- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003812204
作品紹介・あらすじ
人はどうやって結婚相手を見つけ、子をなすのか?既成の学問が問うてこなかった婚姻習俗の歴史と意味を、柳田は積極的に論じた。「嫁入」ではなく「聟入」が長く行われたこと、娘宿・若者宿の性教育の場としての機能、仲人の役目など。結婚制度が大幅に変わった戦後直後に刊行された、興味尽きぬ読み物。
感想・レビュー・書評
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現在では夜這いという言葉は印象の、よくない言葉であるが、
「たとえばヨバヒという言葉の内容が、はなはだしく低下して、後には君父の前では公言しにくいような、醜悪な所行のごとく、解せられることになったのも一つの結果である。上代の史書や文学にいくらでも用例は求められるが、ヨバヒは聘礼であり、またしばしば婚姻という漢語をもってその対訳としていた。野辺の維子や山川のかわずの鳴く声を、ツマヨブといったのを見てもわかるように、本来はヨバフすなわち続けて喚ぶことを意味する語の名詞形で、もとはあるいは両性互いに相喚ぶことをいっていたのかも知れないが、後々は男子の遠くより、尋ね寄る場合にのみ多く用いられたのは、おそらくは喚とか呼とかいう語の影響であって、自然に近隣に住む者の間、殊に女子の場合には言わなくなっている。しかし今でも現に口言葉の方では、人を招請することをすべてヨブといっており、そうしてまた嫁聟を家に迎え入れることもヨブであって、ただヨバヒだけが、きわめて区々の意味、区々の場合に限定して用いられているのである。」
とある。そう、呼び合うのである。
なんとロマンチックな言葉であるだろう!
そして、女性の婚姻の、自由は保証されていた。
「家が婚姻の自由を制約する風は、以前もすこしはあり、近世に入って著しく増進したことは事実である。
ただその動機には家の利害、殊に経済上の必要があったのみで、当人自身の好み、,すなわち配偶者決定の自由とは本来は別であり、村の生活では、この二つの自由はもとは両立し得たのである。実例をもって話した方がわかりやすい。
内海西部のある島では、父ただ一人と同居する三十がらみの娘があった。男があり子が生れても、父は家事をする女が他にないので、嫁に行くことには同意しない。
それでは男の方も困るのでやがて来なくなると、またその次の男が出来て子が生れる。それを世間でも格別悪く言わず、どうも致し方のないことと見ていたようである。普通ならば養子聟を取る場合であろうが、それにはやや貧乏過ぎていたのみならず、娘の選んだ男が偶然に来られぬような身元の者ばかりであったかと思われる。
あるいはまた広島県の山の中の村で、模範青年で若い者の頭もしている男が、年頃の妹とただ二人暮していた。
その妹はしきりに縁付きを望み、約束が出来たので、すぐに行ってしまうと、あとには兄一人が男暮らしをして、次第に年を取って行く。
この方は主婦の任務があまりに重く、常の日の労働の烈しいこともわかっている上に、何か故障があればすぐに負担がかかるので、新たに親戚になろうとする家が少なく、それを予知することができるゆえに、好い若者だが約束をする娘もなかったらしいのである。
女が強いられて心にない嫁入に導かれ、またはいずれか一方にそういう下心がありとも知らず、
うっかり道約束をしてしまって、後に悶著の種を蒔くようになって、家の干渉というものは一段と厳しく、親の知らない婚約は野合と看倣さるるに至ったが、これがもし野合ならば、
中世以前の縁組は九割九分までがそれであった。
親は通例は婚姻の成立して三日後に、その告知を受けるものとなっていたからである。
これがしばしば意見の抵触に帰するようだったら、そんな慣行は永く続くわけがない。
つまりはあらかじめいっさいの障得がないような、安全な判断を下すだけの力が、少くとも村々では養われていたので、自分などはそれを娘宿、または娘組の機能に帰しているのである。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
婿入り婚があって、それから嫁入り。
自由恋愛があって、明治以降、武士にならって見合いが主流になり、再び自由恋愛となる。見合いは長い歴史の中で、ほんの少しの間。 -
恋愛結婚が主流の今日。一般的には昔は自由恋愛などなくお見合い結婚が広く行われてきたと考えられているが、本書ではお見合い結婚が登場するよりも前の、とくに農林漁村で行われていた婚姻慣習が扱われている。家よりも若者組・娘組などの同年齢集団の発言力が強かったこと、嫁入りではなく婿入りの方が多かったことなどなど、目からウロコ。「伝統」とされるものたちがいかに国家や法制度によって作り上げられてきたのかがよくわかる。民俗学の存在意義は大きい。