- 岩波書店 (2014年12月16日発売)
本棚登録 : 611人
感想 : 36件
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (544ページ) / ISBN・EAN: 9784003770016
みんなの感想まとめ
青春と愛、復讐の虚しさを描いた物語が展開されます。主人公ルドヴィグは、小さな冗談によって大学から追放され、その後、共産主義体制下のチェコで復讐を企てます。しかし、彼の計画は思わぬ方向へ進み、復讐の空し...
感想・レビュー・書評
-
プラハの春(1968年)より前の1965年脱稿の作品。「存在の耐えられない軽さ」に続いてクンデラ作品を読んでみた。
身も蓋もない要約をすると、
自分の不用意な手紙がもとで共産党から除名された男が、数年後に、処分の判断をした委員長の妻を復讐のために寝取ったが、委員長はもっと若い愛人とよろしくやっていて復習は空振りに終わりました、
というお話。
ヒロイン的なルツィエさんの過去が突然明かされる場面は衝撃が大きいが本人の内面は殆ど明かされることはない。
終盤に登場するエレナの助手の青年の薬の話(鎮静剤と見せかけて実は下剤で、エレナはそれを知らずに大量服用する)は、全体の暗い色調の中で最も喜劇的な場面だった。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
抒情的な青春時代。
小さな1つの冗談によって大学から追放されてしまったルドヴィグは、復讐のために生きていく。
全ての冗談が真面目に受け取られる世界、共産主義体制下のチェコで、クンデラと主人公の青春時代が重ねられる。
青春はクンデラにとって
自分のことしか見えなくて、それでもそれが愛だと思う、初々しく未熟な時期らしい。
青春と愛、憎しみと赦し、復讐。
復讐の虚しさ、盲目的な人生の空虚さ
クンデラ作品でも結構好きだな -
自分が心血を注いできたことが誤りだった、または駄目になったのだということに直面していく登場人物たちの失望。また、自分を保つために他者を利用することの醜さ、利用されることの悲惨。とてもつらい。
最終章で主人公はひとつの解を提示するけれど、ああいう風に世界をとらえられるほど達観できない。かといって、個人でどうにかするための道も思いつかない。途方に暮れた。 -
「存在の耐えられない軽さ」より読みやすいかな。
-
恋人への一通の絵葉書に宛てた冗談に狂わせられた人生について時代(世代か?)の価値に翻弄されながら、時にはかつて愛した女性への自身のノスタルジアから翻弄され、時には自分を追い込んだ相手への復讐を選ぶ主人公ルドーヴィク。
愛した女性ルツィエについては実体性や物質性、具体性を失って伝説や神話に自分の中で変わっていくからこそ忘れられない程の痛み、そして自身の鏡となっていることに気付く。
自信を狂わせたゼマーネクについては、彼への復讐へとその妻と不義理を交わしたが、目の前に現れたゼマーネクは既に年若い女性と密な仲になっており、復讐は果たせない。そんな中ルードヴィクは二重に間違った信念として信じた罪に対する贖罪は時代により忘れられその課題を代行するのは忘却であることを悟る。
最終章では生まれ故郷に戻って翻弄から逃れた彼の姿があり、人間の想いとは翻弄から逃れる事が自身のためであるのだとも取れ、何か仏教に通じる無我か、レッセフェール的ななすに任せよの哲学性をこの東欧小説から感じた。
-
ミラン・クンデラ。学生時代、存在の耐えられない軽さが映画化されましたが、初の長編小説がこのようなものだったとは。知らなかった。登場人物の独白が、緊密に綾をなし、第7部のクライマックスに向けて螺旋状で、かつ拡散するこの世界及び人間実存の描写が最高です。感動しました。
-
若き主人公の情熱、裏切り、挫折、哀愁そしてゆるし……あらゆる描写が素晴らしいですね。私もこの本はほんとに感激しました。また再読してみたくなり...若き主人公の情熱、裏切り、挫折、哀愁そしてゆるし……あらゆる描写が素晴らしいですね。私もこの本はほんとに感激しました。また再読してみたくなりました~♪2017/04/13
-
-
クンデラさんはこれで二冊目だけど、言いたいことは『存在の耐えられない軽さ』と同じ、かも、し、れな、い。個人的に、コストカさんの叫びで泣きました。また『存在の~』と同じく、直線としての時間を肌で感じる作品。そして円環としての幸せも。
-
著者が37歳のときに書いた長編小説。
発表当時はソビエトと社会主義の暴露小説? のような読み方をされていたらしい(巻末解説による)。そういった読み方はやはり時代性の影響が強いようで、今になってみると暴露小説として読む方が無理があるのではないか、と感じる。どうも西側(当時)で行われた翻訳にも問題があったようで、クンデラは後に改訂版を刊行している。
読んでいて思い出したのは倉橋由美子の短篇、『パルタイ』。『パルタイ』で描かれていた行為もやけに冗談じみていたが、本作で描かれているものもやはり『冗談』じみている。というか、この長篇小説自体が悪い『冗談』なのではないか……という読み方をしたくなる1冊。 -
-
クンデラ『冗談』読了。中期以降の『存在の耐えられない軽さ』や『不滅』のように、作中に作者自らが物語を中断して哲学的脱線することはない。あくまで登場人物の独白という形を取っている。けれども、どう考えても声の主がクンデラだし、彼が後に主張する"人生の実験場としての小説"が作動している。
"個人的な出来事は、たんに生起するだけでなく、なにごとかを語っているのだろうか?私はすこぶる懐疑的な質だが、それでも非合理的な迷信をやや残している。たとえば、こんな奇妙な言念だ。じぶんに生じるあらゆる事柄にはなにかの意味があり、なにかを意味している。" p184
"私はふたりの物語の登場人物としてその女性が好きになるのだ。ハムレットをエルシノール城やオフェリア、彼がたどる具体的な状況のすべて、つまり彼の役割の台本なしに考えるなど馬鹿げているではないか?そんなことをしてみても、物言わぬ幻のような実体以外のなにが残るというのか?それと同じように、オストラヴァの郊外、金網の柵越しにそっと差しだされたバラ、すり切れたドレス、私が希望もなしに待った数週間がなければ、ルツィエはおそらく私が愛したルツィエではなくなってしまうことだろう。" p282
"だかもし<歴史>が冗談を言っているのだとしたら?”このとき私は理解した。じぶん自身とじぶんの全人生が(私を越える)はるかに広大で、まったく撤回できない冗談のなかに含まれているからには、じぶん自身の冗談を撤回することなどできないのだと。" p469
"彼らは(人間、事物、行為、国民などの)記憶の持続と(行為、誤謬、罪悪、過失などの)修復の可能性を信じているが、真実はその逆であり、すべては忘却され、なにも修復されない。修復の役割は忘却によって果たされる。だれも犯された過失を修復するわけではなく、すべての過失は忘却されるのだ"p477 -
あまりにオシャレすぎてジャケ買いした
存在の〜のバキバキ感を求めていたので少し空振り
なんというか目も当てられない
君の私生活覗いて、、なんか、ごめん、、
心が痛いよ、正直すまん -
バロック音楽のフーガを思わせる構成が面白い。コストカに対するルドヴィークの敗北の言がよい。「そして私よりも上手に(以上に、とは言いたくない。というのも、私自身の愛の力は極限にまで達していたのだから)、彼女を愛することができた」 夢破れる4人のそれぞれの結末に不思議と納得してしまう。自分のために奏でる音楽が唯一の救いか。その他刺さる表現多数。ルドヴィークの性欲にはついていけなかったけれども。
「目覚めてからというもの、私は卵にベーコン、それに元気を回復させる一杯のアルコールという、しっかりした朝食にこだわっていたのだ」 「わたしはルツィエを欲していたが、それでいて彼女の愛を恐れてもいた。その愛をどうしていいのかよく分からなかったからだ」 「わたしを必要とし、たまにはわたしの話を聞きたいのだ。日曜のミサでわたしを見かけ、街頭でわたしと出くわしたいのだ。わたしは幸せだった」
「ただ消え去り、ひとりになって、この話を、この悪い冗談を消し、ヘレナとゼマーネクを消し、一昨日、昨日、今日を消し、それらすべてを最後の痕跡まで消したくなった」 -
記録
-
外国文学は、なぜか主語と述語のオンパレードという印象を受ける。
登場人物の心の動きや、場面の説明等が少なく、残念ながらあまり心に残るものはなかった。 -
・ミラン・クンデラ氏の作品は面白い。
・タイトルが「冗談}なのは?
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
ミラン・クンデラの作品
