朝鮮民芸論集 (岩波文庫)

著者 :
制作 : 高崎 宗司 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 20
レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003810514

作品紹介・あらすじ

植民地下の朝鮮に渡り、李朝・高麗陶磁の窯跡の調査や朝鮮の民芸品の収集・研究に精力を傾けた浅川巧(一八九一‐一九三一)。その一連の仕事は、柳宗悦の民芸運動にも多大な影響を与えた。「朝鮮の膳」「分院窯跡考」「朝鮮茶碗」など十二篇を収録。

感想・レビュー・書評

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  • 均一化された工業製品じゃなく。
    二本の手がほそぼそと紡ぎだすモノたちの、美しいこと。
    ため息がでる。

  • 凡ての場合、正しき使命をもつものの存在は飾りになっても邪魔にはならない。邪魔になるものは無用のものに限る。(39p)

    疲れた朝鮮よ、他人の真似をするより、持っている大事なものを失わなかったなら、やがて自信のつく日が来るであろう。このことはまた工芸の道ばかりではない。(昭和3年3月3日 於清涼里)(45p「朝鮮の膳」より)

    実用の中に本当の美を見出し、本当の美の復活を田舎で細々と使われていたお膳や陶器、箪笥を探し出すことで明らかにし、陶器の破片を拾い蒐めては、昔の窯跡の復活を願い、記録した。その記録を美しい日本語で書き、戦前の朝鮮で出版した。浅川巧(1891-1931)は、日本人として朝鮮の人に慕われている数少ない、そして韓国内の共同墓地に墓がある唯一の日本人として、今年私は大いに興味を持った。

    著書を読んでわかったのは、地道で誠実な人だということである。大きな運動を起こす人でも、リーダー的な人でも無い。しかし、一片の陶器の破片から世界の凡てを見通せる人である。一冊の本から『人格』が匂いたってくる。

    「金海」という文章にビックリする。浅川巧は亀浦駅から川向こうの山をひと目見て、その向こうに窯跡があることを予感したのであるが、実際その場に立って見て、見えるのは広大な洛東江の川の流れと広い平野なのだ。彼はおそらくそこから川を渡り、金海の街中に入り、更に山の奥に入って行く。私の遺跡を捜す旅よりさらに困難な旅を嬉々とやっており、私もいつかこんな旅をしたいと思ったのである。
    2012年9月17日読了

  • 「白磁の人」を読んで浅川巧という人に興味を持つようになりました。
    朝鮮の工芸、窯あとなど色々丁寧に調べてあり、柳宗悦に影響を与えた人物。

  • 朝鮮の民芸品をイラスト付きで解説。‘論集’と言うほど硬い本ではありません。

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著者プロフィール

浅川巧は明治24年(1891)山梨県北巨摩郡甲村(現・高根町)に生まれ、農林学校を出て、大正3年、兄伯教のいる植民地朝鮮に渡った。朝鮮総督府農工商部山林課の林業試験場に勤務しながら朝鮮人と交わる。禿げ山の多い朝鮮の山を緑化するために土壌に合った樹木の研究・育成に努める合い間に、朝鮮の民間の工芸品(のちに柳宗悦により「民藝」と称される)の価値を発掘し、柳とともに朝鮮民族美術館を設立する。乏しい給料から朝鮮人の子弟に学資を人知れずに援助したり、民間の忘れられている工芸品の名称や地方の陶磁器の窯跡を探索する行為は、「清貧に安んじ、働くことを悦び、郷党を導くに温情を以てし、村事に当つて公平無私」(浅川兄弟の祖父)だった類い稀な日本人であった。今回、発見きれた日記の中で、植民地支配が「朝鮮」の破壊につながることを告発している。42歳の短い生涯を閉じたが、墓地に埋葬する際に村の多くの朝鮮人に担がれて運ばれた。植民地下の朝鮮に生きて、朝鮮(文化)と朝鮮人を愛し、また朝鮮人からも愛された希有な生涯を送った。

「2004年 『朝鮮陶磁名考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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