資本論の経済学 (岩波新書 青版 B-67)

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著者 : 宇野弘蔵
  • 岩波書店 (1969年11月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004110675

資本論の経済学 (岩波新書 青版 B-67)の感想・レビュー・書評

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  • 資本主義国家に住む自分にとって

    資本論(マルクス)を読まないとなと考えましたが

    難しすぎて読めない(-_-)

    そんな人におすすめです。
    (宇野先生のも十分難しいですが)

  • 【内容】

    マルクス経済学を社会主義イデオロギーから引き離し、マルクス経済学を本来の意味で「経済学」たらしめた宇野弘蔵。

    そしてマルクス経済学を「原理論」「発展論」「現状分析」に整理し、それぞれ「理論を整理する」「段階(重商主義・自由主義・帝国主義などの段階ごとに分析をする)」「現代の経済を分析する」というに仕分けた。

    元々この文章の原典は一般向けの市民講座で話された講演が元々になっており、平易な文言で書かれている。

    宇野経済学を知る上での、裁量の入門書である。



    【感想】

    「宇野経済学」は、「社会主義的イデオロギーをマルクス経済学から分離させた。」として一種の悪評をこうむることがあるのだが、よくよく考えてみて欲しい。

    「マルクス経済学」は学説のひとつである。

    その点を明確にしえない限り(理論を正確に認識し得ない限り)、それを応用することは不可である。

    その意味において、「イデオロギーと分離はしたが、実践までもの目を摘んだわけではない。」のである。

    Ⅰ「資本論と経済学」とⅡ「マルクス経済学に特有な二つの用語「物神性」と「変態」について」は宇野弘蔵自身の資本論の解釈について講じている。

    見返しにも書いてあるが、資本論ばかりではなくスターリンの経済論文、レーニンの帝国主義論、ヒルファーディングの金融資本論についても参照しながら論を進めている。

    ここで宇野弘蔵は、商品の価値論で、少し興味深いことを云っている。

    商品の使用価値において、「20エレのリンネルと一着の上着は等価である。」といったところで、宇野はこれを「一着の上着になら20エレのリンネルをイツでも交換してよいといっているだけで(いわば欲望を満たすだけの基準を示しているだけ、これはつまり両者の交換行為を示しているものではない、としている。)、両者に等量の労働力が対象化されているものではない。」といっている。

    ただ宇野弘蔵は他のところで、「各種の産業生産物がそれがためにその生産に要した労働によって決定される価値によって売買されないからといって、それは資本家と資本家との間のことに過ぎない。しかもその生産物の生産に要した労働によって決定される価値を基準にしないでは、その剰余価値を資本の額に応じて均等に分配するということも出来ない。」とも云っている。

    おそらくこれは「結果的に」等価労働量によって価格が決定されるということに過ぎないと云っているのではなかろうか。

    だから、それ以外の要因で価値の変動するということはまず考えにくいのではあるが・・・(周りの企業が何かの要因で意図的に価格を下落させる要因、たとえば新たな技術の開発などの要員によって、ということは考えられるが。それならばまたその交換価値が下がるだけの話である。)。

    これはミクロ経済学が「限界革命」をなしたのと似たような感を受ける。

    「水とダイヤモンドのパラドックス」というものであるが、「水のほうが重要度(効用)が高いのに、重要度の低いダイヤモンドのほうが高い価格がつく。」というものである。

    ミクロ経済学では「全部効用」と「限界効用」を分ければ解決すると説いたが、等価労働量の額が価格を結果的に規定するといえば、納得がいくものである(まず量が少なくて取るのに手間がかかると思えば、取った業者は高い値を吹っかけると考えればよい。)。

    まず、効用の量などを考える必要は、少なくともマルクス経済学においては必要ない。

    Ⅲ「理論と実践」では、宇野自身の社会主義イデオロギーに対する考察が書かれている。

    ここで宇野は、唯物史観について一石投じている。まず、宇野弘蔵は唯物史観について、「資本論の説く社会主義の必然性には私は根本的な疑問を持っている。」としている。

    まず、「唯物史観そのもの」は「経済学」によって説かれているものであるが(ヘーゲル弁証法などの哲学を援用(準用?)している時点で、唯物史観を経済学によるものであると断言していいものなのかどうかとも、個人的には思うが。哲学は商品経済そのもののみを対象としているものではない。)、経済学とは本来資本主義的商品経済を解明しようとするものであるから、そのような学説が超歴史的な発展・転化の過程をとくことはできないとしたのである。

    確かに、唯物史観そのものによって、ブルジョワ革命を「ブルジョワジーが封建的桎梏を打破するための革命であると定義したにすぎない。」といえばそれまでである。

    ブルジョワ革命の代名詞といえばフランス革命があったが、実際のところはそうであるといえないとするのが多勢のようである。まずなにより、ヴァスティーユ監獄襲撃に端を発するフランス大革命によって自由主義段階がフランスにもたらされたかといえば、そうでもない(詳細はフランス史10講の私のレビューを参照していただきたい)。

    しかしながら、マルクスがフランス大革命を考察したというのは、事実のようではある。

    実際、イギリスで典型的に自由主義段階が形成されるときは、エンクロージャや産業革命によるものが大きく、決して革命があったというわけではないことに、留意する必要はある。

    むしろ、シュンペーターのいうように、「郵便馬車をいくら連続的に加えても、それによって鉄道をうることはできないであろう。」に代表される、「新結合(イノヴェーション)」によるものであると考えるが妥当であり、この新結合は原則として「単に古いものに取って代わるのではなく、一応これと並んで現れる。」し、「必要とする生産手段を何らかの旧結合から奪い取ってこなければならない。」のである(なぜにいきなりシュンペーターかと思われる人もいるであろうが、「資本主義は前資本主義社会の骨組みを破壊する際に、自己の進歩を阻止する障害物を打ち壊したのみならず、さらにその崩壊を防いでくれる支壁をも壊してしまった。(そのことについて彼は、ブルジョワジーは「幻聴と原価計算には夢中するが、政治的に無力であり、階級利益を守ることにおぼつかないからだ。」。)とした。」そしてさらに、「たとえマルクスの挙げた事実や理論付けが現在言われているものよりいっそう多くの欠点を持つものであったとしても、マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊することを主張するにとどまる限り、なおその結論は心理たるを失わないであろう。私はそう確信する。」といったことは、一向に値するのではないか。彼自身、自分の理論がマルクスのそれと重なり合うものであるとは、最初気づかなかったという。)

    私の、資本論を学ぶ上での疑問が、解消されたという意味でも、非常に価値あると考える。

    宇野弘蔵は、「イデオロギーを考える前に、まず資本論そのものをきちんと整理して体系付けることが重要である。それでこそ資本論が生きてくる。」ということを説きたかったのであろう。

    それでこそ、資本論を実践に移す過程までもが、整備されたものになるということに、他ならない。

  • 「宇野経済学」は、「社会主義的イデオロギーをマルクス経済学から分離させた。」として一種の悪評をこうむることがあるのだが、よくよく考えてみて欲しい。「マルクス経済学」は学説のひとつである。その点を明確にしえない限り(理論を正確に認識し得ない限り)、それを応用することは不可である。その意味において、「イデオロギーと分離はしたが、実践までもの目を摘んだわけではない。」のである。

    Ⅰ「資本論と経済学」とⅡ「マルクス経済学に特有な二つの用語「物神性」と「変態」について」は宇野弘蔵自身の資本論の解釈について講じている。見返しにも書いてあるが、資本論ばかりではなくスターリンの経済論文、レーニンの帝国主義論、ヒルファーディングの金融資本論についても参照しながら論を進めている。

    ここで宇野弘蔵は、商品の価値論で、少し興味深いことを云っている。
    商品の使用価値において、「20エレのリンネルと一着の上着は等価である。」といったところで、宇野はこれを「一着の上着になら20エレのリンネルをイツでも交換してよいといっているだけで(いわば欲望を満たすだけの基準を示しているだけ、これはつまり両者の交換行為を示しているものではない、としている。)、両者に等量の労働力が対象化されているものではない。」といっている。ただ宇野弘蔵は他のところで、「各種の産業生産物がそれがためにその生産に要した労働によって決定される価値によって売買されないからといって、それは資本家と資本家との間のことに過ぎない。しかもその生産物の生産に要した労働によって決定される価値を基準にしないでは、その剰余価値を資本の額に応じて均等に分配するということも出来ない。」とも云っている。おそらくこれは「結果的に」等価労働量によって価格が決定されるということに過ぎないと云っているのではなかろうか。だから、それ以外の要因で価値の変動するということはまず考えにくいのではあるが・・・(周りの企業が何かの要因で意図的に価格を下落させる要因、たとえば新たな技術の開発などの要員によって、ということは考えられるが。それならばまたその交換価値が下がるだけの話である。)。
    これはミクロ経済学が「限界革命」をなしたのと似たような感を受ける。「水とダイヤモンドのパラドックス」というものであるが、「水のほうが重要度(効用)が高いのに、重要度の低いダイヤモンドのほうが高い価格がつく。」というものである。ミクロ経済学では「全部効用」と「限界効用」を分ければ解決すると説いたが、等価労働量の額が価格を結果的に規定するといえば、納得がいくものである(まず量が少なくて取るのに手間がかかると思えば、取った業者は高い値を吹っかけると考えればよい。)。まず、効用の量などを考える必要は、少なくともマルクス経済学においては必要ない。

    Ⅲ「理論と実践」では、宇野自身の社会主義イデオロギーに対する考察が書かれている。ここで宇野は、唯物史観について一石投じている。
    まず、宇野弘蔵は唯物史観について、「資本論の説く社会主義の必然性には私は根本的な疑問を持っている。」としている。まず、「唯物史観そのもの」は「経済学」によって説かれているものであるが(ヘーゲル弁証法などの哲学を援用(準用?)している時点で、唯物史観を経済学によるものであると断言していいものなのかどうかとも、個人的には思うが。哲学は商品経済そのもののみを対象としているものではない。)、経済学とは本来資本主義的商品経済を解明しようとするものであるから、そのような学説が超歴史的な発展・転化の過程をとくことはできないとしたのである。
    確かに、唯物史観そのものによって、ブルジョワ革命を「ブルジョワジーが封建的桎梏を打破するための革命であると定義したにすぎない。」といえばそれまでである。ブルジョワ革命の代名詞といえばフランス革命があったが、実際のところはそうであるといえないとするのが多勢のようである。まずなにより、ヴァスティーユ監獄襲撃に端を発するフランス大革命によって自由主義段階がフランスにもたらされたかといえば、そうでもない(詳細はフランス史10講の私のレビューを参照していただきたい)。しかしながら、マルクスがフランス大革命を考察したというのは、事実のようではある。
    実際、イギリスで典型的に自由主義段階が形成されるときは、エンクロージャや産業革命によるものが大きく、決して革命があったというわけではないことに、留意する必要はある。むしろ、シュンペーターのいうように、「郵便馬車をいくら連続的に加えても、それによって鉄道をうることはできないであろう。」に代表される、「新結合(イノヴェーション)」によるものであると考えるが妥当であり、この新結合は原則として「単に古いものに取って代わるのではなく、一応これと並んで現れる。」し、「必要とする生産手段を何らかの旧結合から奪い取ってこなければならない。」のである(なぜにいきなりシュンペーターかと思われる人もいるであろうが、「資本主義は前資本主義社会の骨組みを破壊する際に、自己の進歩を阻止する障害物を打ち壊したのみならず、さらにその崩壊を防いでくれる支壁をも壊してしまった。(そのことについて彼は、ブルジョワジーは「幻聴と原価計算には夢中するが、政治的に無力であり、階級利益を守ることにおぼつかないからだ。」。)とした。」そしてさらに、「たとえマルクスの挙げた事実や理論付けが現在言われているものよりいっそう多くの欠点を持つものであったとしても、マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊することを主張するにとどまる限り、なおその結論は心理たるを失わないであろう。私はそう確信する。」といったことは、一向に値するのではないか。彼自身、自分の理論がマルクスのそれと重なり合うものであるとは、最初気づかなかったという。)

    私の、資本論を学ぶ上での疑問が、解消されたという意味でも、非常に価値あると考える。

    宇野弘蔵は、「イデオロギーを考える前に、まず資本論そのものをきちんと整理して体系付けることが重要である。それでこそ資本論が生きてくる。」ということを説きたかったのであろう。
    それでこそ、資本論を実践に移す過程までもが、整備されたものになるということに、他ならない。

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