問はずがたり・吾妻橋 他十六篇 (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2019年8月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (338ページ) / ISBN・EAN: 9784003600368

作品紹介・あらすじ

荷風の戦後は「問はずがたり」とともに始まる。一人の画家の眼を通して、戦中戦後の情景が映し出される。若い女性の心象を掬いとる「吾妻橋」「或夜」「心づくし」「裸体」。下町を舞台とした戯曲「渡鳥いつかへる」。戦渦を生き抜き、新たな生を受けとめる人々への哀感と愛惜のまなざし。戦後の荷風文学がよみがえる。(解説=岸川俊太郎)

みんなの感想まとめ

戦後の時代精神を背景に、著者は市井の人々や若い女性たちの心情を繊細に描き出しています。作品は、戦中戦後の情景を一人の画家の視点から映し出し、哀感と愛惜をもって人々の生き様を捉えています。特に、表題作に...

感想・レビュー・書評

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  • 永井荷風、それも、戦後の荷風文学は、これまで触れたことのないまま、今に至りました。ふと手に取ったこの岩波文庫、冒頭の「問わずがたり」から始まって、間断なく、戦後の時代精神のもとで、旺盛な執筆意欲のもとに紡ぎ出された佳品に触れることができました。堪能です。戦前作品にも取り組もうと思います。

  • ★3.5くらい。
    表題作2つは比較的自分の知ってる荷風の雰囲気だったと思う。戦後の市井の人々の雰囲気を知れる点ではどの作品も良かったのだが、すごく刺さる作品はなかった。随筆は殆どサラッと読んだだけだが、冬日の窓は侘しさを感じられる作品で心に残った。

  • どちらかというと不運な女性たちの、それでいて逞しい生き様が美しい。

  • 永井荷風の終戦後の心情が反映された短編集。特に秀逸なのは、死んだ思っていた主人が帰ってきたのはいいものの、すでにその主人の弟と再婚をしていて、さてどういう身の振り方をしようか、といったときにその女性がとった行動を描いた短編。

  •  文庫オリジナル編集2017年刊。執筆年代1944(昭和19)年から1953(昭和28)年の小説・随筆が収録されている。荷風が亡くなったのは1959(昭和34)年で79歳であったから、この執筆年代は65歳から74歳に当たる。昔は50代で老人と呼ばれていたから、相当の高齢だ。
     当時から戦後の荷風は往年の傑作群と比べて全然良くない、と悪評高く、あちこちで貶められているが、2017年に川本三郎さんが『老いの荷風』を出版してから、「戦後の荷風文学を再評価する気運が高まりつつある。」と本書巻末の岸川俊太郎氏の解説に書かれている。
     1945年3月10日の大空襲により、「偏奇館」と称し25年間住んだ東京の麻布市兵衛町(現在は港区六本木らしい)の荷風自宅が全焼。その後は知人を頼って放浪し、岡山で敗戦を迎える。1946(昭和21)年からは千葉県市川市に住み、人生の最後を同市で過ごす。
     あれだけ東京を愛した荷風が、自宅焼失と共に東京を去ってしまったのか、と思ったが、市川市は地図で調べてみると結構東京に近く、1948(昭和23)年からはやたら頻繁に浅草に通ったようだ。しかし東京を離れたことと敗戦を迎えたことは、荷風の環境世界にとっては非常な激変であったと思う。かつて得意とした花柳界の描写は消え、それはもしかしたらいったん東京の花柳界自体が消滅したためなのかもしれないが、1948年以降の浅草通いで荷風が親しんだのは、戦後見る見る広がった劇団・ダンサー・街娼などの若い女性たちの活躍する世界であったようだ。
     本書巻頭に収められた「問とはずがたり」は前半が戦時中の昭和19年に書かれ、終戦後に書き加えられて昭和20年11月に脱稿している。少々性的に見境のない男性の遍歴を物語り、結局はずっと孤独であり女性たちに去られて包まれるその寂しさの感じが、読んでいて胸に迫った。が、最後の方で突然語り口やトーンが変わり、岡山に着きいきなり「老後」な様子にになって、戦後という時代の変遷を見つめる。

    「兎に角に二十世紀も半ばになろうとしているこの現代ほど呪うべく憎むべく恐るべき時代はあるまい。・・・(略)・・・人の世の破滅はまさにこれから始ろうとしているのではなかろうか。果敢ない淋しい心持は平和の声をきいてから却て深く僕の身を絶望の底に沈めて行くように思われる・・・・・・。」(P.117)

     しかしラストでは穏やかな日を迎え、「何事をも思わず、惘然としてただ日にあたることを楽しんでいる。」という老境が綴られて本編は終わる。
     この辺りは、当時の荷風の実感が吐露されているのではないかという気がする。
     1950(昭和25)年の掌編「老人」には、

    「臼木老人には戦争中に成人した男や女がさほど今の世の中を悲観していないように見えるのも、これまた不可思議の一つであった。」(P.242)

    「臼木はあの女達ももう若くないのであるが、自分ほどには戦後の生活について底知れぬ恐怖を抱いていないらしく見られるのは、これを要するに年齢の相違に依るばかりで、外に仔細はないであろう。そう考えると、七十を目の前にひかえた自分にはもう生活と戦って行く活力のすっかり消耗している事がただ情なく思い知られるばかりであった。」(P.243)

     という叙述があってこれも荷風の実感ではなかったかと思う。
     1945年から荷風が見舞われたのは、自宅や蔵書の焼失、江戸情緒などみじんもなくなった東京の変貌、世相の激変、ジェネレーションギャップ、そして自らの老いの痛感であった。
     しかし、荷風はそのまま沈黙に陥ったわけではない。戦前と同様に、荷風は東京の若い女性たちを愛し、観察し、理解しようと求め続けた。娼婦などになりながら、うらぶれるわけでもなく溌剌と逞しく生きてゆく彼女たちに、荷風は感嘆したに違いない。本書に収められた諸作品にはそれが十全に現れており、筆致にはかつての瑞々しさは消えむしろ枯淡な趣が見られるのも、単に老いたというよりも、世相の変容を体現しているようにも思われる。
     そして、これら戦後の作品はそうそう悪いものでもない。いや、1953(昭和28)年の「吾妻橋」など、なかなか良いものがたくさんあった。ただ、俗悪な舞台のために書いたらしいミニ戯曲「渡鳥いつかへる」(1950《昭和25》年)は良くなかったが、それ以外の諸編は終戦後の人びとの逞しさを描いて価値ある作品群と思う。
     最後の方に数編入っている短い随筆も、「冬日の窓」(昭和20年)などには突然来襲したアメリカ文化の波が日本を席捲する様への考察など、興味深いものがあった。
     総じて、戦後の荷風は悪くない。平和な遊郭を描いた往年の作品とは情緒が著しく異なるが、それとは別の文学的営為がここに表れていると考える。 

  • 『問わずがたり』
    花や樹木の名が間に挟まれる。
    裕福な家に女中、下女がいるのは現在と大きく違う環境だ。
    年寄りならまだしも20、30歳であれば、共に暮らす男と関係が生まれやすいのだろう。

    『買出し』
    姨捨山に似た人の怖さ。

    『裸体』
    I like this♡

    燠...薪が燃えたあとの赤くなったもの。
    この言葉は、当時家で普段よく目にしたものを使っているのだろう。 現在では、燠を見ることは少ないので、一般に用いられない。物がなくなったことで、それが有する特徴を人の心情に例える事もなくなる。
    煙草の新鮮な赤みが残った吸殻のようなものか?
    表現がなくなるんだなと思った。

  • 問はずがたり
    噂ばなし
    或夜
    羊羹
    心づくし
    にぎり飯
    買出し
    裸体
    渡鳥いつかへる
    老人
    吾妻橋
    亜米利加の思出
    墓畔の梅
    冬日の窓
    仮寐の夢
    細雪妄評
    出版屋惣まくり
    浅草むかしばなし

    著者:永井荷風(1879-1959、文京区、小説家)

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著者プロフィール

(ながい・かふう)1879-1959
東京市の現・文京区小石川生まれ。官僚のち実業家の父・久一郎の長男で、早くから江戸・東京の落語、歌舞伎、戯作などに親しむ。文学を志し、広津柳浪に師事して作家活動を始めるが、父の意向で実業を学ぶため1903年からアメリカ、フランスに渡る。帰国後その体験をもとに『あめりか物語』『ふらんす物語』を上梓、注目を集める。実業家となることなく、1910年慶應義塾大学の教授に就任、「三田文学」を創刊。1916年に大学を辞してからは、『濹東綺譚』をはじめとする作品のみならず、実生活も江戸戯作者のごときであった。そのさまは1917年以降の日記『断腸亭日乗』に詳しい。

「2024年 『小説集 蔦屋重三郎の時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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