お菓子とビール (岩波文庫 赤254-14)

  • 岩波書店 (2011年7月15日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784003725054

みんなの感想まとめ

奔放で魅力的な女性を中心に描かれた物語は、過去の恋愛や人間関係の複雑さを通じて、人生の愉悦を探求しています。主人公の記憶を通じて語られる彼女の姿は、自由闊達でありながらも欠陥を抱えた人間的な魅力にあふ...

感想・レビュー・書評

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  •  56歳のモームが、自分の人生を振り返りながら書いたもののようです。他の作品と同様にここでも、モームの鋭い人間観察に基づく皮肉たっぷりで手厳しい人物評が繰り広げられていきます。みんな俗物ばかりで、聖人君子なんて一人も登場しません。そんな登場人物たちの中にあって、とりわけ奔放で不道徳な女性であるロウジーだけが、ひときわ魅力的に描かれています。

     多くの男たちがロウジーを愛し、ロウジーから安らぎを得た。その中にはかつての「僕」も含まれていたが、若く潔癖だったその頃の「僕」は、何人もの男と平気で関係を持つロウジーのことが我慢ならなかった。そこには嫉妬の感情も混ざっていたのだけれど……

     それからずっと時を隔てて、人生の後半を迎えた今となっては、ロウジーのことが「僕」の大切な思い出になっているようです。だから、階級社会の古い道徳観からしか物事を見ることができないロイやエイミがロウジーの悪口をいえば、「僕」は思わず反発してしまうのでしょう。

     語り手の「僕」にせよ読者である私にせよ、ロウジーには何の悪意もなかったのだと信じたいのだけれど、実のところとても理解しがたいロウジーの行為にすっきりしない気分のまま小説が終わってしまうのかと思いました。ところが、エドワード・ドリッフィールドのもとをロウジーが突然に去った事情の全てを最後の章で明らかにすることで、やはりロウジーは素敵な女性だったのだなあと読者に思わせて小説は終わります。さすがモーム、上手いです。

     ところでこの小説のタイトル「お菓子とビール(Cakes and ale)」の意味が気になって、ネットで少し調べてみました。この言葉は「人生の快楽」、「浮き世の楽しみ」といった意味で、シェイクスピアの「十二夜」の中の「Dost thou think, because thou art virtuous, there shall be no more cakes and ale?(あなたが高潔ぶりたいからって、浮世の楽しみまであっちゃいけないというのかい?)」という台詞に由来するもののようです。古い価値観に囚われて他者の生き方にまで口をはさもうとする人たちに対する皮肉を込めて、作者はこのタイトルを選んだのかもしれません。

  • 中年作家のアシェンデンは作家友人のロイ・キアからの伝言を受ける。
    ロイは先日亡くなった作家の巨匠、テッド・ドリッフィールドの伝記を引き受けていたが、後半生しか知らない。
    そのためドリッフィールドの若い頃を知っているアシェンデンから情報を欲しがっていた。

    連絡を受けたアシェンデンは、ドリッフィールドとの交流を回想する。
    アシェンデンがドリッフィールドと知り合ったのはまだ彼が学生の時。ドリッフィールドがまだ最初の妻ロウジーといた頃だ。
    ロウジーはドリッフィールドを知る者たちからは評判が悪い。身分が低く浮気症で飾らず、ついにはドリッフィールドを捨てて別の男と駆け落ちした女。
    ロウジーと別れたドリッフィールドは、芸術界の後見人にして社交界への仲介役ミセス・バートン・トラフォードにより作家としての地位を得て、高齢になったことにより巨匠に格上げされた。
    二度目の妻のエイミは、ドリッフィールドが生きているときは田舎に隠居した巨匠を完璧に演出し、死後は巨匠の未亡人として完璧を装う。

    でもドリッフィールドだって低層階級出の元水夫、風呂に入らなかったりパブで労働者と飲んだくれたり、家賃や家具の代金を踏み倒して夜逃げして自分の起こした騒ぎを聞いて大笑いするのが本質だ。
    だから”巨匠”となった後でも彼が書く作品では社交界の人間より市井の人間の方が生き生きしているではないか。

    だがそんな話はドリッフィールドの”巨匠”としての姿だけを求める人々は聞きたくないだろう。
    だからアシェンデンは1人で回想する。
    美しく魅力的な女性とその夫との思い出、不道徳で解放的で傷つきもしたが楽しかった日々、そしてとびきりの秘密を。

    ===
    題名の「お菓子とビール」は、人生を楽しくする物、という言い回しだそうです。
    そして甘いお菓子とほろ苦いビール、子供のお菓子と大人のビールという人生の機微も感じられる題名です。

    モームは「月と六ペンス」と、短編集を読んだことがありましたが辛辣で突き放した印象があったのですが、
    こちらは辛辣さや皮肉さの底にユーモアと愛嬌がありました。
    したたかな社交界での上っ面と本音、甘く苦い青春の思い出、人生の愉しみ、映像が頭にすんなり浮かぶような流れる物語です。

    最近ヘンリー・ジェイムスを読んだのですが、サマセット・モームとは同じ社交界に所属していたのか、「ヘンリー・ジェイムスならこう言うだろう」なんて出ていたので確認。モーム1874年生まれ、ヘンリー・ジェイムス1843年生まれ、モームのいた頃の社交界ではヘンリー・ジェイムスは真面目で堅物な伝説的(今風にいうとネタ的?)存在だったのだろうか。
    ヘンリー・ジェイムスは幻想譚の中でも直接的な風刺を施し、モームはオブラートで幾重にも包みながらも非常に辛辣な表現です。
    本作の登場人物に対しても、大衆的に成功した作家のロイ・キアに対して、
    「人当たりが良くて謙虚、誰にどうふるまえばいいかを察して、自分を批判する相手にも誠意を見せ、社交界で作家界で認められてきた」などと褒めつつ、
    冒頭でロイ・キアからの電話を「留守をしているときに電話があり、ご帰宅後お電話ください、大事な要件なのですという伝言があった場合、大事なのは先方の事で、こちらにとってではないことが多い。贈り物をするとか、親切な行為をしようという場合だと、人はあまり焦らないものらしい」から始まり、
    「仲間の小説家が世間の評判になっている場合、その作家にロイほど心からの愛想良さを示すものはいない。だが、その作家が怠惰や失敗の成功などのせいで落ち目になった場合、ロイほど手の平を返すようにつれなくできるものもいない」
    「物言いは気が利いくものでもないし、機知に機知に富むものでもない」
    「あんな僅かな才能であれだけ高い地位を得た作家は私の同年代には見当たらないと思う」とまで言っています(^_^;)相当な皮肉ですが嫌らしさは感じず、あまりに作者の筆が進んでいるので、むしろ褒めてるのか?とさえ思えてしまいます。


    ”巨匠”ドリッフィールドに対しても、無邪気な面を持つ彼に親しみを感じながらも、
    「彼は一つの情念を味わい尽くした後は、その情念を起こさせた人にもう関心を抱かないと思うからです彼は強烈な感情と極端な冷淡さを持ち合わせた特殊な人でした」と冷静な目線も持ちます。

    こんな作者がただ愛おしさを語るのがロウジーに対してです。
    ドリッフィールドと楽しい日々を送りながらもあらゆる男と関係し、作家の妻として振る舞おうとしない、輝く肌と魅惑の笑顔を持つ女性。
    「彼女はごく素朴な女でした、彼女の本能は健康的で純真なのもでした。人を幸福にするのが大好きでした。愛を愛したのです」
    「彼女は欲情を刺激する女ではなかったのです。誰もが彼女に愛情を抱いてしまいます。彼女に嫉妬を感じるのは愚かなことです。たとえてみれば、林間にある澄んだ池でしょうか。飛び込むと最高の気分になります。その池に浮浪者やジプシーや森番が自分より先に飛び込んだとしても、少しも変わらず澄んでいるし、冷たいのです」


    語り手が作家の為、ところどころに作者の実体験や考えがそのまま述べられていると思われるところもあります。
    作者が、作家にとって一人称で書くこととは、という考えは以下の通りです。
    初めに「自分の愛想の良い所とか、いじらしい所などを書くならこの手法で結構である。(中略)しかし、自分の間抜けな姿をさらす場合には、あまり具合の良い手法とは言えない」と言います。
    しかしモームがある作家に小説における第一人称を否定され、その真意を考え、色々な小説論を読み結局作者なりの考えを書き続けます。
    「人は年齢を重ねるにつれ、人間の複雑さ、矛盾、不合理をますます意識するようになるものだ。これこそ中年か初老の作家がもっと重要な事柄を思考するのでなく、架空の人物の些細な関心事を書くことに熱中する唯一の弁解である。(中略)
    小説家は時に自分を神のように思って、作中人物についてあらゆることを述べようという気になることもある。また、時にはそういう気にならないこともある。後者の場合、作者は作中人物について知るべきすべてでなく、作者が知っていることだけを述べることになる。人は年と共にますます神とは違うと感じるものだから、作者が彼と共に自分の経験から知ったこと以外は書かなくなると知っても僕は驚かない、第一人称はこの限られた目的にきわめて有効なのである」(P216〜)

    話もよくてモームの喋りも絶好調というような実に素晴らしい小説体験ができました。

    • 日曜日さん
      この小説、素晴らしいですよね!モームの中で一番好きです。最後の最後に自分だけに素敵な秘密を教えてもらったと言う感じ、最高の読後感を思い出しま...
      この小説、素晴らしいですよね!モームの中で一番好きです。最後の最後に自分だけに素敵な秘密を教えてもらったと言う感じ、最高の読後感を思い出しました。
      2018/08/20
  • 亡くなった文豪との回想記。人間として非常に魅力的であった文豪の前妻を中心しとして描かれている。語り手はこの彼女に禁断の恋をするわけだが、階級や規律に厳しかった当時のイギリスの時代の中で、自由闊達、破天荒に生きた彼女の姿が伸び伸びと描かれている。彼女に対しては当然不誠実な面もあるのだが、こうゆう女性に出会ったとしたら、誰もが彼女に惹かれていくのだろう、と思えるくらい一人の女性を魅力的に描いている。歳をとり過去を偲ぶ際には、こうした出会いによって生き生きした過去の自分を思い描けるのは幸せな気がする。

  • これも談話室で教えていただいたもので引用タイトルなんですが、お菓子とビール、という組み合わせに妙なインパクトがあって気になったので初めてモームを読んでみました。原題は「Cakes And Ale」シェイクスピアの『十二夜』からの引用だそうですが、要は甘いものとお酒、どっちも人生をハッピーにしてくれる嗜好品、転じて「人生の愉楽」といったような意味合いの慣用句(?)のようです。良いタイトルだなあ。

    主人公はモーム自身を思わせる作家のウィリアム・アシェンデン。亡くなった文豪エドワード・ドリッフィールドの伝記をその後妻の未亡人から依頼された友人の作家アルロイ・キアから、かつてのドリッフィールドとの交流について資料提供を求められたアシェンデンが、文豪とその最初の妻ロウジーについて回想する。

    ほとんどが回想なので、物語自体は非常に淡々としていて、大きな山場やハラハラドキドキがあるわけではないのだけれど、にもかかわらずこれがなんとも面白い!軽妙な語り口で、肩の力が抜けている感じがなんとも心地よく、そしてどのキャラクターも、一癖あるけれど魅力的で憎めない。

    登場人物にはほとんどモデルがいたようで、ドリッフィールドのモデルと目されたトマス・ハーディを侮辱しているなどと当時は問題になったりもしたそうですが、読んでいる限り、テッドはとても魅力的な人物だし、侮辱どころか主人公はとてもテッドを敬愛していたのだろうなと伝わってきます。アルロイ・キアにしてもしかりで、多少揶揄していたとしても結局キライになれないんだろうなという感じだったし。

    そして何より魅力的だったのはロウジー。娼婦と聖母と少女がいっしょくたになったような女性で、誰もが彼女に恋してしまう気持ちがとてもよくわかる。彼女の言動をふしだらで自己中と言ってしまえばそれまでだけれど、彼女に振り回された男たちは基本的に誰も彼女を恨んでおらず、どころか、彼女の存在こそが「お菓子とビール」であり、そして彼女が人生に求めたものもそれだけだったのでしょう。彼女にもモデルがいて、同性愛者だったモームが唯一心から愛した女性だったと言われているそうですが、この本を読むと、ほんとに大好きだったんだなあって伝わってきてほほえましくなります。

    ロウジーの人生自体はある意味波乱万丈だけれど物語の主題はそこではないので、何か大事件が起こるわけではないのだけれど、読み終わったときにしみじみ、なんか良かったなあ、と思い、良い本を読むって幸福だなあ、とじわじわ思わされる不思議な小説でした。

    • 日曜日さん
      こんばんは!談話室の質問の答え(「ねじの回転」の件)にコメントをありがとうございました。
      こちらをお訪ねしましたらベスト3に私の大好きな「...
      こんばんは!談話室の質問の答え(「ねじの回転」の件)にコメントをありがとうございました。
      こちらをお訪ねしましたらベスト3に私の大好きな「お菓子と麦酒」が入っていて感激しました。最後の最後が素晴らしい小説ですよね! yamaitsu様の本棚、素敵に面白そうな本がたくさん並んでいますね。また拝見させてください。
      2017/03/24
    • yamaitsuさん
      日曜日さん、こんにちは(^^)/
      モームはこの本で初めて読んだのですが、あまりにも面白くてしばらくブームでした。
      「ねじの回転」も大好き...
      日曜日さん、こんにちは(^^)/
      モームはこの本で初めて読んだのですが、あまりにも面白くてしばらくブームでした。
      「ねじの回転」も大好きなので、日曜日さんおすすめのほうの翻訳でいつか再チャレンジしたいです!
      2017/03/27
  • モームが考える愛は出てくるキャラクター個人の尺度や感性で描かれていて、芯がある。だけど美化されているわけでもなく、物語に愛があることが心地良くなる。

    お菓子とビールの中でのメインキャラクターであるロウジーという女性はまるでモーム自身が恋しているかのように絶えず描写され続ける。こういう人のことみんな好きだよね〜という気持ちになる。魅力あるキャラクターで、この人のための小説だとすぐわかった。

    貴族文化とか差別とか色々あるし、読みにくい部分もあるけど、面白い本だと思う!!でも私はモームを贔屓しているからあまり参考にしないでほしい 好きな人はとことんハマるぞ!!!!!!

  • 人間くさく、でも綺麗な小説だなーという印象。
    一本の良い映画を見た後みたいな読後感。

    年配の小説家の男の記憶を通して、
    奔放で魅力的な女性ロウジーを描いた作品。
    このロウジーは、著者モームが人生で最も愛したとされる女性をモデルとしている。

    欠陥も多く、思い通りにならないロウジーとの思い出が、
    主人公にとって、モームにとって、
    そして彼女を愛した他の男たちにとっての
    「CAKES AND ALES」(=人生の愉悦、つまり人生のすばらしいところ)だったという。

    叶わなかったけど、散々だったけど、
    それでも大好きだった人との思い出を
    心の片隅に持ってる読者は、
    切なくても悪くないなあ、人生味があるなあ、なんて思うんじゃないのかな。

    主人公の抱くノスタルジーを通し、
    過ぎていく人生というものを素敵に思わせてくれる、ある意味での前向きさが、
    この小説を好きだなあと思った理由なのかも。

    100年前も今も、人間って変わらないんだなって感じます。
    奔放で自由な人たちの魅力も。
    初めてのモームだったけれど、他の作品も読んでみたくなった。

    主人公の皮肉屋な性格から飛び出す文壇界への批判や、
    イギリスの階級社会の様子も目に止まって興味深い。

    本の中盤までは退屈だと感じて、中々頁が進まなかったので、
    忍耐して読んでください。
    途中から急におもしろくなります!



    P.232
    「わたし、あなたを楽しくさせてあげるでしょ?わたしといて幸福じゃあないの?」

    「すごく幸福さ」

    「だったらいいじゃない。
    いらいらしたり嫉妬したりするなんて愚かしいわ。今あるもので満足すればいいじゃない。
    そう出来る間に楽しみなさいな。
    百年もすれば皆死んでしまうのよ。」

  • 朝起きて、さあ続きを読もう!と思ったところで昨日読み終わっていたことを思い出してがっかりした。それくらい面白かった。語り手の少年時代のみずみずしい思い出と現在の皮肉な視点の混ぜ具合が巧み。甘いお菓子としょっぱいお菓子を交互に食べるようなもので、飽きないし両パートがいっそう引き立って感じられた。

    話の本線とは別に、19世紀末のイギリスの階級意識、上流階級の社交界の雰囲気を垣間見られる点、語り手の展開する文学論議も興味深い。トラフォード夫人のいやらしいことといったら! 彼女のような人をフィクサーと呼ぶのかもしれないけれど。

  • 初読

    序盤のロイへの公平な辛辣さを持った描写を楽しんだ後は
    暫く気がノラないのだけど、中盤以降、俄然面白く一気読み。

    移り変わる時代、社会、人間の心。
    が交差する構成でより浮き彫りになる。

    ロウジーのなんという魅力。
    こういう女性をこういう風に見て愛する事の出来る、
    男、作家、モームのなんというロマンティック。
    ルノワールが描いたようなたっぷりとした情感の、しかも儚げな女性が目に浮かぶ。
    生き生きとした輝くような冒険の季節の思い出をかつて共有した友にウインクし
    1人でバーで飲みながら愛する人生に思いを馳せる。

    お菓子とビール。CAKES AND ALE を愛する人生。
    甘くて苦い。

    これわかって書いちゃうんだ、作家って変な生き物ね、
    な子供を失った後のロウジーの行動。
    私自身とはなんら重なる事の無いはずなのに
    わ、わかる………!と首がもげそうになりました。

  • 『人間の絆』『月と六ペンス』よりも読みやすい気がする。

    そして両作の要素がかなり入っている作品。女性との切れない絆(むしろしがらみ)や逝去した芸術家の半生をたどる試みなど。

    作中の、イギリスの身分制度及びその中にいる人々の倫理観だとか、作家という職業についての考え方だとか、細々したものが当時のイギリスの習俗を伝えてきて、まさに異国の物語だなあという読み応えを感じさせましたね、ええ。

    ほんのりネタバレ多くなります。

    題名の「お菓子とビール」はシェイクスピア『十二夜』などにある言葉で、「人生を楽しくするもの」「人生の愉悦」というような意味、つまりロウジーを指すらしいですね。本作中にはビールもお菓子もあまり印象的には登場せずだったので、解説を読んで納得。副題は「人に知られたくない家庭の秘密」とのことだけど、これまた納得。

    今回興味深かったのは、実は本編よりも解説と年表。長年「なぜモームはこんなにも女心を描くのが上手いのか」と疑問だったけれど、同性愛(女性とも付き合っているので両性愛?)者なのね。

    同性愛者が皆女性的な一面を持つとは思わないけれど『きのう何食べた?』のケンジとかジルベールみたく乙女な方々も一定数いらっしゃるのは事実だと思う。モームがどちらなのかはわからないけれど、これだけ見事に女性の内部を描ける彼は、きっと乙女な一面も持っていたのではないかなと想像。

    そして、それぞれのキャラにはモデルがいるだとか、モームのさまざまな経験がいろんな作品に生かされているとか、割と事実そのまま書いちゃう系の作家さんなんだなーと面白く思ったとです。

    私は実はモームは短編の方が好きなんだけど(「アントワープの三人の太っちょ女」が最高に好き!)、長編もやっぱり面白いっすね。

    余談&超個人的な話ですが、これ、ダブり本です。しかも同時期に買ってしまった…。兄ちゃん、なんで本、すぐダブるん?私の中の節子が言ってます…。

    • シャクナゲとエビネさん
       モームは長編も短編も素晴らしいですよね。短編では私は、「一葉の震え」が最高だと思います。
      https://booklog.jp/item/...
       モームは長編も短編も素晴らしいですよね。短編では私は、「一葉の震え」が最高だと思います。
      https://booklog.jp/item/1/4773379677
       これは一編ずつも素晴らしいですが、短編集としてひとつの作品として読むべきだと思います。
       ちょっと高い本ですので、くれぐれもご兄弟でダブらないでくださいね。
      2026/01/17
    • ねずまさん
      おすすめありがとうございます☺️探してみます!
      おすすめありがとうございます☺️探してみます!
      2026/01/17
  • 「急用」という伝言は自身にとってではなく相手にとってであることが多いから放っておくという姿勢や、
    ちょっと面倒に思っている相手との旅路で「話しかけないなら一緒の電車に乗る」と返すところ、
    多くの職業は70歳を過ぎると適任でないと思われるのに政治家は円熟しているとみられてそもそも(結果から判断すると)高度な知性は必要ないと切り捨てる見方など、

    もう、こういうところが好き!というモーム節が光っていて良い。
    文章を読む楽しさをしみじみ感じる作品になっている。

    主人公にさんざん語らせておいて、最後ロウジーにジョージを「紳士だった」と言い置かせたところ、この物語はあくまでアシェンデンが自分の価値を通してみた物語で、ロウジーは別の見方をしていたという当たり前のことに気付かされて胸を突かれる。
    老作家の自伝を書くという設定も、自分の物差しにおいて世界を構築するというモチーフに繋がっているように感じられた。

  • 世間に見える顔は仮面で、彼のなす行為には意味はないのだ。真実の彼は、死ぬまで人知れぬ孤独の存在であり、「本を書く作家」と「人生を送る個人」との間を音もなく行き来する幽霊だったという印象を僕は持った。

  • 手を伸ばせば届きそうな距離にうつくしい異性がいた。さて、どうやって射止めようか。

    偉大なる作家テッド・ドリッフィールドについて思い出そうとすると、主人公の脳裏によみがえるのは、彼の妻ロウジーのことばかり。彼女と過ごす時間は幸福だった。

    ***

    読んでいて気になったのは、主人公の読書観。

    たとえば「当時も今も変わらず傑作だと思っているのは?」と聞かれた時の主人公の返答はこうだ。

    「『トリストラム・シャンディ』、『アミーリア』、『虚栄の市』、『ボヴァリー夫人』、『パルムの僧院』、『アンナ・カレーニナ』。それから、ワーズワース、キーツ、ヴェルレーヌかな」

    これはモームの自身の意見なのかしら?わたしが読みたい本と見事に一致していた。

    p39
    「君は判断ミスをしたことがないの?」
    「一、二回はある。ニューマンのことを今より過小評価していた。フィッツジェラルドの響きの良い四行詩を今よりずっと尊敬していたよ。ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』は読めなかったが、今はゲーテの最高傑作だと思っている」
    「当時も今も変わらず傑作だと思っているのは?」
    「そうだな。『トリストラム・シャンディ』、『アミーリア』、『虚栄の市』、『ボヴァリー夫人』、『パルムの僧院』、『アンナ・カレーニナ』。それから、ワーズワース、キーツ、ヴェルレーヌかな」

    p143
    ティツィアーノの『キリストの埋葬』はもしかすると世界中の絵画の中で最も純粋な美を持つと言えるかもしれないのだが、批評家がこの作品について言いうることは、実物を見てきなさいというだけである。他に言えるのは、作品の経歴、芸術家の伝記なのである。だが人々は美にさまざまな資質-崇高さ、人間的な関心、優しさ、愛情-を加える。これは要するに、美は人を長く満足させないからだ。美は完璧であり、完璧というのは(人間性はそういうものだ)僅かな時間しか人の注意を引き付けないのだ。あのラシーヌの完璧な『フェードル』を観たあとで、「この悲劇は結局何を証明するのか?」と尋ねた数学者は世界で考えられているほど愚かではなかった。パエストゥムにある古代のドーリア式寺院がグラス一杯のビールより何故美しいか、その理由など説明できる者はいないのだ。美と無関係の理由を見持ち出すしかないのだ。美は袋小路である。山の頂上であり、到着したらあとはどこへも通じていない。だから我々はティツィアーノよりエル・グレコに、ラシーヌの完璧な傑作よりもシェイクスピアの不完全な作品に、より多く魅了されるのである。

    p176
    その肘掛け椅子で初めてワーズワースやスタンダールや、エリザベス朝の劇とロシアの小説、ギボン、ボズエル、ヴォルテール、ルソーを読んだのだ。

    p186
    文学の王座にあるのは詩である。詩は文学の極致であり目標である。詩は人間精神の崇高な活動である。詩は美の完成である。散文の作家は詩人が通るときには道を譲らねばならない。詩人に比べると最上の小説家さえ見劣りがする。

    p208
    ヘンリー八世の六人の妃については何でも知っていたし、レイディ・ハミルトンやミセス・フィッツハーバードについては知らないことはほとんどなかった。知識欲は旺盛で、ルクレチア・ボルジアからスペイン王フェリーペの妃に至るまでよく読んでいた。これに加えて、フランス王の愛人たちとなると、アニェス・ソレルからマダム・デュ・バリに至るまですべての女性について詳しい行状を諳んじていた。

    p232
    「どうして他の人のことで頭を悩ますの?あなたにとって何の不都合もないじゃありませんか。わたし、あなたを楽しくさせてあげるでしょ?わたしといて幸福じゃあないの?」
    「すごく幸福さ」
    「だったらいいじゃない。いらいらしたり嫉妬したりするなんて愚かしいわ。今あるもので満足すればいいじゃない。そう出来るあいだに楽しみなさいな。百年もすれば皆死んでしまうのよ。そうなれば何も問題じゃあなくなるわ。出来るあいだに楽しみましょうよ」

    p320
    題名になっている「お菓子とビール」という句は、シェイクスピアの『十二夜』などにある句で、「人生を楽しくするもの」「人生の愉悦」という意味合いである。従ってそれはロウジー、あるいは彼女がもたらす楽しいものを指すと考えられる。

  • モームは最近の新訳ブームか、文庫本が出るとせっせと読んでましたが、この作品が一番面白かったです。
    モーム自身を思わせる主人公、作家や批評家への鋭い皮肉、故郷に対する懐かしさと失望、憧れの女性との体験と別れ…全てが流れるように書かれていて、読むことの楽しさを実感させてくれます。
    やはりモームが生涯唯一愛した女性がモデルといわれるヒロイン、ロウジーが魅力的ですね。男性なら一度は恋したいと思うだろうし、女性なら一度はロウジーのように生きてみたいと思うはず。
    主人公とロウジーの初めての夜はロマンチックでした。たぶん理想的な童貞の捨て方じゃないでしょうかw

  • 2014 4/20読了。Amazonで購入。
    『月と六ペンス』が好きだったのでモームをいくつか買ってみたうちの一冊。
    作家の主人公が、亡くなった古い知人の作家について、伝記を書こうというその未亡人と別の作家から資料の提供を求められることからよみがえる、知人作家の未亡人の思い出の話とか。
    実生活は割りと普通だった知人作家が偉大な文学者として崇められていることや、多くの人から好かれる快活なその前妻がすっかり貶められていることのギャップとかが、全然深刻じゃない感じで描かれる。
    『月と六ペンス』同様に主人公は作家だけれど、こちらは知人作家の前妻(ロワジー)との関係の当事者になっていたりして、扱いはだいぶ違う。

    作家論的な軽口/箴言とかも入ってきたり、気軽に楽しめる感じが良い。

  • 角川文庫にて。

    サマセット・モームうまいんだわ。読ませ上手。
    最初はぐずぐず消極的なんだけれど、主人公(モーム自身)は本当は話したくてたまらないのよ。
    小出しにしてくる話がたまらなく魅惑的。
    まさか、まさかが続いていく。

    他のモームも読みたいね。

    • シャクナゲとエビネさん
      モーム、面白いですよね。私はやはり、月と六ペンスが一番好きです。
      モーム、面白いですよね。私はやはり、月と六ペンスが一番好きです。
      2026/01/17
    • miholantaさん
      わたしも月と六ペンスは思わず再読しちゃった本です
      わたしも月と六ペンスは思わず再読しちゃった本です
      2026/01/19
  • 他界した文豪の伝記執筆を託された主人公
    その蘇る若き日の告白
    形式的な政治・文学論を読むより
    主人公に代弁させる本作の体裁が良かった

    文豪がウィンクをして少年に愛嬌を振りまくシーンが印象的。お茶目な作者を彷彿とさせる。
    その意味合いも少し考えさせられた。

  • あらすじも何も読まずに読み進めたが、一体どこが本題なのか気づくまでかなりページを要した。
    語り手の斜に構えたような、周りを冷笑する言葉に乗せられ、ジョージ殿や叔父やロイへの印象が操作される。基本的には語り手の記憶の旅のようなもので、心象描写は細かく、地元に久しぶりに帰ってきた時の描写は刺さるものがあった。貴族制度廃止後の見解や、時折出てくる(私にとっては)難易度の高い引用(ロウジーの夜逃げを語るシーンなど)があり、語り手、アシェンデンの考えたに寄せられていく。
    知らずのうちにロイは社交術があるだけの気取ったやつで、ロウジーは美しく魅力的で肯定してくれる人で、ジョージ殿は事業に失敗し借金し、貴族ぶってるどうしようもないやつだと思わされる。
    それがロウジーを語るアシェンデンの姿に、そして最後のロウジーの言葉によって、ハッとさせられる。

  • 初モーム。日本では人間の絆や月と六ペンスの方が知られている気がするけど、本作はモーム自身が1番お気に入りの作品らしい。
    冷徹に文壇や作家や人々の美や小説への賛美を批評している文章が多いのだけど、通奏低音として素直で朗らかなヒロイン・ロウジーへの愛があるからなのか、全体にどことなくユーモラスで暖かい。
    古典と呼ばれる文学では、(書かれた時代もあるのだろうけど)不貞を働いた人妻はだいたい死ぬか精神を読むかという「罰」が与えられることが多いように思うけど、本作ではロウジーが悪びれず幸せになっている結末になっていて、好きな作品だった。
    時系列をいったりきたりするのに(なんとなく映画のワンスアポンアタイムインアメリカを思い出した)、混乱なくストーリーに引き込まれた点にも、モームの筆力を感じる。
    年始から当たりを読めた!

  • モームの冷笑的な芸術の眼差しには至極納得してしまう節がある。芸術の世界に跳梁する嫌な意味での崇高性を如実に示している。しかしこれも真実であるのだろう。崇高性とは名誉や身分、立場という飾りであり、その下に埋没される事実には知らんぷり。またあくまでも商業的な実態というのもつきものであるということ。芸術は作品で語られるよりも人間関係で語られるということ。これらに少なからずの贋物のにおいがしてしまう。そしてそれらに受けてである我々にも少なからず影響を及ぼし、名誉や身分を知らず知らずの内に拝み、芸術作品そのものを邪険に扱っている(例え高評価だとしても邪険といえる場合も存在する)こともあるだろう。
    しかしそんな中で、この作品を通して、モームは芸術の実態のみならず、芸術家という立場にありながらも、芸術は良い意味でも悪い意味でもあらゆる人間に側近で身近な物であるという事を明らかにし、主張してくれているように感じた。しかしだからこそ苦難な道なのだろう。

    『…作家にはうめあわせがあるのだ。何か心に引っ掛かることがあった場合−苦々しい思い出でも、友の死による悲しみでも、報いられぬ恋でも、傷ついたプライドでも、親切にしていた者の裏切りでも–要するにいかなる感情でもいかなる苦しみでも、それを文章に書いてしまって、物語の主題やエッセイの添え物として活用しさえすれば、すっかり全部忘れられる。自由人というのは作家だけである。』
    (306ページ)
    ここはとても印象的な言葉であった。これこそ芸術とは個人の域を出ないことでもあると主張していると私には感じた。作中の、作家であるドリッフィールドは個人的な残酷な体験を作品で雄弁に語り、現実の世界では黙秘を貫いた。身近な二人目の妻にでさへ知らされることはなかった。
    そしてそれを実行するかのように、モームがこの小説で示しているのは芸術批判だけでなく、個人的な物である。それは愛である。普遍的で身近な物である。語り手であるアシェンデンはドリッフィールドの最初の妻であるロウジーとの逢引きを通して、ロウジーという女性の魅力は深まっていく。ロウジーには不倫癖があり、どんな男とも寝、やがてはジョージという身分の低い人間と駆け落ちする。貞操のないようなこの女が持つ、純然な無邪気さというものに男はなすすべなく虜になってしまう。こんな軽率な女には当然の如く、ドリッフィールドと別れた後、彼の知り合いからの評判は最悪であり、評判やら身分をやたらに気にかける「芸術家」のことだから尚更である。しかしそれでもアシェンデンは彼女の美しさや純真さを認識している。それでもやはりジョージなどという男に恋をした理由がわからないでいる。
    しかし物語後半にかけて、70代になったロウジーと再会し、まだ語られぬ昔を語る場面では、ロウジーの境遇は悲惨なものである。彼女は人の痛みを理解でき、人のために優しくも悲しくもなることができ、自分には滅法弱い可憐な輪郭が見えてくる。彼女のことを肯定し切ることはとてもできないが、世の男が抱く彼女への恍惚がだんだんとはっきりしてくる感じがした。そんな中で、アシェンデンがジョージのどこがそんなに良いのかと尋ねた。
    すると彼女は
    『どこがいいって、あの人はいつだって完璧な紳士だったわ』
    と答えて物語は終わる。私はしばらく言葉を忘れた。改めて考えてみる。私の見解では、アシェンデンが周りと異なってロウジーを愛する気持ちをもつのと全く同じことが、ロウジーとジョージにも当てはまるのであろう。いかにジョージが周りから疎まれていようと、彼女にしかわからないジョージの良さは彼女だけの物なのである。ジョージがどのような男か、ロウジーがどのような女かなんていうことはこの際議論の対象でない。本当の(真剣という意味での)愛の心というのを、無碍に人には語らない姿勢というのは素晴らしいと思った。私個人としては恋物語は内向的である方が尊く、趣があって美しいとしている。この作品の人物、ドリッフィールドもロウジーもアシェンデンも、形は違えど愛というものの向き合い方が内向的でよかった。愛というのは飾る物ではなく、人の心に宿り、支えられる物だということを再認識し、実感した。

  • とにかくモームが好きなもん好きはもんで。文学やら芸術やらで[好き]とか[嫌い]なんて言い出しちゃったらもうその時点で【評価】する立場ではないしレビュー描く事すら意味がない。
    どう転んでも[好き]なもんは好きでしゃーないのだから!そういう作家を個人的に何人かはいて良い。好きか嫌いかしかないのは無知の偏りとは分かっているが

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著者プロフィール

行方昭夫(なめかた・あきお)
英文学者、翻訳家。1931年東京生まれ。東京大学教養学部卒業。東京大学名誉教授。ヘンリー・ジェイムズやサマセット・モームなどの翻訳のほか、その正確な読解力で雑誌「英語青年」の英文解釈講座を長年にわたり担当する。

「2019年 『モナリザの微笑 ハクスレー傑作選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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