- Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003810439
作品紹介・あらすじ
明治以降の日本のナショナリズムは、なぜ超国家主義へと突き進んだのか?敗戦の翌年、日本軍国主義の精神構造に真っ向から対峙し、丸山の名を高めた表題作。他に、冷戦下でのマルクス主義とマッカーシズムについてなど、著者の原点たる戦後約一〇年の論考を集成。
感想・レビュー・書評
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丸山眞男ほど毀誉褒貶の激しい思想家もめずらしい。解説子の指摘を待つまでもなく、丸山の日本ファシズム論が「社会科学」として実証に耐えないことに異論の余地は少ない。それでもなお繰り返し議論の対象とされ、こうして生誕百周年にアンソロジーが編まれるのは、一面的であるにせよそこに何ほどか真理が含まれており、それが我々の琴線に触れ、また痛いところをついてるからであろう。
肯定するにせよ否定するにせよ丸山を論じる時、誰もが否応なく「熱く」語ってしまう。これは我々日本人の深層心理と関係があるに違いない。確か福田恆存が言ってたと思うが、明治以降日本人は自らの短所ばかりあげつらうことと、逆に長所ばかり強調することを交互に繰り返してきたが、それは自分に自信を持てないことの表れであると。おそらくこれが丸山への愛憎の正体ではないか。西洋文明という怪物の脅威におののき、師と仰ぎ、乗り越えようと苦悶した近代日本の悲劇であり宿命でもあるだろう。
丸山の言う「無責任の体系」とは、山本七平が「空気」と呼び、河合隼雄が「中空構造」と名付けたものと重なり合うが、好むと好まざるとにかかわらず日本文化に深く根ざすものだ。時代が置かれた状況により、それは短所となりまた長所ともなるだろう。確かなことは我々が歴史と文化に規定された「日本人」であることを逃れようもないということだ。反省や批判でどうなるものでもない。であればそれを運命と思い定め、愛しみ、自信を持つより他ないだろう。その上で自らの長所と短所を曇りなき目で見つめ、それと正しく付き合うことだ。これは無批判な現状肯定でもなければ「ズルズルべったり」でもない。自分だけを日本人から除外して、安全地帯からなされる日本批判は「ズルズルべったり」の裏返しでしかない。『日本の思想』を読めばわかるように、それは丸山自身が忌避したことだ。
かく言う評者とて自信のない一介の本好きに過ぎない。丸山を語る時は人並みに熱くなる。学生の頃この有名な表題論文を読んだ時の異和感は、四半世紀を経た今読み返してもやはり変わらない。あの戦争が絶対悪であるという大前提からスタートし、それに繋がる一切を否定するという態度には根本的な錯誤と欺瞞を感じざるを得ない。真理は多面的である。過ちも非道もあったであろう。しかし総力戦を戦うということは「無責任の体系」や「抑圧移譲の原理」といった概念装置で説明できるほど簡単なものとは思えない。「天皇制ファシズム」という神話から丸山を解き放つ時、この偉大な知性の遺産を継承する「可能性の中心」が開けると思う。 -
難しかったです
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不勉強ながら丸山眞男を読まずにきてしまいました。戦後10年ほどの論考、講演録を収めたこの本、非常に勉強になりました。「現代文明と政治の動向」は、あたかも今の時代を描いているようにも思われ(登場する諸国などを今の状況に置き換えてみると)、偉大な思想は古くならないことを実感。
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敗戦後あまり間をおかずに発表された論考の集成で、早いものは1946年に発表されている。よくこんなのをすぐ書けるなという驚きの一方、とにかくも頭の中をdumpして、そこに土台を築かないことには思想的に前に進んでいかれない、という切迫した思いも感じられる。
今日にも通じるような「無責任の体系」論や、目的が欠如したところに生まれるニヒリズムへの警鐘もあれば、結果を知る現在からみれば過度のコミュニズムへの期待もあり、思想史的にも興味深い。「労働者」っていまはどこいっちゃったんだ。
丸山が引く東京裁判の速記録によると、弁護人は1928年から1945年までの間に内閣が15代も変わったところに驚きをもって日本政府の非合理性・盲目性をみているが、今でもまったく変わっていない。海外のメディアはこの非合理性は理解できないだろうし、日本人でも合理的な説明はつけられまい。
丸山は屈辱的な軍隊経験をよく語ったということだが、なんとなく在郷軍人会や地方の擬似インテリに対する嫌悪感を本文からも節々に感じた。 -
今から見れば確かに首をかしげたくなることはある。しかしこの先見性には舌を巻く。まるで今のこと言ってんじゃないの?と疑いたくなるくらい。
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『現代政治の思想と行動』を中心に戦後約10年の論文を9編セレクトしたもの。
論文自体は発表された当時から有名な論文が多く、『丸山眞男集』にも収録されているので特に目新しいものはない。
しかし、この本には編集者の注がついており、丸山文庫の資料をふんだんに使うことにより、その思想の成立過程の一端をのぞくことができる。また、今からだとわからない時代背景であったりについても解説が入っているので、若い人には読みやすいと思う。
丸山は確かにいろいろ評価がわかれるところではあるが、間違いなく色褪せない論文を書いている。
そして、それは未だに克服されていない問題も多い。
日本の民主主義を考える上で、避けては通れない人物であるのは間違いない。
個人的には、このシリーズに古層論文と江戸期の論文のシリーズが出るのを期待している。 -
311.3||Ma
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戦後間もない頃の政治学論文・講演録集。
最初の方の、戦時中における日本独特の「ファシズム」体制についての分析が面白かった。
漠然とした表象に忠義を尽くし、「みんなで」そこに一新に命を賭す。みんなで、空気のままにやっているわけだから、誰も責任者はいない。強いて言えば全員に責任があるとしか言えない。イタリアのファシズムとレジスタンスの歴史と比べると明らかに異様な戦時下の日本社会は、なるほど、「誰も責任をとろうとしない」ままに敗戦を通り抜けた。
そして今、福島原発事故に関しても「誰も責任をとろうとしない」ままに、「空気のせい」と言わんばかりの逃避言動がまかり通っている。
こうした無責任な言いぐさは公務員の得意とするところでもあり、いわば「官僚的」性質だ。個人は自らの行為を自己の選択に基づくものとはなかなか認めない。逆に言えば、自分に責任が帰着しないように、うまく間合いをとりながら行動している。
これは「私的な領域」を決して社会と結びつけようとしなかった日本的特質が結果したものだろう。
これのために、現在も無責任でいいかげんな政治が政府内で行われているのだから、困ったことである。やはり何かが、ざっくりと変わらなければ、この国に民主主義は実現しないのではないかという気がする。