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Amazon.co.jp ・本 (540ページ) / ISBN・EAN: 9784003812822
作品紹介・あらすじ
「自らを歴史学と任じて久しい考古学が、その独自の資料のみを使ってはたして歴史を復原・再構成しうるものかどうか」。たゆまず積み重ねた発掘成果からの歴史叙述を試みた、記念碑的名著。農耕が成立した弥生時代から前方後円墳が造られた時代へ、日本列島における階級社会形成の過程を描き出す。(解説=下垣仁志)
みんなの感想まとめ
考古学的資料に基づき、弥生時代から古墳時代にかけての日本の歴史を体系的に論じた本書は、独自の視点から階級社会の形成過程を描き出します。文献資料に依存せず、遺跡や出土品を通じて古代の社会や生活を想像する...
感想・レビュー・書評
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この戦後考古学の記念碑的な労作(1983)が、今年1月に岩波文庫に入っていたことを最近気がついた。弥生時代から古墳時代にかけて、階級社会の成立を、文献資料の「ぶ」の字も使うことなく、考古資料のみで書き上げた名著。
噂には聞いていたが、正に名著だった(←大事なことなので繰り返しました)。ホントに緻密に作り上げた歴史書だった。
近藤義郎先生(1925-2009)には、一度もお目にかかったことはなかったけれども、唯一「先生」と呼ばせて貰っている考古学者である。尊敬している学者は数人いるけれども、「先生」と呼ぶには理由がある。韓国を旅して、釜山と普州の大学で研究者とたまたまお話した時に「岡山から来た」というと、2人とも「あゝ、近藤ソンセンニム(先生)のいらっしゃった岡山ですね」と言ったのである。後に私は、戦中に大陸から掠奪した考古学遺物の返還運動を近藤先生が行っていたことを知った。その他、現代の市民を巻き込んだ遺跡発掘・保存運動の先駆けも果たしていたことも知るようになる。更には、吉備祭祀の中心を為す特殊器台が大和政権祭祀の中心を為し、それが埴輪に変化したことを最初に突き止めたのが近藤先生だった。私の関心の中心は、学べば学ぶほど、先生の周りを回っていた。
あんまり語ると長くなるので、(もう既に充分長いが)歴史書の中身は読んでもらうしかない。40年前の書なので、専門的には物足りないところもあるかもしれない。だが、素人の我々には、それでも多々発見があった。専門家にとっても、論旨の作り方は、おそらく重要な刺激になると思う。文献資料(「古事記」「魏志倭人伝」等)を一切使うことなく、それだけでなく他考古学者の研究成果をもほとんど引用することなく、自ら発掘した考古資料を中心にしてここまで緻密な歴史書を書いている本を、私は他に知らない。
思えば、私が「古事記」を以て倭国統一の歴史を語る新書(例えば「出雲と大和(村井康彦)」)を信頼していないのは、先生の影響である。古事記から弥生晩期を語るのは、現代時代小説を以って戦国時代を語るよりもはるかに歴史学を侮辱する行為だ、と私は思う。
以下は詳しい目次である。本の構成と大体の内容は、それで類推できるはずだ。そのあとに、本を見事に要約した下垣仁志氏の解説を更に私的に要約する。その他完全に私的学習メモも置く。ホントに無視してください。
第一章 弥生農耕の成立と性格
一 はじめに
二 農耕技術の体系的採用
三 前期水田
四 集約農耕
五 分割耕作
六 東日本への農耕の波及
七 不均等発達の始まり
第二章 鉄器と農業生産の発達
一 鉄器化の進展
二 灌漑水田の普及
三 土地生産性の向上と共同労働の増大
第三章 手工業生産の展開
一 余剰の形成
二 男女分業
三 縄文社会の分業と交換
四 交換の不均等的拡大
五 分業生産の在り方
六 集団間交易
第四章 単位集団と集合体
一 単位集団
二 単位集団の構造
三 単位集団の「自立性」
四 集合体
五 集合体と単位集団
六 「自立性」と共同体規制
第五章 集団関係の進展
一 氏族共同体とその急速な集団分岐
二 氏族と部族
三 氏族・部族の規制力の強化
四 北部九州首長墓の示すところ
五 高地性集落と武器の発達
六 大和における強大部族連合の成立
七 首長と成員
第六章 集団墓地から弥生墳丘墓へ
一 弥生集団墓地
二 弥生墳丘墓の成立
三 祖霊祭祀
第七章 前方後円墳の成立
一 成立期前方後円墳
二 弥生墳丘墓と前方後円墳
三 成立期前方後円墳の三つの特質
四 前方後円墳への飛躍の条件
五 古墳発生の意義
六 中国王朝の役割
第八章 前方後円墳の変化
一 首長墳の系列的築造
二 部族連合の首長墳
三 前方後円墳の変化
第九章 部族の構成
一 首 長
二 墳丘併葬
三 「陪 塚」
四 中・小墳
五 成員と隷属身分
第十章 生産の発達と性格
一 農業生産
二 玉作り
三 塩生産
四 朝鮮渡来集団と生産の発達
第十一章 大和連合勢力の卓越
一 古式小墳をめぐって
二 各地部族連合の弱体化
三 九州と関東
第十二章 横穴式石室の普及と群小墳の築造
一 副葬品と埴輪の変質
二 横穴式石室の導入
三 横穴式石室の普及
四 群小墳の被葬者
第十三章 前方後円墳の廃絶と制度的身分秩序の形成
一 家父長層の把握
二 横穴式石室墳にみられる諸階層
三 前方後円墳の廃絶
四 厚葬の廃止と仏教寺院
注
参照文献
解説は先生の業績を3点に分けて紹介したあとに、作品解説に至る。
第一章。
集約性を指向する未熟な本格的農耕として出発。地域間・集団間の不均等的発達が始まる。
第二章。
鉄刃装着の鍬・鋤の普及による耕作技術の進歩、用水路の堀削、田植農法などを通じて、遅くとも弥生中期末から後期には灌漑水田の経営の実現。他方で、集約性と生産性が高まった結果、地域内部/間の不均衡が拡大し、集団内では分割耕作=個別経営相互の矛盾が拡大するとと同時に、共同体規制が強化された。
第三章。
農業だけでなく、金属器・石器・木器生産も男性主導で家父長制形成の萌芽へ。分業生産農業不均衡発展は、分業とその産物の交換を主導する首長の規制力の強化に繋がる。
第四章。
私的所有を指向し始めた単位集団(家族体)と、用水権・耕作権の帰属先であり私的所有に共同体規制をくわえる集合体どの矛盾が、生産力と社会を伸展させる不断の契機となる
第五章。
このように展開する諸集団が!血縁的同祖同族関係や物資の交流をつうじて重層的に編成される。血縁的集団は、短期のうちに分岐を繰り返し、各地の小宇宙で家族体ー氏族共同体ー部族という集団関係を形成した。代表首長の権限の強化。部族間の平和的交流と武力的対立関係をつうじて、部族的強制力の強化と部族間の優劣・上下関係が進行した。
第六章。
集団墓地から弥生墳丘墓へ。埋葬は、祖霊に由来する前首長の霊威を鎮め(=魂を「揺り動かして生き返らせ復活させる」)継承する儀礼へ。
第七章。
前方後円墳の成立。大和連合を盟主とする各地部族連合との擬制的同祖同族結合が、不可避的に大和連合の祖霊を頂点とする祖霊の重層化に繋がった結果、首長霊を鎮魂し継承する新たな祭祀型式として創出された。これは墳墓祭祀の集団性が脱色され集団成員が疎外化されてゆく第一歩だった。
第八章。
これは次第に変節して、首長の世俗的な権威誇示の側面に圧倒されてゆく。
第九章。
部族の構成。
第十章。
生産の発達と性格
第十一章。
5世紀代に大王墳が突出していくのと対照的に、5世紀後半には畿内全域と西日本各地の首長墳が急速に縮小。自律性の喪失と従属的関係に傾斜。そのあとの叙述は私の関心外のため省略。
後の批判されたところ。
・家族体ー氏族共同体ー部族ー部族連合という単純なピラミッド的階層は、単純すぎる。←モデルは常に後世から「修正」される。
・「擬制的同祖同族関係」「首長霊継承祭祀」も、明確な考古学的根拠を欠く。←だからこそ、考古学にはロマンがある。
しかしながら、「本書をこえる体系的な弥生・古墳時代論は、いまだ現れていない」それは「日本古代史において石母田正の『日本の古代国家』(岩波書店1971)が果たしてきた役割に類似できる」(238p)←おそらくその通りだと思う。
本編私的メモ。
・「岡山県津島遺跡の前期水田は、洪水における一部の切断流失、ついで砂質シルト層の全面的な堆積におおわれて潰滅した。(略)これら洪水埋没のとの闘いから見ても弥生農耕がその当初から、集団が多大の力を投入してその保護と管理にあたる経営であったことは明らかである。」
・田植え法は、先進諸地域によっては早くも中期から始まる。「水田の拡大は、日本の気候的・風土的条件ー主に水の問題ーに加えて河川統御の未発達とため池用水網の未熟という歴史的条件のもとでは、どうしても苗代育苗の方法を採用せざるをえなかった」(低湿地帯以外は温度調節のために湛水で成育させなければならない。梅雨時期の集中豪雨による氾濫の危険が過ぎ去るまで苗代田で安全に管理する必要があった)施肥も、青草や刈敷を緑肥として本田や苗代に踏み込む現在の方法と同じことがされていた。水稲栽培の初期から根株のすき込みなどをして施肥として活用していた。それが、単位面積における生産性の向上に結びついていた。
・結果、「遅くとも弥生中期から後期にかけて、人口増に発する集団的・社会的関係の発展を牽引車・土台として、河川流域平野の壌土地帯の新しい開発は、鉄器化、なかんずく鉄刃装着の鍬・鋤の普及、それによる開田と耕耘の技術的進歩、ならびに用水路の人工的堀削と小規模の流路の統御、田植農法による水の「解決」と災害回避への努力、大足による代つくりと施肥による生産性の向上、これらがもたらした水田条件の良好均質化と品種の淘汰の結果としての、石包丁から鉄鎌への収穫法の転換等々、相互に関連する種々の技術的進歩に支えられ、あるいはそれらを促進・発展させながら、拡大していった」
←この緊張感ある高貴溢れる文章が500ページ超続く。漢字は多いが、決して理解不能ではなくむしろやさしい。これを観て、ホントに弥生中期・後期(2千年前)には、日本の田舎とほとんど変わらない水田風景が広がっていたことを知るのである。日本人はすごい。文字を持っていない。文明化されていないというのがなんだというのだろうか。しかし、先生はこの生産性向上が必然的に共和制から王制に急速に進んだ原因だということを明らかにする。
・楯築の発掘は近藤先生の代表的な仕事であるのにもかかわらず、抑えられた筆致で表現されている。「集団墓地の均等性の中に台状墓・墳丘墓が出現したこと自体」被葬者は吉備出身。埋葬の「隔絶の過程」は「集団首長の卓越化の過程」。それは「首長の特別身分化=祭られる対象としての神霊化」への歩みでもある。
・青銅器祭祀は「集団が働きかける自然=大地や稲や太陽や水などの背後にあると観じた霊に対するもの」。祭祀を行うのは巫女であるにせよ、やがて首長が集団内の力を背景に祭祀全体を司るようになる。やがて祖霊が自然の霊ともに観念される。首長は呪的霊力の保持者になってゆく。よって青銅器祭祀が山腹や海に埋納されたものであるのに対して、祖霊祭祀は墳丘墓に埋納された。自然神への祭りは無くならないが、自然神の呪霊は祖霊に重なった。器台の大型化・装飾化・呪化は、神々との共食儀礼にもまして首長霊との共食儀礼が重大な関心事となったことを示す。最初期は墳丘墓上で飲食は行われて、後に穴を穿ち墓上に置く。置くことで集団に長く記憶としてのこる。集団成員にとって重要な儀式であり、真庭市中山集団墓地遺跡では一角からのみ特殊器台形土器が出た。
←解説の「前首長の霊威を鎮め(=魂を「揺り動かして生き返らせ復活させる」)継承する儀礼」の具体的展開を期待して読んでいったが、一切展開がなかった。何故?
←これら表現の根拠に、(注)において、西郷信綱「詩の発生」石母田正「日本の古代国家」守本順一郎「日本思想史(上)」土橋寛「古代歌謡と儀礼の研究」を書いている。ここだけ、参考文献が異様である。つまり「ブツ」がなかった証拠である。先生の「直感」に支えられた記述であり、だからこそ重要な部分かもしれない。
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1983年に岩波書店の「日本歴史叢書」の1冊として刊行された作品の文庫化。このシリーズは、石母田正『日本の古代国家』、佐藤進一『日本の中世国家』や、原口清『日本近代国家の形成』など今でも読み継がれるものが少なくないが、これもその一つ。
文献史料(魏志倭人伝とか)に全く頼らず、考古学的資料のみで弥生~古墳時代の終焉までをここまで体系的に論じるスケールは圧巻である(解説によると、今日では様々な異論も出されているようだが)。ゲラを読んだ同業者は「なんという本や。古墳時代の研究で、もうすることはない」と強い衝撃を受けたそうだ。自分のような門外漢にはなおさらである。
様々な考古学的資料をつないで全体像を出す際には、当然、推論が駆使される。矛盾、統一、相互浸透、共同体規制…、といった本書にしばしば顔を出す用語から、推論にはマルクス主義の強い影響が窺える。近年では、戦後歴史学へのマルクス主義の影響は、国民的歴史学運動の破綻などマイナスの側面が強調されることが多いが、それだけではないということも、本書は教えてくれる。 -
文献資料を参照することはなく、徹底して遺跡と出土品から、古代の社会や生活を想像し説明を組み立てていく姿勢は、読んでいて知的興奮を覚えた。
著者プロフィール
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