大学教育について (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003910115

作品紹介・あらすじ

大学とは職業教育の場ではない。専門知識をよりよく使うためにも一般教養教育が必要である。文学、自然科学、社会科学、道徳教育・宗教、芸術など一般教養科目についての意義を述べ、真理に基づいて正しく行動する意志の涵養を説く。大学教育の原点と理念を謳う名高きセント・アンドルーズ大学名誉学長就任講演。

感想・レビュー・書評

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  • ミルがイギリスのセント・アンドルーズ大学の名誉学長就任する際の講演録である。なんと草稿に1年の準備期間を取ったという。彼は大学を出ているわけではないが、哲学者・経済学者という立場で、新聞や雑誌で公共知識人として意見を述べていて、多くの知識人に影響を与えた。

    講演から150年が経過した今でも大学における一般教養教育の重要さは変わらない。専門性を生かすにしても、その人が持っている知性と良心によって効果が決定されるというような指摘は、近年の答申で何度も目にしているだろう。また、一般教養教育は、個別に学んできたことを包括的に見る見方と関係づける仕方を教えることであり、体系化と哲学的研究を踏まえて、諸事実の発見と検証することがその極致である、ということも同様だろう。

    ただ疑問も残った。教養の要素は、「知識と知的能力」と「良心と道徳的能力」が主なものだが、少し劣るが「美・芸術」もあるとしている。イギリス人が伝統的に美に関心がなかったからだそうだ。これは意外だった。美の解釈こそ教養の代名詞かと思っていたからだ。ミルは、英国人の商業主義からの美を無駄なものと解し、清教主義で神を敬う心以外は罪悪に陥る一種の罠と考えていたからといっている。ドイツ・フランス・イタリアと全く異なっているところがおもしろい。

    さらに、大学段階では、道徳教育・宗教教育は、身の回りや家庭でなされるものとして、管轄外としている。キリスト教社会全体の中における大学だからこそこのようにいうことができるのだろう。

    解説で訳者が大学改革のキーワードが商業主義によるものばかりで、それを自浄作用できるのは、教養教育といっている。市場化・競争原理が促進される中でも、常に教養教育を考えていきたい。

    2012.5.13追記
    高等教育論5/12補助教材として、「科学教育」の項までの抜き刷りを講読。

  • まず僕含め、ミルが語っているような学生生活を送る学生がほぼいない、この日本の「大学」という機関に絶望した。(勿論僕の環境に限った話ではあるが)

    それは文理選択を高校の時に迫る制度が一つの原因だろう。文系が化学や数学をやらなかったり、逆に理系が歴史を勉強しないことが当然と言っても過言ではない制度だ。

    文理問わず、教養として身に付けておくべきはずのものを学ばぬまま学生を終える。そんな人々に警鐘を鳴らす著作である。

    本の内容からは逸れるが、僕は高校が大学という機関について教えるとともに、その存在意義を考える機会を設けることで、この課題がほんの僅かでも変わるのではないかと思う。(高校がこの著作を大学入学を控えた生徒に読ませるのも有効かも知れない)

    近年、大学不要論なんかがよく唱えられてる。
    大半が大学を手段でなく目的にして、その本質を見失ってるから当然の話であって、上記のことを高校が実施するだけでも状況は変わるのではないか?

    もっと言えば、教養の有無が人生の豊かさを左右するとも本書で述べられている。大学が学生の未来を決めかねない。

    その教養を培うための、「独力で学ぶために必要な読書習慣と楽しみを生徒の心に育てないような教育制度がもしあったとしたならば、それはまったくの失敗」ともミルは嘆いている。

    美学・芸術の教養についてはめちょくちゃ共感!
    「ゴシック様式の大聖堂の壮観さによって喚起される感動に浸る」や「日常の仕事が味気ないものであればあるほど、あの高尚な思想と感情の息づくところをしばしば訪れることによって、われわれの心の調子を高めておくことがますます必要」

    本書に書いてある水準まで学ぶことは困難でありつつも、まずは論理学・歴史哲学・幾何学を最低限勉強しようと決意した。

  • 自分の信じている学問を肯定してくれた一冊。

  • 大学の中だけの事に限らず、
    人間が人生で生きる上で非常に重要なもの、それは教養だ。

    仕事をする上での専門技術も、それを人の役に立て、世の中を今までよりも良くする為にという素養があってこそ活きる。

    それを養うのが、教養だ。

    広く自分の専門分野でない事も、その分野の要点や本質を深く理解することは、人生を生きる上での武器となる。

    一生をかけて学ぶことは
    重要であり、楽しいことだ。

  •  われわれの目的は、自然と人生について大局的に観る正しい見方を学ぶことであり、われわれの実際の努力に値しないような些細なことに時間を浪費することは怠惰であることを心に銘記しておきましょう。(p.30)

     進歩とは、われわれのもつ意見を事実との一致により近づけることです。われわれが自分自身の意見に色づけされた眼鏡を通してのみ事実を見ている限り、われわれはいつになっても進歩することはないでしょう。しかし、われわれは先入観から脱却することはできないのですから、他の国民の色の違った眼鏡をしばしばかけてみること以外にこの先入観の影響を取り除く方法はないのです。そしてその際、他の国民の眼鏡の色がわれわれのものとまったく異なっていれば、それが最良であります。(p.38)

     ある人間の知性と他の人間の知性とを区別する根本的でもっとも特徴的な点は何でしょうか。それは証拠となるものを正しく判断できる能力です。われわれが真実を直接目にする範囲は非常に限られています。つまり、われわれが直覚、あるいは、昔ながらの用語を用いれば「単純理解」によって知りうるものはきわめて限られており、したがって、価値ある知識を得ようとするならば、直覚以外の証拠に頼らざるをえないのです。(中略)知的な弱点の根幹をなす欠陥を矯正するか緩和することこそが、知的教育のもっとも重要な部分となります。(p.65)

     真の健康状態と疾病の状態とを理解することの重要性、つまり、一度失ったならばどんなに根気よく時間をかけ費用をかけてもなかなか回復しないことが多い身体の健康状態を獲得・維持する方法を知ることの重要性を考慮すると、衛生学の基本的な知識と、さらに臨床医学のある程度の知識でさえ、一般教養のなかで授けられるべきです。(p.84)

     労苦が関心を圧倒しそうになる最初の難関を突破し、そしてある時点を通り過ぎて今までの労苦が楽しみに変わるようになると、もっとも多忙になる今後の人生においても、思考の自発的な活動によって、また日々の経験から学んだ教訓を通じて、知らず知らずに精神的能力はますます向上していきます。もし諸君が青年時代の勉学において究極の目的を見失わなければ――この究極の目的に向かって行われるからこそ青年時代の勉学は価値があるのですが――、少なくともそうなることでしょう。では、この究極の目的とは何であるかと申しますと、それは、自分自身を「善」と「悪」との間で絶え間なく繰り返されている激しい戦闘に従軍する有能な戦士に鍛え上げ、人間性と人間社会が変化する過程で生じて解決を迫る日々新たな問題に対処しうる能力を高めることであります。(中略)そのような目的がわれわれの胸中にあることで、われわれは絶えず高度な能力を働かせるようになり、また年を経るとともに蓄えてきた学識や能力をいわば精神的資本と考えるようになります。(p.131)

  • 個人的なハイライトは知的教育の意義を提示した部分。ミルによれば、大部分の真理の認知においては直覚に頼ることができない。この弱点を矯正、緩和するのが知的教育である、という。
    たしかに大学教育を経た者は、全員ではないが、観察可能な部分から原理原則を推論することに長けている。この点については大学教育がある程度の成功を収めているといっても差し支えないかもしれない。

    一方で大学教育のあるべき姿を巡る主張と議論はこうも変容しないものかと驚いた。大学教育論が19世紀から進歩していないわけではないだろうが、問題自体は根治していない、あるいは悪化していることが窺われる。
    大学が専門性教育に傾倒せず知性を育み人間精神を涵養する場であってほしいと、大学を職業訓練に利用してしまった身として自戒の念を込めて願う。

  • 自分では至らないであろう、深い考察に基づく考えが多く書かれていた。だから付箋をつけながら読むといいかも。
    一年浪人して、今年から大学に進学する僕には大きな勇気づけとなった。また、より有意義な大学生活を送るための助言になる言葉も多かった。
    大学入学を控える今、読んでよかったと思える素敵な1冊。

  • 大学教育を語ったJ.S.の古典的作品。
    教育を巡る議論(教養と科学技術とか、古典のあり方)が今も変わらないのだなぁと思う。
    まぁ、日本の大学改革を、ビジネスライクしろと声高に唱える企業経営者は一度読んでからこの本に文句いおうか。

    そしてこの言葉が今の日本に響く
    「自分がまったく関与しなければ、また何の意見ももたなければ害になるはずがないという錯覚で自己の良心をなだめることはやめましょう悪人が自分の目的を遂げるのに、善人が袖手傍観していてくれるほど好都合なことはないのです。自分の代理人によって、しかも自分が提供した手段が用いられて悪事が行われているにもかかわらず、そんなことに心を煩わしたくないという理由で、何の抗議もせず、黙認するような人間は善人ではありません。一国の行為が、国内的にも対外的にも、利己的で背徳的で圧制的であるか、それとも合理的活啓発的で公正にして高貴であるかは、公的な業務に絶えず注意を払いその細部にまで目を配る習慣がその社会にあるかどうか、またその社会がそうした業務に関する知識と確実な判断力をどの程度待ち合わせているかによることでしょう」
    (同書、pp.102-103)

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