- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004120650
感想・レビュー・書評
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これまたひどいタイトル詐欺な本。感情の話をしているのは序盤の本の冒頭だけで、中盤以降は心理の話になり、希望とか幸福とか徐々に「これは感情なのか?」と疑問符のつく単語が増え始め、終盤は不安障碍や強迫観念などの精神病の話ばかり。ついには感情のカの字もでてこなくなった。
また、序盤は科学的だったが、どんどんとエッセイやポエムのような、何が言いたいのかわからない、少し精神やられていそうな、妄想的喋り方が強くなってきた。作者自身が精神病だったのではないかと思わせるほど。
引用される文はどれも欧米の心理学者とか哲学者の言葉で、紹介される実例もみたところどれも欧米人。日本人どころか、おそらくアジア系の人すらも挙がっていない。そして終盤にはついに「愛」について語り始める……。
欧米の文章の紹介だからなのか、漢語と和語(所謂やまとことば)を混ぜこぜに使っていて、しかも漢語に筆者独自の定義をつけるので、少なからず混乱させられる。たとえばヨロコビ、歓喜、逸楽の三つは別の感情だと書いているが、ヨロコビ含む和語は漢語ほど細かに語の定義がないので、この三つを並列させるのは無理があると感じる。
物にも感情があるということを一章割いて説いているが、読めばそれは物にある感情ではなく、人間が物に投映した自らの感情にすぎず。
思うに、書題をかえればもっとよくなる。書かれていることはどれも人間の意識についてなのだから、せめて『意識の世界』とでもいえば、少なくとも内容との乖離は縮められるはず。
ただ、感情を意識におきかえたところで、内容は可也幅広く多岐にわたるため、本全体が漠然とした、主題のボヤけた代物になっている感はいなめない。
そうとはいえ、気づきは多かった。可也客観的にいえば、玉石混淆。良い文と良くない文がごちゃ混ぜになっている感じ。筆者の勝手な観測や推論も多分に含まれているだろうから、話半分に読みつつ、自分の性格や弱点をみなおす扶けにするのはよいと思う。実際、怒りやすかったり、落ち込みやすかったり、そんな性格の人がどうゆう原因でそうなるのか、勿論明確な答えはないものの、それでもナルホドネと思う話はいくつかあった。あとがきにもあるように、この本を読んで頭の整理に役立ったという人がいるのも頷ける。
個人的には最序盤と、後の方の「生をぬけでた存在」が一番おもしろかった。
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【要約】
感情は四層にわけられる。
最上位に精神的感情。その下に心情的感情。更にその下に生命的感情。最下層に感官的感情。
一般的に感情と呼ばれるのは心情的感情で、主に喜怒哀楽を指す。精神的感情は自然に起こるものではなく、修身や学問などを通じて、心のうちに湧き起こるものを統一集約した究極的境地を指す。仏教の帰依などがこれにあたる。最下層の感官的感情は、動物的に生まれる感覚に近く、性的欲求や痛みなどを指す。その上にくる生命的感情は一般的な感情を下から支える土台であり、身体の調子から生まれる快不快といった感覚がそれにあたる。
最下層の感官的感情は外的刺激によって生じるため、克服、抑制することも可能であるが、生命的感情は内的なもので、抑え込むことは不可能であり、生命的感情が安定しなければ、喜怒哀楽や精神もその影響を受けて安定しなくなる。
宗教などで無我の境地に達しようとする試みは感官的の感情は勿論だが、心情的の感情どころか生命的の感情すらも消し去ってしまうことと等しく、それに成功するということは生命として尋常ではない。
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意識は行動がとがめられ、生活が妨げられて発生するものである。(P2)
外の対象を自分の外のものとして認識すること、自分を外にまわして自己認識すること、それから自分の身につけた環境をさらに広げようとする前進性を持つこと ー これを一言に「精神」と名づけよう。(P15)
はじめに行為があった。しかし、行為なるものを内側から見れば感情にほかならぬ。
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