- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004110682
作品紹介・あらすじ
『資本論』は資本主義経済とその運動法則を明らかにし、この社会の基本的矛盾を鮮かに描き出した不朽の書であるが、その鋭い科学的分析と基本的論点をわれわれ自身のものにすることは容易でない。これをどう読み、何を学ぶべきか。『資本論』研究五十年の著者が、人生と社会を語りつつ、若い読者のために平易な形で『資本論』案内を試みる。
感想・レビュー・書評
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マルクス経済学の研究者である著者が、人間や社会について語りつつ、『資本論』の世界へと読者を案内している。そのせいか、理論的な紹介というよりは、ややイデオロギー的な側面が強いような印象を受ける。
本書では、生産労働こそが人間の「本質」だという規定が明確に打ち出されている。たとえば著者は、谷崎潤一郎の『小さな王国』という小説を取り上げながら、そこで描かれている小学生の子どもたちが形成した社会には生産者がおらず、大人たちが労働し生産したラムネや鉛筆といった商品を持ち寄ることで成り立っている寄生的な社会にすぎないと述べている。しかし、谷崎のこの小説を読んだことはないが本書での紹介を読む限り、この『小さな王国』という作品は、著者のような立場を掘り崩すような契機を含んでいるように思える。
「王国」の子どもたちの担任である貝島昌吉は、未来への希望のない生活で神経を擦り減らせてゆき、沼倉という子どもを中心に形成された「王国」から疎外される。やがて、赤ん坊のミルクを買えなくなった貝島は、ニヤニヤと笑みを浮かべながら「先生も仲間に入れてくれないかね」と沼倉に話しかける。沼倉はこの依頼を受け入れ、彼らの「王国」で発行された「百万円」のお札を貝島に渡す。その日の帰り道、貝島は彼のクラスの内藤の家が経営している洋酒店に立ち寄って、思わずミルクの代金を「王国」の紙幣で払おうとしてしまう。すぐに彼は自分の間違いに気づいて、照れ隠しで笑いながら「いや、此れを札と云ったのは冗談ですがね」と店員に語る。
生産によって支えられる大人の社会とそれに寄生する子どもの社会、あるいは労働の世界と遊戯の世界という区別を独り決めしている貝島が、子どもたちから顧みられなくなり、やがてピエロになってゆく姿を描いたこの小説は、著者のように生産労働こそが人間の「本質」だと決めつけるような教条的な考えに対する毒を含んでいるようにも見える。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/702102 -
所々偏った意見はあるものの、約半世紀前に書かれた本なのに、新旧という点で内容に違和感なく読めます(経済学が机上の空論と言われてしまう所以ですが)。
資本主義の発展は資本が蓄積されると同時に、貧乏も蓄積される、労働者の自由はいつ死んでもいい自由、いつでも生活をすてる自由と資本主義のマイナス面が続くが、後半はどう生き抜くかが書かれており、人生とは生涯をかける冒険であり、うまく適応している限り、自由に生きることができると。
資本論入門かどうかはわかりませんが、さらりと読む分には面白いです。 -
実はまだ一度も読んだことないんだな。また話題になっているようなので一応読んでみようと買いましたが、まだ開いていません。そのうちに。