吉田松陰 (岩波新書 青版 55)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004131144

感想・レビュー・書評

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  • 吉田松陰の生涯をたどり、彼の思想と行動についての解説をおこなっている評伝です。

    著者は、松陰の天皇至上主義的な政治思想について、「幕末日本の行動的な志士たちが安心して生命を投げ出せるような絶対者は、ヨーロッパ世界のように宗教という形で存在していなかったからである」と史的します。また、彼の天皇至上主義的な思想とそれにもとづく行動が、佐久間象山や橋本佐内などの理性的な態度とは異なっていることに着目して、象山や佐内が藩政改革にじっさいにたずさわっており、自分自身で藩政の運営をおこなっていくことのできる立場にあったため、「彼らには自己の行動を酔わせるための宗教的な権威は必要ではなかった」と著者は述べています。

    こうして著者は、松陰を新しい秩序の建設者ではなく、危機に臨んで熱狂的な行動へと向かう「過渡期の革命者」と規定するという見かたを提出しつつ、そのうえで「私は、松陰の時代に生きた生き方の失敗と真実の中に、了解できる多くのものを見出している」と語っています。

  • 幕末は薩摩藩関係者は割と知っているが長州藩関係者をはじめそれ以外に親しむ機会がなかったので,吉田松陰にしても一般的イメージでしか認識していなかった。松陰に関する本もさまざまアプローチがあると思われるが,この本は神格化された松陰(教育者や革命家)ではなく,松陰が紆余曲折を経て安政の大獄に散っていくしかなかったことを語っている。松陰には冷静さがかけるところが散見されるが,それは思索だけでなく実践が全てであるという価値を時代の中で見いだしたからなのだろう。その意味で死してなお影響を及ぼすのは,松陰の行動実践とその死によると思う。

    幕末時代の人と人とのつながりの多様さと密さに驚く。いろいろなところに社交場があり,それを手がかりに人と人とがつながっているところが面白い。現代ではなかなかそんなことは起きないのではないだろうか。そして,よく手紙を書く。牢屋に入っていても書き続ける。手紙というメディアの面白さを思う。

  • (2013.02.08読了)(2010.02.22購入)
    【新島八重とその周辺・その③】
    NHK大河ドラマ「八重の桜」を見ていたら、吉田松陰が出てきたので、この機会の読むことにしました。「龍馬伝」のときに読もうとして購入したのですが、そのときには読むタイミングを逃してしまいました。
    国語力というか、古文を読む力が不足しているため、吉田松陰およびその時代の文章が引用されている部分の意味が読み取れないため、吉田松陰が何を考え、どうしようとしていたのか、松陰の何が問題で幽閉されたり、処刑されたりしたのかがわかりませんでした。頑張ってこの本を読み直すより、別の本に当たりたいと思います。
    情なや!
    読み取った範囲で、まとめると、吉田松陰は、4歳で吉田家の養子となり、5歳のとき養父が亡くなったため、吉田家を嗣ぎ、叔父の玉木文之進の指導を受けながら家業の兵学師範としての修業を積む。その後も、山田亦介、林真人、等に兵学を教わる。
    20歳のときに、長崎遊学、21歳のとき、江戸遊学、ついでに、東北遊歴を行っている。
    机の上の勉強だけでなく、世の中の動きをみるようになった。
    長崎に行った際には、アヘン戦争に関する資料を読んでいる。
    23歳のときにも、江戸、長崎、京都などを動き回っている。
    24歳のとき、アメリカに行こうとしたが、うまくゆかず自首し、江戸の獄に投じられるが、その後、自藩幽閉となり、萩へ。
    松下村塾を主宰し、多くの弟子を教える。
    29歳のとき、江戸に送られ、処刑されている。何の罪に問われたのかよく分からない。
    アメリカに渡って、西洋文明を学ぼうとした人が、尊王攘夷ということはなかろう。
    幕府の治世のあり方に異を唱えたのであろう。

    【目次】
    Ⅰ 時代の子
    Ⅱ 封建社会
     1 大勢
     2 1840年代
    Ⅲ 学問と実践
     1 学者の道
     2 飛躍
     3 断行
    Ⅳ 行動の論理
     1 公武合体思想
     2 松陰の政治思想
     3 幽囚の世界観
    Ⅴ 政治と実践
     1 風雲の動き
     2 藩勢の中に
     3 参画
    Ⅵ 対決
     1 再獄・孤立
     2 最後
    年表
    あとがき

    ●南部藩(16頁)
    1756年の飢饉にわずか30万人に足りない人々の中から6万余人の餓死者を出し、さらに1775年の同じく飢饉で餓死と病死の合計64698人を出した南部藩
    ●兵学師範(43頁)
    兵学師範としての彼(吉田松陰)は、1849年(19歳)3月、御手当御用掛を命ぜられ、6月下旬より翌月にわたって須佐・大津・豊浦・赤間関等の海岸を巡視し、さらに10月には門人をひきいて羽賀台の演習を行っている。
    ●アヘン戦争(44頁)
    平戸滞在中に読破した本は、「聖武記附録」「伝習録」等を始めとして、アヘン戦争関係の記事を集めた「阿芙蓉彙聞」七冊、西洋砲術書たる「ペキサンス」五冊等々、約八十冊に及んでいる。しかも彼(吉田松陰)は、その要点を一々抄録しつつこれを行ったのだ。
    ●江戸留学(48頁)
    彼はやがて、1851年3月、藩主に従って江戸に留学する。ここでも彼は、安積艮斎につき儒学を、山鹿素水につき兵学を、佐久間象山につき洋楽を学んで倦むところがない。
    ●佐久間象山と橋本左内(87頁)
    松陰がほとんど訳書で知ったことを、象山や左内は原書で読むことが出来たのである。象山や左内は何ものをも頼らず、自分の力で運命を切り開いていく人物であった。彼らは自身で、双肩に国家を担っていると自負できる人間であった。彼らには自己の行動を酔わせるための宗教的な権威は必要ではなかったのだ。左内や象山に天皇に対する神秘的な熱情を探してみてもどこにも見つからない。

    ☆「八重の桜」関連図書(既読)
    「保科正之-徳川将軍家を支えた会津藩主-」中村彰彦著、中公新書、1995.01.25
    「奥羽越列藩同盟」星亮一著、中公新書、1995.03.25
    「新島八重の維新」安藤優一郎著、青春新書、2012.06.15
    「八重の桜(一)」山本むつみ作・五十嵐佳子著、NHK出版、2012.11.30
    (2013年2月8日・記)
    (「BOOK」データベースより)
    人は歴史を作る。そしてより以上に危機は人を作る―。藩の兵学師範への道を歩んでいた一青年の前に、アヘン戦争に象徴されるヨーロッパ列強のアジア進攻と、その圧力によって増幅され混迷の度を深めていく幕藩制社会の姿があった。三十歳の若さで刑場に果てた松陰の思想と行動が、時代と人間精神との壮絶な対決として現代によみがえる。

  •  60年以上前の刊行であるだけに、講談調の文体、情緒過剰な価値判断、単線的な歴史認識とさすがに古すぎる。幕末とはいえ江戸時代なのに「俸給生活者」(p.124)なんて表現が出てくるあたりも杜撰だ。

  • 吉田松陰の生きた時代(幕末)は現在と重なる部分が多い

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著者プロフィール

1913~2001。山口県生まれ。京都帝国大学文学部国史学科卒業。元立命館大学教授。専門は日本近世思想史、幕末維新史。著書に『近代陶磁器業の成立』『日本近世史研究』『近世封建社会史論』『維新史の課題』『吉田松陰』『日本経済史』『二宮尊徳』『部落問題入門』『高杉晋作』『明治維新論』『変革者の思想』『武士道の系譜』『町人の実力』『幕末入門』『叛骨の士道』『維新的人間像』『「狂」を生きる』『日本地酒紀行』、共編著に『未解放部落の社会構造』『未解放部落の歴史と社会』『近世日本思想史研究』『明治維新人物事典 幕末篇』『日本の私塾』『幕末志士の手紙』『素顔の京都』『適塾と松下村塾』『京都百話』、訳・校注書に『統道真伝』『武士道』『葉隠』などがある。

「2013年 『吉田松陰著作選 留魂録・幽囚録・回顧録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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