福沢諭吉の哲学―他六篇 (岩波文庫)

制作 : 丸山 眞男  松沢 弘陽 
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  • Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003810415

感想・レビュー・書評

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  • 福沢諭吉についての論文を7つ。これまで福沢諭吉に関する論文は、ほぼ読んでこなかったため、いい勉強になった。
    通常の歴史だと福沢諭吉は「学問のすすめ」や「脱亜論」で語られることが多いが、丸山が明らかにした福沢はそれ以上に先行した啓蒙思想家であったことがよくわかる。
    「惑溺」の考察は非常に興味深いものがあるし、「脱亜論」に関してもミスリードされて使用されていることがわかる。(「脱亜論」に関しては、「福沢諭吉の「脱亜論」とその周辺」に詳しい)

  • 儒教批判、支那批判から、近代アジア・世界史がつながって見えてくるのが面白い。思想、惑溺は少々奥が深すぎるが・・・

  • 過去に成功したビジネスモデル、終身雇用などの雇用慣習といったものをなかなか変えることができずにいる。環境が激変しても、ゼロリスクの空気が蔓延し、不安になればなるほどそれらにすがってしまう。都合のよい前提条件だけを採用し、対処しきれない問題が私たちのまえに残された。固定化されてしまった価値観にすがって、想像力を欠き、環境変化に対応できず、未来への展望を描けない状況が続き、社会の活力を失わせている。

    福沢諭吉の哲学は「現実」と安易に妥協しない。日常生活のルーティンに固執する態度とは反対に、そうした日常性を克服して、未来を開いて行くところの想像力によって、たえず培われるべきとのことである。
    福沢諭吉によれば、物事の善悪、真偽、美醜、軽重とかいう価値判断はそれ自体孤立して絶対的に下しうるものではなく、必ずほかの物事との関連において比較的にのみ決定されるという。価値判断の相対性の立場をとり、それは価値を固定したものと考えずに、具体的状況に応じて絶えず流動化し相対化するということは強靭な主体的精神にしてはじめて可能になる。
    これに対して主体性の乏しい精神は特殊な展望にとらわれ「場」の制約された価値基準を抽象的に絶対化してしまい、当初の環境が変化し、あるいはその価値基準の実践的前提が意味を失った後もこれを絶対の拠りどころとし墨守する。ここに福沢諭吉のいう「惑溺」という現象が生まれる。あらかじめ与えられた価値基準を万能薬としてそれにすがる。これは人間精神の惰性を意味する。
    精神が社会的価値観や自己の展望を相対化する余裕と能力を持てば持つほど社会関係はますますダイナミックとなり、精神の惑溺の程度が甚だしいほど、社会関係は停滞的となる。
    価値判断の絶対主義が伴わなければ、価値観の独占が破れ、価値決定の源泉が多元的となり、そこに必ず「自由」が発生する。
    福沢諭吉は人びとにいかなる絶対価値も押し付けることなく、人びとを常に多元的な価値の前に立たせて自らを思考しつつ、選択させ、自由への道を自主的に歩ませることに生涯を捧げた。

    今、私たちに必要なのは価値観を勇気を持って相対化し、固定化された前提条件を見直し続けていく、試行錯誤による不断の前進ではないだろうか。
    どんな価値観も絶えず新陳代謝を繰り返し、時代の変化の中でブラッシュアップしていかなければならない。

  • 碩学丸山 眞男による福沢論。もっと難しいかなぁと思ったが、すんなりと入ってきた。特に重要なのが、『福沢に於ける「実学」の転回』と「福沢諭吉の哲学」。福沢の新発見、再発見の連続だった。義塾歴7年の私が、いかに今まで怠惰であったか!(笑)ということが露呈してしまう。。。さらに驚くべきは、端的に言って、ポストモダンの極致、シミュラークルの到来を、この時期すでに福沢が指摘していたところ。これは本当にとんでもない。こういう福沢の「妖しい」魅力を、とりわけ10代の人たちにおもしろく伝えるには、うまい「翻訳」が必要なんだが、それについてはまだまだ私の修行が足りません。精進します。それにしても、150年前の先生の教えがずっと伝わっている(と肌で感じる)塾ってそりゃすごいことだよな。

  • \105

  • 福沢諭吉×丸山真男。

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