マルコ・ポーロ――西洋と東洋を結んだ最初の人 (岩波新書 青版 D-52)

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  • / ISBN・EAN: 9784004130529

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  • (2016.05.30読了)(2000.10.27購入)(1988.02.18・第33刷)
    副題「西洋と東洋を結んだ最初の人」
    「東方見聞録」を読んだので、この機会に「マルコ・ポーロ」も読んでしまうことにしました。マルコ・ポーロの生涯を述べたものです。
    ネットで検索すると、以下のように記述してあります。
    マルコ・ポーロ(伊: Marco Polo、1254年9月15日 - 1324年1月9日)は、ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』(写本名:『イル・ミリオーネ (Il Milione)』もしくは『世界の記述 (Devisement du monde)』)を口述した冒険家でもある。

    ヴェネツィアから中国(元)まで行き、またヴェネツィアまで戻ってきたのは、マルコ・ポーロだけではなく、同行者がいました。マルコの父のニコロ・ポーロと伯父さんのマッフェオ・ポーロです。
    そもそも、マルコ・ポーロが旅に出たのは、父に連れられてだったのです。父が、兄弟で旅に出て、元にたどり着き、フビライに頼まれて、いったんイタリアに戻り、再び元に向かう時に、マルコを連れて行ったのです。
    マルコは、フビライに気にいられ、フビライのために元でしばらく働いたようです。
    そろそろ、イタリアに帰ろうと思っていたころに、丁度、ペルシャあたりへ嫁ぐ姫を連れてゆく仕事があり、船で東南アジア、スリランカを経由して、ペルシャ沿岸まで行き、役目を果たして、ヴェネツィアへ帰ります。
    帰国後、ヴェネツィアとジェノバの争いで、ジェノバの捕虜となり、牢獄の中で、マルコの冒険話を聞いた中の一人、ルスティケロがまとめたものが『東方見聞録』となったということです。マルコがすべて記憶していたわけではなく、マルコの旅行中のノートをヴェネツィアから取り寄せて、ルスティケロに提供したとのことです。ルスティケロは、物書きだったようです。
    当時はまだ、印刷術はなかったので、写本として、流布し、その後、写本をもとに印刷されたものをコロンブスも読んだということです。
    当初は、ほら話として読まれたようですが、東西交流が遮断された後は、西洋の人たちが、東洋を知る唯一の本として、地図の作成や探検家たちの必携本として、活用されたとのことです。

    【目次】
    まえがき
    第一章 旅行の発端
    第二章 ペルシャから中央アジヤへ
    第三章 カタイとマンジ
    第四章 南の国
    第五章 「百万のマルコ」
    第六章 ジェノアの囚人
    第七章 結婚・晩年・死
    第八章 下されたカーテン
    付録 「マルコ・ポーロ旅行記」の書誌
    マルコ・ポーロの旅行経路

    ●三都市(5頁)
    当時地中海におけるヴェネチャの覇権を脅かす強敵が二つあった。その一つはジェノアであり、もう一つはピサであった。このイタリヤの三つの都市の競争目標は、当時フランス、イギリス、ドイツその他諸国の十字軍を西アジヤ諸港に輸送する権利の獲得と、東地中海沿岸地方における商権を確保することにあった。
    ●ニコロ・ポーロ(21頁)
    1253年、二人の宝石商人が、コンスタンチノープルを目指してヴェネチャの港を出帆した。彼らは兄弟で、マッフェオ・ポーロとニコロ・ポーロといった。
    (ヴェネチャに帰り着いたのは、15年後ということですので、1268年ごろでしょう。マルコ・ポーロを連れて、再びフビライのもとに出発したのが、1271年末、フビライのもとについたのが、1275年。それから1290年までフビライに仕え、ヴェネチャに帰り着いたのが、1295年です。1298年、マルコは、ジェノアの捕虜となりました。1299年8月ごろに釈放となりました。)
    ●語学力(69頁)
    マルコは自らタルタル語とその他四つの言語に習熟したといっているにもかかわらず、旅行記の叙述はかれが中国語を知らなかったことを暴露している。マルコがタルタル語(モンゴル語)、トルコ語、ペルシャ語等に通じていたことは、おそらく疑いのないところであろう。
    ●階級(70頁)
    元朝の下では種族的或は民族的社会階級ともいうべき制度が行われ、第一はモンゴル人、次は色目人(トルコ系民族、イラン人、アラビヤ人、ヨーロッパ人等)、第三は北人(満州、華北)、最後が南人(華中、華南)と区別され、この順序によって全人口が統治されていた。
    ●見聞録(91頁)
    マルコが語った話のうちには二つの種類がある。一つはかれが現場で実見した話で、他は伝聞である。この意味でマルコ・ポーロ旅行記は、実は「旅行記」と呼ぶのは適切ではなく、むしろ「見聞録」あるいは西洋のある学者が名づけているように「世界の記述」ともいうべきであろう。

    ☆関連図書(既読)
    「東方見聞録」マルコ・ポーロ述・青木富太郎訳、現代教養文庫、1969.04.30
    「東方見聞録」マルコ・ポーロ述・長澤和俊訳、小学館、1996.01.20
    「ジンギスカン」小林高四郎著、岩波新書、1960.02.17
    「小説 マルコポー口」陳舜臣著、文春文庫、1983.04.25
    「蒼き狼」井上靖著、新潮文庫、1954.06.
    「敦煌」井上靖著、新潮文庫、1965.06.30
    「蒙古襲来(上)」山田智彦著、角川文庫、1991.06.10
    「蒙古襲来(中)」山田智彦著、角川文庫、1991.07.10
    「蒙古襲来(下)」山田智彦著、角川文庫、1991.08.10
    「蒙古襲来(上)」網野善彦著、小学館ライブラリー、1992.06.20
    「蒙古襲来(下)」網野善彦著、小学館ライブラリー、1992.06.20
    「蒙古来たる(上)」海音寺潮五郎著、文春文庫、2000.09.01
    「蒙古来たる(下)」海音寺潮五郎著、文春文庫、2000.09.01
    「「蒙古襲来絵詞」を読む」大倉隆二著、海鳥社、2007.01.15
    「青嵐の譜」天野純希著、集英社、2009.08.10
    「世界の歴史(5) 西域とイスラム」岩村忍著、中公文庫、1975.01.10
    「古代文明の謎と発見(4) 文化の交流」岩村忍編、毎日新聞社、1978.06.15
    「アフガニスタン紀行」岩村忍著、朝日文庫、1992.12.01
    (2016年6月3日・記)
    (amazonより)
    マルコ・ポーロの「東方見聞録」は、日本を黄金の国ジパングとして幻想的に紹介した書としてあまりにも有名である。この書が初めて世に出た時には、「でたらめ物語」の烙印を押されたが、百年もたつと、航海者、地図製作者や学者たちにとって不可欠の世界案内図となった。マルコ・ポーロの数奇な生涯を描いた、著者長年の研究の見事な結実。

  • 東西交流史に大きな足跡を残したマルコ・ポーロの評伝です。

    マルコ・ポーロ本人については、新書一冊の分量で十分な内容が語られており、文句のつけようはないのでしょうが、東西交流史におけるマルコ・ポーロの位置づけについては、やや不親切な気がします。とくに『東方見聞録』が西洋・東洋のそれぞれにおいてどのように受け取られてきたのかということについて、もう少し詳しく論じてほしかったように思います。

  • ? 1983・12・10 32刷 212p 

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