ゴプセック・毬打つ猫の店 (岩波文庫)

著者 : バルザック
制作 : Balzac  芳川 泰久 
  • 岩波書店 (2009年2月17日発売)
3.89
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  • レビュー :9
  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003750810

作品紹介・あらすじ

巨万の富を握り、社会を裏で牛耳る高利貸、その目に映った貴族社会の頽廃。天使のような美貌で、天才画家に見初められた商人の娘の苦悩。私生活に隠された秘密、金銭がつなぐ物語の構造。斬新な視点が作家バルザックの地位を築いた『私生活情景』の二作。

ゴプセック・毬打つ猫の店 (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  • バルザックは大好き。古典作家の中でもいつまでも読み続けている。ドラマチックで強烈で深い。ドストエフスキーもその系統だが、バルザックはずっとリーダブルだ。コンプリートして人間曼荼羅を楽しみたいと思うが、切れ切れに読んでいるので誰が誰だったか人間関係を忘れてしまうのが難点。

  • ゴプセックは面白かった。人間の欲望やゴリオ爺さんその後がわかって。
    だけど、猫の方は駄作?どこがいいのかわからなかった。

  • 19世紀フランスの作家バルザックが1830年に刊行した『私生活情景』からの二編。のちの『人間喜劇』では「風俗研究/私生活情景」に位置づけられる。解説によると、フランス革命によって人民に祝祭的空間として解放された街路が、ナポレオン帝政下に於いて官僚機構により管理され、警察機構の監視体制のもとに置かれることになると、そうした社会情況と軌を一にして私的空間が発達し、「私生活」という場面の切り取り方が可能になったという。

    ここに描かれている「私生活」の姿は、その時代精神に相応しく余りに即物的で、美も幻滅と倦怠を経てそのガラクタの中に投げ捨てられる。

      「ゴプセック」(1830)

    『ゴリオ爺さん』のいわば後日談のような形になっているが、執筆時期は『ゴプセック』のほうが先である。『ゴプセック』には『ゴリオ爺さん』の登場人物が予め名前を出しており、またゴプセックも『ゴリオ爺さん』の中で名前だけ"再登場"している。

    即物とは、何物かに超越していくことはない、常に内実無き自らの内に還っていくだけだ。何らの屈折も経ず、何らの屈託も無く。意識されざる即自であれ、対自ののちの居直りであれ、平板愚鈍な自己肯定とともに。

    「この世には一定不変のものなど何もない、・・・。やむを得ず社会の鋳型という鋳型に自らを流し込んできた人間には、信念も道徳ももはや価値のないお題目にすぎないのさ。あとに残るものといえば、自然がわれわれに与えてくれた唯一ほんとうの感情、つまり自己保存の本能さ。きみたちヨーロッパの社会では、この本能は〈個人的利害〉と呼ばれている。・・・、ひとりの男がかかわるに足る確かな価値のあるただ一つのものとは何か・・・、それは、金さ」

    「わし同様、仲間の連中もみなすべてを享受し、すべてを堪能し、いまや権力と金を、権力と金それ自身のためにしか愛さないようになっている」

    「わしの金はすべて誰のもとに行くんだい」

      「毬打つ猫の店」(1829)

    芸術家という〈主体〉の傲慢、美という〈客体〉の悲哀。幸福な愛情の内に於ける陶酔的合一の束の間が過ぎ、主-格が分離してしまったのちに現れる倦怠と哀れ。あとに残るのは、虚栄と打算と欺瞞。

    「わたくしたち女性は、天才を称賛すべきですし、見せ物を楽しむように彼らを楽しむべきです。でも、一緒に暮らすなんて! 断じていけません。なんてことでしょう! オペラ座に来ているのに、桟敷席を離れて、舞台装置を眺めて楽しもうとするようなものです、そうした装置のもたらす見事な現実感を味わおうとするようなものです」

    ここにある【美】への視線はアイロニカルであるよりもシニカルであり、殆ど虚栄という無意味に堕している。

  • 「ゴプセック」 けっこうどっぷりはまった。ゴプセックのセリフがしびれる。「詩を出版する人間だけが詩人だとでも考えているのかね」 世間の何者にも関心がなさそうなのに、発せられる言葉はなかなかきらびやかである。全文引用したいぐらいだ。名言集が作れそう。

    昔はバルザックは「ふーん」という感じで宿題のように読んでいたけど、なぜか今回は沁みる。日常の中の仕事の話や、金の話に実感が湧くからというのもあるのかもしれない。「棚卸し」とか微妙に反応する(笑)。人物の観察、かちっとした比喩の豊富さが素晴らしいけれど「請求書」のような無味乾燥なものにまで、バルザックフィルターがかかってありありと見えてくるような気がする。

    「毬打つ猫の店」の風景描写もなんかよかった。もともとスケッチのような題名がついていたらしいのは納得。視点の変わり方もなかなかよい。がっしりした古典名作を読んだな~という気分。

    バルザックってかなりいろんな事が見えていた作家、という気がする。「プライバシー」に関する芳川泰久さんの引用や知見も面白かった。

    落ち着いたワインレッドの表紙デザインもなかなかいい。

  • 読むの早すぎました!

  • 『毬打つ猫の店』は、バルザックの風俗研究の1番目の作品である。すなわち、人間喜劇のなかの最初の作品なのだ。
    もっとも、バルザックが構想した人間喜劇の当初の案では、4番目に位置する予定の作品であった。
    『毬打つ猫の店』はアフォリズム的要素が濃い作品だと感じる。
    若い時の愛が、麻疹のごとき特徴を持っているということ。
    生れや価値観の違いは、乗り越えがたき障壁になりうるということ。

  • 予想以上の求心力。

  • やっぱりバルザックはこうでないと、という感じの作品。
    特に『鞠打つ猫の店』は最初は一見普通の恋愛小説だけれど、後半からは全く異なった様相を呈してきて、非常にスリリングで面白かった。
    登場人物たちの微妙なすれ違い具合が絶妙。

  • 高利貸しから見た貴族階級の破滅を描いた『ゴプセック』。
    これはもうこれでもかというくらいバルザック的な小説で、大変俺好み。偏屈な高利貸しのゴプセック爺さんは、彼なりの哲学を持っていて、最後の最後までそれを貫き通す。この中心人物の造形のおかげで、醜い金がらみの話に卑しさを感じさせない仕上がりになっているのがいい感じ。ちなみに『ゴリオ爺さん』となかなか密接な関係にあるので、ゴリオを読んだことあると思わずニヤリとするシーンが結構ある。★★★★★

    『毬打つ猫の店』
    慎ましく育てられた商人の娘と、貴族の息子で芸術家の男との、身分違いの結婚の悲劇。
    「人間喜劇」シリーズの巻頭に据え付けられる作品だけに、登場人物も話の筋もステレオタイプっちゃあステレオタイプ。もっと話を広げようと思えば広げられる作品だけに(脇役のエピソードを掘り下げれば文庫2冊は軽い気がする)、本当にバルザック理解の基礎になる作品かも。★★★

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