何が私をこうさせたか――獄中手記 (岩波文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003812310

作品紹介・あらすじ

関東大震災後、朝鮮人の恋人と共に検束、大逆罪で死刑宣告された金子文子(一九〇三‐二六)。無籍者として育ち、周囲の大人に虐げられ続けながらも、どん底の体験から社会を捉え、「私自身」を生き続けた迫力の自伝を残す。天皇の名による恩赦を受けず、獄中で縊死。

感想・レビュー・書評

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  • ブレイディみかこ著『両手にトカレフ』で知り、読みました。まず、小学校すらまともに通えていない著者が、よくこれだけの自伝を書き上げたものだと、壮絶な執念を感じました。文章力も記憶力も凄まじい。全てが正しい記憶ではないとしても。得意と苦手の幅がすごいのでしょう。我慢強いところと、我慢が足りないところ、その両方で『えっ? そこで…?』と、私には理解できない行動に、イライラさせられることも。また、朝鮮での7年間の様子はあまりにひどくて、途中で読み進められなくなりそうでした。読み終えて、書き残してくれたことに感謝します。

  • フレディみかこ『両手にトカレフ』を読み、初めて金子文子さん(実在の人物)を知り、読んでみました。
    知っているつもりのこの時代の女性の扱いは、現代のペット以下のような気がします。自殺を思い留まり生きてきた彼女が獄中で自死したのはとても哀しいです。
    元気な時しか読めません。

  • ブレイディみかこさんの『女たちのテロル』『両手のトカレフ』を読み金子文子についてもっと知りたくなりました。
    無籍者として育ち、不遇、壮絶などという言葉では到底語れないような人生。頼り守ってくれるべき両親からも不当な扱いをされ、特に朝鮮時代の人生は読むのが辛すぎて何度もページを閉じました。
    17歳で東京へ出てきてそこでも多くの裏切りにあい、19歳で朴烈と出会い23歳まで駆け抜けた文子。大人から虐げられ虐待を受け、それでも自らの生きる道を突き詰めた。朴と過ごした時間が唯一の安らぎだったのかもしれません。

  • これすごいな。
    もっと知られるべき本だと思う。
    この本に興味を持って読み始める前に最初に懸念したことが昔の本だから読みにくいんだろうなということ。
    原文がわからないのでもしかしたら編集の方の力かもしれないが、とにかく読みやすい。
    そしてこれは著者本人の力であろうが、そこらの小説よりもとても面白い。
    一般にはこの時代は純文学の時代と重なるものがあるのだろうが本当に社会の底辺で生き抜いてきたからこそのリアリティを感じた。
    闇の時代。日本が本当に貧乏だった時代。そういった今ではあまり聞かないこの時代のことがとにかく生々しく表現されていた。

    ひとつ唯一残念なのは結婚をしたところで手記が終わるところ。
    その後に震災があり、文子が社会の中で特異な人生と最後を迎えるという事実があるのだがそこの描写は極めて少ないこと。
    その時にどう考え、どう行動したのかを読んでみたかった。

    しかし本当に頭の良い人だったんだろうな。
    そして境遇からなのか、その頭の良さゆえなのかとても生きにくい人生を歩み切った人なのだろうとも思った。
    あくまで文子主観の内容なのでありえないような辛い出来事すべてがただの理不尽とは言い切れない。
    本人と周りとの軋轢も多々あったのだろう。
    そういった中で自己を確立していった人生とその手記内容に圧倒されてしまった。

  • 2018年大阪アジアン映画祭で上映された「金子文子と朴烈」を見て、彼女の短い一生がどんなものか知りたくなり図書館で借りて読んだ。どんなに貧しく苦しくても学ぶことの希望を捨てず、生きる一縷の望みを日々なんとか見いだしてきた生い立ち、背景を知って愕然とした。今また、時代はあの頃に戻りつつあるような気がする。不安と絶望の中に微かな希望を抱きながら、人々は日々を生きていくしかないのだろうか。

  • ぐいぐいと引き込まれていった。
    今自分のもっている「言葉」や「枠組み」では何とも捉えようの出来ない、そういうザラつきが読後も、体を占拠している。

    金子文子というひとりの「身体」が出会った人々、出来事、そこに潜在する人間社会や歴史の「不義」「不条理」を我々は「見る」わけだが、しかし逆にそうした「人間社会」や「歴史」の「不義」「不条理」を構成する一成員としての「みずから」を「見られる」、そういう反転の起こる作品であった
    ------------
    引用

    間もなく私は、この世から私の存在をかき消されるであろう。しかし一切の現象は現象としては滅しても永遠の実在の中に存続するものと私は思っている。

  • 壮絶だった。なにから書けばいいかわからないくらい壮絶だったが、読めて良かった。
    こう書くと軽く見えるかもしれないが、現代でいう親ガチャ失敗、生まれが選べないことによる貧困、教育を受けさせてもらえない等の数々の困難が降りかかる。まだ下があるのかと思うほど、読み進める程に酷く悲しい。それでも、子供から搾取する大人に囲まれ、虐げられた時代を長く過ごしたにも関わらず、幾度と「自分は間違っていない」と思える心が本当にすごいと思った。

    私は自分が将来、仮に親になることを考えるととても不安で、子供に施しをすることが出来るのだろうか…と考えることが多い。それでも、文子の言葉を読んでいると、特別何かを与えるのではなく、子供を騙さないことや大人の都合や責任を押し付けないこと、愛情を持って居場所を作ること、それだけできれば充分すぎるほど親なのではないかと気付かされた。

    これほど本のタイトルが内容を表しているものも珍しいと思う。文子がどうして恩赦を受けず、縊死したのかが凝縮されていた。帰る場所がなく、心安まる場所がなかった文子が自身の人生を見出したのが朴なのだと思う。

  • 他人の意見を鵜呑みにして、自分の思いを蔑ろにしそうになる時、つい自責の念に駆られそうなとき、金子文子さんの考え方を取り入れると、自分を大切にできると思った。

    『お前が悪い』と言ってくる人に負けて
    自分が悪いのかも
    と思いそうになる私自身に対して、
    なにを問いかければいいのか
    のヒントをもらえる本だった。

    一番感銘を受けたフレーズ
    『-子供をして自分の行為の責任を自分のみに負わせよ。自分の行為を他人に誓わせるな。それは子供から責任感を奪うことだ。卑屈にすることだ。心にも行為にも裏と表とを教えることだ。誰だって自分の行為を他に約束すべきではない。自分の行為の主体を、管理人に預けるべきではない。自分の行為の主体は完全に自分自身であることを人間は自覚すべきである。そうすることによってこそ、初めて、人は誰をも偽らぬ、誰にも怯えぬ、真に確乎とした、自律的な、責任のある行為を生むことができるようになるのだ-と。』

  • 23年の短い生涯を強烈な密度で過ごした著者。
    苦境また苦境、さらに続く苦境。
    およそ100年前に実在したこの体験が、今こうして書籍となり読むことができることに対して感謝したい。そう感じる一冊だった。

    筆者は、とある理由で死刑宣告を受ける。
    恩赦により、無期懲役に減刑されるが、それを拒否し、獄中で自殺。このとき23歳。この人の人生には何があったのか。

    彼女の幼少期は、身勝手で責任感のない大人達の間で翻弄された。父、母、多くの親族等々。朝鮮時代の祖母とかゴミクズ。暴力を振るわれ、尊厳を無視され、侮辱され馬鹿にされ、自由を奪われた。それでも、強く生きようとする。10歳やそこらの少女がこの境遇に絶望しながらも生き続けられたのが奇跡だと思わざるを得ない。

    戸籍がないことは、本人の責めに帰すべきでは当然ない。両親によってのことだ。これに起因する事柄だけでも、彼女は幼い頃から大変な苦境の中に立たされ、大いに苦しめられた。戸籍がなければ皆が行く学校に行けない。手を尽くしてなんとか入学した学校でも、主に大人から悲しい扱いを受ける。

    朝鮮時代の閉塞感はあまりにつらい。
    これは、祖母と叔母による支配が原因だが、子供が打破できるものではない。どうしようもないのである。(最も辛い出来事は本書には書かれていないとのこと)

    彼女は自身に対してこう述べる。
    「こうした境遇に置かれた時、私が自暴自棄的な気持ちになったのは咎められるべきであろうか。無論私は、咎められるべきである。私は私自身の生命を冒涜しているのである。」

    これほど強く、自分の人生の意味を捉えようとした経験が自分にはあるだろうか。
    自分の生は、自分によって薄められていやしないか?



    どんなに苦しくとも折れない彼女の生き方に、頭を殴られるかのような衝撃を受けた。必ず再読する。

    余談だが、自死の誘惑に駆られた時の様子は、会社に追い詰められた過重労働者のそれと重なるものがあった。踏み留まるのにも、同じ理由が適用できると思う。

    女性差別満載の時代で、今こうして読むとおいおい…となるが、当時を自分が生きていたとして、違った判断・言動ができるかと言ったら。。
    「現代のあるべき論のもとに」ではなく「真に正義のもとに」何か言う・行動できるか。私にはその自信はない。

  • 瀬戸内寂聴の『余白の春: 金子文子』 (岩波現代文庫) からこちらに。たしかに壮絶な人生だけれど、これをただ不幸という言葉で表現しては、命の本質を捉え損なうことになると感じる。生活としては破綻しているが、人生は逆にこれ以上なく充実していたと思える。

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著者プロフィール

金子文子(1903年〜1926年) 
1903年横浜に生まれる。出生届がだされず就学できなかった。父が家を出
て母の妹と同棲、母も男との同居をくり返す。「家財道具を売り、床板をはずして薪にかえた」ほどの貧困な暮しであった。1912年9歳から16歳まで、養女として父方の祖母に迎えられ、朝鮮で生活する。だが、「無籍者」として虐待をうけ食事さえ満足に与えられなかった。朝鮮人のおかみさんから「麦ごはんでよければ」と声をかけられ、「人間の愛」に感動し、日本人が権力を振るい朝鮮人を搾取するさまを目の当たりにする。1919年日本にかえされる直前、3.1独立運動に遭遇する。
1920年17歳で上京。新聞売りや「女給」などで自活しながら苦学する。キリスト教、仏教、社会主義、無政府主義の思想に出会う。22年朴烈と知り合い、雑誌『太い鮮人』を創刊。 23年9月3日、関東大震災の混乱の中逮捕、「治安警察法違反」で予審請求される。26年3月25日、「大逆罪」で死刑判決。のち恩赦により無期懲役に減刑されるが、7月23日獄中にて縊死。「すべての人間は人間であるという、ただ一つの資格によって」「平等」であると確信した文子は、「権力の前に膝を折って生きるよりは、死してあくまで自分の裡に終始」した。23歳であった。

「2006年 『金子文子 わたしはわたし自身を生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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