- 岩波書店 (1971年12月30日発売)
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感想 : 81件
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Amazon.co.jp ・本 (234ページ) / ISBN・EAN: 9784004120735
感想・レビュー・書評
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1971年発刊の名著。ユング派に属する心理療法者・河合隼雄さんによるコンプレックスに対する解説。
はじめにはっきり申しますが、すごい本です。中身が濃く、圧倒されもするのですが、なかなかこれだけの本には巡り合うことはありません。読みだしこそ、「怖い」と思いました。「こうなったら異常!」というトラップ的なテストが張り巡らされているような気がしてです。でも、そんな低い次元での話ではなく、もっと底の方からえぐるように未知のもの(それは人間心理のこと)を考察したものを、こちらも同じ目線でくらいつき、かみ砕いて知るべく読み進めるような読書になりました。
序盤ではこういった例が紹介されていました。父親がよく棒きれで自分を打ったこと、父親がわけもなく自分を打った後で、急に親切にするので戸惑ったことなどを語った言語連想テストの被験者がでも、「父親が死ねばいいとなどとは、決して思ったことはない」というのです。でも、テストの結果からは憎しみや恨みを抱いていることがわかる。
コンプレックスっていうのは、言動や行動がスムーズに行えなくなるその原因の心理複合体という意味だそうです。僕は単純に劣等感のことかと思っていたのだけれど違いました。それは数あるコンプレックスのなかの一つの種類である劣等感コンプレックスに過ぎないのでした。言語連想では、連想につまづいたり、予期せぬ深い連想が出てきたりしたとき、これを「主体性を損なっている」と見るのでした。主体性だけがあればすいすいすらすらとできることが、心理複合体によって主体性が阻害されて、時間がかかったりできなくなったりする。対人恐怖などで頭が真っ白になるなんていうのも、主体性が阻害されていることという理解になる。こういうところだけを読むと、怖くなりますよね。それにたぶん僕はこういうのをすごく抱えているので、なおそういう気持ちになります。
本書には精神分析や心理療法の分野は広大だということを痛感させられます。というか、人間の精神面がものっすごい広くて深いからこの本もこれほどまでにびりびりとひりつくような内容になっているのでしょう。著者が語るところは氷山の一角。でも、海面下の氷山本体とでもいえるそのばかでかさを示唆する語りですから、読んでいると神経がまいってくる。
論説本を読むことは、海面上の氷山を知りつつ、まだ見ぬ海面下にも意識を向かわせるのが一般的だと経験上思うのだけれど、その海面下のものは海面と同等か、これから成長していくだろう大きさかだったりするものが多いように思います。本書のようにもうすでにこんなに本体のばかでかい状態なものなんてなかなかないんです。本書はそこに挑む。視覚的にも聴覚的にも触覚的にも触れられない、モノ(人間の心理)の輪郭とその中身をとらえようと試みていく。そしてその読むことによる探求は、読者自身や読者の知人友人などの内部深くにまでいたり、結果として読者は、消耗のみならず打撃や刃先によるような傷までも負いかねないことになる(まあ、身構えは必要ということです、不用意でなければちゃんと読めます)。
自我でコンプレックスを受け入れていくことで自我は強く成長していくといいます。そして、その過程であるコンプレックスと自我との「対決」は命を落としかねないほどの戦いでありとても大変なのだとあります。僕は、本書を読むことでも、それにちょっとだけ近い体験をすることになると言いたい、少なくとも僕はそういう体験をしました。また、こういう達人(著者)って漫画とかじゃなくて実際にいるんだなあ、と居住まいを正したい気持ちになりました。大げさかもしれないですが、完成された宮本武蔵の本気の果し合いを観た、みたいな凄みが本書にはあります。ほんとうに濃い本なのです。
感情だとか、人間心理って魔物みたいなところがあります。無視したり抑えたりしていると強大になっていき、それが自我を脅かしていくことになっていく。コンプレックスが酷くなると、極めつけのひとつとして二重人格がでてくるともありました。ドッペルゲンガーなんていうものもコンプレックス由来の現象だと説明されています。
これ、たぶん、二重人格やドッペルゲンガーじゃなくても、二面性が強い人、なにかにつけすぐに我を忘れてしまい別人格的になってしまう人も、コンプレックスが強大に育ってしまったためなのだと思えます。自分と向かいあわないと、コンプレックスはどんどん強くなるみたいです。かといって、それなりに自我が強く成長している段階じゃないと、強いコンプレックスに向かい合ってそれを克服はできない。自我が育つまで待つ手段として僕が考えるのは、自分を責めず内容だけ吟味する「さらっとした反省」の仕方がベターじゃないだろうかということ。
とくに若い時分なんて反省という行為に感情が繋がっていて、また反省するごとにさらに後悔までをも呼び寄せてしまい、メンタルが持たなくなる人もいると思います。そういう人は、耐えうるくらいまで自我が育つまで、なんとかやり過ごすような「さらっとした反省」をやるといいのではないでしょうか。『スター・ウォーズ』に喩えれば、オビワン・ケノービのように、ジェダイが劣勢になってからは身を隠し、ルークを見守るというように、時が来るのを待つ姿勢でいるといいでしょう。でも、気を抜かずに。休息は別としてだけれど。
と、ここまで書いてきましたが、書いてあることを要約しようにも、書かれてある中身の枝葉ですらどれにも深い意味があって、なかなか端折れる部分がわからなくなります。幹も大事だけれども、枝葉に実践的な理解が望めるところがあり、こうやってまとめるように感想を書くのは僕にはちょっと難しいです。
最後、三点ほど、メモのように記して終わりにします。
その1。コンプレックスを抱えた者同士では、無意識の内にそのコンプレックスを感じ合って、お互いに感情が乱れたりする。これはいっしょに住む家族間など、距離の近さが引き金になっているようです。
その2。下に引用になりますが、「この人、ずいぶん、がんばるけれど、苦しんでいるな」というタイプの人に当てはまると思います。
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コンプレックスと同一化するとき(つまり、自我の力が弱いとき)、その人の勢は強い。それに、元型的な要素が背景において作用すると、その強さは当たるべからざる勢となって、偽の英雄ができあがる。換言すれば、これは自我の弱さのために、英雄的行為をとらされているにすぎない。(p211)
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その3。私たちはふだん、どのようにコンプレックスをまぎらしているか。他人に自分のコンプレックスを投影したり転嫁したりして、責め立てたりする。または、ノイローゼになるなど、があります。
以上です。これまで河合隼雄さんやユング、フロイトに興味がおありで、すこし齧ったことがある方へならば、つよくお薦めしたい本でした。そうではないなあという方にもモチベーションが強めならば、ぜひに。
はーっ、読んでよかったー。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
心理学初心者の自分としてはすごく難しくて、なんなら途中ちょっと理解が追いつかなかった部分もあるけれど、とにかくこんなにも視覚的にも見えず触れることの出来ない内界というものの一角(コンプレックス)をこんなにもその輪郭を露にするように一つひとつ書き上げていることがただただすごい。しかも50年前に。名著だと言われていることも納得。絶対にまた読み返してより理解出来るようにしたい。
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2章 4心の相補性 より抜粋
ユングは、人間の心は全体として、つまり意識、無意識を包含して、全きひとつの存在であるという考えを早くから持っていた。
コンプレックスをもつことは、何か両立しがたい、同化されていない、葛藤をおこすものが存在していることを意味しているだけである。
第4章 4儀式の意味より抜粋
コンプレックスの解消に、死の体験が伴うとのべたが、このような体験が容易なことではなく、危険に満ちたものであることは想像に固くない。
自我が、コンプレックス内の内容とエネルギーとを、自分のものとするために必要な水路づけの機能を果たすものとして、儀式というものがある。
(感想)
臨床心理士が様々な文学作品や実際の治療の過程からコンプレックスについて説明をしており、豊富な例と筆者の実感を伴った文書で最後まで興味をもって読み通せた。
2章の自我と自己の図がとても示唆に富んでおり、コンプレックスは意識に隣接した無意識の領域であること。自我に統合されようとする時に障害となって表出することがあること。コンプレックスは自我の一面性を補うもの。など新たな視点が得られた。
4章ではコンプレックスの解消について、決して容易なことではなく苦しさを伴うこともあるということを実感した。
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先に「ユング心理学入門」を読んだ。そして本書を読んだ。いや、読んだとも言えない。全く何も頭に残っていない。コンプレックスが何か結局分からずじまいだ。こういう読解力のなさが僕のコンプレックスである。という使い方があっているのかどうかさえ分からない。コンプレックス=劣等感という印象がもともとあったが、どうやらそういうことでは無いようだ。コンプレキシティは複雑性と訳しているし、コンプレックスナンバーは複素数である。劣等感はコンプレックスの一種ということだ。そんなことはスマホで調べるとすぐ出て来る。エディプスコンプレックスくらいはその成り立ちから含めてちゃんと説明できるくらいになりたいが、何度読んでもちゃんと頭に入らない。講演会とかでしっかり聴くか、いまならYoutubeで誰かがしゃべっているのを聴いた方がよほど頭に入りそうだ。要するに、本で読んでいると、少し難易度が上がっただけで、頭の中では夕飯の献立とか他のことを考えたりしてしまう。無意識のうちに。具体的な症例とか夢の話とかそのあたりは集中して読んでいられる。ところが、一般論とか理論的な話になるとたちまちに意識が他に行く。最近、書評家などという肩書きで名前が出てきている人が何人もいるが、さらっと読んでその内容をパッと人前で話せる人が本当うらやましい。どうすれば読んだ内容を頭に残せるのか、その読書術のようなこともよく話されたり書かれたりしているし、そういう感じのことを実行に移すこともある。けれど、いずれはやはり忘れる。自分にとって大事なものは残るし、そうでないものは自然に消えていくし、ということで、本書については一切メモを取らずに読んでしまったら、途中これは、と思えるところも何か所かあったのだが、一切合切忘れてしまった。欧米の人々に比べて日本人は自我が弱く、コンプレックスと対決するのではなく、寄り添っていくというのか付き合っていく必要がある、というような話だったか。しかしそれも、日本はどう、西洋はどうと一概に決めてかかってはいけないということ、そんなことだったか。コンプレックスは無意識の部分に潜んでいるのでなかなか言語化は難しい。自分の見た夢を分析するなどしているうちに何がコンプレックスになっているのかが見えてくることもある。コンプレックスと対峙していく中で自己実現を成し得ることもある。もう少し図表などを使って説明していただけるともっと理解が進むのかもしれない。本書に出て来る図は球体の上の方に自我があり、その下に意識、さらに下に無意識があるというもの。無意識には個人的無意識と普遍的無意識があるということ。それらすべてを含めた球体の中心にあるのが自己。自己を成すものの一部に自我があるということか。なかなかすんなりとは分からない。要するに記号接地できていない。それと、今さらっと見直して思い出したけど、言語連想検査というのは一度やってみたいなと思う。というか今でもこういうことはしているのだろうか。最近のドラマで見たが箱庭とかは現在も活用されているのだろうな。カウンセリングの最近のことについては、東畑さんの新著を参考にしよう。河合先生の本もいろいろ読んできたけれど、後半になるほど、一般向けに読みやすくなってきたのではないかなと感じる。1971年発行って河合先生まだ40歳代だし。岩波新書、緑色だし。
「虫が好かない」の虫とはいったい何ものか。自分の意志通りにならないこと? これだけがメモに入っていた。完全に忘れていたけど。
他の人のレビューを読むとむちゃくちゃ恥ずかしい。そう言えばそんなことも書いてあったなあ、というのがいっぱい出て来る。
追記 東畑さんの本を読み出してふと思い出した。学校恐怖症。このことば、もちろん河合先生の古い本を読んでいて知ってはいたが、どういう流れで登校拒否になったのだろうか。不登校に変わるあたりはリアルタイムで実感しているのだけれど。高所恐怖症とか、閉所恐怖症とか、その流れで学校恐怖症でもいいような気がするのだが。
いや、そもそもことばとして違う事柄を表しているようだ。 -
題名に惹かれ即購入。コンプレックスは誰にでもあるもの、なきゃないで薄っぺらい人間だよってユングが言ってて、うちのコンプレックスも肯定されたようなちょっと元気になった。そうか、コンプレックスにはトラウマ的要素もあるのか。カインコンプレックス、エディプスコンプレックスはおもろかった。確かにあるかも…みんなのコンプレックス聞きたい。私は胸が小さい、音痴、浅く広い、恋愛下手いっぱいあるなぁ
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一家に一冊本。
現代の病巣がこの本一冊で解決するんじゃないかしら。40年近くも前に書かれた本とは思えない。
色々な壁にぶつかった時 頑張れ自我 って思うだけで 結果はどうであれ前向きになれる気がする。
嫌な相手と対峙した時も その人の自我ではなく、コンプレックス を思うことで、少しだけ心を広く接することができると思う。
自己実現への道がこれほど明確に示されている本に出会えたことが うれしい。
ヘタなハウツー本を読むよりよっぽどためになる。
みんなに薦めたろ〜〜 -
自我の行動を阻害し、感情的な感覚を感じさせる自己の中のもう一つの存在がコンプレックスである。本書のようにコンプレックスのような、曖昧な感覚を言語化すること自体が克服や共存のために大切なのだと感じた。
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コンプレックスはマイナス要素ではなく、ダメなものでもなく、自我に統合されるべき一部
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P199
人間がどうして生まれ、どうして死ぬかは、科学的に説明される。しかし、「私は一体どこからきてどこにゆくのか」という点について、こころの中に納得いく答えを得るためには、つまり、心の奥深く基礎付けるためには、神話を必要とする。
私:神話イコール物語ですね。
p183
つまり、ユダヤ人として父権の強い家庭に育ち、父親との年齢差が非常に大であったフロイトにとっては、エディプスコンプレックスが大切であり、次男として生まれ、軽いせむしであったアドラー、しかも、精神分析学会に参加した時、フロイトは既に偉大な人として頂点にあり、その下の方につかねばならなかった彼としては、劣等感コンプレックスを重要と考えたのも無理からぬことである。エバンス「ユングとの会話」
私:なるほどです。
総評
私:この本は「ユング心理学入門」を違う切り口で解説した本で、新鮮味はあまりない。河合さんの本を最初に手にする人にとっては良書と思う。 -
優越感もコンプレックスの1つ、他人より優れた自分でありたいというありのままの気持ちを愛せない気持ちの現われ。人間は同時に矛盾した気持ちを持つことがあり、その時に選ばれなかった方の気持ちを忘れたり、合理化したりする。コンプレックスというのは悪いことではない、コンプレックスも自分の中で消化して認められるようになれば、自分の1つとなり、人間的に成長出来る。夢のなかでは自我が弱くなるため、コンプレックスのイメージが表出しやすくなる、しかし言語化されずイメージのためどう解釈するかが大切。コンプレックスを人格化することで対決しやすくなる、例えば肺がんの場合、肺がんのままとらえると生理的な恐怖だけしか捉えられない、死という概念に人格を与えることで、それに対する様々なものと対話できるようになる。現代社会は、様々な儀式が形骸化してしまっている。(例えば卒業式などは新しい社会に出る自分の覚悟を決めさせるものではなくなっている)なので自分で自分のイニシエーションをおこない、新しい自分の受容を行わなければならない。
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先日、長らく外見で悩んでいたコンプレックスの一つが解決に向かう出来事があった。その時、コンプレックスの解消がここまで心を軽くするものかと感動し、同時に、他のコンプレックスも解消していけば人生はもっと快適になるのではと考えた。
そこで、そもそもコンプレックスって何だっけを知りたく手に取った一冊。
コンプレックスの定義等は本書参照だが、自分の中でも抱えていた内面のコンプレックスを考えるいい機会になった。家族との関係性、結婚に対する束縛感、苦手な同僚に対する嫌悪感と言ったものがどこから来ていたのか。
最終章の元型の話はあまり理解出来無かったが、全体通して、本を置きながら自問自答出来る良書だと思う。 -
心理学者としてこんなにもバランス感覚の取れた人は珍しいのではないか。自身の学派、心理学自体の価値を過信することなく、冷静に、適切に、解説を書いているように思う。
個人的には、就職活動の前に読んでおきたかった気がする。 -
香山リカさんが、「最近、鬱病ですといって会社を休んでおいて趣味のことには元気に出掛けていく人がいる」
と言っていたが、この本の中で、鬱だと言っていても趣味のことは楽しくできる人はいる、というようなことが書いてあった…
・・昔から似たような人いるようです! -
フロイトとユングとアドラー
エディプスコンプレックスと権力への意志
ユングはどちらの正誤も断定しない
「正常」の難しさ
「ノイローゼになるかならないかは、その個人としての自我とコンプレックスの相対的な力関係にある。これを例えて言うならば、船にを積む時、小さい船でも小さいを詰めば問題は無い。つまり、この時は正常である。ところが、大きい船でも、荷がうんと重ければ、少しは障害を起こすだろう。この場合がノイローゼである。ここで、この船が沈没すれば終わりだが、障害を起こしつつも荷物を運び切ったら、こちらの方が大きい仕事をしたことになるわけである。この船と荷物の大きさ、及びその関係は、その人の素質や環境によっていろいろ異なってくるわけである。」
「集団の中に安住せず、自らコンプレックスと対決して、自らの個性を生かそうとするときは、その人はその暖かい人間関係を切らねばならないことであろう。自己実現の道は、孤独な道である。」
トリックスター
「ユングは神経症の原因として、その人が『平均以上の何者かを有している』ためとさえいえる場合があると言っている。」
われわれは、自分の自己実現の容器をも、自ら選び、自らつくらねばならない
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ユングの研究者である著者が具体例と考察を混じえながらコンプレックスと自我との関係性について語られている。
第5章あたりから理解することが難しく感じたが、自分の無意識と自我について深く考えるきっかけになった。
そして最近の表面上の自己啓発本の浅さを実感し、もっとこのような本を読んでいきたいと思った。 -
主体性をおびやかすもの(やりたいと思ってもできない。)
アドラー……「人間にとってもっとも根源的な欲望『権力への欲求』であることを主張した」
p58失敗したことでいつまでもぶつぶついったりする人の方が、むしろコンプレックスを持っていると言える。つまり、この人達は劣等であることを認めていないのである。
「劣等感の悪循環」
平気で自分がソフトボールのできないことを認めた人は、それを認めることによって、その人の人格の尊厳性が失われないと感じているからである。つまり、そのことについての劣等の認識は彼の自我の中に統合されており、何も安定を揺さぶられないからである。
コンプレックスは自我によって経験されていない感情によって成立している……p60
そこに優越感が微妙にいりくんでいる
「先ず救われるべき人は、他人なのか、それとも自分なのか」と。(私は、専ら自分が救われる為に心理学を学んでいるかな)
p66「(略)……同化されていない、葛藤をおこすものが存在していることを意味しているだけである」
他人に対する愛情を意識する前に反動形成が生じることは多い。
コンプレックスと同一化した人間は強力である。(他人に貶された時、劣等感コンプレックスが刺激されて気が強くなる性質が私にはある)
感応現象……同種のコンプレックスは影響し合うp96
「コンプレックスの投影が集団として生じるとき、いわゆるスケープゴートの現象となる」p99
コンプレックスの共有現象p101
コンプレックスの発現条件が整う……「布置」(『他人と関わらなければ不幸にはならない』という文言があるが、布置の視点から考えれば……そうかもな)p104
(略)……それは孤立であっても自立ではない。自立したものは他人との関係を持つことができる。孤立したものは関係を拒否している。それは自立コンプレックスに自我が乗っ取られているのであって、自我が自立を獲得した姿ではない。p113
裸の王様に出てくる少年もトリックスターだね。
ひとりの人間の成長には、何らかの意味の「死の体験」が伴うということである。p128
コンプレックスの「解消」は、何らかの意味で死の体験を伴っている。
直観ってスキーマなの?
睡眠中には、自我の力が弱まるので、コンプレックスの活動が活発となり、その動きを自我は夢として把握することになる。
兄弟というものは、「もう一人の私」としての役割をもつことが多い。
争いの多いことは両者が分離していることを示すとは限らない。p173
他人に対して、誰でも同じように暖かく育ててくれるグレートマザーのイメージをすぐに投影してしまうのが「甘え」である。p193
西洋……プロメテウスが火を盗む
日本……イザナミが火を盗む
ハシッシュ ライトモチーフ つんぼ 相補性 水路付け ディアナコンプレックス アニマ アニムス 結跏趺坐(けっかふざ) -
2024年12月13日、茂木健一郎さんのYouTubeコメント欄→河合隼雄氏の動画ときた。初めて河合隼雄を知り、図書館のデータベースで著書を検索し、この本が「コンプレックス」と表題があったので目にとまった。評価も高いようだし。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/702128
河合隼雄の作品
