失われた時を求めて(11)――囚われの女II (岩波文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784003751206

作品紹介・あらすじ

ヴェルデュラン邸での比類なきコンサートを背景にした人間模様。スワンの死をめぐる感慨、知られざる傑作が開示する芸術の意味、大貴族の傲慢とブルジョワ夫妻の報復。「私」は恋人への疑念と断ち切れぬ恋慕に苦しむが、ある日そのアルベルチーヌは失踪する。

感想・レビュー・書評

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  • 「ハトが戻ってきたんだから、もう春なのね」

    「きみ、なにを考えてるんだい?」
    「なんにも。」

    ブリショから語られる昔のヴェルデュラン家のサロンでの愉快な出来事が、ふたたびイメージを上書きする。シャルリュスはシュルジ夫人に下心を悟られ、おねえことばも隠すことなく、"シャルリスム" 全開(愉しい造語)。ますますイジワルばあさんになってきたヴェルデュラン夫人。彼女の意地の悪い策略を、プルーストはにやにやしながら妄想していた(綴っていた)のかとおもうとほんとうに可笑しくてすき(あるいは実際にあった話なのかもしれないけれど、想像は自由でしょう?)。オデットに関する(スワンにとっては)残酷な真実も。ヴェルデュラン夫妻がさいごにみせたサニエットへの優しさにはほっとする。
    「そこから私は、社会や情熱のみならず人の性格についても、固定したイメージを呈示するのは困難であるという結論を導きだした。」

    プルーストの死後に発表されたとあってなるほど、推敲がままならなく繰り返し表現されている事がらやちょっとした矛盾もあるけれど、彼の思念も言葉も(だからこそ)、摘みたての果実のようにどこまでも瑞々しく力強い魅力をはなっていた(いまのところいちばん好きな巻!)。
    音楽や絵画におけるプルーストの解説というか描写は、読む というよりそのセンテンスとなって紡がれた言葉たちがまるでプリズムのように放たれ、心と脳を直撃する。たしかに言葉として文字を読んでいるはずなのに、読んでいることを理解するという手順をふまずにただ 感知する 、というのがぴったり当てはまる。聴いたことのないはずのヴァントゥイユの七重奏曲は、未知の色彩をふるわせ、祈りを奏でる。
    "人間のことばを言いあらわすことのできない思索" はやはりあるのかと、安心と共感で満たされてゆく。芸術家の目(作品)をとおして旅する宇宙。あぁ。このヴァントゥイユの七重奏におけるプルーストの描写や想念の紡がれた数頁はなんと素晴らしいことか。広大無辺の宇宙におけるひとつの星を、わたしたちはみつけた。この感動をことばにしようとしても、「私は、あたかも天国の陶酔が奪われ、なんの意味もない現実のただなかに堕ちてきた天使のようであった。」。

    "現実的で豊饒な陶酔をもたらしてくれるもの"。それはわたしにとっては詩かもしれないな。それとあなたの純真なフレーズたち。"多くの光の感覚、澄んだざわめき、騒々しい色彩"。そんなものが放たれている。それがすべて 虚無 だってかまわない。この悦びの刹那は真実だから。
    そして、うちに秘めた狂気といえば、このひとたちは(「私」しかりシャルリュスしかり)あまりにも刹那的幸福を望みすぎているように思うのだった。その一瞬の幸福感のために、どこかの岐路で苦痛の道をわざわざ選んでしまうのは、ひとのどうしようのない性なのだろうか。"自分のいちばん個性的でない面を表に出し" 、軽蔑されないように、歪んだ自尊心を満たすべくこの虚構を生きるしかない。そんな呪縛からひとはいつか解放されるのだろうか。
    「恋愛においてこの誤解は最高潮に達する。なぜなら、もしかすると子供のころをべつにして、人は自分の思考を正確に反映した外観をとるよう努めるよりも、むしろ自分の望むものを手に入れるのに最も適していると自分の思考が判断した外観をとるよう努めるものだからである。」

    さまざまなモチーフや記憶や幻想から聴こえてくる「死」。それはきみ(彼女)のこころの深奥で響く谺だったのかもしれない。


    「そう考えると芸術家はだれしも、ある未知の祖国、自分でも忘れている祖国、いずれべつの偉大な芸術家がこの地上をめざしてそこから船出する祖国とは異なる、そんな祖国に住まう人かと思われる。[…]この失われた祖国を音楽家たちが想い出すことはないが、しかしどの音楽家も、つねに無意識のうちに、この祖国といわば同音(ユニゾン)を奏でるがごとき調和を保持している。」

    「栄光はそれに見向きもしない場合にのみはじめて見出されるのだ」

    「私があらゆる快楽のなかに、愛のなかにさえ見出してきた虚無とはべつのもの、おそらく芸術によって実現できるものが存在するという約束として、また私の人生がいかに空しいものに見えようとも、それでもまだ完全におわったわけではないという約束として───」

    「嘆かわしいことにわれわれは「善」の本性のなんたるかを知らんのです。」

    「なにせ人間は少しずつ自分を実現してるくものだからね。」

    「その天才がしばしば収めら保存されている悪徳ずくめの器との、うわべは対照的に見える深い結合は、音楽が終わったとき私が囲まれた招待客たちの集まり自体のなかに、俗悪な寓意図として読みとれた。」

    「だがその宝物と引き換えに、私はおのが自由と孤独と思考とを捨て去っていたのだ。」

    「最後にもう一度目をあげて、はいってゆこうとしている部屋の窓を外から見やったとき、その光の鉄格子のなかへいまや自分自身が閉じこめられるのを見る想いがしたうえ、その鉄格子の黄金色の頑丈な柵は、わが身を永遠の隷属状態に置くために私がみずから鍛造したものである気がした。」

    「アルベルチーヌが「このロールはもうフランソワーズに渡して、べつのロールに取り替えてもらいましょう」と言うとき、それはしばしば私にとって、この世から楽曲がひとつ消滅する日であったが、しかし真実がひとつ増える日でもあった。」

    「音楽では、さまざまな音が人間存在の屈折をとらえ、ざまざまな感覚の内的な尖端を再現するように思われる[…]この感覚の内的な尖端こそ、わらわれがときどき覚える特殊な陶酔感を与えてくれる部分である」

    「だがそのようなはるかに次元の高い、純粋で、正真正銘のものと感じられる陶酔を与えてくれる彫刻や音楽が、なんらかの精神的現実に対応していないはずがない。そうでなければ、人生にはなんの意味もなくなるだろう。」

    「偉大な文学者たちはただひとつの作品しかつくらなかった、というか、自分がこの世にもたらすただひとつの同じ美を多様な環境を通じて屈折させただけだ」

    「いまや私がこんなふうに時間の先まわりをして、どんどんうそ偽りのつくりごとを並べ立てたのは、アルベルチーヌを震えあがらせるためというよりも、自分自身を痛めつけるためだった。」

    「愛とは、心に感じられるようになった空間と時間なのだ。」

  • 相手を求めつつ感情とは裏腹な行動を取る様は見ていて滑稽だけどそういう時はあるし覚えがある。本人に自覚がないだけに厄介ではあるけれどそういうのを乗り越えてこそ大人になるとも言える。人種が違っても人は人でしかないし変わりはないというのがまざまざと見せつけられる。

  • ヴァントゥイユの死後、その作品を通して、音楽論、解釈の重要性を開示する部分が見事。

    ナポリ王妃の登場は、ここに来て初めての胸を空く、ドラマチックな展開だ。

    ヴェルデュラン夫妻の意外な一面も、本作らしくなくて良い。

    スワンをはじめ、死または死の際にいる人が多くなる。

    最後のアルベルチーヌへのこじらせ、結末は脳裏を掻き乱される。

    これまでで一番面白い巻。

  • ○他人の生活は闇の中に想いもよらぬ多くの小径をのばしているものだ。
    ○われわれはある種の実体について大げさな想念をいだくあまり、それを知り合いの人の親しい目鼻立ちに当てはめることができない。
    ○行動するというのは、たとえ雄弁であろうと語ることとはべつであるし、たとえ創意工夫に長けていようと考えることともべつである。
    ○社会や情熱のみならず人の性格についても、固定したイメージを呈示するのは困難である。性格もまた社会や情熱に劣らず変化するからで、性格のなかで最も変わらぬところを写呈して、レンズは戸惑うばかりである。
    ○人は自分の思考を正確に反映した外観をとるように努めるよりも、むしろ自分の望むものを手に入れるのに最も適していると自分の思考が判断した外観をとるように努めるものだからである。

  • 原書名:À LA RECHERCHE DU TEMPS PERDU

    囚われの女2

    著者:マルセル・プルースト(Proust, Marcel, 1871-1922、フランス・パリ、小説家)
    訳者:吉川一義(1948-、大阪府、フランス文学者)

  • いい加減節度を守らないシャルリュス氏に苛立ってきた所だったので、疎外されそうになった一幕は大変小気味良かった。
    アルベルチーヌの同性愛の真偽が明らかにならなかったのが残念だった。
    嘘が露呈した後の彼女の態度を見ると、明らかに「私」への愛情は感じられないので女性とも関係を持っていたのかも知れない。
    しかし、最後の最後に出奔した彼女を見ると全く分からない。
    もしかしたら全て「私」の過剰妄想ではなかったのか?
    正体が謎に包まれている状態で消失してしまうなんて勿体ない。
    せめて何を思っているかを打ち明けてから「私」の目の前から姿を消すべきだったのではないだろうか。
    出奔の行為自体が「私」に対する裏切りなので、結局は女性と居たかったと捉えてもいいだろう。
    束縛する男性が猶更嫌いになった。

  • 岩波文庫版。
    相変わらずの観察力と圧倒的な比喩の洪水。読めば読むほど、『これをよく延々と書き続けたなぁ』と変な意味で感動してしまう。
    それにしても、岩波文庫版はもう11巻か……完結までもう少しになってきた。古典新訳文庫版もこれぐらいのペースで出てくれればいいのだが。

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