- Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003751114
感想・レビュー・書評
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失われた時を求めて 2巻。
1巻はこちら。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4003751094
1巻の語り手が生まれる前の、中年ユダヤ人スワン氏のお話。『わたし』が誰かから聞いた話として語っているんだが、それにしても状況やら心情やら詳しすぎる 笑
【第2部 スワンの恋】
読む前は、1巻1巻の「スワン家の方へ」「スワンの恋」という題名から、主人公のロマンチックは思い出を想像していたので、スワンというのが中年ユダヤ人というので考えていたのと違ったかも 笑
語り手が生まれる前の話なのに、たまに「わたしは」として語り手の考えも出てくる。
2巻の舞台はパリで、このスワン氏の恋の相手は、オデットという名前のパリの粋筋(高級娼婦?)の女。
スワンとオデットと言われたら美しいものを考えるのだが、実のところは上流社会のサロンでの人間関係物語。誰と付き合うかの見定め、恋も人間関係も仕事も駆け引き、影響力確認のために誰かを貶めることもある。
サロンの中心はヴェルデュラン夫人とその夫。サロンメンバーは、上流社会入りしようとするがイマイチ駄洒落が面白くない医者のコタールと夫に尽くすその妻、気が弱くいじめられるサニエット(いじめもサロンのルールみたい(^_^;))、オデットの愛人の一人フォルシュヴィル伯爵。興味深いのが、同性愛者のシャルリュス男爵。オデットと一緒にいるため愛人かと言われるが、スワン氏からは同性愛者だから安心だと思われて、むしろオデットのお目付け役を頼まれたりしている。本人もきっと洒落もんなんだろうなあ。
この巻は、スワン氏の心の動きが詳細に記載されている。
オデットは高級娼婦のため、他にも男がいるが、スワン氏は彼女にお金を送っている。冷めてもサロンでバカにされても送るのか、そういうもんなのか。
スワン氏の心を捉えるのはヴァントゥイユという(1巻にも出てきた)作曲家が作ったソナタだ。
1巻でも感覚を味や音で表現していたが、2巻では音楽の感じ方や絵画を見た感想で表現されている。
スワン氏がオデットに恋を感じる場面と、冷めたなって感じる場面で聞くのはヴァントゥイユのソナタ。ソナタを聴きながらスワン氏が感じた気持ちの移り変わりが結構長い場面で語られてゆく。
そしてスワン氏が絵画にも詳しいので、色々な絵画を言葉で表現されているのだが、それがその時のスワン氏の心情と合っているようだ。
【第3部 土地の名、名】
他人(スワン氏)の話から、語り手の考えに戻ってきた。
ヴェネツィア、フィレンツェなど、行ったことのない土地の名前について色々考える。
「行かない旅行の空想」は、先日読んだサヴォアの作家グザヴィエ・ド・メーストル「部屋をめぐる旅」を連想した。(メーストルの著書のほうが先です)
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4864882312#comment
そして語り手の過去回想に戻る。
1巻の舞台コンブレーより数年後の話。語り手一家はパリに戻ってきている。語り手がシャンゼリゼ公園に行った時に、ジルベルトという娘に会う。これは1巻でも出てきたスワン氏とオデットの娘だ。
…「スワンの恋」で散々スワン氏の心情、しかも冷めるまでを書いていたのに、その後結婚したのか!
最初は公園で見かけるだけのジルベルトの名前を聞いた時に、人間と名前の関係や、名前が自分の傍を通り過ぎる感じがしたんだとか、音を聞くことにより人間の認識にどう作用するかが文章で表されているのが面白いなと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第1編「スワン家のほうへ」は、語り手の「私」が少年時代を過ごした架空の町「コンブレー」を中心に、1800年代の終わりころを描いています。物語の後半あたりになってくると、ますますおもしろくなってページを繰る手がとまりません。
芸術に造詣が深く、金持ちでスタイルのよい、まるで絵に描いたような上流階級の青年スワンと美しい娼婦オデュットとの嫉妬と狂気にみちた恋。かたやスワンの一人娘ジルベルトへの淡い恋心を抱く少年の「私」の切ない恋。この二つの物語は10年以上のズレがあるのですが(スワンの恋は誕生前の「私」が伝え聞いたものでしょう)、語り手の「私」がつぶさに回想していくなかで、みずみずしい二つの恋がなんの違和感もなく共存しているのは圧巻。やはりあのフォークナーに多大な霊感を与えていますよね。
なかでも気弱な少年の「私」の可愛らしさは秀逸です。病弱で夢みがちで、その風変わりな空想や素っ頓狂な妄想がとにかくおかしい。本で読んだだけの土地や地名の音やその綴りから、とんでもない世界や理想郷をつくってみたり、いざその土地へ家族で旅行しようとすると、脳内はてんやわんやの大騒ぎ、旅行前から独り疲れ果てている「私」、案の定、熱発で倒れこんでしまうなんとも残念な「私」。
「『パルムの僧院』を読んで以来……私には中身のぎっしり詰まった、なめらかな薄紫(モーブ)色の穏やかな印象があったから、パルムの家に招待されると聞くと、なめらかで中身の詰まったモーブ色の穏やかな屋敷に滞在できると考えて大喜びした」
「中身のぎっしり詰まった、なめらかなモーブ色の穏やかな印象」だって、これは一体なんなのだ…笑? プルーストの本領発揮といえばおこがましいですが、彼の意識や夢想は際限なく広がり、さまざまなものに変げしていきます。家の中の調度品、ソファーの布の質感や肌触り、家具や壁紙、しまいにはその町全体の色合いや雰囲気であったり。このあたりの目に見えない感覚を理屈ではなく肌合いとして感じられれば、おそらくプルースト作品はかなり笑えて楽しめるものと思います。ちなみに語り手の「私」はモーブ色が大のお気に入り。朝焼けの空からはじまり、リラ(ライラック)の花、貴婦人の日傘、木陰やら海の蘭?のクラゲやら……(まだまだ続く)。
さて「失われた時を求めて」というタイトルに興味津々の私は、そのヒントを求めて遊んでいます。その第二弾はちょっと大仕掛けのメタファー。例によって夢想にうるうるきらめいている少年が、現実的な大人の一言で、一気に呪縛され「時」に囚われてしまう幻滅と悲哀が目にみえるようで可愛らしい。
「……これらの地点は、それまでは地質学上の大変動と時代を共にする太古の自然の一部と感じられたが――原始時代の漁師にもクジラにも中世など存在しなかったのと同じで、大海原や大熊座と同じように人類の歴史の圏外にあった――、それがロマネスク様式の時代を経験した、と聞いたとたん、私にはその地点がいきなり世紀という時系列のなかに収まるのが目に浮かんだ」
原典にかなり忠実に素晴らしい翻訳をされている吉川さん。その解説も大変興味深くて面白いです。プルーストいわく、人格とか自我は、確固とした不動の実体ではなく、時間の経過とともに生まれては消滅していく「無数の自我」である、と紹介しています。
人間なんて、まるでお天気のようだと私はいつも思うわけで、さっきどしゃぶりになったかと思うと、もうお日様がさしてきた☀ う~ん、そんな変転に我ながら呆れたり感心したり。なので、あまり自我や我執(価値観という名の偏見や先入観も含めて)なるもので、こうと決めつけて自分をがんじがらめにしないほうが閉塞感や桎梏から解放されていいかもしれません。
というわけで、本作も案内役の語り手や「私」がいるにはいますが……なかなかのくせ者であまり信用できません。楽しく騙されながらお付き合いしようと思います。つらつらこの作品を眺めていると、意識の移ろいや自己(人間)探求を愉しんだ『エセー』を読みたくなったり、漱石の、ハエのたかる饅頭をたらふく食べる、ついさっきまで自殺念慮にとりつかれた青年(『坑夫』)を思い出してクスっとします。
すぐれた古典たちは、こういう人間の憎めない愛らしさや深い人生訓、生き方が、シレっ~と書いてあるからやめられない(^^♪
そうだ、そういえば漱石とプルーストは同世代でした。
ああ~なんだか書いているうちに意識がどんどん流れていく? ちがう、ちがう、ただの脱線じゃない?
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「世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものが大分ある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろう位に考えているには弱らせられる」(夏目漱石『坑夫』) -
(2024/02/14 4h)
とにかくページを繰って読み進めるぞ!という意気で1巻2巻と読んでいる。
この第2巻は第1巻よりも目に留まる文章が多く、読みやすさを感じた。
美しい情景描写や共感できる恋愛の仕方など。
引き続き訳者解説が秀逸で、読んでいて混乱してしまっても最後に見事に内容がまとめてあるので、安心。
読み進める気持ちを維持するのに大きく力を買ってくれているとおもう。 -
邦訳で全14巻にもわたるプルーストの大長編『失われた時を求めて』の第二巻。主人公の「私」ではなく第一巻でも登場していたスワン氏の恋を描く物語。
プルーストの描く独特な世界観や美しい表現を吉川先生の妙訳で味わうことができる。
他の巻もおすすめできる。特に無意志的記憶という今や「プルースト効果」とも呼ばれるようになった現象に着目すると興味深く読むことができる。あなたもふと関係ないことをしているときに昔の記憶がよみがえってきた経験はありませんか?
中央館2F:文庫・新刊コーナー 953 P94 1 -
スワン。。応援したいというより諦めろと何度言いたくなったことか。
もっと若い時に読んでたらよかった、と思ってしまったけど、感性や想像力の低下は年齢の問題じゃなくて暮らし方のせいか。 -
スワンを通して、これ以上ないほど感性的に恋愛が広く深く描かれている。舞台や背景は異なれども、私の読んだ中では高揚や泥沼も含めて恋愛の諸相を明かした最高傑作である。
その後の固有名詞をめぐる洞察、主人公の小さな恋人、過去への愛惜と読みどころ満載だ。 -
いやあ、おもしろかった!スワンー!
そんなの愛じゃないのに愛だと信じてぐだくだになっていくスワンの痛々しさ、もう何を信じているのかも分からなくなって混乱して人生の時間が無駄になっていく焦り、
社交界の独特のいやったらしさ、品や教養のない人たちや偽善
今でもなおリアルですごい。
ただ、あんなにぐだぐだになったのに結局オデットと結婚していたことが衝撃的で、なんだよ人騒がせな!って思いました。 -
収録されている当時のパリの地図を見ながら読むのが楽しかった。華やかなパリの社交界を舞台にしたスワンの恋は、激しくて濃密。妄想、思いこみ、嫉妬の嵐。一歩間違えればストーカーだなと思ったけど、恋なんてみんなそんなものかもしれない。オデットの魔性の女っぷりはすごいな。後半部は語り手“私”の淡い初恋。土地の名前に関する夢想は共感をおぼえた。言葉の響きと少ない知識から夢がひろがる。パリに行きたい。
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前巻に続いて、とても読みやすい訳文でよかったです。
この巻では、スワンの恋と物語の語り手である"私"の恋の2つが描かれました。スワンの恋は、恋する喜びと狂気がとてもよく描写されていました。それと平行して語られる、サロンでの人間模様もちょっとした喜劇のようで楽しめました。
"私"の恋は、スワンと比べるとかわいらしい感じでした。でも、恋の本質的なところでは、2つの恋に違いはありませんね。