権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36)

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  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004120360

感想・レビュー・書評

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  •  筆者とある高校生Aの対談形式。話が効率的できれいにまとまっているため実際にあったのではなく創作だろう。初版は1974年。
     権威とは強制せずにいうことをきかせるもので規則を必要としない。一方で権力は強制力をもっていうことをきかせるもので規則を必要とする。最近権威が失われて権力がむきだしになっている。権力は権威が二重うつしのイメージになっている。権威が失われたのは権威を感じていたものが成長して権威を持っていたものと対等な関係になってきたからではないか。権威が生まれるのは人が知らないことの判断をそれについて詳しい人にゆだねることから生じる。現実に自分で接して判断すればいい。または知らないものは知らないままでもいい。そうすることで権威を遠ざけられる。
     私たちは「まとまりもなくなり、調和も得られないという、宙ぶらりんなところで生きていかなければならない。ユートピアはみちびきの星のようなもの。みつめるべきものでたどりつくべきものではない。

  • リーダーシップにもつながるし、政治権力ともつながる話。
    集団生活をおくる上で避けて通れない問題に真正面から取り組んで、かなり本質的で明確な指標を示している。

    権威は他人が喜んで従う力、権力は他人を無理やり従わせる力。
    当初は権威と権力が結びつくことが多いが、権威が失墜したときには人は自ら進んでは従わなくなって、権力の強制力のみが残る。両者は初めは渾然一体となっている。
    札幌農学校のクラーク博士は、「紳士タレ」の一言で規則はいらないとしていたが、彼がいなくなった後、農学校は規則を作らざるを得なかった。
    逆に、自分がいなくなっても困らないように、と簡単に変えられない「しくみ」を作る人もいるが、権威のない権力構造に従わざるをえない後輩には、重荷でしかないかもしれない。

    親の権威、学校の権威、会社の外部に対する権威、内部の権威、政府の権威、いずれもそれに従う者の意識によって、喜んで従う権威にも、いやいや従う権力にもなりうる。権威は人格に結びついたものから発生し易いが、例えば大学教授らしくない人が多くなれば、大学教授全体の権威も失墜する。まさに、ブランディングと同じだ。権威を失った地位のみに基づく権力は慣習的な圧力として存在する場合もあれば、法的拘束力を伴っている場合もある。
    権威は自然発生的で個人の人格と深く結びついており、組織の外部にも影響を及ぼすが、権力は一定のまとまりを持った組織の内部にのみ影響する。

    一方、いうことを聞く側の心理を考えると、権威に対して従う心理とは依存心であり、これは親に依存して成長する子供を経験するすべての人が持っている心情である。→この解釈が秀逸だ。
    この関係は、その延長線上に親子関係に類似した様々な関係を持ち、究極的には神と人間との関係で現れる。この依存心を形成するのが、不安や恐怖であるという。
    子供も自覚を持つようになれば、無条件の従順から脱皮して反抗するようになる。そうなると、親の地位に基づいた権力を振るわざるをえない。
    不安→内部の安心(権威)・恐怖→外部からの罰(権力)という関係。

    権威(ブランディング)は世の中を簡略にわかりやすくしている。ノーベル賞や芥川賞にはじまり、学歴、一流企業(大企業)の信用などは、その代表例だ。
    一方、それを利用する者も後を絶たない。有名人を利用したコマーシャルはまさに人格に伴う権威を利用しているものだし、昔よくあった、外国(アメリカ)ではこうですよ、他社はこうしています、という説得方法も、権威を利用している。
    権威・権力による働きかけは、説得もあれば、権力による命令、罰や報酬をチラつかせる脅迫もある。また、最も怖いのは「暗示」で、コマーシャルを繰り返し見せられるような手法が、ナチスでは政治的に利用されたこともある。
    いずれにしても、行き過ぎた依存心は権威に付け入るスキを与えるし、依存心の強い人は、不安が強くなると英雄を待望することになる。

    筆者は、社会主義の立場から、いろいろ問題提起をしたかったようだが、世の中が「まとまりを持ちたい」、「・・・らしくさせたい」という傾向が強くなってきたら、権力主義的にならざるをえないという指摘は的を得ているし、今まさに世界的にそんな空気が流れていると思った。

  • http://t-tanaka.blogspot.jp/2014/04/blog-post.html

    ある日のことである。一人の高校生が私を訪ねて来た。そして、私に、こんな質問をした。

    から始まる高校生と医者のやり取り。

    高校生は学校でクラス委員をしているが、みんなまとまりがない。まとめるにはどうしたらいいのか。と医者に相談する。なんで、学校の先生じゃないんだ?ま、いいか。

    クラスでまとまりがない状況。ちょっと目線を外に向けた時、まとまりがないのはクラスだけじゃなく、大人の世界だって、社会全体だってそうだという話になる。そして、その原因は
    さまざまな点で、これまであった権威が失われたこと、そこに問題があるのではないでしょうか。
    という仮説から、権威だの権力だのという話が広がっていく。とーっても面白い。

    この本の副題は「いうことを聞かせる原理・きく原理」となっている。

    個人が生きていく上での姿勢、そしてそれらが折り重なって出来上がる社会がみえる。

    「あー、あの人の言っていたことはこれか」と思うシーンもしばしば。僕自身は権威も権力もあんまり気にしていない人間なんだなぁとか、根本的には権威を感じてほしがる人や権力を振りかざす人間をうさんくさいと思っている自分と、でもたまーにそれを使ってしまいたくなる自分もいて、その理由がわかりました。あーあ、知っちゃった…って感じ。まぁ、そんな程度のことしか思い浮かばない。

    この本は1974年初版のもの。40年も前の本。そんなことみじんも感じさせない本。読み終わって、とても重たい気持ちになれるのは、根本的に40年前も今も、社会の構造も人も変わってないんだなぁってことが感じられたから。もっと言えば、人類が集団をつくり営むことが生まれてから、根本は変わっていないんじゃないか…とすら感じられて…。時は流れ、人も変わり、環境も変わり、、、、しかし、それらが変わっているだけで、根本はまったく変わっていないのだな、と。その構造の中で、クルックルックルックルッ、回っているだけなのか?という。それが、いいのか悪いのかもよくわからん。。。

    もし、それが世の常なんだとすれば、自分が学校教育で子供たちに何をどう教えていくのがいいのか、とっても複雑で考えさせられる部分がでてくるなぁ。悩む、悩む。

    「まとまる」ことと「調和する」ことの違いが、議論が展開されていく中で明らかになってくるんだけど、北星余市で展開されているクラス集団作り、学校集団作りというのは、「調和」なんだな…と思えたな。過程の中で、ときに権力を振りかざして「まとまろう」としているように見える部分があるけれど。

    うーん、5年後、また読んでみよう〜。

  •  なだいなたが権威や権力とは何かについて対話形式で紐解いていく。

     最近は色んなものの権威が弱くなって駄目だという若者との対話を通して権威というものを考えていく。権威とは相手側にある意見に従う方向性である。それは相対的なものであり、絶対的な権威も絶対的に正しいこともない。私達は絶対的な正しさを求めるのではなく、絶対的な正しさがないながらも繋がっていく調和が必要なのだと説いていく。
     30年前に書かれた本だが、普遍的なテーマで時代や組織を選ばず参考になる。

  • 私にとって、対話形式であることがより分かりやすく読み進められるポイントとなりました。実はこの本は、大学一年の時課題図書として他の本と一括購入したものです。当時は『権威と権力』というタイトルだけで”難しい”と決めつけて、おもしろそうな章のみ読んで感想文を書いたのですが、その章が殊の外忘れられずにいて、10年後に読み返したらスラスラと読めました。そしてなにより多くの気づきと視点を与えてくれたと思います。1974年初版ということですが、30年以上たった今でもまた読みたいと思わせてくれる一冊です。

  • 普段意識していない、権威と権力の違い及びその関係性をわかりやすく説明

  • 「権威と権力」とは古くて新しいテーマであり、1974年初版ながら、今だに版を重ねている良書。精神科医と高校生の対話を通じて、権威とは何か、権力とは何かについて少しづつ明らかにしていく。本書では、権力は無理やり他人を動かすのに対して、権威は他人が自発的に動くのを促すものとしている。現代では、一昔前と比べるといろいろな権威が失われており、様々な場面で人々をまとめるのに苦労しているのは周知のとおりである。本書が出版された当時は、マスコミの影響で政治家・役人・大学教授・医師・学校の先生などの権威が失墜したことが指摘されているが、その後インターネットの普及によりその傾向はますます顕著になり、今や大手マスコミ(テレビ局と全国紙)の権威すら無いに等しい。本書では「天皇制と権威」という避けて通れない問題も考察しているものの、社会党や共産党が強かった時代の名残からか、今読むとちょっと古臭い議論にみえる。
    本書を読んで、改めて自分の周りを見渡してみると、やっぱり権威のある人はほとんどいない。私の恩師は例外的に(私から見ると)権威と権力を持ち合わせていて、公職を退いた現在も近くにいると権威が感じられる稀有な人である。この恩師の成功を願って、私がみずから率先して太宰府天満宮まで参拝に行ったくらいの権威がある。一方、私が勤めている会社には、役員・管理職・一般社員のどこを見ても、権威者がいないことを痛感させられる。それぞれの職制に与えられた権限(≒権力)により、無理やり動かされている感じが半端ないし、上の権威がゼロだから、上のために率先して何かをする気にまったくならない。こんな組織で出世してもロクなことがないし、せめて自分が平穏無事でいられるように振る舞うしかない。まあ、今時、どこの組織もこんなものだろうけど。本書に出てきた高校生は、まさにこのような状況を嘆いているのだな…。

  • 権威主義や権力主義に対する批判としてもっともな指摘をしている。特に、過去のあらゆる革命が、結局のところ権力奪取のための闘争に過ぎず、旧体制と同じ穴のムジナであったという点は納得。揉み消され、潰された少数派の声に こそ傾聴すべきと納得した。

    しかし、著者の提唱する「反権威主義的」生き方には、全面的には賛同できない。親に対する「孝」の心情、目上の者に対する「忠」の心情や、より大きなもののために生きるということ。それらを完全に無くして生きていくことが、どうしても美しい生き方とは思えないのだ。(こう感じている時点で、著者からしたら私は「権威主義」に毒されているのだろうな)

    家庭の価値や格位を抜きにした社会が本当に良い社会とは思えない。人間が自由にふるまいながら、自然に秩序が保たれる世界とは、すなわち野生動物たちの世界と何が違うのだろう。

  • 随分前に読んでいたけれど登録するのを忘れていた。
    高校生くらいに向けた本だと紹介されていた通り文章はとても読みやすい構成で会話形式の説明がわかりやすかった。けれどそのとっつきやすさ以上に内容の充実ぶりに驚く。
    虎の威を借るキツネ現象だとか、世間という権威についてなど身の回りでごくごく当たり前に行われていることに対して鋭く切り込んでいる。ある分野の権威者が他の分野にも権威を発揮するなどは日本の芸能界でよくみられる事例だし、広告業界が多用している手法でもある。こういう風に見ていくと世間はおもしろい仕組みなのだと思えてくる。
    あらゆる権威や権力に騙されないため、または自分がそれらを振りかざさないために教訓として書棚に並べておく。

  • さまざまな対話篇を描き続けた なだいなだ であるが、この『権威と権力』はその中でも、ひとつの彼にとっての到達点であるような気がする。
    『民族という名の宗教』や『神、この人間的なもの』『くるい きちがい考』とこれまで読んできたが、特に最後とも言える『神、この人間的なもの』は、わからない、そういうところへの挑戦であったのに対し、この権威と権力は、彼の土俵でどこまでもすっきりとさせようと心がけている。この辺は『くるい きちがい考』でも似ている。
    言うことをきく・きかせる というものを、心理学的な勢力や情報量に基づいて捉えなおしたように見えるのは、後の時代を生きる人間だからなのだと思う。学術的なことばを彼が知っていたかどうかはともかく、彼がそのようなことを考え、そして生きていたということは確かである。
    彼の本に総じて言えるが、そのときそのときの事件を取り上げて、社会はこうなっている、と捉えるのは、売る側だったり、当時の世評の都合に沿わせるものなのではないかと思っている。べつに社会がこうなっている、とあたかも暴き出すように書くのが悪いことではない。ただ、起こったことに対して、説明はかなりいろいろつけられるのは確かである。筆者が思ったように世界は見える。思ったようにしか見えない。それ以上でもそれ以下でもない。だから、どのように説明をつけても、筆者が思ったようにしか説明できないし、そこから外れることはまずない。
    どのように説明をつけても構わないが、彼がどのように考えていたかはわからないが、それをモデルとして提示し、社会やそれを取り巻く問題の予測をしなかったのは非常に悔やまれる。
    それは科学者や宗教家の仕事だから、と言われればそれまでかもしれないが、仮にも医学という科学を生涯の学問として身にまとっていたのだから、余計にそう感じてしまう。
    おそらく、科学では面倒くさいから、文学というやり方をとっているのだろう。未来を「信じる」というのは、科学ではどうしたって扱えないことだから。文学は、書かれたことによって、書かれないことまでひとに感じさせる力があるからだ。だからこそ、調和の未来をあれこれ述べるのではなく、ただ控えめに示すという形で見せるのだ。

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著者プロフィール

作詩:1929~2013。精神科医・作家・評論家。慶應大学医学部卒業後、医師として病院に勤務する傍ら、芥川賞の候補に6回上るなど旺盛な文筆活動でも知られ、著書は70冊を超えた。1969年『娘の学校』で婦人公論読者賞受賞。1975年『お医者さん』で毎日出版文化賞受賞。


「2017年 『女声合唱とピアノ五重奏のための いのりカンタービレ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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