- Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004110477
感想・レビュー・書評
-
「資本主義と闘った男」宇沢弘文氏の名著。自動車に限らず、任意の製品や仕組みを導入するときに、社会全体でどのように費用が発生しているのかという思考実験を実演している。本書が出版された1974年は世の中に急速に自動車が流通され始めた時代であり、政府が一斉に高速道路の建設など、社会を自動車向けにし始めた時代でもある。社会の変化において、何か恣意的な変化をもたらす場合には、その変化にかかるコストとベネフィットを精緻に比較する必要がある。宇沢氏の問題意識としては、当時の時代状況として、自動車のベネフィットをことさらに主張する人間が多く、コストについて今一度目を向けるべきであると主張している。結論を先取りすれば、道路建設による非人間的な横断歩橋の出現に地域の人々の不便さ、道路建設による自然破壊、排気ガスによる環境破壊、自動車事故による死亡者・後遺障害が残ってしまった人の逸失利益などがコストとして挙げられる。また、非人間的な横断歩橋の出現や自動車を中心に作られた道路建設は、街の形を変えてしまい、結果として自動車に乗れない老人や子供に不利益を与えているという。製品や仕組みを導入することによる、格差の拡大にも注目しているところが新鮮であった。自動車の増産や社会への流通は、社会全体の利益向上のために行われているものである一方で、社会が自動車中心になっていくことによる不利益を老人や子供が受け、格差が拡大されるという論理は、人間の社会にとって何が大切なのかということを訴えかけるものであった。このようなコストについては当時の経済学の枠組みでは検証することができない。環境のような不可逆的な資本については、個人に帰属させずに社会で管理させなければならないという社会的共通資本の概念は、まさしく2021年の今、叫ばれているので、宇沢氏の先見性には驚かされる。『人新世の資本論』でも、社会的共通資本の類似概念である「コモン」の概念について詳しく記載されており、昨今のカーボンプライシングなどについては、まさしく宇沢氏の指摘する社会的費用を、実際の市場経済において価格に上乗せしようという働きかけである。そう言った点で、今も色あせない名著と言えるであろう。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「自動車の社会的費用」宇沢弘文著、岩波新書、1974.06.20
180p ¥799 C0233 (2020.11.07読了)(2020.10.28借入)(2019.02.05/45刷)
いろんな方々が勧める本なのでいつか読もうと思っていたのですが、先日、日本経済新聞で、池上彰さんが、読書週間にどうでしょうか、と勧めていたので、この機会に読んでしまうことにしました。1974年のベストセラーです。
宇沢弘文 略歴(日経の記事より)
1928年生まれ
1951年、東京大学理学部数学科卒業
特別研究生となり、経済学の研究を始めた
1956年に渡米、スタンフォード大助教授やシカゴ大教授などを歴任した
1968年に帰国し、
1969年、東大経済学部教授に就任した
得意の数学をいかして60年代、数理経済学の分野で数多くの先駆的な業績をあげた
経済が成長するメカニズムを研究する経済成長論の分野で、従来の単純なモデルを、消費財と投資財の2部門で構成する洗練されたモデルに改良
1974年、「自動車の社会的費用」がベストセラーになった
交通事故や排ガス公害などを含めた自動車の社会的コストを経済学的に算出し、大きな話題を集めた
地球温暖化をはじめとする社会問題にも積極的に取り組み、発言・行動する経済学者としても知られていた
1983年に文化功労者、
1989年に日本学士院会員に選ばれ、
1997年に文化勲章を受章した
2002年3月には日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した
2014年9月18日、肺炎のため死去、86歳
「日本における自動車通行の特徴を一言にいえば、人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に認められ、許されているということである。ところが、自動車通行に限らず、すべての経済活動は多かれ少なかれ、他の人々の市民的権利に何らかの意味で抵触せざるを得ないのが現状である。このことは、産業公害の例を出すまでもないことであろう。ところが、経済活動に伴って発生する社会的費用を十分に内部化することなく、第三者、特に低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたちで処理してきたのが、戦後日本経済の高度成長の過程の一つの特徴であるということができる。そして、自動車は、まさにその最も象徴的な例であるということができる。」(ⅲ頁)
【目次】
まえがき
序章
1 自動車の問題性
2 市民的権利の侵害
Ⅰ 自動車の普及
1 現代文明の象徴としての自動車
2 自動車と資本主義
3 アメリカにおける自動車の普及
4 公共的交通機関の衰退と公害の発生
5 一九七三年の新交通法
Ⅱ 日本における自動車
1 急速な普及と道路の整備
2 都市と農村の変化
3 非人間的な日本の街路
4 異常な自動車通行
Ⅲ 自動車の社会的費用
1 社会的費用の概念
2 三つの計測例
3 新古典派の経済理論
4 社会的共通資本の捉え方
5 社会的コンセンサスと経済的安定性
6 市民的自由と効率性
7 社会的共通資本としての道路
8 自動車の社会的費用とその内部化
Ⅳ おわりに
あとがき
●欠陥道路(5頁)
自動車事故による死亡者が年々二万人にも達し、100万人近い負傷者が出ているにもかかわらず、歩・車道も分離されていない欠陥道路に依然として自動車の通行が許されている。そして、都市と農村を問わず、子どもたちにとって、自動車を避けるという技術を身につけることが、生きてゆくためにまず必要になっている。これまで貴重な遊び場だった街路は自動車によって占有され、代替的な遊び場もない。
●社会的害毒(10頁)
自動車の通行によって、都市環境は破壊され、自然は汚染されてきた。そして、市民生活の安全を脅かし、社会的な安定性は失われつつある。
☆関連図書(既読)
「欠陥車と企業犯罪―ユーザーユニオン事件の背景」伊藤正孝著、現代教養文庫、1993.03.30
「クルマを捨てた人たち―自動車文明を考える」田中公雄著、日経新書、1977.03.25
「自動車が走った―技術と日本人」中岡哲郎著、朝日選書、1999.01.25
「自動車絶望工場」鎌田慧著、現代史出版会、1973.12.05
「自動車王国の暗闇」鎌田慧著、すずさわ書店、1984.04.10
「アメリカ自動車幻影工場」鎌田慧著、潮出版社、1985.11.25
(2020年11月11日・記)
(アマゾンより)
自動車は現代機械文明の輝ける象徴である。しかし、自動車による公害の発生から、また市民の安全な歩行を守るシビル・ミニマムの立場から、その無制限な増大に対する批判が生じてきた。市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。 -
子どもの頃から疑問だったんですよ。自動車事故死が連日報道されても車は規制されない、どころか車に乗ってる人たちは偉そうで…車運転してる人たちだけで道路つくるお金払えばいいのに、などなど。ネット普及してからは、車利用者が実に自己本位な事がわかってビビりますし。「そんな素朴なことじゃ世の中わたっていけんよ」とは言わない宇沢さんでして、何となく車がいけないと思う理由はアレとかアレなんじゃないか、っていう論点をつないでいるので、読んでいると気持ちよくなりますね。
-
過激だ。1974年の宇沢氏の論考。p.28 「自動車はまさに生物体に侵入したガン細胞のように、経済社会のなかで拡大していったのである。」
-
現在日本は自動車なしには生きていけない社会になっている。
いろんな意味でちょっと古い本だが「こういう視点もあったのか」って思える一冊。常に本棚の手の届くところにあるお勧めの本。 -
昭和の時代にこれだけ自動車が繫栄して社会的に損がでるということを警告していたのは素直に感心しました。また、社会的費用というものをどういうプロセスで算出するかもとても参考になります。
-
経済学部 山川俊和先生 推薦コメント
『日本が生んだ経済学の巨星・宇沢弘文のエッセンスが詰まった書。自動車公害を題材としているが、それにとどまらず現代のSDGsを理解する上でも、経済学の考え方を理解する上でもとても有益。強くおすすめしたい。』
桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
https://indus.andrew.ac.jp/opac/volume/1321925 -
【電子ブックへのリンク先】
https://kinoden.kinokuniya.co.jp/hokudai/bookdetail/p/KP00076461
※学外から利用する場合は、以下のアドレスからご覧ください。
SSO-ID(教職員)又はELMS-ID(学生)でログインできます。
https://login.ezoris-hokudai.idm.oclc.org/login?url=https://kinoden.kinokuniya.co.jp/hokudai/bookdetail/p/KP00076461/ -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/488676