- Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004121541
感想・レビュー・書評
-
野間宏 「 親鸞 」
教行信証をテキストとした親鸞論の本。仏教の難しい専門用語〜「念仏とは」「教行信証とは」「浄土とは」をわかりやすく説明している
教行信証が、念仏を排除する旧仏教とのたたかうための理論であり、農民が 地獄のような困窮生活の中に浄土を見出すことに成功したとする論調
浄土は 虚空であり、作用として実在するが、実体として存在しないものというのは、わかったような わからないような気もするが、仏教のいい所なのかもしれない。一神教文化の白黒つける思想と違い、困難な状態にある人々を浄土に到達することに集中し、その他は曖昧でもいいという感じ。
念仏とは
*仏を心に思うこと〜南無阿弥陀仏と申すことが念仏
*南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏に帰命すること
*念仏は行であり、仏になるため、心を静かに保って迷いを去り解脱に至り、さとりを得るために行う
教行信証
*末世の時代に浄土に往生する真実の教えを明らかにする
*浄土往生の回向の探究
*教=念仏によって救われ、真の浄土に生まれる教え
*行=念仏こそがあらゆる修行にまさる行であり、浄土に往生できる行
*信=説かれたことをそのまま信じるのでなく、自身の主体を持って思考しつくし、この上の疑いも挟むことができないところで初めて生じる
*証=教、行、信によって得る念仏門に参入するなかで身に受ける証としてのさとり
浄土は
*消滅変化を受けることない常住絶対の法(ダルマ)の中に溶け入れられる絶対の働きである
*常住絶対の法(ダルマ)の中に包まれ、それに同一化し一体となるところに浄土がある
*虚空こそは浄土の本質を示すもの〜虚空のように広大で果てしない、作用であって働きである
*浄土は、思考の持続として実在するが、実体として存在するものではない
*浄土には真の仏が住んでいる〜自らして然らしめる働きそのものとしての真仏
浄土往生の回向
*念仏によって浄土へ往生する姿
*浄土からこちらに戻り多くの人に念仏を説き、仏になる道をあかす姿
悪人正機説
*悪人こそが浄土にいける機を持っている
*これまで救われないものとされた悪人こそ救わなければならない
*親鸞は、群れをなして芽をふいている雑草のような数多の人間が、悪を備えていると見定め、自分もそれらの人たちと変わらないとして、救う道を探しえた
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
浄土真宗の開祖である親鸞を語ろうとしているようであるが、
どうも、当時の社会的な要請から親鸞で語ろうとした本のようである。
1973年という出版年は政治の時代であったと思う。
とは言っても、それによって歪められた骨子はなく
単に細い道を歩くだけの本だ。
しかし、そんなか細く長い道を歩こうとしなければならない時代だったのだ。
末法の世というのが仏教を捨てる世界のことではなく、
形を変えてでも残るべき仏法の救いがあるという見方は目から鱗だ。
人はどんな世界でも救われ続けるだろう。
それ自体が人間の業であるにしても。
本の出来としては微妙です。
言うべきことの核はしっかりしていますが、
論の道筋は緩めで手当たり次第にぶつかっているように見えてしまいます。
>>
閉ざされた壁を打ち破って、その境界を越えるすべを見出すことがなければ、このすべての人間は救いから見離されたものとするほかなく、それを救いえないというのでは、もはや仏といわれるものも仏ではありえず、そのような仏は捨て去るほかないということになる。そして、親鸞は仏をしてその境界を越えさせるのである。(p.38)
<<
熱烈な原理主義の匂いを感じる。
まぁ、原理主義でない宗教は株式会社と特に変わらんだろうけど。
>>
それでは親鸞がそれまで寺院などで用いられていた阿弥陀三尊の絵図をすべて捨て去り、そこにただ「南無阿弥陀仏」「南無無碍光如来」などという言葉だけが書かれている掛軸を掲げることにした、その重大な意味をまったくとらえることのできないところへと落ち込むほかないだろう。親鸞は旧仏教のなかにあった呪術的なものを徹底的に排除しようと全力を傾けたのである。(p.76)
<<
ここにある神秘主義の拒否というのはおそらくクリティカルな問題。
ただ、本書では深く取り上げられない。よく引かれる曾我量深をあたる方がよさそう。 -
小説家・野間宏が、仏教を在家大衆のもとに返した親鸞の思想を論じた本。随所に野間らしい視点が見られる。
本書の第8章は「農民(生産者)のなかへ」というタイトルをもっている。そこで著者は、当時の流罪者には一年間生きながらえる米と一年後に自分で刈り取るための一定量の籾種を与えられたという資料に則って、承元の法難によって越後に流された親鸞は自分の食料を自分の手で育てるという厳しい生活を送らなければならなかったのではないかという。稲作についての知識をまったくもたなかった親鸞は、越後の農民に一つ一つ尋ね、あるいは助けられて、稲作の作業を進めてゆく中で、農民と同位の自己を作り出していった。法然の念仏は、これまで仏教が定めたどのような修行よりもはるかに困難に満ちたこの人々のために念仏はあるという確信が、「農民の生活のなかにまっすぐに立つことによって得ることができた」と著者は述べている。
親鸞は、浄土念仏理論が釈尊、龍樹から法然に至るまでの法燈の系譜を引くものだということを『教行信証』の中で主張しているが、じっさい彼の教えは仏教をその本来の姿へと返すものであったと著者はいう。著者はインドにおける「法」(dharma)という語にさかのぼって、それが単に、生と死をはてしなく繰り返す輪廻を越えて涅槃に入るという「仏の教え」を意味するだけでなく、同時に、理想社会を実現するための行をおこなう社会的実践という意味もあわせもっていたと述べる。「穢土」、つまりこの現実社会のただ中に浄土を作り出すことがめざされていたのである。そしてこのような発想は、親鸞の主張する往相と還相の循環運動にはっきりと示されていると、著者は考えている。
著者はこうした親鸞の革新的な思想を、「社会的実践」という、やや場違いとも受け取られかねない表現で言い表しているが、親鸞の思想の一つの側面を、現代的な観点から強い照明で照らし出していると言えるのではないだろうか。