藤原道長 (岩波新書 青版 764)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004130963

感想・レビュー・書評

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  • 藤原家の栄華の頂点に立った藤原道長の生涯をたどり、彼の人物像を明らかにしている本です。

    本書では道長を、負けず嫌いであるとともに思慮深い人物としてえがいており、政治の主導権をめぐっての伊周との争いや、三条天皇とのかかわりについて、彼がどのような態度でのぞんだのかということを解説しています。とりわけ、紫式部とのかかわりを参照して、『源氏物語』の文学世界に道長と彼を中心とする貴族社会のありかたがどのようにえがかれることになったのかという問題を考察しているところは、著者独自の視点を示しているように感じました。

    一方で著者は、道長の生きた時代背景にも目を向けようとしていますが、あくまで道長の人物像をえがくことがめざされているためもあって、そうした側面への説明がじゅうぶんではないようにも感じました。三条天皇とのかかわりについても、著者は「この確執に、何ほどかの歴史的意義があるわけではないが、道長を伝する以上、すべてを省略に附すわけにはいかない」と、はなはだ正直なことばを書きつけています。

    経済史や社会史などでとりあげられる問題に関心を示しながらも、その方面へは進まず、道長という「人間」に焦点をあてているところに、本書を読んでいていささかもどかしさをおぼえてしまいました。

  • (2008.02.08読了)
    我が家では、会社からの帰り道にどこかへ立ち寄ることを「藤原さん」と呼んでいる。この場合の藤原さんは、藤原道長ではなく、道長の息子の藤原頼通(よりみち)のことです。
    藤原頼通は、992年に生まれ、1019年に関白になり、1067年まで50年弱勤めたということですので、日本史を習ったときに印象に残ったのでしょう。1052年には、道長の別荘を宇治平等院に改修しています。
    藤原道長は、966年に生まれ、1027年に62歳で没しています。その間の998年から1021年に書かれた日記が「御堂関白記」として残されています。「御堂関白記」は、2月24日まで東京国立博物館で開催されている「宮廷のみやび近衛家千年の名宝」展に展示されていますので、本物を見ることができます。
    道長と「源氏物語」の作者・紫式部との関係は、紫式部が、藤原道長の長女・一条天皇の中宮・彰子の女房兼家庭教師役として仕えたため、二人の間に交流があったようです。
    2008年が「源氏物語」千年紀とされているのも、御堂関白記の1008年の記述に「源氏物語」が出てくるからです。
    「紫式部日記」に道長についての記述があり、紫式部は、道長の妾という説もあります。

    道長は、藤原兼家の五男として生まれたので、余り目立つ存在ではなかったが、父や兄が相次いで病で亡くなったために、急に運が回ってきた。
    長女・彰子を一条天皇に、次女・妍子を三条天皇に、さらに三女・威子を後一条天皇に嫁がせ、天皇家と姻戚関係になり、権力を意のままにできる地位に上り詰めた。
    1016年、摂政となった道長は、1017年には、摂政を息子の頼通に譲り、後見役として権力を行使する。
    1018年に行われた威子立后の祝宴の席で著名な一首を詠んだといわれる。
    「この世をばわが世とぞおもふ望月の欠けたる事もなしとおもえば」
    大いに満足している心境がよく出ている。

    ☆北山茂夫の本(既読)
    「天武朝」北山茂夫著、中公新書、1978.06.25

    著者 北山 茂夫
    1909年 和歌山県生まれ
    1934年 東京帝国大学文学部国史学科を卒業
    1949‐69年 立命館大学教授
    1969年 以後文筆活動
    1984年 逝去
    専攻 日本古代史
    (2008年2月10日・記)

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