黄金の驢馬 (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2013年7月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (528ページ) / ISBN・EAN: 9784003570012

みんなの感想まとめ

この作品は、ローマ時代のラテン語小説として唯一完全な形で残った貴重な作品であり、予備知識がなくても楽しめる魅力を持っています。物語は、田舎のボンボンが驢馬に変身し、世の中の辛酸を味わう滑稽な冒険を描い...

感想・レビュー・書評

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  • 「唯一完全な形で伝わるローマ時代のラテン語小説」。
    著者、アープレーイユスは2世紀に活躍したローマの弁論作家。弁論作家って何?という感じだけれども、奇想天外な小説や極端に技巧的な弁論文で名声を博したんだそうである。
    このアープレーイユス、旅の途中に病気になったことがある。友人の母である未亡人が熱心に看病してくれ、その縁で2人は結婚する。ところが、その未亡人が裕福であったことから、未亡人の親族から魔術を使って誑かしたと訴えられてしまう。が、彼は見事に自己弁護し、無事無罪を勝ち取ったというから、まぁ口の達者な、もとい、弁舌爽やかな人物であったのだろう。

    本作はアープレーイユスの代表作とされる。
    大きな話の流れとしては、所用で旅に出かけたルキウスという青年が、魔術に夢中になり、魔女を見習って梟に化けようとする。ところが飛んだ手違いで驢馬(ロバ)になってしまい、人にこき使われて艱難辛苦いかばかり、最後はイシスの秘術により、元の姿に戻ってめでたしめでたし、というもの。
    ここに、ルキウスが見聞きしたり、出会った人々が語ったりという形で、数々の挿話が差しはさまれる。一種の枠物語である。
    この中で一番有名なものが、「クピードー(キューピッド、エロス)とプシューケーの物語」。ある王国の3番目の姫君プシューケーは大層美しく、人々はウェヌス(ヴィーナス、クピードーの母)よりも美しいともてはやす。これに怒ったウェヌスは、息子のクピードーに、その矢でプシューケーが世の中で一番みじめな男と恋に落ちるようにしてくれ、と命じる。ご存知の通り、クピードーの矢に射抜かれたものは、その後で見かけた人物に恋をしてしまうんだな。ところが、クピードーは実は、自身がプシューケーに恋をしてしまう。ご宣託でプシューケーは淋しい山の頂に放置され、誰とも知れぬものにさらわれる。さらわれた先は立派な御殿で、夜な夜な見知らぬ夫が通ってくる。けれども彼は決して顔を見せない。しばらくして、プシューケーがどんな暮らしをしているか見に来た2人の姉は、その贅沢な暮らしぶりに嫉妬し、夫の顔を覗き見るようプシューケーを唆す。誘惑に逆らえなくなったプシューケーは、熟睡している夫の顔を蝋燭の灯で照らしてしまう。そこで彼女の見たものは・・・。その後も起伏のあるストーリーが続き、単体としても味わい深い。「愛(=クピードー)と心(=プシューケー、psychoの語源)」の物語である。

    長年の積読を読もうと思ったのは、「クピードーとプシューケー」の原典を読もうと思ったからで、その部分はまぁおもしろかったのだが、他の挿話がそれほどおもしろかったわけではない。冒頭の、魔女が浮気男をとっちめる不思議な話あたりはまずまずだったのだが、何せ、艶聞めいた話が多く、浮気あり、少年性愛あり、獣姦まであり、といった具合で、いささかドン引きレベル。夫が面倒を見てやっている少女が夫の妹だというのも知らず、嫉妬のあまり殺してしまい、衆人環視の中、ロバと交わる罰を受けようとする女の話とか、どこをどう突っ込んでよいのかよくわからない。
    伝奇小説であり、娯楽小説であり、ということなので、当時の風俗や、楽しまれていた物語がこんなものだったのか、というくらいの興味で読むのが正解だろうか。

    よくわからないのは、最終的にルキウスを助けるのが、イシスの力であるというところ。イシスと言えばエジプトの女神ではないのか。途中で出てくるウェヌスにしろ、フォルトゥナ(運命の女神)にしろ、ギリシャ・ローマ系の神様だと思うのだが、アープレーイユスの頃のローマには、エジプト神話なども流れ込んでいたものか。
    そのあたりもちょっと興味深いのかもしれない。

    それはそうと、ルキウス君、もしも最初の目論見通りに無事に梟に変身していたら、驢馬になるよりよいことあったのかな?

  • 好奇心旺盛な若者が魔術に手を出して失敗し、ロバに変身してしまう冒険譚のように見えるが、クロウリーが「この本がわかるくらい既知に富む者にとっては貴重な書」と評したように、秘教的イニシエーションの過程が巧妙に織り込まれてる。

    主人公ルキウスのロバへの変身は、秘儀への入門者が経験する「暗黒の夜」、すなわち通常の人間的意識の死と再生の過程を象徴している。注目すべきは、彼が完全な獣になるわけではないことだ。人間の意識を保ったまま獣の身体を持つという二重の存在様態は、イニシエーションにおける重要な段階を示している。

    物語の中に挿入される「クピドとプシュケー」の物語も、深い象徴的意味を持つ。

    プシュケーの試練は、魂が神的なものとの結合に至るまでの過程を寓意的に描いている。彼女が光を禁じられながらも好奇心に負けて灯りをともす場面は、秘儀における禁忌の侵犯と、それによってもたらされる必然的な試練を表現している。

    イシス女神の出現は物語の転換点となる。イシスは単なる救済者としてではなく、より高次の意識への導き手として機能する。

    注目すべきは、イシスの啓示が満月の夜に訪れることだ。月は変容の象徴であり、特にイシス信仰においては重要な意味を持つ。ルキウスがロバの姿から人間の姿に戻るのも、イシスの秘儀の文脈の中でこそ意味を持つ。

    薔薇を食べることによる変身の解除も象徴的な意味を持つ。薔薇は多くの秘教的伝統において、神聖な知識や霊的な愛を象徴する。しかし重要なのは、単に元の姿に戻るだけでなく、その過程で新たな意識の次元が開かれることだ。ルキウスは最終的にイシス信仰の司祭となるが、これは彼の変容が単なる「回復」ではなく、より高次の存在様態への上昇であることを示している。

    物語全体を通じて、ルキウスはさまざまな魔術や性的な冒険に遭遇する。これらのエピソードは単なる娯楽的な挿話ではない。それぞれが秘教的な知識の断片を含んでおり、特に魔女たちの描写は、当時の魔術的実践についての具体的な情報を提供している。クロウリーが注目したのも、おそらくこれらの記述の正確さと深さであろう。

    作品の文体も重要な意味を持つ。アプレイウスは滑稽さと荘重さ、卑猥さと神聖さを巧みに混ぜ合わせる。この文体は単なる文学的技巧ではない。それは秘教的な真理が必ずしも厳粛な形式でのみ伝達されるわけではないことを示している。時として真理は、笑いや性的な暗示を通じてより効果的に伝えられる。

    最も注目すべきは、物語が描く意識の変容のプロセスだ。ルキウスは好奇心から魔術に手を出し、失敗し、苦難を経験し、最終的により高次の知識に到達する。この過程は、多くの秘教的伝統が説く「死と再生」のパターンに正確に対応している。彼のロバとしての遍歴は、より高次の意識に至るために必要な「自我の死」の過程として理解できる。

    アプレイウスは、このように表向きは娯楽的な変身物語の形式を借りながら、イニシエーションの本質的なプロセスを描き出している。

  •  この作品は唯一完全な形で残ったローマ時代のラテン語小説である。古代ラテン語小説など敬遠してしまいがちだが、他の古典作品と違い予備知識なしでも楽しめる作品であるし、内容もロバに変身してしまった男が浮世の辛酸を嘗め尽くす滑稽なものである。全体にエロ・グロ・ナンセンスな風刺・怪異譚が散りばめられた娯楽小説だが、作中挿話の白眉である『クピードーとプシューケーの物語』は人間の魂が試練によって聖化される過程を美しく描き上げたものとして有名である。

    京都外国語大学付属図書館所蔵情報
    資料ID:582263 請求記号:992.3||Apu

  • 主人公である若者ルキウスは旅の途中で道連れになった二人組の男の片方から奇妙な話を聞かされる。その男アリストメーネスの友人ソークラテースの妻パンティアはなんと魔女で、その姉妹メロエーと共に次々と気にいった男たちに飽きたら動物に変えてしまうというのだ。

    しかしルキウスはこの伏線からなんの教訓も得ない。町に到着、知り合いのミロオの家に泊めてもらい、その家の小間使いフォーティスと良い仲になるが、彼女からこの家の奥様パンフィレエは魔女で、気にいった男を手に入れるためにあれこれ魔法を使うという話を聞かされる。

    ある晩、好奇心に駆られたルキウスはこっそりパンフィレエが魔法で梟に変身する現場を覗き見、真似をして自分も変身しようとするが薬を間違えてなんと驢馬になってしまう。実は薔薇を食べればもとに戻るのだけれどなかなかチャンスがない。そうこうしているうちに盗人一味に拉致られて驢馬としてこき使われ酷い目に。

    この盗賊一味がさらってきた娘カリテーに、一味の世話係の老婆が語って聞かせる挿話が有名な「クピードーとプシューケーの物語」。独立した物語としてこれだけで十分面白いし、実際ページ数も70~80頁くらいあって、読んでるあいだ驢馬のルキウスのことはしばし忘れてしまった(苦笑)その他、ルキウスが転々とする人生ならぬ驢馬生の中で見聞したちょっとした挿話が面白く、確かデカメロンにも流用されてたと思うのだけどエロティックなエピソードも多い。カリテーについては後日譚がありこちらは悲劇的。

    その後紆余曲折あってピレーブスという男(名前は男色者の意)に買われたルキウスは、シュリア・デア(シリアの女神)を奉じる去勢者たちの一団に、女神像を背負わされて旅をする。この一行は鞭うち行者みたいなことをして狂乱状態に陥るパフォーマンスなどをして似非占いで荒稼ぎしつつ巡業していて宗教団体というよりは見世物団みたいだけど、当時こういう集団がいたのだという事実が興味深い。ちなみに、当時まだキリスト教はよく知られておらず、「一神教なんてw」みたいな、まるで胡散臭い新興宗教のように扱われている。

    さてこのように驢馬のルキウスは運命に翻弄され次々と売り飛ばされてはこきつかわれ必要以上に酷い目に合いながらもしぶとく生き延び、最後はイシス女神の恩寵により人間に戻してもらい、イシス女神に帰依する。正直、この終わり方というか最終章はルキウスの信仰の話になってしまってつまらなかった。

    当時のローマはさまざまな宗教が平和共存していたようで、ギリシャ神話、ローマ神話、エジプトの神々の名前までいっしょくたになって物語の中で語られていたのでとてもいいなと思っていたのだけど、最後はキリスト教の話ではないにもかかわらず、キリスト教圏の話に多い神様のおかげ、信じる者は救われるみたいな妙に説教くさい展開になってガッカリ。個人的にはルキウスくんはそんな改心などしないで、驢馬として痛めつけられた辛い経験は踏まえつつ、快楽主義者として人生を謳歌してほしかったな。

    あと翻訳についてちょっと気になったのが、前半部分「それで」というのを「そいで」「そいだもんで」等、田舎言葉?みたいな言い回しですべて書かれていること。これが登場人物の職業や身分で使い分けてあるならよいのだけど、そこそこ身分の高いきちんと標準語を喋っている人のセリフの中でも「そいで」「そいだもんで」となっているのでちょっとモヤモヤした。前半翻訳はギリシャもの定番の呉茂一だけど、翻訳者のクセだろうなあ。後半は別の翻訳者なので普通だった。

    まあなにはともあれローマ時代(2世紀頃)のラテン語小説が現代まで伝わっていて楽しく読めるというのは素晴らしい。もちろん社会制度などは違うけれど、それでも人間の感情の動き自体は現代日本人の我々となんら変わらないし、共感したり笑ったり悲しんだりできるわけで。あと挿話にやたらと「女性の不倫」の話が多かった気がするのだけど、そういうのも含めて現代人も古代ローマ人も大差ないんだな(苦笑)

  • 驢馬が死なずに最後まで生き残ったのが不思議なくらいです。

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