、相手の愛によって癒そうと虫のいいことを考えていた自己の孤独と向き合って、生きることの希望さえも失ってしまう。
    ・愛を得られなかった時の絶望は―しかし実際には、彼の孤独は前とは少しも変っていないはずだ。それは彼が愛を試みる以前においても、やはり果てしなく、荒涼としていたに違いないのだ。ただ彼は今ほど凝然と眺めなかっ
    ただけのことだ。
    ・人が生に向かって出発するのは常に孤独からなのだし、もし彼がその絶望に負けたきりにならないで、再び生に出発するならば、次の機会に愛を試みる時には、彼は愛が孤独の上に立脚するものであることを充分に理解しつつ、自己を投企することができるだろうから。
    ・たとえ失敗を繰り返そうとも、愛において失敗することは少しも恥ずべきではないことを知るだろうから。
    ・自己の孤独を恐れることなく見詰める人間にとって、生は必ずや無限の可能性を含んでいるはずだ。
    ・雅歌「夜われ床にありて わが心の愛するものをたづねしが 尋ねたれども得ず。」
    ・愛の中に自分を投企したという事実は、必ずや孤独を強くするだろう。それは徒に、救いの来るのを望んでいる孤独ではない。愛によって自己の傷を癒されるのを待っている孤独ではない。孤独のほうが愛に向かって、愛を求めて、迸り出ていこうとする、そうした精神の一種の行為なのだ。
    ・愛を試みるということは、運命によって彼の孤独が試みられていることに対する、人間の反抗に他ならないだろう。
    【愛の鎖からどう抜け出すか 森瑤子】
    ・ひとを愛することが苦しいのではなく、人間の関係が、そもそも不毛なのだから―。
    ・ふたりの人間をつなぐ鎖の存在が感じられない間は、その関係はよいとみていい。問題は、鎖をふたりが意識する状態のときである。
    ・自分から放たれるみえない鎖が相手を縛っているらしい、と感じるのは、せつない。
    ・そもそも愛の鎖など存在してはいけないのだと、私は思う。もしあるとしても無限に長い鎖でなければならない、と。
    ・結局、苦しみの元凶は自分自身にあるということだ。鎖を忌む心と、その忌むべき鎖を必要とする心と。その葛藤なのではないか。
    ・自分ひとりでも生きていける、という強さこそが、愛の悩みから抜け出せる唯一の道だと思う。
    ・それでもやはり、ひとを愛するということは、手放しのよろこびとは別のものだと思う。相手に対する期待を抜きに、ひとを愛することなど、聖人でもなければできないからだ。
    ・ひとつだけ私が成長したとすれば、過大な期待を抱かなくなったということか。自分が社会とのかかわりをもつようになって、ひとから期待され、夫からも期待されて初めて、期待されることの重荷とか痛みのようなものがわかるからである。自分が痛い思いをして、ようやく相手の痛みがわかる。そのことこそ大事なのだ。痛みを知らない人間は、ひとを真に愛することもせきない。だから、愛の苦悩から抜け出すことばかりを考える前に、私は、とにかくその愛を十分に苦悩することを、若い女性にすすめたい。
    ・十分に苦悩して、それを養分にすることをアドバイスする。苦悩が大きければ大きいほど、ひとは成長するものだと思う。適当なところで苦し紛れにほうりだしたら、そこからどんな収穫も得られない。それと逆説的だが、苦しみというものから逃れるためのいちばんの方法は、徹底的にその苦しみを苦しむという手がある。もういい、もうたくさんだ、もう飽き飽きした。そうなると苦いあと味がない。思い切り汗をながしきった後に似た、一種の爽快さがある。皮肉なようだが、現代のような精神構造をもつ社会で、ひとが愛の苦悩を覚えること自他が少しずつまれになっていくのではないかと私は恐れるから、まじめに愛に苦悩している人がまだたくさんいるとしたら、むしろそれをよろこびたいような気がする。
    【アイスル、アイ:シナイ 富岡多恵子】
    ・ひとりのにんげんが他のもうひとりのにんげんに向かって、愛している、というとき、とまどったりして簡単にいえないのは、愛するということがモノスゴイことだという妄想が行われているためである。
    ・ほんとうは自分のほうが大事であるのに、いまひとりの他人であるにんげんを愛していると思うものだから、自分のほうが大事であって、自分をもっと愛していたのを忘れてしまうからである。
    ・恋をすると、にんげんはイキイキするようであって、こういうことから恋はすばらしいというふうにもいうけれども、恋がすばらしというより、にんげんがすばらしいのであり、にんげんが恋をすることがすばらしいのであった。
    ・おそらく、愛するにんげんといっしょにいると、愛していると思っているのに、あまりにそのにんげんを愛Kしていないのに気がついてサミシクて気が狂いそうになるのではなかろうか。
    【現代の恋愛論(抄 椎名麟三】
    ・私のもとめているのは、正しい恋愛観でもなければ、現代的な男性観でもない。愛なのだ。それもほんとうの愛なのだ。
    ・なぜ若い女性でなければならないのか。それはその年頃の女性こそ、愛について、少なくとも恋愛についていちばん真剣に考え、いちばん多様に感じているにちがいないと思われるからである。
    ・いまの若い女性は、ほんとうに愛そうとし、そしてほんとうに愛されたいと思ったことはないだろうか。そしてほんとうに愛し得ない思いや、ほんとうに愛してはいないという思いにさびしさやかなしさを感じたことはないのだろうか。
     そしてまたいったい、ほんとうに愛するということ、ほんとうに愛されると言うことはどんなことなのだろうか。
    ・実存的な哲学者であったキルケゴールは、「恋愛の最初の期間こそ、この上もなく美しいものである。そのときは、相逢うたびに、目と目を見かわすたびに、何やら新たな喜びが心のうちに起こってくるものだ」といっている。
    ・もし私に恋愛のユートピアを描かせば、自分と相手とのあいだに、何の矛盾もなく、しかもその二人の恋愛が、社会全体とのあいだに何の矛盾もないという状態だろうと思う。私は、この恋愛のユートピアを思い描くとき、私の眼の前に現れてくるのは、母親が幼児に乳房を含ませている場面である。
    ・いわば他人に介入することのできない、ぴったりして何の隙間もない愛の完璧さが、その赤ん坊との間に感じられたからでありその愛に私の愛のみすぼらしさを思い知らされたからだった。
    ・しかしその赤ん坊が大きくなって、自我というものに目覚めてきたときは、おそらくあのような愛は、そのままではありえなかっただろうと思う。だが少なくともあの瞬間は、赤ん坊は、母親によって生きているのだから、赤ん坊にとって母親は彼の全部であることに間違いはないが、彼女にとってもその赤ん坊は、たとえその瞬間だけであったにしろ、彼女の全部であったのに違いないのだ
    ・現代の日本には、未婚の男女の恋愛を妨げる決定的なものは、貧乏以外には何もないように見える。
    ・恋愛自体が、社会全体に対する重大な抗議となり得た時代はもう過ぎ去ったのだ
    ・彼女が娘であった昭和のはじめの時代には、一般には女が人間としての視覚をもつのは、男に対してだけであるような観を呈していたということである。だからまたそんな自分を生かすためには、できるだけ女であるということ、つまり女らしいということによりほかに道がなかったのである。女はいつも男に対する自分であり、それ以外の自分はあり得ないというようであったのだ。
    ・その時代においては、それは私の青年時代の初期にあったていたが、まだ恋愛至上主義が一般的な風潮を支えていた。通俗小説にも、そんな恋愛が横行していたのを覚えている。恋愛が、人生の他の何ものにもまして大切なものであり、恋愛のためには一切が捧げられるべきだとしたのである。しかしいまになって思えば、その恋愛至上主義は、女を男に対してだけの存在であるという鎖へつないでおくための、はなはだ便利な思想であったと思われるのである。女は、その思想によって、男に対する愛だけが、人間としてのじぶんを表現する唯一の道だと教え込まれていたのだ。
    ・仕事というものは、それを通じて人間を社会へつながらせているものであり、だから社会的な自分を確立するのは、仕事によってでしかないのだから、男は、恋愛至上を唱えながらも、結果的には恋愛だけが自分を生かす道だとは考えていなかったといわれても仕方がないのである。言い換えれば恋愛至上主義はけっきょく、男至上主義だったのだと判断することができる。
    ・「恋愛か仕事かというような破目、におちいったら、どちらを選ぶ?」すると彼女は私の質問の愚かさを笑うように、にべもなく叫んだ。「むろん、仕事よ!」
    ・社会に対する自己
    ・だが、その彼女は仕事から解放され、恋愛も忘れているようなときがある、とふと洩らした。
    ・「そんなとき何を考えるんだい?」「それがね」と彼女は、どうしてか当惑したような顔をしながらいった。「人間手何のために生きているんだろう、という妙な気がするときがあるのよ、わたし。そのときは、ほんとうに仕事も恋愛も、何かうとましい遠いもののように思えているの」私はだまっていた。その私は、このようにしっかりした彼女をおびやかすものがあるということに、人間というものの深淵さをのぞかされた気がしていたのであった。
    【見惚れ、気惚れ、底惚れ 円地文子】
    ・尾崎紅葉『金色夜叉』芸者お静
    ・花柳界の女が男を好きになるには、3段階がある。
    ・少女:見てきれいな男「見惚れ」
    ・若い芸者時代:気合いがいいとか、味があるとか生意気な好み。「気惚れ」たいした深い惚れ方ではない。、。
    ・色濃いの頼りなさもわかり、世の中の人情似も通じてきたころに、好きになるのが「底惚れ」。動かしようのない惚れ方。
    ・私はこのお静哲学とは別に、女が男を恋する気持ちには、ごく若い時代と、ずっと年をとってからは相手を相対的に見ないので、かえって純粋なものを選ぶように思う。
    ・少女時代に、男の人を好きになる気持ちにはもちろん、隠された性の欲求が働いているにしても。自己恋愛(ナルシシズム)や劣等感が特に若い女の心理には働いてるから、素直に自分の特長や短所を感じ分けて、それにふさわしい相手を求めるというような常識はまずないものである。
    ・少女と老女を除いた成年期の女にとっては、恋愛の対象はもう、自分を観客席に置いた舞台の人ではなくて、自分自身、舞台へ飛び上がって抱き合って踊るパートナーでなければならない。つまり、現実の恋愛の花の咲くのはこの時期なのであるが、パートナーとして男を見る場合には、必ず自分との釣り合いということが第一に問題となるので、この相対性が純粋を気迫にすることもたしかである。
    ・好きになるはずではなかったはずの男と結びつく場合が多いのなども、相手が熱意を傾けたりすることで、本質的な好悪の感情を一時的にでも置き忘れてしまうのだ。こういう質も女を「浮気者」だと言って避難するけれども、ナルシシズムの傾向の強い女ほど、男には弱いものである。
    【近代日本におけり「愛」の虚偽 伊藤整】
    ・キリスト教の文化をもつ国においての人間と人間のふれ合いの道徳的な整理の仕方には、ほぼ定型となっている共通の型がある。
    ・我々がヨーロッパ的道徳と一括して考えているものであり、キリスト教の人間認識に基づいている。他者を自己と同様の欲求をもつものとして考え愛せ、という意味のその黄金律から来ているように思う。「人にかくせられんと思うことを人に為せ」というような言葉でそれは「バイブル」の中で表現されている。
    ・それは儒教の仁という考え方と似ている。また仏教の慈悲という考え方とも似ている。
    ・しかし,西洋と東洋の考え方には、かすかな違いがあり、やがてその違いが文化の総和においての大きな違いとなっているらしい。
    ・西洋の考え方では、他者との組み合わせの関係が安定したと時に心の平安を見いだす傾向が強いこと、東洋の考え方では、他者との全き平等の結びつきについて何かの躊躇いが残されていることを、その差異として感じる。
    ・「仁」とか「慈悲」という考え方には、他者を自己のように愛するというよりは、他者を自己と全く同じにはが故に、憐れみの気持ちをもって他者をいたわり、他者に対して本来自己が抱く冷酷さを緩和する、という傾向が漂っている。
    ・だから私は、孔子の「己の欲せざる所人に施すことなかれ」値宇言葉を、他者に対する東洋人の最も賢いふれ方であるように感ずる。
    ・他者を自己のように愛することはできない。我らの為し得る最善のことは、他者に対する冷酷さを抑制することであり、と。
    ・慈悲という仏教系の考え方は、もっと強い、もっと積極的なものだろう。他者は愛さなければnあらない。しかいそれは憐れみや同情という形となり、そこには、優れたものが劣れるものと接触するときには、という条件がつけられているように思う。
    ・悔い改めと祈りに信仰の本質があり、人間としては不可能なことを前提としているキリスト教的な愛の考え方、それと関連している男女の愛の考え方―
    ・明治以来、我々が取り入れた西洋文学の恋愛の思想は、このようなキリスト教の宗教生活野中でのみ実践性があるものである。それを我々はその実践性、願望や祈りや懺悔などを抜きにして形の上でのみ、疑うべからざる最も合理的で道徳的な人類の秩序の考え方として受け容れている。
    ・我ら一般の日本知識階級は不可能な愛というものを信じていない―不可能なことを目指して努力し、実現に到達し得ないことを感じて祈り、完成し得ないことを待ち望むことの空空しさが、我々の目にクリスチャンを偽善者のように見させるのだ。
    ・我々は憐れみ、同情、手控え、躊躇いなどを他者に対して抱くが、しかし真実の愛を抱くことは不可能と考え、
    抱く努力もしないのだ。即ち仏教的に言えば、そのような愛を抱くことの出来ぬことが我々の罪深い本姓なのであり、その本姓をもったままで我々を救うのは仏なのである。
    ・だから男女の接触を理想的な物たらしめようとするとき、ヨーロッパ系の愛という言葉を使うのは、我々には、躊躇われるのである。それは「惚れること」であり、「恋すること、「慕うこと」である。しかし愛ではない。性という最も主我的なものをも、他者への愛というものに純化だでようとする心的努力の習慣がないのだ。
    【チャンス 太宰治】
    ・人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。としたり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、チャンス出ないと思う。私は別段、れいの唯物的弁論法にこびるわけではないが、少なくとも恋愛は、チャンス出ないと思う。意志だと思う。
    ・しからば、恋愛とは何か。私は言う。それは非常に恥ずかしいものである。
    ・「性的衝動に基づく男女間の愛情。すなわち、愛する異性と一体になろうとする特殊な性的愛。」
    ・「愛」の美名に依って、卑猥感を隠蔽せんとたくらんでいるのではなかろうかとさえ思われるのである。
    ・それで、私が、もし『辞苑』の編集者だったならば、次のように定義するであろう。
    ・「恋愛。好色の念を文化的に新しく言いつくろいしたもの。すなわち、性的衝動に基づく男女間の激情。具体的には、一個または数個の異性と一体になろうとあがく特殊な性的煩悩
    。色慾のwarming_upとでも称すべきか。」
    ・ただもう「ひとした事」で恋愛が成立するものとしたら、それは実に卑猥な世相になってしまうであろう。恋愛は意志に依るべきである。恋愛チャンス説は、淫乱に近い。
    ・庭訓。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。」
    【恋愛論 坂口安吾】
    ・恋愛とはいかなるものか、私はよく知らない。
    ・日本語では、恋と、愛という語がある。いくらかニュアンスがつがうようだ。
    ・外国では愛も恋も同じで、人を愛すという同じ語で物を愛すという。
    ・人は恋愛によってみたされることはないのである。
    ・人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、せつなさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。

  • "恋愛"に対する意見や感想、はたまた哲学的な観点や歴史上の文学から得られた考察などが書かれていて面白い。
    感情の赴くまま素直に
    恋愛をすることができず
    もやもやと考えてしまう、
    ある意味少しめんどくさい性分な人には非常にお薦め

  • 面白かった!

  • かなり読みごたえがある一冊。

    恋愛観、愛、結婚についての深い考察もあり、大学生以上向けだと感じた。近代から現代にかけての恋愛観の転換は誰もが知っておくべきだと思う。

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