禅と日本文化 (岩波新書)

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  • 岩波書店 (1940年9月30日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784004000204

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

日本文化における「禅」の深い影響を探る内容で、特に武士や茶道、俳句といった日本の伝統文化との結びつきが興味深く描かれています。著者は、禅が「武士のための宗教」としての役割を果たし、精神的な修練や美意識...

感想・レビュー・書評

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  • 文体が古文・漢文が混ざり、抽象的な表現が多く、本の半分も理解できなかった。とはいえ、戦前に、「禅と日本文化」を外国人が理解できるように英訳されたものを、さらに和訳した本書、日本文化、特に「禅」自体が日本人に馴染みはあれど、言葉で説明しにくいものがどのように表現されているかが興味深かった。日本、東洋は外国(おそらく欧米中心9と対比して特殊であったり、優性と捉えられそうな表現がいくつか見られたが、それを差し引いても日本の文化を理解するうえで、とても貴重な本だと感じた。特に武士、剣道、俳句の中に禅のインスピレーションが織り込まれている部分の解説などは、難しい文体なれど、再読して理解を深めていきたいものであった。時折、日本語の表現を英訳している部分については、なるほどと思い面白く読めた。

  • 一般的に禅の古典的入門書とされるが、少し難解。また、翻訳の言葉遣いも古い。

  • 禅の魅力って何なんだろう?

    そんな疑問から鈴木大拙のこちらの名著を読むに至りました。

    この本を読んでよくわかったことは、禅は「武士のための宗教」であったこと。自己犠牲を厭わずに主君に仕え、「無心」の剣技を磨くために、禅が果たした役割はとても大きそうです。

    同時に、茶室や俳句といった日本人の美意識に、禅が与えた影響は計り知れないことがわかります。

    現代のわたしたちに、「潔く死ぬ美学」は持ち込まなくても良いかと思いますが、時代を切り開いていく創造性を育むには、自然を慈しみ、自然から学ぶ姿勢が重要だと本書を読んで改めて気付かされました。

    人間の精神は、意識と無意識を統合したレベルで育んでいく必要があることはベイトソンの哲学からも学びましたが、奥底の「無意識」を取り戻すには、観察で生じる「直観」が大切になり、それにはどうしても自然の力を借りないといけません。

    私自身、なんとなく自然の中でリトリートを開催しているのは、そういった理由からなんだろうな、と自分の活動を顧みながら静かに読了しました

  • 欧米向けで理論的に説明されている。禅の精神は日本人の芸術や生活に染み込んでいて、日本的であるとはつまり禅であると
    現代の日本人はどうか

    全文はブログで
    www.akapannotes.com

  • とても難しい…特に古文が引用されている部分はほんと読みづらい。

    茶道に興味があって読んだので、6章の禅と茶道からエッセンスだけアウトプットします。
    ・禅と茶道の共通点は物事を単純化すること。不用物の除去が必要。
    ・禅と知的解決は相反するもの
    ・「和・敬・清・寂」で茶道は組み立てられている。
    ・茶室は和を周囲に作り出す。五感に訴え和の空間を実現する。
    ・道元禅師が中国からの留学で持ち帰った唯一のものは「柔軟心」。
    ・茶室では皆平等。民主主義的考えにつながっている。
    ・技術が完成するのは技術たることを止めるときのみ。止めたときに人間の奥底の誠美が現れる。これが敬。
    ・清は日本的真理の寄与である。清らなる場所で心を自由にする必要性。
    ・わびとさびは同意語。己の本性に忠実なる意味である。
    ・方法論的詳細の根底には、自分のいわゆる「宇宙的無意識」に直接到達するある直覚がある。

  • 禅を世界に広げた第一人者である鈴木大拙が欧米社会向けに禅と日本文化の精神について記した本。
    元々は英文であったが、翻訳されている。
    日本人の精神的背景にある禅の考えを日本文化という型を通して教えているという感じ。

    日本人である私が読むと改めて私たちの意識・無意識に関わらず如何に禅が深く根付いているかが良くわかる。

    題目は以下。
    1.禅の予備知識
    2.禅と美術
    3.禅と武士
    4.禅と剣道
    5.禅と儒教
    6.禅と茶道
    7.禅と俳句

    いいなと思った言葉
    ・般若を得れば我々は生と世界との根本的の意義を洞徹し、単なる個人的な利益や苦痛に思いわざずらわなくなる。大悲がその時に作用する。

    ・侘びの真意は「貧困」つまり、時流の社会のうちに、またそれと共におらぬということである。富・力・名に頼っていないが、普遍的な最高の価値を持つものの存在を感じること。

    ・美術品が表面的にもでも史的時代感を示せば、そこにさびが存在する。

    ・禅は武士を2面から支持した。その道徳的側面では、禅は一たびその進路を決定した以上は、振り返らぬ事を教える事。その哲学的側面は、生と死を無差別に扱うからである。

    ・天台は宮家、真言は公卿、禅は武士、浄土は平民

    ・鎌倉時代、天才は僧侶か武士になった

    ・刀には2重の務めがある。1つに持ち主の意志に反するいかなるものをも、破壊する事であり、もう一つは自己保存の本能から起こる一切の衝動を犠牲にすることである。

    ・刀剣の製作には、神徳の幾分かが加わるから、日本刀を帯するものは、精神的な人間たるべくして、獣性の代表者たるべきではない。

    ・一帯の水あれば、そこに月が映る。月はただひとつだが、水あるところどこにもその影を映す。これが理解されるとき、その技は完全になる。

    ・茶の精神は「和・敬・清・寂」である。

    ・禅に必要なのは心の誠実であり、そのたんなる概念化や物理的模倣ではない。

    ・無常を思い煩って何の益があろう。

    ・旅行が容易で快適に過ぎれば、その精神的意味は失われる。

    ・人生は畢竟、一つの未知から他の未知への旅であるからだ。我々に割り当てられた60年、70年、80年という期間は、できれば神秘のとばりを開くためのものである。

    この本が記されたのは1938年。
    反日感情渦巻く欧米社会においてどのように受け入れられていたのか気になる。

  • 日本人の心の深層に「禅」があるのではないか?禅を理解することにより、今日のさまざまな社会問題の解決の一助になるのではないか?そう思い、本書を読んでみたものの、やや難解であった。禅の入門書としては難しい。

    要点のメモを取ったのだけど、失ってしまったので、あとであらためて書く。

    <目次>

    原著者序
    第一章 禅の予備知識
    第二章 禅と美術
    第三章 禅と武士
    第四章 禅と剣道
    第五章 禅と儒教
    第六章 禅と茶道
    第七章 禅と俳句

  • 殊のほか晦渋で読了に骨に折れる作品。恐らくは、英文の翻訳であること、古文漢文の引用が多いこと、この二つのためなのであろう。とまれ、趣旨はただ一点、日本の芸術も武術も、禅的な直観、すなわち悟りによって「無意識」に見出だされた真理(神秘)を具現したものである、ということ。日本の風土に生まれぬ外国人はこの精神に入れないと書いているわけだから、「何のための本書?」という気もするけれど、不立文字の道を敢えて言葉にしているのだからしょうがないのか。個人的には上杉謙信への言及が多いのは嬉しい。

  • 禅とは、日本人とは何か。日本人なのに答えられない自分を問題視して、手に取った本。
    本著では、禅を茶道、俳句や武士といった様々な関係性で論じ、その中で日本文化と核心とは何かに迫る。特にp155,156の日本人の心の捉え方は必見。著者によれば、日本人の心の強味は、最深の真理を直覚的につかみ、表象を借りてこれをまざまざと現実的に表現することにある。
    今の教育システムは、こうした日本人の心の強味を活かせるものになっているか?欧米の影響を過度に受け、強味を失いかけていないか、考えさせられた。

  • P.K.ディック「高い城の男」つながりで。「第一章 禅の予備知識」のみ読了。禅は、皮相な見解を除去して、仏陀の精神を直接見ようとするもの。その方法は、身をもって体験すること、知的作用や体系的学説に訴えぬこと。禅のモットーは「言葉に頼るな」(不立文字)。直感的な理解の方法によって達せられる知識を重視し、これを呼び覚まさんとするもの、と。

  • 日本芸術と禅との関係が興味深かった。
    リアリティを概念化し分析するのか、直感的に体験するのか。それによって主体的な応答が変わる。
    禅というのは、その反対に突き抜けること、いうならば狂うことだそうだが、社会を生きていくのには、どうしても言葉にする努力が必要だ。
    しかし、禅の潔さが心をくすぐるのは、やはり日本文化、その精神性に深く影響を与えてきた思想だからなのだろうか。

  • 禅の周縁から本質を垣間見る。
    日本文化への浸透。

  • 「日本文化とはなんぞや?」と思った疑問からこの本に手を伸ばしました。

    元々海外文化にも興味があったので海外に向けて日本のZENを紹介することが魅力に映ったことも理由です。

    読み始めた時「めちゃめちゃ読みずらい、何この字?日本語?!」と感じました。『禅と日本文化』というあからさまに難しい本を手に取った若造からしたらそう思うのも当然でした。 しかし今回はちょっと興味あるし読んでみようと思い読み始め、結局4分の1まで頑張って読みました。辞めた理由は内容の理解の難易度も去ることながら日本文化は書籍ではもちろん完全に理解出来はしないと思ったからです。

    簡単にこの本のはじめ(禅の予備知識)には
    ①どこから禅が来たのかその背景と②禅とはなんぞやの疑問に関して書かれていることがかかれていました。

    ①は実際に読んでみて貰った方がいいとかんじたため②に関して少し感想?要約?ネタバレ?を書きたいと思います。

    とても簡潔に説明すると禅は科学と対のものです。科学は数字や文字要するに言葉で説明されるもの。それに反して禅は言葉に頼らないもの。要するに体験でしか得られないもの。身をもって体験し初めて禅を感じられることが出来るような言語の手が届かない聖域に存在しているものです。

    例えばコップに関して今自分たちが見た場合はこれはコップだなと感じることが出来ます。理由を聞かれた場合はこれは「これは自分が知っている形だから」と答える人も少なくはないのでしょうか?

    しかしその背景にはプラスチックで水が貯められることやガラスで作られていて暖かい飲み物も入りそう。など考えがあります。

    それを【コップ】という考えでなく、その背景(今回でいうとガラスで作られて飲み物が入りそう)ということに着目する考え方、感じ方、またその背景には少なくとも条件はあるものの完全な答えなどなく様々な人が自分の考えに焦点を置くといった感じ方、考え方が禅の考え方だと感じました。

    でも結局自分も言葉で禅の1億分の1を理解し?言葉で発信しているのでこの行為に意味があるか疑問ですけど笑

    皆さんも日々の日常のタスクに疲れているときに本質を考える時間+日本文化とはなんだ?禅とはなんだ?という勉強する時間に浸りたいときに読んでみてはいかがでしょうか?

  • 本書、書店でふと目にとまったので深く考えずに手に取ったが、とても感銘を受けた。なにか日本人が忘れかけているものを気づかせてくれる本である。もともとは禅宗およびそれと密接な関係のある日本文化を外国人に説明すべく英語で執筆された本を、北川氏が日本語に翻訳しているものであるが、その意味では、西欧文化との対比が意識的に書かれ、日本人読者にとっても理解しやすい物となっている。

     私自身はビジネスに深く携わっているのだが、近年はMBAブームもあり、米国流の経営管理手法がもてはやされている。書店でもそのような本が多く、日本の経営者の多くもそのような論理的なフレームワークに従って戦略立案や意志決定をするケースが増えてきている。
    ただ、そのような動きに私自身は違和感を感じつつ、しかし「頭では」これが正しい流れなのだろう、と思っていたが、本書を読んで、過去の偉大な日本の経営者である松下幸之助や本田宗一郎などの経営には、ある意味禅的なエッセンスが含まれていると感じた。本書でも記載されているように、禅はロジックよりも自身の経験や内的な意識、さらに言えば「無意識」を重視する。本田宗一郎は新製品(バイク)のテストをするにあたって、自分がテストコースの地面にへばりつき、そのすぐ脇をバイクで走らせて、音と振動で良し悪しを判断したという。言葉にはできない、暗黙知である。

    おそらくバブル崩壊後に日本企業の業績が悪化するにつれて、このような感覚や暗黙知に過度に依存する経営はいかんということで、様々な経営管理手法が日本に導入されたのだが、私自身このような米国流経営管理手法を学ぶことはとても大事だと思いつつ、日本人が心の奥底に持つ感性、これを失っては絶対にいけないと感じた。本書、日本企業の経営幹部も一読の価値ありと思います。おそらく、読後感としては全く新しいことを学んだ、というのではなく、忘れかけていた自分の心の奥底にあった何かが本書で引き出される、という感じだと思います。

  • 今日は朝3時頃に目が覚めたからこの本を読んでいた。日本で禅の文化がどのように浸透していったのかを追いかけた。

    禅は日本に中国から儒教と共に、儒教の言葉で語られる形で流入したようだが、その起源はインドの仏教にあった。

    中国では朱子学において儒教や禅の起源となるような文化が花開いたとされるが、中国はあくまで歴史的に実利を求める側面が強かった。その中で禅は異質なものだったのではないだろうか。中国人が禅の起源にあたる仏教に触れたとき、その奥深さに驚いたとされる。特に禅にあって儒教や道教になかったのは空(くう)の概念。

    日本で禅が広がりを見せたのは鎌倉時代や南北朝時代であり、それは僧侶だけでなく武士の日常にも取り入れられた。禅は生死を日常的に意識する戦乱の時代に適合したようだ。さらに利休のような茶道の確立と共に武士の心構えとも同期する形で展開したところに禅の特殊性と特徴があるように思う。

    日本人は侘び寂びの中に禅の体現を行った。侘び寂びは清貧、静謐、静寂、そして時に貧困をもあらわす。日本において一見、華やかさとは対極の生活の中においてこそ禅の精神が育っていったことは興味深い。日本人の奥ゆかしさやもったいないと思う心はここからも育まれたように思う。

    細かく書くともっと色々ありますがこんな感じ。クリスマスの今日、キリスト教ではなく東洋の文化について振り返りました。禅の文化は今や瞑想や茶道という形で精神性を伴って世界中で受け入れられています。日本ではもともと中国からとりいれつつも、独自に解釈・発展させたようなところがあります。そしてその発祥はインドの仏教に関わるとされる。この禅の歴史的展開と発展は深すぎます。

  • 何度か飲み直さないと理解できない本

  • まさに西洋哲学的な知識の体系みたいなものを得ようとして読みはじめたので、冒頭からばかやろう!といわれた気分だった。ただそれである程度禅の概要は理解できてしまう(もちろん体得ではない)ので、その後の禅の考え方をさまざまな日本文化のうちに読みとっていく、という段は、まあその考え方を踏まえたらそういう見解になるだろうな、といった予定調和の感があって次第に飽きてくる。でも禅を知るには格好の入門書なんだろうと思う。

  • 「日本で私も考えた」に、著者が、「「日本文化の入門書」としていろんな人から薦められた」とあったので、手にしましたが、、、、
    私には難解すぎました。
    これを読んで理解する外国人の方々、すごい(@_@)

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著者プロフィール

1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。

「1979年 『The Essence of Buddhism 英文・仏教の大意』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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