失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003751091

作品紹介・あらすじ

ひとかけらのマドレーヌを口にしたとたん全身につたわる歓びの戦慄-記憶の水中花が開き浮かびあがる、サンザシの香り、鐘の音、コンブレーでの幼い日々。重層する世界の奥へいざなう、精確清新な訳文。プルーストが目にした当時の図版を多数収録。

感想・レビュー・書評

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  • 死ぬまでに読むか読まないか分からなかった本ですが、ついに手を出してしまいました…。
    他の本を読みながらの〜んびり読んでいきます。1ヶ月1冊ペースでいければいいなあ。

    どの翻訳で読もうかと思ったのですが、ネットで「岩波の古川訳が一番プルーストとして訳している」ということなのでこちらを選びました。
    訳註、人物紹介、地図、本文で出てくる美術品の写真も充実しています。
    展開に関する注意書きは特に丁寧で「この記載は、第2部で詳しく語られる」など予告されるので、読者としてはではここを覚えておこう、など取っ掛かりになります。


    老年と思われる語り手が寝床で、今まで住んできた部屋、そこから連想するこれまでの人生を思い返す。
    冒頭の<長いこと私は早めに寝む(やすむ)ことにしていた。ときにはロウソクを消すとすぐに目がふさがり、「眠るんだ」と思う間もないことがあった。ところが三十分もすると、眠らなけくてはという想いに、はっと目が覚める。いまだ手にしているつもりの本は下に置き、明かりを吹き消そうとする。P25冒頭>という冒頭部分から、寝てるの?寝てないの!?という疑問もちょっとわきつつ、でも寝るときのほわ〜んとした意識と無意識の間ってこんな感じだよね、とも思う。

    こうして語り手は少年時代に別荘地として過ごしたコンブレーという町のことを思い出す。
    語り手が暮らしているのは、大叔母と、その娘で病床のレオニ叔母、祖父アメデと祖母バチルド、レオニ叔母に使える女中のフランソワーズ、そして父と母。
    語り手の連想は母親におやすみのキスをしてもらうための幼い謀から始まり、家における親族のこと、時に面倒見が良く時に残酷さを見せるフランソワーズ、そして一家と親しい近隣の人たち。
    そのなかでも一家と付き合いのあるユダヤ人仲買人のスワンという男がいる。パリ社交界では顔が利き、コンブレーの別宅は語り手の近所であり、一家からも親しみを持たれている。だがスワン氏の妻はもとパリの粋筋(高級娼婦?)のため付き合いを控える人達もいる。
    そのスワン氏の妻は、ゲルマント公爵の弟のシャリュスと愛人関係にあると噂されている。
    スワン氏の娘のジルベルトは、語り手にとって初めて女性として意識した相手だった。

    他にも印象的だったのは、スワン氏がパリで聞いた演奏の作曲家であるヴァントゥイユ氏。職業はピアノ教師で、作曲も行っていることは公表していない。スワン氏は、コンブレーのおとなしいピアノ教師がまさかあの素晴らしい曲を創ったとは思わず、同じ苗字の親族なのか?などと思っている。
    ヴァントゥイユ氏の娘は、ふしだらと噂される女友達と同棲している。

    近隣の上級階級者としてはゲルマント公爵家がある。
    語り手は、ゲルマント公爵夫人の噂を聞き想像を巡らせる。

    語り手の屋敷からは2つの散歩道があった。
    スワン家の前を通りメゼグリース村方面に向かう”スワン家のほう”と、ゲルマント公爵の城がある方面”ゲルマントのほう”。
    1巻題名の「スワン家のほうへ」は、この散歩道のことを示す。
    …ですが、特にスワン家のほうの散歩道だけでの出来事でなく、ゲルマントのほうの散歩道の出来事も語られている。

    語り手の回想は、事実としての記憶だけでなく、人間の感覚と結びついて、思いは繋がり繋がって行く。
    レオニ叔母に示された紅茶に浸したマドレーヌの味、スワン嬢の名前を聞いたとき胸に広がった波紋、花の香りを”サンザシの匂いでぶんぶん唸っていた”という表現。

    <このようなわけでメゼグリースのほうとゲルマントのほうは、わたしからすると人生で経験した数多くの出来事と未だに結びついている。私が人生と言うのは、我々が並走して送っているさまざまな人生の中で、もっとも波乱万丈で、もっともエピソードに溢れた人生、つまり知的人生のことである。P390>

    こうして眠る前の半無意識の中で人間の感覚が想い出に結びつき、とりとめのない記憶を漂ってゆく。

    1巻の最後で目が冷めたところで終わり。
    2巻はこちら
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4003751116

    • abraxasさん
      淳水堂さん、こんにちは。
      コメントをありがとう。

      版がちがうと訳者も異なり、ずいぶん感じがちがうのでしょうね。
      同じ頃、『ユリシー...
      淳水堂さん、こんにちは。
      コメントをありがとう。

      版がちがうと訳者も異なり、ずいぶん感じがちがうのでしょうね。
      同じ頃、『ユリシーズ』にも手を出していたので、そんな印象を抱いたのかもしれません。
      でも、読むのに抵抗はあまり感じませんでした。
      最後まで読み終わったときには満足感が得られたのを覚えています。
      2023/01/29
  • 各巻の表紙のデッサン……この存在感と愛らしさは一体なんなの? と思っていたら、なんとマルセル・プルースト(1871年~1922年 フランス)の「いたずら書き」。友人の手紙の片隅や本作の草稿帳に残されていたものらしい。手すさびに書いたのかな? これがいたく気にいった私は、もうなにも考えずこの版で読んでみることに。今どき14巻もの本を読む人が果たしてどのくらいいるのかな? ぶつぶつ言いながら読みはじめた……いやはや、これがおもしろい!!

    吉川氏の流れるような、忍耐強い翻訳には舌をまきます。本文の見開きに注釈も配置されて、か・な・り読みやすい。この手の本になると、通常は末尾にある注釈を頻ぱんに訪ね求める必要がありますが、なにせ失われた時を探し求めるだけで精一杯の私は、いちいち巻末ページを探し求めるなんてとてもやってられません。この「割り注」でなければきっと挫折していたかも。しかもそこには古典作品、絵画、彫刻、建築物といった珠玉の資料が掲載されている、さながら図鑑や美術図録の様相。1900年代当時の地図もあって至れり尽くせり、ここまで気のきく本はなかなかお目にかかれません。おかげで溢れだすプルーストのおしゃべりに楽しくついていけます! 読書の醍醐味はたくさんあるけれど、なんといっても繋がっていくわくわくとした高揚感は最高ですね♪
    では本作の全巻構成です。

    1編 スワン家のほうへ(№1~№2)
    2編 花咲く乙女たちのかげに(№3~№4)
    3編 ゲルマントのほう(№5~№7)
    4編 ソドムとゴモラ(№8~№9)
    5編 囚われの女(№10~№11)
    6編 消え去ったアルベルチーヌ(№12)
    7編 見出された時(№13~№14(最終巻は夏ごろ出版予定、頑張ってください!):全14巻)

    さて語り手の「私」には、名前が与えられていません。でも彼の背後には、程よい距離を保ちながら作者プルーストが伴走しています。それはそれは爽快な走りで、バルザックやスタンダールのような圧倒的な筆力、その饒舌さにただただ呆れる。おまけにユーモアや諧ぎゃくに溢れていて可笑しい。人間に対する観察眼は鋭く、おそろしいほど冷静な心理分析や認知は、ブロッホの『夢遊の人々』を彷彿とさせます。そういえば、カフカもふくめてさすが同時代の作家たちです。「夢想と現実の乖離」というのは本作の、あるいはその時代の大きなテーマでもあるのでしょうか。

    第1編「スワン家のほうへ」は、「私」が少年時代を過ごした架空の田舎町「コンブレー」を中心に、1883年~1892年ころの時代を描いています。「私」が回想しながら始まる物語は、ふとフォークナーの一連の物語の始まりを思い起こさせます。プルーストがフォークナーに与えたインスピレーションは、のちに海をわたり、時を超え大江健三郎しかり、G・マルケス、バルガス=リョサ……松明の火のように世界中の才気の筆に広がり引き継がれていきます。すごいなぁ~。

    「なにげなく紅茶を一さじすくって唇にはこんだが、そのなかに柔らかくなったひとかけらのマドレーヌがまじっていた。ところがおかしのかけらのまじった一口が口蓋に触れたとたん、私は身震いし、内部で尋常ならざることがおこっているのに気づいた。えもいわれぬ快感が私のなかに入り込み、それだけがぽつんと存在して原因はわからない。その快感のおかげでたちまち私には人生の有為転変などどうでもよくなり、人生の災禍も無害なものに感じられ……」

    有名な紅茶とマドレーヌの描写は可愛らしくてうっとりします。何かの拍子に、人の五感に触れた一瞬間、多幸感は突然降ってくる。それが偶然なのかどうかはわからないけれど。少年の「私」の驚きと困惑と感動が目に映るようで微笑ましい。

    とりわけ五感の鋭いプルーストは、「匂いと風味」が永続性のあるものとして絶賛しています。確かにある種の味や匂いに出会うと、思い出深いワンシーンや懐かしい記憶が鮮明によみがえってきますものね。

    さてプルーストの描写は、かなり修飾過剰です。しかも一つの事柄に次々に連想される事柄と修飾が連なっていき、さながら想像の芋づるです。直喩や隠喩の比喩表現もすこぶる多い。それでも鼻についてうんざりしないのは、おそらく徹底したクールな観察と怜悧な分析に裏付けられたリアリズムを基調にしていて、多くの人の普遍的な五感にひた~と寄り添うからでしょう。それらがあらゆる色合いを帯びた夢や幻想や妄想と融合して、より意味深長なものになっていきます。

    表紙のデッサンにくわえて、そのタイトルにも興味津々の私は、さっそくヒントになりそうなくだりをいくつか文中に発見して喜んでいます。
    そのうちのひとつ、たとえばこんなのはいかがでしょうか。

    「私はケルトの信仰がじつに理にかなっていると思う。それによると、亡くなった人の魂は動物とか植物とか無生物とか、なんらかの下等な存在のなかに囚われの身となり、われわれは事実上、失われている。ところが多くの人には決して巡ってこないのだが、ある日、木のそばを通りかかったりして、魂を閉じ込めている事物にふれると、魂は身ぶるいし、われわれを呼ぶ。そしてそれとわかるやいなや、魔法が解ける。かくしてわれわれが解放した魂は死を乗りこえ、再度われわれとともに生きるというのだ。われわれの過去も、それと同じである…」

    死をのりこえて永遠に生きる、「時」に囚われることなく、しなやかに過去をへめぐり、五感を駆使してそれらを鮮やかに蘇らせていくプルースト。そんな詩情と軽やかな「私」の旅にしばらく同行してみようと思います。はたして最後までいけるかな?(^^♪

    ***
    「時よ止まれ!
     おまえは美しい」 
            ゲーテ『ファウスト』

    • 淳水堂さん
      アテナイエさんこんにちは。

      私もついに読み始めました!
      アテナイエさんのレビューがとってもわかりやすいです!
      の〜んびり読んでいき...
      アテナイエさんこんにちは。

      私もついに読み始めました!
      アテナイエさんのレビューがとってもわかりやすいです!
      の〜んびり読んでいきますのでまたよろしくおねがいします。
      2022/01/31
    • アテナイエさん
      淳水堂さん、こんばんは! 

      ここのところあまりレビューを書かないため、ちょっと油断すると、こちらへ遊びに来るのが、間遠になってしまいま...
      淳水堂さん、こんばんは! 

      ここのところあまりレビューを書かないため、ちょっと油断すると、こちらへ遊びに来るのが、間遠になってしまいます。
      そんなわたしの取っ散らかったレビューまでお読みいただき、ありがとうございます。あらためて自分の昔のレビューを読んでみると、依然として取っ散らかってますね(呆)。でもこの小説は、一見すると取っ散らかっているように見えて、まったくそうではないのがスゴイです。それもあとになってわかるのですが……でもそんなことに気づかなくても楽しめるのが、もっとスゴイ。プルーストはそんな読者さえ想定して、ニヤニヤしながら書いているように思えます。
      翻訳も素晴らしいので、ゆっくり楽しんでくださいね。
      2022/01/31
  • 読むのはもう何度目になるのかよく覚えていない「失われた時を求めて」の第1巻です。光文社文庫の方の感想にも書きましたが、「失われた時を求めて」がとかく難解な印象を持たれがちなのはこの第1巻の一見取り留めのない描写が原因なのではないかと思います。一度読んだだけでは捉えがたいのですが、通して読むと脈絡のないエピソードに見えるものが、大きなひとつの物語になっているのが分かります。

    この第1巻は、後に重要なテーマとしてクローズアップされる主題がすべて出てきています。それでいて子ども時代のノスタルジックな思い出が語られていて、語り手とは生まれた時代も国も違うのに、まるで自分の少年時代を語られているかのような錯覚を覚えてしまうのはプルーストの魔法としか言いようがないですね。

    私が特に好きなのが、幼い語り手が母親からおやすみのキスをしてもらえるかどうか不安でいても立ってもいられなくなって、拙い策を弄するシーンです。
    後の巻で語り手が経験する恋愛は、その全てがこのシーンでの母と息子のやりとりの拡大した再現とも言えるものです。ただ、語り手の想いが報われるのは結局一番最初の母親だけで、その意味ではここが唯一の幸福な「恋愛」描写になります。その後の語り手を考えると切なくなりますね。
    (これは受け売りですが)この母と息子の関係が疑似恋愛なのは、母親が読み聞かせるジョルジュ・サンドの「フランソワ・ル・シャンピ」が、義理の母親と息子の恋愛物語であることに端的に表れています。母が小説の恋愛描写を飛ばして読み進めるのは、それが性的な描写だからではなく、自分と息子との関係を重ね合わせているからです。

    それにしても、「失われた時を求めて」は何度読んでも新しい発見がありますね。

  • 再びプルーストの『失われた時を求めて』の扉を開きました。

    私が最初に読み通した翻訳は集英社の鈴木道彦訳で、この翻訳はそれまでの井上究一郎訳に比べわかりやすく、『失われた時を求めて』を的確で印象的に伝えてくれる翻訳として、今後これ以上のものはないと思っていました。

    ところが昨年、光文社古典新訳文庫から高遠弘美訳、岩波文庫から吉川一義訳が相次いで出版されました。高遠訳はちらっと立ち読み程度での判断ですが、わかりやすいけどやはり鈴木訳の印象的な文章には及ばないと思い読むまでには至らなかったのですが、吉川訳は岩波文庫ということもあり、この本を書店で手に取ったとき受けたとても繊細で"素敵な本"のようなイメージから、読まなくても手元においておくことにました。

    その後、保苅瑞穂先生の『プルースト読書の喜び』を読んだことがきっかけで、再び『失われた時をもとめて』の扉をポルシェ911がそうであるように最新のものが最良という思いもあって、最新の吉川訳で開けることになりました。

    読み始めて、すぐに体が震えてくるような感動を覚えました。文章がすごく滑らかで言葉が体にすっと滲み込んでくるようで、『失われた時を求めて』がとても近くに手に届くものとして感じられたからです。鈴木訳のような印象深い翻訳ではないのですが、流れるような文章がそう感じさせてくれました。だから鈴木訳ではプルーストのイメージを構築するのに時間を要することがあった『失われた時を求めて』を一巻だけですが数日のうちに読み終えることができました。また、註が本文のなかに設けられており、絵や画が豊富なのも『失われた時を求めて』の世界を認識し易くなっています。

    さらにこの吉川訳は原文に忠実になるためにプルーストが思い描いた言葉の印象や、読者が文章を辿りイメージする順序を正確に再現してくれているということで、原文を手にすることができない読者にとっては、『失われた時を求めて』の世界により近付ける翻訳です。

    これから長い時間を要し『失われた時を求めて』をプルーストが託した文章、言葉をゆっくりと胸に刻み込み味わいながら再び読み進めていこうと思っていますが、その思いに応えてくれる大切な一冊となりました。

  • 訳者の人もあとがきに書いていたが、懸命に内容を追おうとする読み方よりも、虚心に思うがままに読むことがこの本の読み方の正解な気がする

    あまりにも比喩表現が多くて、長ったらしく感じる時もあるけど、基本的に読んでいてずーっと心地よい気分だったな
    暖かい午後に陽の射す庭や、夜眠る前に温かいものを飲みながら読むととんでもない幸福を感じそう 14巻まで頑張って読むぞー

  • 2023年3月
    思考は次々と展開し、まなざしは言葉よりも雄弁に語る。過敏な語り手に共感するところは誰しもあるのではないかと思う。
    『収容所のプルースト』という本を読んで、生死が隣り合わせの収容所において心のよすがとなったプルーストに興味を持った。今のところ、この小説に描かれているのは、少年の母親に対する愛情と家族の近所付き合いと芸術と食卓である。生命が保障された環境下にある「私」の実に人間らしい悩みと喜び。収容所において人の心を救ったのは、この人間らしさなのではないかと思った。

  • めくるめく熱量の刺激的な本を読んでいたから、あたたかいミルクティーとともにゆったりとしたここちに浸りたくて(羽毛ぶとんにくるまって。ベッドのなかで)。どう??(ここはハーブティーとマドレーヌ、が正解?)
    敵意をいだく紫色のカーテン。声高にわめきたてる振り子時計。奇怪で情け容赦のない四脚の鏡台。このあたりでもうわたしは「私」にとても好感をもった。ジョットのフレスコ画の寓意像についての印象を語っているところもおかしくてすき。ルグランタンと父の会話の攻防のあった夕方の川のほとりでは声をあげて笑っちゃった。

    美しい情景に酔いしれ、ハーブティにいれる葉や花についての詩情が薫り、蝿の羽音でさえ、あたたかな陽射しな記憶を辿る音楽になる。赤いサンザシによせる夢。満ちあふれた静寂を絞り出す鐘塔。夕陽の夢想に満たされる水に浮かぶ花壇。
    かわりばえのしない日々の倦怠に、お喋りで彩りを。ブルジョアたちの退屈も、難儀なものである(羨ましい)。ご近所さんの日常も、まるで活動写真のようなドラマになる。摘みとってゆく、日々の歓び。掻きたてられる想像力(妄想といったほうがいいかも)。
    おっとの寝室から、懐かしいおばあちゃんちのにおいがする。とおもったことをあとから思い出して、あ、あれは 老い(死にゆく細胞たち) の発する香りなのだと気がついて悲しいような可笑しいような、そんなノスタルジーにも包まれた。
    いまはそこここに漂う柔軟剤(きらい!)のかおりで、思い出したくないことまで街中に溢れてしまって、それが香水であったなら、幾分ロマンチックな響きで、遭遇の頻度も柔軟剤ほどではないのに、なんて想うけれど、柔軟剤すらも現代の香水なのかもしれないね。なんて日々薄れてゆく個性を憂う。
    And just like that、わたしじしんも、失われた時を求めはじめていることに、気がついた。
    アスパラガスをめいっぱいたべたい。このひとたちはそのままむしゃむしゃたべるのかしら。わたしはお味噌とマヨネーズにディップするのがすき。


    「そのような古い書物は、時間をさかのぼる不可能な旅への郷愁をかきたて、精神にありがたい影響をおよぼしてくれるからである。」

    「人は、つねにおのが心の虜であると感じてはいるが、じっと牢獄につながれているわけではないからだ。むしろ心とともに心を超え、外界に到達すべく懸命に不断の跳躍を試みてはいるものの、いつも自分のまわりに外界の反響ではなく内心の震えの余波にほかならない同一の響きを聞きつけ、いわば意気消沈しているのである。」

    「そのときに再認識できたのは、同じ珍しい表現への嗜好であり、同じ音楽的な心情の表出であり、同じ理想主義の哲学であり、つまるところ前に出会ったときと同じもので、そうと気づかないまますでにわたしの歓びの源泉となっていたのである。」

    「たまたま自分で考えていたのと同じ思索にベルゴッドの本で出くわしたりすると、まるで神のごとき御方のご厚情でそれがすばらしい正当な考えとなり、そう宣言してもらえたみたいに、私の心は誇らしげに膨らんだ。」

    「あなたにはまだ遠い先のことですが、人生にはそんな時がやってくるのです。疲れた目に耐えられるものといえば、今宵のように美しい夜が用意して闇とともに醸し出してくれる光だけとなり、耳に耐えられるものといえば、月の光が沈黙のフルートに合わせて奏でる音楽だけとなる、そんな時がやってくるのです。」

  • 海岸での生活と叔母の描写が多い。昔読んだことは全て忘れていた。絵画、写真等が挿入され説明されている。架空の場所と書いてあるが、地図もあり事実としても読める。

  • もしも20代の頃この本をてにしたら、何だかさっぱりわからなくて途中で投げちゃったと思う。年をとることも悪い事ばかりじゃない。
    これと言ったストーリーがある訳じゃなく、主人公が思いをつらつら語ってるだけでなので正直疲れる。それでも主人公の感性が鋭いせいか案外面白い。

    この巻は主人公がⅠでは幼少期、Ⅱでは思春期と思われる。どちらも母方の祖父母の家で長期休暇を過ごした思い出を綴っているが‥‥
    まあああ暇な事❗️
    飲んだり食べたりすることと散歩に行くくらいしかする事がなく、散歩のルートが2つあって、それが「スワン家のほう」と「ゲルトムントのほう」。この2つの言葉は何かを象徴しているのだろうけど、現段階ではよくわからない。
    今後が楽しみ。

  • (2024/01/10 3h)

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