沖縄のこころ: 沖縄戦と私 (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004111030

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  • 沖縄戦でたくさんの人が死んだことは知っていたが、
    この本を読んで、沖縄戦争とはなんだったのか?
    があまり明らかにされていないことを痛感した。
    大田昌秀は、鉄血勤皇隊に昭和20年3月31日に組み込まれた。
    大田昌秀の自分の体験が克明に描かれている。
    アメリカ軍の上陸は 昭和20年4月1日より始まった。
    アーニパイルのレポートが優れている。大田昌秀の視点だと思う。
    アメリカ軍は、18万人。4月30日には、20万人、5月31日には23万人。
    日本陸軍は、8万人。海軍 1万人。現地調達 2万人。(計 11万人)
    4月1日はイースターサンデー。上陸作戦を ラブデートした。

    米軍  16000人(12500人)
    日本軍 60000人(90000人)
    沖縄住民 156000人。/沖縄人口 60万人。
    昭和15年 57万人 昭和25年 69万人。

    昭和19年10月10日 沖縄の那覇の大空襲。
    そこで、かなり全滅に近い状況。
    昭和20年4月1日は、アメリカ軍はすんなりと上陸できた。
    日本軍の反攻は、極めて少なかった。
    日本軍の基本戦略として、台湾を重視した。
    そのために、沖縄にいた1個師団を台湾に送った。
    そして、本土に、1個師団を送るように要請したが、こなかった。
    そういう意味では、沖縄は捨て石となり、
    日本に侵攻するのを遅らせるだけの役目だった。
    そのことで、沖縄の住民の多くを死に追いやらせた。

    沖縄のこころは、反戦平和。人権回復。自治の確立。
    沖縄は、外部の支配による他律的な生き方を余儀なくされている。
    人間的な生き方、人間の価値を求めて、新生する想いが
    大田昌秀の切実な訴えに、心も動かされる。

  • 2009.04.09読了

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著者プロフィール

1925年、沖縄県久米島に生まれ。1945年、沖縄師範学校在学中に鉄血勤皇師範隊の一員として沖縄守備軍に動員され沖縄戦に参加、九死に一生を得て生還。戦後、早稲田大学を卒業後、米国シラキュース大学大学院でジャーナリズムを学ぶ。修了後、琉球大学社会学部で教授として研究・指導を続ける。1990年、沖縄県知事に就任、2期8年務め、平和・自立・共生をモットーに県政を行う。「平和の礎」や「新沖縄県立平和祈念資料館」「沖縄県公文書館」などをつくった。2001年、参議院議員(1期6年)。知事退任後、大田平和総合研究所をつくり平和研究を続ける。現在は同研究所をもとに設立した特定非営利活動法人・沖縄国際平和研究所理事長。

「2014年 『辺野古に基地はいらない!オール沖縄・覚悟の選択』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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