ゴプセック/毬打つ猫の店 (岩波文庫 赤 530-10)

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  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003750810

作品紹介・あらすじ

巨万の富を握り、社会を裏で牛耳る高利貸、その目に映った貴族社会の頽廃。天使のような美貌で、天才画家に見初められた商人の娘の苦悩。私生活に隠された秘密、金銭がつなぐ物語の構造。斬新な視点が作家バルザックの地位を築いた『私生活情景』の二作。

感想・レビュー・書評

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  • バルザックの中編二作ですね。
    「ゴプセック」は貴族の夫人の不倫話から高利貸しのゴプセックの立身出世の話に展開していく私生活を描いた作品です。
    「毬を打つ猫の店」は化石のように頑なに昔流儀に拘る商社の一族の物語。娘と恋人の画家の切ない物語も絡めてフランスの市民生活を描いた作品です。
    「毬を打つ猫」というのは、テニスをする猫が店の看板に描かれているのが、店の名前に成っているのですね。
    バルザックは私生活を小説の題材に選んで、この分野の歴史を作り上げることに成功しました。
    「ゴプセック」は次の作品の「ゴリオ爺さん」、「幻滅」、「娼婦の栄光と悲惨」に続く最初の小説ですね。
    バルザックは作品集『人間喜劇』の最初の作品に「ゴプセック」と「毬を打つ猫の店」を選んでいます。バルザックにとっても重要な作品だということですね。
    なかなか読み辛い作品ですが、人間模様を読み取れる作品だと思います。歴史背景の知識吸収にもなりますね。

  • 「ゴプセック」もよかったが、「毬打つ猫の店」が特に面白かった。中産階級の保守的な商家で生まれ育った娘が貴族の画家と恋に落ち、両親を説き伏せて結婚したものの、趣味や挙措や習慣の違いから夫に愛想を尽かされ、孤独と絶望のうちに短い生涯を終えるという物語で、「洗練された」人々の仲間入りができるほどの才覚はなく、しかし「凡庸な」身内とのあいだには深い溝ができてしまった「どっちつかず」の人間の悲哀が克明に描かれていて、読み応えがあった。さすが『人間喜劇』の巻頭作品だ。
    やっぱりフランス文学好きだなあ。未読作品がまだたくさんあるので時間をかけて読んでいきたい。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00143686

  • バルザックは大好き。古典作家の中でもいつまでも読み続けている。ドラマチックで強烈で深い。ドストエフスキーもその系統だが、バルザックはずっとリーダブルだ。コンプリートして人間曼荼羅を楽しみたいと思うが、切れ切れに読んでいるので誰が誰だったか人間関係を忘れてしまうのが難点。

  • ゴプセックは面白かった。人間の欲望やゴリオ爺さんその後がわかって。
    だけど、猫の方は駄作?どこがいいのかわからなかった。

  • 19世紀フランスの作家バルザックが1830年に刊行した『私生活情景』からの二編。のちの『人間喜劇』では「風俗研究/私生活情景」に位置づけられる。解説によると、フランス革命によって人民に祝祭的空間として解放された街路が、ナポレオン帝政下に於いて官僚機構により管理され、警察機構の監視体制のもとに置かれることになると、そうした社会情況と軌を一にして私的空間が発達し、「私生活」という場面の切り取り方が可能になったという。

    ここに描かれている「私生活」の姿は、その時代精神に相応しく余りに即物的で、美も幻滅と倦怠を経てそのガラクタの中に投げ捨てられる。

      「ゴプセック」(1830)

    『ゴリオ爺さん』のいわば後日談のような形になっているが、執筆時期は『ゴプセック』のほうが先である。『ゴプセック』には『ゴリオ爺さん』の登場人物が予め名前を出しており、またゴプセックも『ゴリオ爺さん』の中で名前だけ"再登場"している。

    即物とは、何物かに超越していくことはない、常に内実無き自らの内に還っていくだけだ。何らの屈折も経ず、何らの屈託も無く。意識されざる即自であれ、対自ののちの居直りであれ、平板愚鈍な自己肯定とともに。

    「この世には一定不変のものなど何もない、・・・。やむを得ず社会の鋳型という鋳型に自らを流し込んできた人間には、信念も道徳ももはや価値のないお題目にすぎないのさ。あとに残るものといえば、自然がわれわれに与えてくれた唯一ほんとうの感情、つまり自己保存の本能さ。きみたちヨーロッパの社会では、この本能は〈個人的利害〉と呼ばれている。・・・、ひとりの男がかかわるに足る確かな価値のあるただ一つのものとは何か・・・、それは、金さ」

    「わし同様、仲間の連中もみなすべてを享受し、すべてを堪能し、いまや権力と金を、権力と金それ自身のためにしか愛さないようになっている」

    「わしの金はすべて誰のもとに行くんだい」

      「毬打つ猫の店」(1829)

    芸術家という〈主体〉の傲慢、美という〈客体〉の悲哀。幸福な愛情の内に於ける陶酔的合一の束の間が過ぎ、主-格が分離してしまったのちに現れる倦怠と哀れ。あとに残るのは、虚栄と打算と欺瞞。

    「わたくしたち女性は、天才を称賛すべきですし、見せ物を楽しむように彼らを楽しむべきです。でも、一緒に暮らすなんて! 断じていけません。なんてことでしょう! オペラ座に来ているのに、桟敷席を離れて、舞台装置を眺めて楽しもうとするようなものです、そうした装置のもたらす見事な現実感を味わおうとするようなものです」

    ここにある【美】への視線はアイロニカルであるよりもシニカルであり、殆ど虚栄という無意味に堕している。

  • 「ゴプセック」 けっこうどっぷりはまった。ゴプセックのセリフがしびれる。「詩を出版する人間だけが詩人だとでも考えているのかね」 世間の何者にも関心がなさそうなのに、発せられる言葉はなかなかきらびやかである。全文引用したいぐらいだ。名言集が作れそう。

    昔はバルザックは「ふーん」という感じで宿題のように読んでいたけど、なぜか今回は沁みる。日常の中の仕事の話や、金の話に実感が湧くからというのもあるのかもしれない。「棚卸し」とか微妙に反応する(笑)。人物の観察、かちっとした比喩の豊富さが素晴らしいけれど「請求書」のような無味乾燥なものにまで、バルザックフィルターがかかってありありと見えてくるような気がする。

    「毬打つ猫の店」の風景描写もなんかよかった。もともとスケッチのような題名がついていたらしいのは納得。視点の変わり方もなかなかよい。がっしりした古典名作を読んだな~という気分。

    バルザックってかなりいろんな事が見えていた作家、という気がする。「プライバシー」に関する芳川泰久さんの引用や知見も面白かった。

    落ち着いたワインレッドの表紙デザインもなかなかいい。

  • 読むの早すぎました!

  • 『毬打つ猫の店』 1829年・・・風俗研究

    『毬打つ猫の店』は、バルザックの風俗研究の1番目の作品である。すなわち、人間喜劇のなかの最初の作品なのだ。
    もっとも、バルザックが構想した人間喜劇の当初の案では、4番目に位置する予定の作品であった。
    現行の人間喜劇は、総序を含め90篇なので、未完作品や構想のみの作品たちは、バルザック逝去により日の目を見ることがなかった。

    そういう事情で『毬打つ猫の店』が、人間喜劇の第一番目の作品となったわけで、人間喜劇を読む身としては特別の感情を抱いてしまう。

    今回、岩波文庫より、『ゴプセック 毬打つ猫の店』が発刊されたのは嬉しいニュースだった。

    『ゴプセック』は、以前に読み、こちらに(←クリックするとリンクしています)すでに書評を書いたので、今回は、『毬打つ猫の店』について書きます。

    まず、『毬打つ猫の店』という店のネーミングはとても面白い。
    でも、ヨーロッパにはこのようなユニークな名前の店は結構あって、たとえば、サン・ジェルマン・デ・プレでお馴染みのドゥ・マゴは、2つの人形という意味だし、ヴィクトル・ユゴー広場の近くにあるプティ・バトーは、小さな船という意味なのに、子供服のお店。
    バルザックもほかにも「糸を紡ぐ雌豚」や「緑の猿」という店の紹介をしている。

    『毬打つ猫の店』は、布地を売る老舗である。この店は、老朽化した建物にあり、後ろ足で立ち上がり大きなラケットを握る猫の絵の看板があった。

    店主はギョームという名で、先代から娘と共にこの店を貰い、堅実に切り盛りしてきた実直な男である。

    彼には、二人の娘があり、二人とも商人の娘らしく本は殆ど読まないが、家事を完璧にこなし、倹約家で、慎ましかった。

    彼女たちの愉しみは、内輪で開かれるささやかな集まりで、そこには香水商のセザール・ビロトー(のちに判事となり勲章を受けるが破産 『セザール・ビロトー』に彼の晩年までが描かれている)などが訪れた。

    ギョームは、数人の店員を雇っていたが、その中で、ルバという男と長女を結婚させ、店を継がせる心積もりであった。

    そのことをルバに伝えると、ルバは喜んだが、失望もした。なぜなら、ルバが好いているのは長女ではなく、次女の方だったから。

    よくある話である。

    長女より美しい次女を恋していたのはルバだけではなかった。
    ある若者が次女を見初めていた。若者は画家であった。家もろとも美しい娘を描き、その絵は評価された。

    若者の名はテオドール・ド・ソメルヴュー。名の表すとおり貴族である。

    斯くして、長女はルバと、次女はテオドール・ド・ソメルヴューと結婚し、ソメルヴュー男爵夫人となった。

    めでたしめでたしかと思いきや、バルザックの小説の幕はここから開く。

    男爵夫妻は、純粋に燃え上がる1年間をこの上ない愛のもたらす恍惚と陶酔の中に終えた。
    そして、1年後、この商人の娘は貴族の夫に飽きられてしまう。

    教養がなく、社交界の礼儀作法も知らない妻の言動は、貴族の夫の虚栄を甚だしく傷つけることになってしまったのだ。
    彼女は学ぶすべを知らず、ただ忍耐強く従順で献身的な愛により、再び夫の愛を取り戻せると思っていたが、無理であった。

    しかし、この商人の娘は驚くべき手段に出る。
    夫が夢中になっているカリリャーノ公爵夫人の元へ乗り込んだのだ。
    カリリャーノ公爵夫人は、最も洒落たパリの女性のひとりであり、彼女が開いた舞踏会は話題となる。『ペール・ゴリオ』にもこの様子が描かれている。

    訪ねたカリリャーノ公爵夫人の家にはデグルモン大佐がいた。公爵夫人にとって、男心を手玉にとるのは簡単なこと。
    男は入れ替わりながら公爵夫人の戯れの相手となる。

    面白いのは、このカリリャーノ公爵夫人と商人の娘とのやりとりである。
    正直に自分の辛い身の上を語り涙する娘と、酸いも甘いも噛み分けた公爵夫人との会話は、夫のテオドールと同じように、彼女と違う世界に住んでいるということを感じてしまう。

    商人の娘は、夫の愛を取り戻そうとしたが、果たせず27歳の若さで亡くなった。

    一方、長女夫妻は、情熱的とか甘美とかそういう表現の日常はないものの堅実に店を切り盛りし、のちにルバは、裁判所の判事にも任命され、苦楽を共にした妻と添い遂げる。

    この小説は、アフォリズム的要素が濃い作品だと感じる。

    若い時の愛が、麻疹のごとき特徴を持っているということ。
    生れや価値観の違いは、乗り越えがたき障壁になりうるということ。

  • 予想以上の求心力。

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著者プロフィール

オノレ・ド・バルザック
1799-1850年。フランスの小説家。『幻滅』、『ゴリオ爺さん』、『谷間の百合』ほか91篇から成る「人間喜劇」を執筆。ジャーナリストとしても活動した。

「2014年 『ジャーナリストの生理学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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