失われた時を求めて 2 スワン家のほうへ II (岩波文庫 赤N511-2)

  • 岩波書店 (2011年5月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784003751114

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

パリの雰囲気に浸りながら、夢想と実態、理想と現実の微妙な対比を楽しむことができる作品です。物語は主人公ではなく、スワン氏の恋愛を描き、独特な世界観と美しい情景描写が魅力的です。特に、訳者の解説が秀逸で...

感想・レビュー・書評

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  • 失われた時を求めて 2巻。
    1巻はこちら。
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4003751094
    1巻の語り手が生まれる前の、中年ユダヤ人スワン氏のお話。『わたし』が誰かから聞いた話として語っているんだが、それにしても状況やら心情やら詳しすぎる 笑

    【第2部 スワンの恋】
    読む前は、1巻1巻の「スワン家の方へ」「スワンの恋」という題名から、主人公のロマンチックは思い出を想像していたので、スワンというのが中年ユダヤ人というので考えていたのと違ったかも 笑
    語り手が生まれる前の話なのに、たまに「わたしは」として語り手の考えも出てくる。

    2巻の舞台はパリで、このスワン氏の恋の相手は、オデットという名前のパリの粋筋(高級娼婦?)の女。
    スワンとオデットと言われたら美しいものを考えるのだが、実のところは上流社会のサロンでの人間関係物語。誰と付き合うかの見定め、恋も人間関係も仕事も駆け引き、影響力確認のために誰かを貶めることもある。
    サロンの中心はヴェルデュラン夫人とその夫。サロンメンバーは、上流社会入りしようとするがイマイチ駄洒落が面白くない医者のコタールと夫に尽くすその妻、気が弱くいじめられるサニエット(いじめもサロンのルールみたい(^_^;))、オデットの愛人の一人フォルシュヴィル伯爵。興味深いのが、同性愛者のシャルリュス男爵。オデットと一緒にいるため愛人かと言われるが、スワン氏からは同性愛者だから安心だと思われて、むしろオデットのお目付け役を頼まれたりしている。本人もきっと洒落もんなんだろうなあ。

    この巻は、スワン氏の心の動きが詳細に記載されている。
    オデットは高級娼婦のため、他にも男がいるが、スワン氏は彼女にお金を送っている。冷めてもサロンでバカにされても送るのか、そういうもんなのか。
    スワン氏の心を捉えるのはヴァントゥイユという(1巻にも出てきた)作曲家が作ったソナタだ。

    1巻でも感覚を味や音で表現していたが、2巻では音楽の感じ方や絵画を見た感想で表現されている。
    スワン氏がオデットに恋を感じる場面と、冷めたなって感じる場面で聞くのはヴァントゥイユのソナタ。ソナタを聴きながらスワン氏が感じた気持ちの移り変わりが結構長い場面で語られてゆく。
    そしてスワン氏が絵画にも詳しいので、色々な絵画を言葉で表現されているのだが、それがその時のスワン氏の心情と合っているようだ。

    【第3部 土地の名、名】
    他人(スワン氏)の話から、語り手の考えに戻ってきた。
    ヴェネツィア、フィレンツェなど、行ったことのない土地の名前について色々考える。
    「行かない旅行の空想」は、先日読んだサヴォアの作家グザヴィエ・ド・メーストル「部屋をめぐる旅」を連想した。(メーストルの著書のほうが先です)
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4864882312#comment

    そして語り手の過去回想に戻る。
    1巻の舞台コンブレーより数年後の話。語り手一家はパリに戻ってきている。語り手がシャンゼリゼ公園に行った時に、ジルベルトという娘に会う。これは1巻でも出てきたスワン氏とオデットの娘だ。
    …「スワンの恋」で散々スワン氏の心情、しかも冷めるまでを書いていたのに、その後結婚したのか!
    最初は公園で見かけるだけのジルベルトの名前を聞いた時に、人間と名前の関係や、名前が自分の傍を通り過ぎる感じがしたんだとか、音を聞くことにより人間の認識にどう作用するかが文章で表されているのが面白いなと思った。

  • 第1編「スワン家のほうへ」は、語り手の「私」が少年時代を過ごした架空の町「コンブレー」を中心に、1800年代の終わりころを描いています。物語の後半あたりになってくると、ますますおもしろくなってページを繰る手がとまりません。

    芸術に造詣が深く、金持ちでスタイルのよい、まるで絵に描いたような上流階級の青年スワンと美しい娼婦オデュットとの嫉妬と狂気にみちた恋。かたやスワンの一人娘ジルベルトへの淡い恋心を抱く少年の「私」の切ない恋。この二つの物語は10年以上のズレがあるのですが(スワンの恋は誕生前の「私」が伝え聞いたものでしょう)、語り手の「私」がつぶさに回想していくなかで、みずみずしい二つの恋がなんの違和感もなく共存しているのは圧巻。やはりあのフォークナーに多大な霊感を与えていますよね。

    なかでも気弱な少年の「私」の可愛らしさは秀逸です。病弱で夢みがちで、その風変わりな空想や素っ頓狂な妄想がとにかくおかしい。本で読んだだけの土地や地名の音やその綴りから、とんでもない世界や理想郷をつくってみたり、いざその土地へ家族で旅行しようとすると、脳内はてんやわんやの大騒ぎ、旅行前から独り疲れ果てている「私」、案の定、熱発で倒れこんでしまうなんとも残念な「私」。

    「『パルムの僧院』を読んで以来……私には中身のぎっしり詰まった、なめらかな薄紫(モーブ)色の穏やかな印象があったから、パルムの家に招待されると聞くと、なめらかで中身の詰まったモーブ色の穏やかな屋敷に滞在できると考えて大喜びした」

    「中身のぎっしり詰まった、なめらかなモーブ色の穏やかな印象」だって、これは一体なんなのだ…笑? プルーストの本領発揮といえばおこがましいですが、彼の意識や夢想は際限なく広がり、さまざまなものに変げしていきます。家の中の調度品、ソファーの布の質感や肌触り、家具や壁紙、しまいにはその町全体の色合いや雰囲気であったり。このあたりの目に見えない感覚を理屈ではなく肌合いとして感じられれば、おそらくプルースト作品はかなり笑えて楽しめるものと思います。ちなみに語り手の「私」はモーブ色が大のお気に入り。朝焼けの空からはじまり、リラ(ライラック)の花、貴婦人の日傘、木陰やら海の蘭?のクラゲやら……(まだまだ続く)。

    さて「失われた時を求めて」というタイトルに興味津々の私は、そのヒントを求めて遊んでいます。その第二弾はちょっと大仕掛けのメタファー。例によって夢想にうるうるきらめいている少年が、現実的な大人の一言で、一気に呪縛され「時」に囚われてしまう幻滅と悲哀が目にみえるようで可愛らしい。

    「……これらの地点は、それまでは地質学上の大変動と時代を共にする太古の自然の一部と感じられたが――原始時代の漁師にもクジラにも中世など存在しなかったのと同じで、大海原や大熊座と同じように人類の歴史の圏外にあった――、それがロマネスク様式の時代を経験した、と聞いたとたん、私にはその地点がいきなり世紀という時系列のなかに収まるのが目に浮かんだ」

    原典にかなり忠実に素晴らしい翻訳をされている吉川さん。その解説も大変興味深くて面白いです。プルーストいわく、人格とか自我は、確固とした不動の実体ではなく、時間の経過とともに生まれては消滅していく「無数の自我」である、と紹介しています。
    人間なんて、まるでお天気のようだと私はいつも思うわけで、さっきどしゃぶりになったかと思うと、もうお日様がさしてきた☀ う~ん、そんな変転に我ながら呆れたり感心したり。なので、あまり自我や我執(価値観という名の偏見や先入観も含めて)なるもので、こうと決めつけて自分をがんじがらめにしないほうが閉塞感や桎梏から解放されていいかもしれません。

    というわけで、本作も案内役の語り手や「私」がいるにはいますが……なかなかのくせ者であまり信用できません。楽しく騙されながらお付き合いしようと思います。つらつらこの作品を眺めていると、意識の移ろいや自己(人間)探求を愉しんだ『エセー』を読みたくなったり、漱石の、ハエのたかる饅頭をたらふく食べる、ついさっきまで自殺念慮にとりつかれた青年(『坑夫』)を思い出してクスっとします。

    すぐれた古典たちは、こういう人間の憎めない愛らしさや深い人生訓、生き方が、シレっ~と書いてあるからやめられない(^^♪
    そうだ、そういえば漱石とプルーストは同世代でした。
    ああ~なんだか書いているうちに意識がどんどん流れていく? ちがう、ちがう、ただの脱線じゃない? 

    ***
    「世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものが大分ある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろう位に考えているには弱らせられる」(夏目漱石『坑夫』)

  • 読んでいる間はずっとパリの雰囲気に浸っていられる。一度訪れたことはあるが、もう30年も前なのでろくすっぽ覚えていないが。
    しかし、「パリ」という名前だけで、その土地にかかる天蓋のように覆っている歴史の匂いや質感が感じられる気もする。

    夢想と実態、理想と現実、空想と実在など心的産物と物的物体のような対比は明確なようでそうでもないかもしれない。
    それは、「おもいがかなう」という時、我々は、いかにあまたの誤謬に包まれているかということに気づく。
    双方は対立しているというよりは、一体であり無関係でもあり、その濃度はグラデーションであったり、まだらになってるんだろうと思う。

  • (2024/02/14 4h)

    とにかくページを繰って読み進めるぞ!という意気で1巻2巻と読んでいる。
    この第2巻は第1巻よりも目に留まる文章が多く、読みやすさを感じた。
    美しい情景描写や共感できる恋愛の仕方など。

    引き続き訳者解説が秀逸で、読んでいて混乱してしまっても最後に見事に内容がまとめてあるので、安心。
    読み進める気持ちを維持するのに大きく力を買ってくれているとおもう。

  • 第2部「スワンの恋」では、スワンの中で恋が生まれ、育ち、やがて死にゆく様が精緻な心理描写で描かれる。

    僕は、特に、彼の中で嫉妬が生まれ、オデットの嘘を餌にして、それが大きく育っていく様子を描いた部分に強く惹かれた。
    この物語を読み進むうちに、吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」という問いの答えが分かったような気がした。

    何故だか分からないが、ヴェルデュラン家の夜会での会話から、奇妙にもナタリー・サロートが「黄金の果実」などで描いた「地下のマグマ」を想起してしまった。
    アンチ・ロマンとも、ヌーヴォー・ロマンとも呼ばれたサロートであってみれば、僕の抱いたこんな印象を黙って受け入れてくれるはずもないが、僕の持っているものといえば、この誤読しか無いので如何ともしがたい。

    『ある日スワンは、人を訪ねる予定があって午後の中ほどに外出していたが、会うつもりの人が留守だったので、オデットの家に寄ってみようと想いついた。 こんな昼間に訪ねたことは一度もなかったが、この時刻ならオデットがいつも家にいて、お茶の時間になるまで昼寝をするか手紙を書いているのを知っていたので、ちょっと会うぐらいなら邪魔にならないと考えたのである。 門衛は、オデットは在宅だと言った。

    そこで呼び鈴を鳴らすと、物音がして歩く音が聞こえたような気がしたものの、玄関は開かなかった。 スワンは不安になり、いらいらと館の反対側が面する小さな通りにまわり、オデットの寝室の窓の前に立った。 が、カーテンが閉まっていて、なにも見えない。 スワンは力いっぱい窓ガラスを叩いて名前を呼んだが、だれも開けてくれない。』(第1篇スワン家のほうへ II スワンの恋)

    なお、巻末に置かれた場面索引は、作品を後で振り返るのにとても便利だった。



    フォルカー・シュレンドルフ監督の「スワンの恋」も観たが、色々と引っかかる点が多かった。 まず第一に、スワンがオデットの衣服の胸元に挿されたカトレアを直すシーンで、スワンが「胸元の蘭を直してもいいですか?」というのにやや違和感を感じた。 これ以外の箇所では、いずれも「カトレア」と呼び、その言葉が二人の間で情事の符牒にすらなっているのに、なぜここだけ「蘭」と訳したのか、僕には分からなかった。 後の方で、このシーンを回想する場面があるが、そこでは、「カトレア」と訳されていた。

    もう一つ疑問なのは、スワンがオデットの監視役を頼んでいる友人のシャルリュス男爵に、「オデットと寝たのか?」と尋ねるシーンだ。 スワンは、シャルリュスが男色家であることを、とうに知っているはずだからだ。

    さらに、スワンがオデットの同性との交渉の情報を得ようと立ち寄った娼館での濡れ場シーンだ。 原作には無い、それどころか『スワンはその手の女とはほとんど没交渉だったから』(130ページ)と書かれてさえいるのに、敢えてこのシーンを入れる必要があったのか、僕には疑問だ。

    総じて、この映画は、像による魅惑よりも、像が与えられてしまうことによって想像力に科される桎梏を強く感じさせた。 次は、ラウル・ルイスの「見出された時」をもう一度観てみたい。 彼は、この問題にどう対処しているだろうか?

  • 邦訳で全14巻にもわたるプルーストの大長編『失われた時を求めて』の第二巻。主人公の「私」ではなく第一巻でも登場していたスワン氏の恋を描く物語。
    プルーストの描く独特な世界観や美しい表現を吉川先生の妙訳で味わうことができる。
    他の巻もおすすめできる。特に無意志的記憶という今や「プルースト効果」とも呼ばれるようになった現象に着目すると興味深く読むことができる。あなたもふと関係ないことをしているときに昔の記憶がよみがえってきた経験はありませんか?

    中央館2F:文庫・新刊コーナー 953 P94 1

  • スワン。。応援したいというより諦めろと何度言いたくなったことか。

    もっと若い時に読んでたらよかった、と思ってしまったけど、感性や想像力の低下は年齢の問題じゃなくて暮らし方のせいか。

  • スワンを通して、これ以上ないほど感性的に恋愛が広く深く描かれている。舞台や背景は異なれども、私の読んだ中では高揚や泥沼も含めて恋愛の諸相を明かした最高傑作である。
    その後の固有名詞をめぐる洞察、主人公の小さな恋人、過去への愛惜と読みどころ満載だ。

  • ・「スワンの恋」
     恋愛体質のスワンがオデットに骨抜きにされる。彼女を想い嫉妬に狂う姿は正に「恋愛地獄」。最初は相思相愛だったが、次第にスワンがオデットに対して被害妄想に取り憑かれる。第一印象が生理的に嫌な女だったのに、いつの間にか女性として見るようになった理由と契機が理解できない。エゴイストで耽美主義なだけだった。恋から醒めたのも利己的な感情でしかない。中年を過ぎた年齢なのに周囲の人間を振り回していて嫌いになった。
    ・「土地の名-名」
     「私」が主人公。スワンの娘であるジルベルトに恋心を抱く。スワンの恋愛と比べると断然純粋で読んでいて心地が良い。まだ少年らしい健全な女性観を持っていて、個人的には「私」がスワン夫妻に憧れる点が気に入らない。「足が棒になった」と言いつつも「私」に付いて来て、何かと「私」に振り回されるフランソワーズに笑った。女性に夢中になると一人で妄想に耽ったり、スワンと悪い部分が似ていると思った。

  • いやあ、おもしろかった!スワンー!
    そんなの愛じゃないのに愛だと信じてぐだくだになっていくスワンの痛々しさ、もう何を信じているのかも分からなくなって混乱して人生の時間が無駄になっていく焦り、
    社交界の独特のいやったらしさ、品や教養のない人たちや偽善
    今でもなおリアルですごい。

    ただ、あんなにぐだぐだになったのに結局オデットと結婚していたことが衝撃的で、なんだよ人騒がせな!って思いました。

  • 収録されている当時のパリの地図を見ながら読むのが楽しかった。華やかなパリの社交界を舞台にしたスワンの恋は、激しくて濃密。妄想、思いこみ、嫉妬の嵐。一歩間違えればストーカーだなと思ったけど、恋なんてみんなそんなものかもしれない。オデットの魔性の女っぷりはすごいな。後半部は語り手“私”の淡い初恋。土地の名前に関する夢想は共感をおぼえた。言葉の響きと少ない知識から夢がひろがる。パリに行きたい。

  • 前巻に続いて、とても読みやすい訳文でよかったです。
    この巻では、スワンの恋と物語の語り手である"私"の恋の2つが描かれました。スワンの恋は、恋する喜びと狂気がとてもよく描写されていました。それと平行して語られる、サロンでの人間模様もちょっとした喜劇のようで楽しめました。
    "私"の恋は、スワンと比べるとかわいらしい感じでした。でも、恋の本質的なところでは、2つの恋に違いはありませんね。

  • 岩波文庫の「失われた時を求めて」の2冊目、「スワン家のほうへⅡ」が書店の棚に並べられてすぐ、この本のページを開きました。

    「スワン家のほうへⅡ」は、第一編「スワン家の方へ」の第二部「スワンの恋」、第三部「土地の名-名」になります。

    第二部「スワンの恋」は、映画化されたりしているので、この部分だけが独立した作品として扱われることもありりますが、それは、この膨大な作品のなかにあってプルーストの描く恋愛が極めて印象的だからでしょう。

    この恋愛が描かれた時期は、語り手がまだ生まれる前、または生まれてすぐの時期で、スワンと粋筋の女(ココット)オデットとの恋の行方を、その中心にヴァントィユの小楽節を織り込みながら描かれています。

    このヴァントィユの小楽節は、作品のなかにあってスワンのオデットへの想いに対応するかたちで、実に感動的に展開されていきます。ある夜会でスワンがはじめてこの小楽節を耳にする場面、サン=トゥーヴェルト侯爵夫人邸での失望したスワンに偶然もたされた場面は、文学史上最も音楽が言葉を超えて感動的に描かれた場面と言えるでしょう。

    また、オデットは、ボッティチェリの「モーゼの試練」のエテロの娘チッポラと似ていることからスワンに愛されることになるのですが、このチッポラを引き合いに出したところはプルーストならではの美学的センスが覗われ、オデットの魅力を読者に届けてくれるところです。

    第三部「土地の名-名」は、場面が、語り手である私へ戻って、パリでのスワンの娘、ジルベルトとの交友が描かれることとなります。この交友が描かれるなかで、太陽の光を受けバルコニーに現れるキヅタが、語り手の気持ちを反映したような描写でとても印象的に心に残るところです。

    細かな場面を中心にレビューしましたが、「スワン家のほうへⅡ」は、かなり印象的な場面がところどころ配されていて、「失われた時を求めて」のなかに深く入り込んでいくこととなると思います。

  • スワンの心の動きにおいては、ルネ・ジラールのいう模倣の欲望がよく現れていた。オデットに芸術作品的な魅力を見出したとき、いわばスワンだけのオリジナルの魅力を彼女に見ていたため、彼女にまつわる様々な噂話も大して耳に入らなかったのだろう。

    しかし、フォルシュヴィル伯爵に代表されるように、とにかくオデットの周りには男の影が絶えない。スワンに対する態度も冷淡になっていき、共に過ごす時間が短くなる。スワンは模倣の欲望に囚われる。オデットを欲しがる男の数に比例する形で、一緒にいる時間が短くなるのに反比例して、彼女への執着を深めていくのである。それを解決したのも、やはり時間である。自身の失恋を認識し、オデットとの距離を置くことで頭を冷やしたスワンは、オデットを好みの女でもないのに!と認めることができた。

    訳者解説によると、このスワンの恋は失われた時を求めてという小説全体における、主人公の恋愛が辿る軌跡の雛形になっているという。『私』は如何にしてジルベルトとの恋路を進むのか、そしてアルベルチーヌという女性にどのような想いを抱き、どんな結末を迎えるのか。全14巻の道のりは遠いが、なんとか走り抜けたい。

  • 「失われた時を求めて」初回通読チクルスの2巻目。まだまだ先は長いが、できるだけ毎日、少しずつ読み進めている。
    この第2巻は、全巻を通して「スワンは」と、唯一、三人称で展開する。時間軸としては「私」の物語より前の時代、「私」が恋するジルベルトの父、スワンの恋をめぐる物語が大部を占める。旧貴族やブルジョワ層でのサロンのだらだらとした会話が行われる中、スワンの一途というか軟弱というか、まあ恋する男のあるある話も含め、ココット(粋筋、高級娼婦)であるオデットへの恋慕が延々と描かれる。内部・外部事情による葛藤のなか、この恋は終局破綻するかと思うけど、そこはプルースト空間というか、10年程度の間が空いた次の時間軸では、夫婦になり、娘のジルベルトがいて、「私」の幼き恋愛相手の話に転換するというのは、まさにびっくり仰天で面白いなと思った。
    この超越たる世界文学の雄、引続きだらだら読んでいく時間を楽しみたい。

  • 2024.3.21に読み始め、2024.5.15に2巻/14巻を読了。

  • とても意識が続かない。拾い読みって感じ。また来年2巻に挑戦する。

  • スワンの恋まで読んで脱落…
    またいつか…

  • 勝手におもいえがいていた優男のスワンのイメージががらがらと崩れ去って、実に人間味のある女好きの伊達男がにっこりと笑いながらあらわれた。一筋縄ではいかない変態性を帯びながらさらにむきだしになる彼の恋心や嫉妬をみて、かわいいとは想わずにいられない(にやにやしちゃう)。
    愛する小楽節を聴くスワンをとおして、美しく踊る情景をみた。まるでシャボン玉につつまれ、虹色に染まるプリズムのなかを漂っているよう。明細の描かれることのないオデットの想いを妄想するのも愉しい。恋愛への思索は、思春期の若者がよんだら絶望してしまいそうなほど達観していて可笑しい(でも真理)。
    溢れんばかりの心地よさと神秘的充実感をもらたしてくれる恋。恋をしたって(あるいは交友関係であっても)、相手の心のうちは知らないほうがいい。なんて思う。ロマンチックな妄想に絶えず身をゆだねていられるから。
    そして、恋におちるきっかけもそれを持続させる気概も、外的要因における部分が大きいのだと、なぜか惹かれてしまう心理を紐解けば、そんな無味乾燥にもおもえる(ちょっぴり残念な)事柄があらわになるのかもしれない。他人事としてしるのはとても興味深いけれど、わたしはとくに、知りたくないかもしれない。
    でもともかく良くも悪くも、恋は眠っていた昔のじぶんを目覚めさせてくれるんだよな、なんてスワンくんが微笑ましい。まさに恋をして拡がってゆく自分。制御できなくなるじぶん。オデットに会いたすぎて(来ちゃダメってゆわれているのに)、着いてしまったのはパンクチュアルな列車のせいだ、なんてほんとおかしい。
    高まり病める嫉妬心と朽ちてゆく恋心。この恋の苦しみから解放されるために、ひとはだれかと契りを交わすのかもしれない、なんておもっちゃった。

    スワンが愛したあの小楽節に、彼自分のいまや体感した苦痛を重ねてまた違った印象を見出してしまうように、この「失われた時を求めて」も、わたしじしんのとおり過ぎていった幾つものできごとのそのときの想いの、まるで答え合わせのような心地がして、歳を重ねた歓びまでも教えてもらったよう。
    精神の自由のため、気も狂わんばかりに首ったけだった妻のひとりを短剣で刺し殺したという人物のことをスワンが想ったとき、精神が囚われてしまうのがわたしも苦手なことも思い出した(いわゆるオタクのひとたちを尊敬してはいます)。お金にも時間にも余裕があったのなら、またちがう人生観をもったのかもしれないけれど。


    「無味乾燥な人生が永久にぬぐいきれない傷痕をとどめていたからーー」

    「そうなると人は自分の憧れの対象に形を与えようとするのではなく、すでにすぎ去った歳月から、そこにこびりついた習慣や情念の残滓をおのが不変の特徴としてとり出し、まずはその習慣や情念に自分の生活様式を合わせるように意識して最新の注意をはらう。」

    「テーブルのうえに置いたオデットの写真に目がとまったり本人が会いに来たりすると、写真の顔にせよ本人の顔にせよ、それと自分のうちに棲みついた狂おしい不断の心の波立ちとがとうてい同じものとは考えられない。スワンは驚いたふうに「これがあの女か 」と思った。」

    「それは幸せだった日々の想い出が息づいている場所だった。」

    「ありがたいことにそうした芸術家たちは、各自が発見したテーマに相当するものをわれわれの心に呼び醒ますことにより、空虚な無とみなされ、とうてい入りこめず意気阻喪させられるわれわれの魂という巨大な闇が、いかに豊かで多様な富を知らず知らずのうちに宿しているかをしめしてくれるのである。」

    「もしかすると虚無こそが真実であり、われわれの夢はなにもかも存在しないのかもしれない。」

    「あるイメージの想い出とは、ある瞬間を哀惜する心にほかならない。そして残念なことに、家も、街道も、大通りも、はかなくきえてゆくのだ、歳月と同じように。」

  • 「『いやはや、自分の人生を何年も台なしにしてしまった。死のうとまで思いつめ、かつてないほどの大恋愛をしてしまった。気にも入らなければ、俺の好みでもない女だというのに!』」p.422

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