- Amazon.co.jp ・本 (386ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003770108
作品紹介・あらすじ
「人生はむずかしくはないが、とても不条理だ」。事業も生活も期待通りにいかない。さりとて打開する意志もなく、ただ偶然に身をまかせるばかり。あれこれと思いめぐらし、来し方を振り返るゼーノ。その当てどない意識の流れが、不可思議にも彼の人生を鮮やかに映し出す。独白はカタストロフィの予感を漂わせて終わる。(全2冊)
感想・レビュー・書評
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正直な回想録といった体裁で,特に面白味のある話ではなかった。精神分析特有のの胡散臭さはあまりない。
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一つ一つの章が長く、どこで中断していいのか悩むくらいだが、淀みない文章がどんどん読ませるのと、間が空いてもすぐ思い出せるような理路整然とした文章が魅力の一冊。
主人公の心理面にスポットを当てているので、とても面白く読める。
何かを覗いてみたい方は、ぜひ。 -
上巻はこちら。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4003770099#comment
精神科医に治療の一環として自分の人生を振り返り自伝を書くことを進められたイタリア人のゼーノ・コジーニは、心に浮かんだことをつらつらと書き連ねてゆく。
嘘、二枚舌、嫉妬、裏切り、欲望…彼の語りは相当下衆いのだが、あまりにも淡々と正直(嘘を正直に書いているという意味の正直なんだが)で、なんかそれはそれで人間ってこんなもんなのかとも思えてしまう。
下巻は、まだまだ語りたい愛人とのあれやこれやから始まる。
見掛けは悪いがゼーノを愛し家庭的な妻アウグスタとの結婚生活は割と順調なのだけれど、男として愛人必要だよねーな感じで歌手勉強中のカルラちゃんを愛人にしているゼーノ。
カルラちゃんも心が揺れている。夜は泊まってほしい、自分を妻のように一緒に出掛けてほしい(ゼーノとは同じ街なので人目についたら噂になる)と要求する反面、奥さんのことは、ゼーノを愛して家庭を作っている人ということで尊重している。
カルラちゃんに「あなたの奥様を一目見させて」と懇願されたゼーノは、見栄えの悪いアウグスタではなく、彼女の美しい姉のアーダを見せることにする。
何考えてんだと思うんだが、ゼーノとしては「あんなに美しい妻がいるのに、カルラちゃんと会ってるんだよ。どんなにカルラちゃんを愛しているかわかるだろ?」をやりたかったらしい。なにやってんだと呆れる読者(・。・;
しかし案外素直純粋なカルラちゃんは「奥様は美しいけれど寂しい方だった。夫の裏切りを知っているのよ。もうあなたとは別れるわ」となる。
策を弄してカルラを離すまいとするゼーノ。
でも結局諦めることに。
そしてかつて自分が結婚を目論んだけれど今では愛していないアーダが、夫グイードの浮気に苦しんでいると知る。
さらにアーダはハゼドー病に罹り、従来の美貌をすっかり失ってしまっていた。誇りは高いのに自分が思っているほど美しくはないアーダの姿をゼーノは冷徹に書き記す。
そしてゼーノの考え方が<「女の健康はまず第一に、その美しさにあるはずだから」P245>であり、
アーダに対しては「興味ない」とか「愛していない」とか「今はアーダのほうが俺のことを好きなんだろ?」とか常に考えていて、この時代の男性社会のせいなのか、いい気なもんだというか┐(´д`)┌
そのグイードに対してゼーノは、最初は反発を感じていたんだが、その後彼のことを好きになっている。
そしてグイードが開いた商事会社を手伝うことにする。
この時代の”商売”というのが案外ゆるいというか、行きたい時に会社に行けばいいとか、二重帳簿付けまくったりとか、そんなんでいいのかという感じもするし、こんなゆるくて生活できるなんて、やっぱりゼーノも妻一家も上流階級で気楽だなあという気もする。
しかしグイードは、商才がまったくないし見栄っ張りだし将来の見通しができないしという男。
甘い考えで買う株は暴落し、破産寸前になる。
どんどん損失が膨らみ、帳簿のズルで誤魔化し続けるグイードに対して株の仲買人が言った言葉、「ふしぎなことに、世間には、小さな損失を甘んじて受ける人が少ししかいません。損失が大きくなるまで諦めようとしないのです」(P132)はいろいろなことに使えると思う。
グイードは自殺未遂までして妻アーダとその母マルフェンティ夫人から金を出させようとする。
すべてを失うのかという時のグイードとゼーノは人生観を漏らす。
グイードの「なんと人生は不公平で、つらいものか!」(P196)に対してゼーノは「人生は醜くもなければ美しくもなく、不可思議だ」(P197)、そして「人生は難しくはないが、とても不条理だ」(P226)と答える。
グイードはついに服毒自殺、というより自殺芝居で金をせびろうとしたが、本当に死んでしまったのだった。
不運な偶然が重なったこの結果にゼーノはむしろ怒りすら覚える。<私はベッドから起き上がると、哀れなグイードに対して最後の怒りを覚えた。彼は喜劇を演じることによって、ありとあらゆる不幸を複雑にするからである!P286>
ゼーノはグイードの損失を取り戻そうと奔走するが(「人生で最も働いた50時間」なのだそうだ)、
ゼーノも商売がうまいわけではない。株売買を通して<いくらやめると心に決めてはいても、私はその活動を放棄できなかったのだ、これには驚かされた!P188>と自己分析をしているが、この性質はまさに、結婚や愛人問題や禁煙失敗などに現れ続けているので読者としては「今知ったの?」という気がする(笑)。
さらに不運なすれ違いにより、未亡人アーダから「あなたは私を愛していて、グイードをずっと嫌っていた」との批難を浴びてしまう。この批難があたっているかどうかはわからない。
そしてアーダは、グイードとの子供を連れて、イタリアを出て、グイードの両親がいるアルゼンチンに向かうのだった。
ゼーノの人生語りは一旦ここで切れる。
そして禁煙や精神鑑定を行ったS医師への不信を語り、自分の書いていることは言語敵問題で本心ではないんだとか言い出したり、自分の語りからS医師が導き出した精神鑑定結果をさらに覆してみせる。
ゼーノの生活も、戦争も始まってしまったり、世の中で流行っている降霊術への不信を持ったり、でも自分で夢分析をしてみたり、自分の精神的な深みへ入り、しかしフロイトなどの精神分析を否定してゆく。
はたしてこの手記は、ゼーノの本心が出ているのか?S医師とゼーノ本人のどちらの分析が正しいのか?彼は信頼できない語り手なのか?やっぱり自分でも自分の考えってわからないのだろうか?
この本の題名は「ゼーノの意識」なのだが、過去語りは意識の流れというよりどこか人に読ませる手記のような感じがある。以前訳された時の題名は「ゼーノの苦悩」だったというし、今回の訳でも翻訳者が原語の意味からは「ゼーノの良心」のほうが良かったのか??と考えている事が書かれている。
確かに小説としては「意識の流れ」って感じではないんですよ。
だが最後の章は本当に”意識の流れ”になった。
ゼーノの意識は身近な住人から戦争における世界、そしてその後の世界に及ぶ。
この手記の最後は意識が地球レベルに広がった妙にスケールの大きい、妙にスッキリする感覚で閉じる。
<おそらく、装置によって生み出される未曾有の大災害によって、私達は健康に戻るのかもしれない。毒ガスがもはや充分でなくなったとき、他と変わらないありふれたひとりの人間が、世界の秘密の一室で、現存する爆薬など児戯に類するような、比類なき爆薬を発明することになろう。そしてやはり、他と何ら変わらない別の人間が、ただし他よりもやややんでいる人間が、そのような爆薬を盗んで地球の中心までよじ登り、最大の効果を発揮できる場所にそれを添えつけることだろう、誰も目にすることのない巨大な爆風が起こり、星雲のかたちに戻った地球が、寄生虫も病もない天空をさまようことだろう。P370> -
アイデンティティが不条理とは。