アンティゴネー (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003570043

作品紹介・あらすじ

「私は憎しみを共にするのではなく、愛を共にするよう生まれついているのです」-祖国に攻め寄せ斃れた兄の埋葬を、叔父王の命に背き独り行うアンティゴネー。王女は亡国の叛逆者か、気高き愛の具現者か。『オイディプース王』『コローノスのオイディプース』と連鎖する悲劇の終幕は、人間の運命と葛藤の彼岸を目指す。新訳。

感想・レビュー・書評

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  • 自分の欲ばかりに目が眩んだり他者を受け入れようとする寛容さもないと、この物語のように負の連鎖を生み身の破滅までにも追い込むようにもなるという一種の教訓の様にも感じました。
    この機会で一度劇も鑑賞したくなった。

  • アンティゴネーの兄に対する想いが兄妹間のそれ以上のものを窺わせる等、解説によれば随所に解釈の余地があるようです。

    オイディプスに端を発する悲劇は叔父のクレオンと娘のイスメネを除き、みな死亡という結末を迎えました。

    クレオンとその息子ハイモーンの対話、アンティゴネーとクレオンの対決の場面がハイライトでしょうか。

    抗い難い運命、現実の苦悩を引き受けながらも生を肯定する、というニーチェが悲劇の誕生で言及していたギリシャ悲劇の本質に触れられた気がします。

  • 分かりやすい文章でとても読みやすかったです。
    反逆者として叔父である王に埋葬を禁じられた兄ポリュネイケースを埋葬したがために王と対立し、自ら死を選ぶアンティゴネーと王クレオーンとの対立の台詞回しが際立って印象に残ります。
    兄ポリュネイケースへのアンティゴネーの愛は兄妹のそれを超えているように感じます。そのあたりはやはりオイディプース王の娘、と言ったところでしょうか。

    兄の埋葬を妹のイスメーネーに持ちかけるものの拒否を受けて頑なになるがために死を受け入れるアンティゴネーと王の布告とプライドを固持して最後に家族を全て喪うクレオーン、ある意味強硬な意地の張り合いとも見えてしまいますがどちらが悲劇的なのか、私には分かりかねました。

    オイディプース前王の一族で一人残されたイスメーネーのその後が気になります。

  • オイディプス家の悲惨な運命。王女アンティゴネーとテーバイ王の対立が破滅へと収束していく。敵国に寝返ったアンティゴネーの兄を神の法(=倫理観)に基づいて埋葬すべきか、それとも王の命令に倣って兄の遺体を打ち捨てるべきか。法と倫理の対立というこの作品のテーマは現代でも通ずるものがあり、読み継がれているのにも頷ける。他にも男と女、壮年と青年など様々な対立が読み取れる。短いしおすすめ

  • 「私は憎しみを共にするのではなく、愛を共にするよう生まれついているのです」――祖国に攻め寄せて倒れた兄の埋葬を、叔父王の命に背き独り行うアンティゴネー。王女は亡国の叛逆者か、気高き愛の具現者か。『オイディプース王』『コローノスのオイディプース』と連鎖する悲劇の終幕は、人間の運命と葛藤の彼岸を目指す。

  • 演劇作品で始めて素直に面白いと感じ、すんなり没頭することができた。アンティゴネーが単純に正しい側のヒロインなのかと思いきや、しばしば不穏な発言をするから面白い。

    "私は憎しみを共にするのではなく、愛を共にするよう生まれついているのです。"という感動的な言葉も、大きな説得力がありながら、どこか言行不一致の気配がうっすら感ぜられ、それが余計に味わい深い。

    アンティゴネーがなぜこのような不幸な結末を迎える必要があったのかという理由は、出自そのものの不幸によるのではという解説の説明に一応納得。しかし、近親相姦がなぜこれほどまでにタブー視されているのか、オイディプスが自ら両目を刳り取り、アンティゴネーを自死に追い込むほど罪の意識をもたらすのか、現代に生きる私には不思議でしょうがない。

  • 2021年10月28日(金)に読了。

    新訳が出ていたのは知らなかった。文学カフェのために再読。岩波文庫の古い訳、呉茂一訳で読んでから20年以上になると思う。つい最近までソポクレスの3部作は手元に残しておいたはずなんだけど、見つからず図書館で借りて読んだ。そのおかげで新訳が2014年に出ていたことに気づけたというのもあるのだけど(まあ、いずれにしても文学カフェのときに知ることにはなっていただろうけど)。

  • 非常に面白かった。同作者によるオイディプス王の続編にあたり、王の4人の子のうちの姉の名が表題となっている。わたしのなかではオイディプス王は最早レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザや、シュトックハウゼンの連作にも並ぶ真正の大芸術とまで格上げされているため、続編があると知って大分期待して読んだが、こちらは一段格は下がって、並の芸術品といったところに落ち着いている。格下げの主たる理由は、単純な因果応報(仏教用語でなく現在の用法)に落ち着いたこと。王道であり、民話ならなお一層親しまれるものだが、大芸術のやることではない(何故なら疑問の余地が残らず完全に消費されてしまう)。非常にポピュラーな内容であるので、今やっても売れるでしょう。また、アンティゴネーの毅然とした態度、迷いなく、真っ直ぐで、決して折れず、芯があり、加えて言葉の端に現れる思慮深さは、現在の男性・女性からも支持されるのではないでしょうか。もののけ姫のサンを思い起こさせたほどです、とても似ています。人類史における最大最悪の悲劇を被った王の娘は、呪われた血筋のなかで、民衆からも王宮のなかででも後ろ指さされながら生きるわけで、恥辱・屈辱の渦中にあってこれほど真っ直ぐに立ち向かえる女性(しかもまだ年の若い)の姿というのは、なかなか涙なくして読むのは難しい。自然法と人口的な法との対比が主な主題であることから、世界の縮図としての機能を持ち合わせているのも確かですが、疑問点は2、3ある。第一に、王であるクレオーンの態度は正しい。作中、「自分の非を認めて」となって後悔に向かうし、作中の預言者や多くの読者が、王の独善、独裁を非難し、その上で息子ハイモーンの台詞「大衆はみなそう言っている(王と違うことを言っている)」に民主主義の正しさを見ますが、絶対に間違っていると思う。王が「英雄を讃えて墓を作り、火を放った敵の死体を野ざらしにして放置する」ことは独断や独裁ではない。現在の大統領も同じ態度を取るであろうことだが、それはやはり大統領であるからの判断であり、そこには民衆の意を汲む配慮がある。対し、「大衆はみなそう言っている」などということもありえない。ポリュネイケースは国家を滅ぼさんとして来たわけで、彼を憎むひとがいないわけがない。ならば誰もがアンティゴネーに同情するわけもない。

  • 『オイディプス王』『コロノスのオイディプス』と比較すると、神話的様相や運命的な色合いは薄れ、個の悲劇となっている。その分、スケールは小さいが、ただアンティゴネーの悲劇としてはまとまっている。(あくまでアンティゴネーの悲劇であって、クレオーンその他は添え物に過ぎない)

  • ギリシャ悲劇は、自らの力ではどうにもならない運命に翻弄された人間の運命悲劇だと言われる。『オイディプス王』は確かにその通りだが、『アンティゴネー』は死を覚悟の上で自らの意志を貫いたアンティゴネーの性格悲劇ではなかろうか。そのような人物造形は、『オイディプス王』よりも、むしろシェイクスピアに近いように思う。

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