日本の思想 (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004120391

作品紹介・あらすじ

現代日本の思想が当面する問題は何か。その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。

感想・レビュー・書評

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  • 高校国語定番教材。
    『「である」ことと「する」こと』所収。
    その身分「である」こと、らしく振る舞うことが重要だった時代から、その身分に応じた仕事を「する」ことを求められるようになった変化。

    なんとなく後者の方がマトモに思えてしまうのだけど、筆者の言うように「する」ことが過剰になりすぎているきらいがある。
    むしろ「しなければならない」プレッシャーが、現代には噴出しているように思う。

    では、「である」ことの価値とは何か。
    筆者はアンドレ・シーグフリードを引用して、「彼によれば芸術や教養は「果実よりは花」なのであり、そのもたらす結果よりもそれ自体に価値があるというわけです。……「古典」というものが何故学問や芸術の世界で意味をもっているかということがまさにこの問題にかかわって来ます。」と述べる。

    どちらか一方に価値があるのではなく、その性質を見極めなくてはならない。

    他、「日本の思想」等が収録されている。
    日本の思想や学問が、地続きではなく蛸壺式であることへの言及。
    岩波新書が改版してくれたおかげで、字面も見やすくなった。ありがとう。

  • 日本の思想という、今にも繫がる視点からかかれたもの。
    ヨーロッパが共通の基礎的連帯があるが、日本はない。(昔は國體意識はあったが)なので、ササラ型ではなくタコツボ型なありかたである。そこでは、分化していて相互のコミュニケーションが不足しがちである。そこで、登場するのがマスコミ。マスコミは共通の場を作る一方でその理論を浸透させようとする。だが、マスコミ自体もやはりタコツボであるから共通のコミュニケーションがない。
    タコツボでは、「である」という状態が特に意識される。
    本来「する」領域でも「である」が居座っている。なので、「である」で見てしまい反省できないことがある。
    「である」により、政治も専門家のなかに閉じ込まれてしまう。たこつぼ?国の制度も「である」で判断しがち。とにかく、「する」でみないと民主主義や政治が自己目的してしまいがち。

  • ○この本を一言で表すと?
     日本の思想や政治に対する考察の論文集


    ○考えたこと
    <全体>
    ・Ⅰ・Ⅱの読みにくさとⅢ・Ⅳの読みやすさの差に驚きました。

    ・各論文相互に重複する話が混じっていたりしますが、それがこの本の校了以前に著者が旅立ってしまったという事情で残されていたのかと思うと、人間味があって面白いなと思います。


    <Ⅰ 日本の思想>
    ・日本には異なる時代の異なる思想を体系化する思想史がない、思想が無構造であるがゆえに外来の思想を個別に無検討で受け入れている、という話になるほどと思いました。

    ・新しい思想をどんどん受け入れ、無時間的に併存し、忘却した思想が「思い出」のように突如として噴出する、という話になるほどなと思いました。(P.11,12)

    ・ヨーロッパではある言説や伝統に対する反語や逆説であるものが、日本では「たまたま」実生活上の感情と適合して受け止められる、という感覚は何となくありそうだと思いました。(P.16,17)

    ・日本のイデオロギー批判は往々にしてイデオロギー暴露(イデオロギーであることを暴露するだけで論理的二ではなく感情的に否定)に過ぎないというのは今の日本でもそうだなと思いました。(P.17~20)

    ・思想を「新しいから優れている」という基準で評価することを「進化論」と名付けているのは面白いなと思いました。「思想は常に発展している」という考え方が根底にあるのだとは思いますが、「新しいもの好き」から度を越したこのカンジは日本人らしい気もします。(P.22~28)

    ・國體の古い漢字はニュアンスで「コクタイ」と読みそうだなと思いましたがググってもなかなか出てこず、読み方を確信するまで時間がかかりました。(P.28)

    ・レーデラーがショックを受けた国体に対する無限責任ぶり(摂政宮狙撃事件で内閣は総辞職し、警視総監は懲戒免官となり、犯人の郷里は正月の祝を廃して「喪」に入り、犯人が卒業した小学校の校長とクラス担任も辞職。大震災で御真影(天皇が移った写真)を取り出すために多くの学校校長が焼死。)は、当時の思想や雰囲気がリアルに伝わってくるなと思いました。(P.31,32)

    ・権力を集中させた天皇制が、その集中された天皇が執務を取らず元老や重臣などの「輔弼」が超憲法的存在として執務を行う体制でだれも責任をとらない「無責任」になったというのは支配する側からすればかなり都合のいい仕組みだなと思いました。(P.37,38)

    ・伊藤博文と森有礼の憲法における「臣民の権利義務」の審議のやり取りはかなりハイレベルだなと思いました。この時代にこれだけの議論ができる人たちがいたというのは本当にすごいなと思います。(P.39~42)

    ・天皇制官僚機構と、共同体を基礎とした地主(名望家)支配という相反しそうな仕組みを「家族国家」観という考え方でまとめた支配層はとてつもない能力を持っていたのだなと思います。(P.44~48)


    <Ⅱ 近代日本の思想と文学>
    ・文学においてもマルクスの影響力が「台風」の如く深刻だったというのは面白いなと思いました。中学校の頃は「マルクス=社会主義の人」くらいの単純な認識しかなかったのですが、経済学や政治だけでなく、日本では政治と思想と文学にまでトータルに考える初めての考え方として哲学、さらに文学にまで影響を与えたというのは面白いなと思いました。(P.74,75)

    ・「短編小説の方が書く方も読む方も幅を利かせてきたのは思想性の欠如のせいだ。マルクス主義文学の輸入から文学が論理的な構造を持ち始めた」という小林秀雄の論説は面白いなと思いました。(P.78,79)

    ・ヨーロッパではさまざまなプロセスを経てマルクス主義に至ったところ、日本にはマルクス主義が一度に統一的な体系として持ち込まれ、象徴にすらなったというのは面白いなと思いました。司馬遼太郎の小説で「日本人は小さな窓から世界を覘き、一驚したのちにそれに対応する」というようなことが書かれていましたが、幕末には有効に対応できたそのプロセスがマルクス主義に対しては変に作用したような気がします。(P.82,83)

    ・小林秀雄がマルクス主義のトータルな否定としての決断主義が「葉隠」と宮本武蔵の世界に行きついた、という結論は面白いなと思いました。(P.121)


    <Ⅲ 思想のあり方について>
    ・人はそのものではなく、イメージで物事を判断するというのは本当にそうだと思います。「7つの習慣」で「人はあるがままにものごとを見ているのではなく、自分の思うあるがままでものごとを見ている。」というようなことが書かれていましたが、それと共通するなと思いました。(P.124~128)

    ・ササラ型とタコツボ型という分類の仕方は面白いなと思いました。共通する軸から様々な考えが分化している型と専門化して互いに交流がない型をうまく言い表している気がします。(P.129~132)

    ・「共通の基盤がない論争」はいろいろな場面で今でも登場するなと思いました。最近みた女子中学生のケンカもお互いのことを理解しようともせずに自分の言いたいことを言って最後に決裂していて、エライ学者も女子中学生と大して変わらないのだなと考えると面白いです。(P.134~136)

    ・政府、大学、ジャーナリズムのタコツボ化とそれによる被害者意識の氾濫は、今の時代にもいろいろなところで存在しているなと思います。(P.137~144)

    ・マスコミの内部では各社それぞれの隠語で会話して、広く社会的には均一化しているというのは、今でもそうではないかと思います。特に後者。(P.145,146)


    <Ⅳ 「である」ことと「する」こと>
    ・「権利の上にねむる者」の話は民法でよく出てきますが、これを「である」と「する」の議論に絡めてくるのは面白いなと思いました。(P.154~156)

    ・徳川時代を例に「である」社会について書かれていますが、「タテ社会の人間関係」という本で日本人は単一の場に所属することから「A会社の鈴木です。」と自己紹介し、自分の属性・資格では自己紹介しないという話がありました。これも前者は「である」、後者は「する」に繋がっているかなと思いました。(P.158~160)

    ・理想状態の神聖化について確かに日本人はそういう傾向があるなと思いました。(P.168~171)

  • 〇要約(~71頁)
     日本の民俗信仰である「神道」は、かねてよりその時代に有力な宗教と習合してその教義内容を埋めてきた。このような「神道の無限抱擁性と思想的雑居性」が相互に矛盾し得る哲学や宗教、学問等を平和共存させる思想的寛容の伝統の下に受け入れたため、新思想は無秩序に埋積され、近代日本の精神的雑居性は甚だしいものとなった。また、思想や価値観というのは、他からの刺激があって初めて自覚的で意識的なものとなるが、我が国ではかつてより他との関連の中で、自己を歴史的に位置づけるような思想に乏しかった(あったとしても断片的なものであった)ため、開国後西洋文化と対決することもなく、むしろ、自国の思想的伝統を曖昧なものにしたのである。
     開国後近代化に伴い、日本では、近代社会の必須要請である機能的合理化(ヒエラルキーの成立)と家父長的あるいは情実的人間関係という相互に矛盾し合うバランスを上からの国体教育の注入と下からの共同体的心情の吸い上げによって調整していく統治技術が求められた。そして、上述ように、我が国の確固たる思想や精神が確立されないまま、近代天皇制が精神的機軸としてこの事態に対処しようとしたが、私たちの思想を実質的に整序する原理としてではなく、むしろ否定的な同質化(異端の排除)作用の面だけで強力に働いた。
     すなわち、日本は、基底に共通した伝統的カルチュアのある社会ではなく、最初から専門的に分化した知識集団がそれぞれ閉鎖的な「タコ壺」をなす社会なのである。

     とにかく難解。1度読んでも内容が理解できず、2度目に何が分からないかが分かり、3度目にようやく文章の論理や内容がところどころ理解できるようになるレベルであると感じた。普段用いない用語が多いこともあって、言葉を読めてもその具体的意味が頭に入ってこないことが一つの要因なのかもしれない。
     日本では昔から、他との関連の中で、自己を歴史的に位置づける思想に乏しかったとあるが、その要因として、日本が海洋国であることや特に江戸時代には鎖国体制にあったことが考えられ、そのことが本書には記載されていないが、このようなことはおそらく当然の前提としているのであろう。
     難解な文章ではあったが、「制度」と「精神」の関係(40頁周辺)は勉強になった。政治や経済の制度「それ自体は世界共通であっても、人間関係が介在した制度はすでにカルチュアによって個性的な差を帯びる」ため、何らかの制度を創設、分析する際には、制度における精神(制度下にある人々の精神)を含めた全体構造を検討する必要があるというのは、政策を立案する時には頭の片隅に置いておきたい事項といえるであろう。

  • 私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。

  • 本屋で偶然見つけ、100刷以上のベストセラーということで読んでみた。第2章の「近代日本の思想と文学」は難しすぎてチンプンカンプン。ギブアップ。一方で講演体の後半はとっつきやすく、特に最後章「「である」ことと「する」こと」には思わず唸る。この章は現代文の教科書にも掲載されているということだが、これにハラオチする高校1年生が沢山いたら逆に怖い。僕は30歳以降の海外経験と会社経験を経てようやく、自分は日本人なんだなあ、面白いなあ、と実感するようになりましたが。

  • 小論2編と、講演2編。
    タイトルの「日本の思想」はあとがきにもあるが、ちょっと大仰で基本的には近代。マルクス主義が中心主題であり、本書が書かれた1950年代後半の空気が感じられる。
    日本に思想的伝統は存在しないという点と、蛸壺を横串に突き通す初めての思想がマルクス主義だったという点が議論の前提であるが、この前提は疑おうと思えば十分疑えるのではないか。特に前者は、体系的な構成をなしたものがないというのと伝統が存在しないことは別だと思う。

  • 丸山真男を読むのは初。よく内容が難しいと言われる本だが、1と2は元々論文に近い発表だからしゃーない気もする。それにしても一文が長い文章には辟易したが。ただ、後半二章は一気に平易になり、本としては色々問題があるのでは、と思ったりする。
    肝心の中身は、リベラルプラグマティストな個人的な考えとも合うもので好感触。直接言及されてないが、明らかにウェーバーの影響が大きく、価値自由だとか職業としての政治で展開された政治家の倫理性などの考えが下地にある。あとは、一箇所だけ名前が出てきたが、ポパーの影響も大きい気がする。

    日本には西欧的思想がなく、前近代が一気に近代化したとか、その際、空虚だからこそ天皇制がうまく働いたとか、どっかで読んだことあるなーって内容が多いのは、逆に前に読んだ本が丸山を下敷きにしてたということなのだろう。

    個人的に面白かったのは、2章の政治、科学、文学の三角関係。こうした座標での昭和文学史の見方は面白い。最後にSF作家のHGウェルズの引用があって、その終わり方がなんとも爽やかだった。

  • 「海外から入ってきた思想は日本で受容される」ということが書いてある。
    前半は難解だが、後半は前半のことを平易に解説していて面白い。

    特に、たこつぼ型とささら型の例えは「そうかもしれない」と思えた。

    日本ではたこつぼ型と云って、海外で発展した思想がぶつ切りになって入ってくる現象が見られるという。「互いの交流が希薄で、これはあらゆる分野、たとえば文化活動、経済活動、政治活動、あらゆる側面で見られる。」という。
    これは日本の「である」型の身分制の残滓である、とする。その考え方は民主主義の国家になっても同様だ、と喝破する。

    日本は曲がりなりにも先進国の仲間入りをしたが、明治維新が必ずしもいままでの体系をすべて粉砕したわけではないし、戦後改革も同様である。それは社会の随所に見られる、とする。

    「日本の特異性・独特性」を見事に表現した本であろう。もう出版から50年以上経っているが、まだ色あせていないのではないだろうか。

  • 内容は非常に難しいが、必死に主張を追っていくとまぁ言っていることは共感出来るところもあるし、一方でバイアスがかかった捉え方をしているのでは?と思うところもある。(1960年に書かれた本なので、自分は当時の日本人の価値観をしらないが)

    ただ、読んでいて思ったのは、
    これって何を目的に色々主張しているの?
    この主張の意味って何?
    ということ。

    以下は本書とは全然関係ないのだが、読んで思ったことを書く。
    なーんか社会の根源にある(かもしれないし、ないかもしれない。客観的には誰も認識出来ない)問題っぽいのを抽象的に語ってみせて、
    これが今顕在化している色々な問題の全ての原因だ!みたいに言ってアジってるだけじゃないの? とも思った。
    社会学者はいつもこんなこと言ってるイメージ。

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