蜜柑・尾生の信 他十八篇 (岩波文庫)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003600276

感想・レビュー・書評

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  • ★3.5 「青年と死と」「野呂松人形」「猿」「煙管」「沼地」

  • 「羅生門」「蜘蛛の糸」「杜子春」などを児童文学書で読んだ記憶があるが、挿絵入りのものだったので全文きちんと読んでいたかは怪しい。中学時代の読書感想文で「侏儒の言葉」を選んで以降、芥川龍之介を読むのは本当に久しぶりとなる。
    本作読後の率直な感想は、「難解」でした。読書を楽しむというより、ストーリーがあるようでない「ぼんやりした作為」、まるで吉田兼好ばりに、心に映るよしなしごとを思うまま書きしるすことであとは読者にゆだねてしまう芸風は、確かに「芥川賞」の原型ともいえそうです。
    本作の収録作品は1914年から1920年(芥川28歳)までの短編20作で、彼は35歳で自殺してしまったので、執筆当時の経歴をおさらいしておくのも意味があると思う。

    芥川 龍之介(1892年〈明治25年〉3月1日 - 1927年〈昭和2年〉7月24日)は、号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼。
    その作品の多くは短編小説である。また、『芋粥』『藪の中』『地獄変』など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。『蜘蛛の糸』『杜子春』といった児童向けの作品も書いている。
    東京帝大在学中の1914年(大正3年)2月、一高同期の菊池寛、久米正雄らとともに同人誌『新思潮』(第3次)を刊行。まず「柳川隆之助」(隆之介と書かれている当時の書籍も存在する)の筆名でアナトール・フランスの『バルタザアル』、イエーツの『春の心臓』の和訳を寄稿したあと、10月に『新思潮』が廃刊にいたるまでに同誌上に処女小説『老年』を発表。作家活動の始まりとなった。このころ、青山女学院英文科卒の吉田弥生という女性と親しくなり、結婚を考えるが、芥川家の猛反対で断念する。1915年(大正4年)10月、代表作の1つとなる『羅生門』を「芥川龍之介」名で『帝国文学』に発表。
    1916年(大正5年)には第4次『新思潮』(メンバーは菊池、久米のほか松岡譲、成瀬正一ら5人)を発刊したが、その創刊号に掲載した『鼻』が漱石に絶賛される。この年に東京帝国大学文科大学英文学科を20人中2番の成績で卒業。卒論は「ウィリアム・モリス研究」。同年12月、海軍機関学校英語教官を長く勤めた浅野和三郎が新宗教「大本(当時は皇道大本)」に入信するため辞職する。そこで畔柳芥舟や市河三喜ら英文学者が、浅野の後任に芥川を推薦(内田百閒によれば夏目漱石の口添えがあったとも)、芥川は海軍機関学校の嘱託教官(担当は英語)として教鞭を執った。そのかたわら創作に励み、翌年5月には初の短編集『羅生門』を刊行する。その後も短編作品を次々に発表し、11月には早くも第二短編集『煙草と悪魔』を発刊している。
    1918年(大正7年)の秋、懇意にしていた小島政二郎(『三田文学』同人)と澤木四方吉(『三田文学』主幹で西洋美術史家)の斡旋で慶應義塾大学文学部への就職の話があり、履歴書まで出したが、実現をみなかった。1919年(大正8年)3月、海軍機関学校の教職を辞して大阪毎日新聞社に入社(新聞への寄稿が仕事で出社の義務はない)、創作に専念する。ちなみに師の漱石も1907年(明治40年)、同じように朝日新聞社に入社している。
    1919年(大正8年)3月12日、友人の山本喜誉司の姉の娘、塚本文(父塚本善五郎は日露戦争において戦艦「初瀬」沈没時に戦死)と結婚。1921年(大正10年)2月、横須賀海軍大学校を退職し、菊池寛とともに大阪毎日の客外社員となり、鎌倉から東京府北豊島郡滝野川町に戻る。同年5月には菊池とともに長崎旅行を行い、友人の日本画家・近藤浩一路から永見徳太郎を紹介されている。
    1920年(大正9年)3月30日、長男芥川比呂志、誕生。

    1927年(昭和2年)7月24日、雨の降りしきるなか、田端の自室で芥川龍之介は服毒自殺を行い、社会に衝撃を与えた。使用した薬品については、ベロナールとジェノアルとする説が一般的である。死の数日前に芥川を訪ねた、同じ漱石門下で親友の内田百閒によれば、芥川はその時点でもう大量の睡眠薬でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。すでに自殺を決意し、体を睡眠薬に徐々に慣らしていたのだろうと推測される。一方で、自殺の直前には身辺の者に自殺をほのめかす言動を多く残しており、実際には早期に発見されることを望んだ狂言自殺で、たまたま発見が遅れたために死亡したとする説がある。また、死後に見つかり、久米正雄に宛てたとされる遺書「或旧友へ送る手記」の中では自殺の手段や場所について具体的に書かれ、「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。(中略)…僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品(バルビツール酸系ヴェロナール およびジャール)を手に入れようとした」とあることから、記述を信頼すれば計画的に自殺を企てていた節も窺える。エンペドクレスの伝記にも言及し「みずからを神としたい欲望」についても記している。
    遺書として、妻・文に宛てた手紙、菊池寛、小穴隆一に宛てた手紙がある。芥川が自殺の動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」との言葉は、今日一般的にも有名であるが、自殺直前の芥川の厭世的あるいは「病」的な心境は『河童』を初めとする晩年の作品群に明確に表現されており、「ぼんやりした不安」の一言のみから芥川の自殺の動機を考えるべきではないともいえる。芥川命日は小説『河童』から取って河童忌と称される。
    死の直前である7月初め、菊池寛に会うため二度文藝春秋社を訪れているが会うことができなかった。社員が菊池に芥川が訪れたことを報告せず、生前に菊池が芥川を訪ねることもなかった。
    死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため上野に出かけており、留守であった。犀星は後年まで「もし私が外出しなかったら、芥川くんの話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。また、死の直前に「橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひひきすなはち見ゆる禿の頭」と河童に関する作を残した。
    芥川の自殺報道の直後からその死にショックを受けたと思われる若者たちの後追い自殺が相次ぎ、「芥川宗」とも呼ばれた。
    死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」(芥川賞)を設けた。芥川賞は直木賞と共に日本でもっとも有名な文学賞として現在まで続いている。
    芥川の命日・7月24日は河童忌と呼ばれる。当初は遺族と生前親交のあった文学者たちが集まる法要だったが、1930年(昭和5年)の四回忌から「河童忌記念帖」として文藝春秋誌上で紹介され、この呼び名が定着した。
    (Wikipedia)

  • 【蜜柑】
    檸檬と少し似たようなところがあるかも〜と思った。
    その場の風景とか人物がすごくイメージしやすい。
    そこも含めてすごい好きな作品だった。

  • 黄粱夢を推薦されて読んだ一冊。話集としてぶっ飛んでるものもあるが、佳作だったり、芥川竜之介らしさがある作品も多くて楽しめる。

  • 「蜜柑」がすごく好きです。この物語が書ける芥川の才能…。

  •  1914(大正3)年から1920(大正9)年、芥川22歳から28歳までの初期作品が収録されている。
     芥川龍之介といえば昔中学校の国語の教科書にも載っていたし、あのやたらかっこいい顔写真も友人の間で有名で、日本文学の「基本のキ」というイメージを持っている。中学から高校にかけて新潮文庫の芥川を3冊くらいと、岩波文庫のを2冊くらい読んで、それですっかり「済ませた」ような気になっていた。
     文学の非常に有名な名作を人生のあまりにも早い時期に読んでしまったというのはある意味不幸なことで、その後何十年も経てば完全に忘れてしまっており、最新の文芸作品の玉石混淆なカオスを読み漁るだけでなく、そうした「歴史に残る名作」をもしばしば再読してみないと、文学世界の全体像をついついつかみ損ねてしまう危うさを感じないでもない。
     若書きの芥川は、さすがに最初期のものはそんなに良いとも思わなかったが、「理知的」と言われる作品構成の手法や簡潔な文体といった個性は明確に表れている。本書に含まれる一編一編はどれも非常に短いもので、掌編というべきサイズだ。情景をしみじみと描いて豊かな叙情をつむいでゆくといった書き方とは異なり、完全に「知」の管制塔により場面は切り取られて必要最小限の要素が効率的に配置され、余計なものは最初から組み込む隙が無い。作品全体は説話的なテーマにしたがって合理的な建築物のように組み立てられている。
     本書を読むことは楽しい体験であるが、すべては切り詰められているので、娯楽的な楽しさはあまりない。やはりそうした簡潔なたたずまいが、「芸術性」を体現しているといった感じだ。
     芥川文学を評価するのにはやはりどうしても後年の、自死へと向かう精神のきしみの方に目が向いてしまう。そのプロセスの、最初期に当たるこれらの作品が、いかに知的に構成されているかというそのことを味わうばかりだ。
     だがこの芥川の「知的」とはどういうことか。その知はもちろん哲学的な知とは異なる。知的ではあっても個々の作品はある種の詩的な表出への結実へと向かって建築されている。それの「構成への意志」が知的な様相を呈しているということになろう。
     再度芥川龍之介の文学を評価し直してみるということであれば、当然、その「自死へと至るプロセス」を辿り直してみなければならないのかもしれない。

  • 老 年 12/1
    青年と死と 12/1
    ひょっとこ 12/1
    孤独地獄 12/2
    虱 12/2
    野呂松人形 12/2
    猿 12/2
    煙 管 12/1
    MENSURA ZOILI 12/3
    二つの手紙 12/3
    女 体 12/3
    黄粱夢 12/3
    英雄の器 12/3
    蜜 柑 12/4
    沼 地 12/4
    葱 12/4
    尾生の信 12/5
    黒衣聖母 10/22
    女 10/16
    影 11/11

  • 2020/9/23 ★3.0

  • 一話一話が短い短編集。
    全身の内部まで温かさに塗れられる短編集です。
    著者は分け隔てなく優しい。
    色々と角度を変え、自分なりに懸命に理解しようとする著者の姿が、温かな気持ちにさせます。
    また、それだけではなく「葱」は、笑ってしまう内容に意外性を感じました。
    何話か読んだのもあるけど「ひょっとこ」「煙管」は相変わらず好き。
    「尾生の信」はロマンチックと聞いて、この内容目的で一通り読みましたが、寂しくて結構ショッキングでした。
    ただ、一心不乱に恋人を待つ姿は、やはりロマンチックなのかなとも思いました。
    初心者にもお勧めです。

  • 蜜柑を読むと作者の生きた時代の自由度とでもいうべきか、或いは鈍感さとも傲慢さともとれる表現が多々出てくる。表題で示すならマズは131ページの勘違いから相席した少女にたいする描写だろうか。あそこまで人をこき下ろす表現を現代で出来るだろうか? むりである。
    単純な作品の面白さもあるが、個人的にはこういった歴史性もまたこの手の作品の楽しみ方ではなかろうかと最近思えてきた。ここまで考えられるに至った。
    もちろん、そういったことを理解してもらえなくとも、芥川龍之介作品が傑作ばかりで読むに値することは間違いないので、古くさいと煙たがらずに多くの人に読んでもらいたいです。

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