- Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004120988
作品紹介・あらすじ
文化が違えばことばも異なり、その用法にも微妙な差がある。人称代名詞や親族名称の用例を外国語の場合と比較することにより、日本語と日本文化のユニークさを浮き彫りにし、ことばが文化と社会の構造によって規制されることを具体的に立証して、ことばのもつ諸性質を興味深くえぐり出す。ことばの問題に興味をもつ人のための入門書。
感想・レビュー・書評
-
ことばの背景には必ずそのことばのもつ文化がある。だから、他言語に同じような言葉があったからといって、一対一で翻訳できるわけではない。動物の例が出ていたが、なるほどと納得するところがあった。また、後半では、一人称、二人称等の概念について述べてあるが、こちらも納得。自国、他国ともに文化を知り、言葉を知らなくて、翻訳などはうまくできないだろう。生理的に嫌悪感をもたらすような言葉遣いをしてしまう事もありうるわけだから。
まずは日本語について知るには、文豪の作品を読むといいかもしれないとこの本を読み終えて感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本語と英語。
同じ概念を表すように見える言葉でも、違いがある。
そのことばの表す範ちゅうの違い・・・その違いがどこから来るのか・・・。
ことばの問題は、そのことばを母語とする人々の文化にもかかわる。
この本の中で言語学的に特に注目すべき点は、親族名詞の使用ルールをきちんと体系化したところ。
たとえば、「父」にあたる人は「息子」とは呼べないけれど、「息子」にあたる人は「お父さん」という呼び方をするとか。
そういう制限のことをキチンとまとめている。
日本語がいかに上下関係を意識した言語かっていうことが親族名詞を見ることでもわかる。
それがそのまま、日本人の思考を表してて、言語の面白さを再確認させられた本。 -
書かれたのが1970年代ということもあって日本と外国の対比に ん?と思うところも何箇所か出てくるけどそれでも読みやすいし言ってることもわかりやすい。言語学ってこういうものなんだろうなーっていうのがわかる。言語学全体を全然知らないから何ともわからないけど。
-
今後も何度か読み直したい本。
外国語を勉強しているとどうしても不可解なもの(言葉やルールなど)が出てきて、それに気持ちが引っかかって勉強する気が失せることがある。
この本で「それは文化も違えば言葉のルールも違うから」と気付かされた。人間にとって言葉は万能のツールのようなものだと無意識に思っていたけれど、その固定概念を覆される。
「そうだったのか」の連続でどんどん読み進めてしまって、くせになる。
「言葉は生き物」と言われることにより深く納得できる。本当にDNAみたいだ、と思った。 -
言語のシニフィエには社会的コンテクストによって左右される要素が多い。
辞書に書かれた意味とは有る意味で死んだシニフィエなのだろうか。
この著者は社会と文化の立場から”ことば”を研究した社会言語学者だ。
内容も面白く、読みやすい。
しかしこの本で興味が湧いた人には社会学が向いているのかもしれない。
そしてこの著者も社会に囚われ過ぎている感じがする。
言語学を学ぶなら著者以外にも多くの言語学者の著作を読まなければならない気がする。
誤解のないように書くが読み物としてはとても良い本だ。
だけれども、言語学に興味があるなら時枝誠記、池上嘉彦、外山滋比古、ソシュール、デリダ、ハイデガーなども併せて読むべきだと思う。 -
第六章が大変面白かった。日本人の言語文化から考える、「自己規定の対象依存的な構造」による日本人の性質。「相手に同化し、甘えることに慣れている日本人は、つい自己を相手に投射し、相手に依存する。そして相手もまたこちらに同調してくれることを期待してしまう」