職業としての政治 (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (170ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003900031

作品紹介・あらすじ

「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」。マックス・ヴェーバー(1864-1920)がドイツ敗戦直後、自らが没する前年に行った講演の記録。政治という営みの本質、政治家がそなえるべき資質や倫理について情熱を傾けて語る。(解説=佐々木毅)

感想・レビュー・書評

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  • もうずいぶん昔のことになるのですが、池上彰さんが選挙特番で小泉進次郎議員を取材した際に話題にしていて、気になっていた本書。
    ちょうど夏に文庫フェアが開催されていて、比較的ページ数が少なめだったこともあり、気軽な気持ちで手にとってみました。

    著者のマックス・ヴェーバー(1864-1920)はドイツの政治・社会・経済学者。
    本書は彼が1919年に行った学生向けの講演が元になっています。
    当時のドイツは、第一次世界大戦での敗戦後、ドイツ革命と後に呼ばれた動乱のさなか。

    ・「政治」とは「権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である」
    ・「国家」とは、「ある一定の領域の内部で(中略)正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」

    との定義のもと、ドイツの現状を批判的に捉えながら、職業としての政治はどうあるべきかが述べられています。

    まわりくどいところが一切なく、はっきりしていて、「直截」という表現がぴったりくるヴェーバーの文章。
    なかでも、職業としての政治に身をささげる人間は、「信条倫理」と「責任倫理」のパラドックスに挟まれることになる、という部分が心に残りました。
    理解しきれていないかもしれないけど、「信条倫理」は、自分が正しいと信ずるところを行って結果は神に委ねること、「責任倫理」は、人間の欠陥のあれこれを計算に入れること、つまり結果のためには時として手段を選ばない、ということかなあ。
    そしてヴェーバーは「信条倫理家はこの世の倫理的非合理性に耐えられない」と指摘しています。

    私は別に政治を職業にしているわけではないけれど、自分には「信条倫理」に偏ったところがあるかも、と読みながら少しぎくっとしました。
    正しいと思うことに則って行動すること自体は良くても、それが独善的になったり、結果に結びつかなかったりする場合もあることに、注意しないとなあ。
    「修練によって生の現実を直視する目をもつこと。生の現実に耐え、これに内面的に打ち勝つ能力をもつことは欠かせない条件である」という言葉がヒリヒリと沁みました。

    もうすぐ、衆議院議員選挙がありますね。
    投票した議員が必ず当選するわけでもないし、自分の望みが政策に反映されることも果てしない道のりで、それが「生の現実」ではあるけれど……ヴェーバーにならって「それにもかかわらず!」と心の中で唱えながら、投票所に行ってこようと思います。

  • 「にもかかわらず!」

    この本の意識は政治に携わる人が(受け入れるか、それは違うと否定するかは別として)政治を行う上での基準になるのでは。

  • マックス・ヴェーバー(1864~1920年)は、ドイツの政治・社会・経済学者。社会学の第二世代を代表する学者で、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905年)は、社会学の名著として有名である。
    本書は、第一次世界大戦(1914年7月~1918年11月)終戦直後の敗戦国ドイツの革命的状況の中で、著者が死去する前年の1919年1月に、ミュンヘンで大学生向けに行われた講演(更にパンフレットとして出版され、死去後『科学論論集』に収められた)の邦訳である。(姉妹編の『職業としての学問』もほぼ同じ時期のものである)
    本書でウェーバーが言わんとしたことは、大まかにいえば以下である。
    ◆「政治とは、国家相互の間であれ、あるいは国家の枠の中・・・であれ、ようするに権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である。」
    ◆「ぎりぎりのところ道は二つしかない。「マシーン」を伴う指導者民主制を選ぶか、それとも指導者なき民主制、つまり天職を欠き、指導者の本質をなす内的・カリスマ的資質を持たぬ「職業政治家」の支配を選ぶかである。」
    ◆「政治家にとっては、情熱、責任感、判断力の三つの資質がとくに重要であるといえよう。」「政治家は、自分の内部に巣くうごきありふれた、あまりにも人間的な敵を不断に克服していかなければならない。この場合の敵とはごく卑俗な虚栄心のことで、これこそ一切の没主観的な献身と距離にとって不倶戴天の敵である。」
    ◆「人が信条倫理の準則の下で行為するか、それとも、人は(予見しうる)結果の責任を負うべきだとする責任倫理の準則に従って行為するかは、底知れぬほど深い対立である。」「およそ政治をおこなおうとする者、とくに職業としておこなおうとする者は、この倫理的パラドックスと、このパラドックスの圧力の下で自分自身がどうなるだろうかという問題に対する責任を、片時も忘れてはならない。」
    ◆「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわじわっと穴をくり貫いていく作業である。・・・自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が-自分の立場からみて-どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」
    信条倫理と責任倫理は両立し得ないこと、政治は「暴力」であることを明らかにした上で、「それにもかかわらず」の精神を持った人間のみが政治を行うことができるとの主張は、高度な普遍性を持ち、現代においてもその重要性が薄れることはない。
    翻って、現代の世界・日本を見回してみて、この天職を持った政治家がどれほどいるかと考えたとき、絶望的な気分になるのは私だけではないだろう。ヴェーバーが今の世界を見たら、どんなことを言うのだろうか。。。
    (2020年11月了)

  • マックス・ウェーバーの代表作

  • 2022/12/28 再読了

  • タイトルに興味を持ち購読。第一次大戦後の講演録ではあるが、「職業としての社長」など、いろいろ読替えが効きそうな内容。「どんな事態に直面しても、それにもかかわらず!(やるのだ!)」と言い切る自信のある人間だけが、政治への天職を持つ」とある。これは全てのリーダーにも言えること。

  • また読みたい

  • 公共政策学に興味があり、参考図書に挙げられていたので読んでみた。内容はパラパラと読むだけでは理解が難しく、あまり理解できない部分が多かったので、誰かと読み直してみたいと思った。政治家に必要な3つの資質として、情熱、責任感、判断力が挙げられていた点と、最後の主張のあたりにある、「それにもかかわらず!」と言い切る自信を持つ者が政治家という職業の天職をもつというところは印象に残った。

  • 多少難しいが、解説が分かりやすいので、大まかに理解出来た。
    当時のドイツの時代背景を踏まえると、政治に対する熱い想いや危機意識が伝わってくる。

  • 東2法経図・6F開架:310.4A/W51s//K

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著者プロフィール

1864-1920。ドイツ、エルフルトに生れる。ハイデルベルク、ベルリン、ゲッティンゲンの各大学で法律学を専攻し、歴史、経済学、哲学に対する造詣をも深める。1892年ベルリン大学でローマ法、ドイツ法、商法の教授資格を得、同年同大学講師、93年同助教授、94年フライブルク大学経済学教授、97年ハイデルベルク大学経済学教授、1903年病気のため教職を去り、ハイデルベルク大学名誉教授となる。1904年Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitikの編集をヤッフェおよぴゾンバルトとともに引受ける。同年セント・ルイスの国際的学術会議に出席のため渡米。帰国後研究と著述に専念し上記Archivに論文を続々と発表。1918年ヴィーン大学教授、19年ミュンヘン大学教授、経済史を講義。20年ミュンヘンで歿。

「2019年 『宗教社会学論選 【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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