読書案内 (岩波新書 青版 84)

  • 岩波書店 (1952年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (169ページ) / ISBN・EAN: 9784004140023

感想・レビュー・書評

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  • まず第一に「楽しくよめる」そして「よまないでおくと、それだけ損失を蒙るような書物、なんらかの形であなたの精神的な富をまし、あなたが一層充実した生活を送る上に役立つような書物」のガイドブック。1940年出版(邦訳版は52年)だが、当時モームが読むべきと思った作品は、やはり現代でも世界中の人々に好んで読まれていると思う。誰もが一度は耳にしたことのあるものから日本人には馴染みの薄いものまで、読んでみたいと思わずにはいられない作品ばかり。モームの文章は言うに及ばず、邦訳の言葉遣いが美しいのも良かった。

    p4
    世間には、自分には小説はよめない、というひとがよくあるが、わたくしの気がついたところでは、そういう人びとは、精神のすべてを重要な仕事にうばわれているため、想像上の出来事などに頭を用いる余裕はまったくないのだから、よめないのだと考えがちである。だが、それは思いちがいであると、わたくしは思う。そういう人びとに小説がよめないのは、自分のことだけに心をうばわれていて、自分以外の者の身におこることには、ぜんぜん興味がもてないためであるか、あるいは、想像力が不足していて、小説にあらわれた思想を理解することも、作中人物の喜びや悲しみに共感することもできないためであるか、そのいずれかである。

    p5
    わたくしのすいせんする書物は、概していって、普通の興味をもつ者であれば、かならずやそのひとの心に訴えるところがあるであろうと、わたくしは固く信ずる。どの書物も、わたくしたちに共通な人間性をもっているからである。

    p7
    (前略)ある書物があなたにとって大切なのは、その書物があなたにたいしてどのような意味をもつかという、ただその点だけなので、たとえあなたの意見が、他のあらゆる人びとと相容れないことがあっても、そんなことはぜんぜん問題にはならない。あなたにとっては、あなた自身の考えこそ、価値をもつのである。

    p15
    『我意の人』はメレディスの最大傑作だが、それは主題が普遍的な意味をもっているからである。利己心は人間性の主導力であり、わたくしたちが、逃れようとしても、ぜったいに逃れることのできない唯一の特質でもある。わたくしたちの存在は、この特質によって決定されるからである。ただし、わたくしは、利己心を悪徳とは呼びたくない。もっともいとわしい悪徳ではあるが、同時にまた、わたくしたちの美徳の、いわば骨髄をなすものであるから。利己心がなかったならば、わたくしたちは、今日あるようなものにはなっていなかっただろう。これがなかったならば、わたくしたちは無にひとしいことだろう。とはいえ、わたくしたちは、たえず努力して、利己心の誘惑にうち勝たねばならない。最善をつくして利己心を抑えつけることによって、はじめてりっぱな生活が可能になることはいうまでもない。ところで、メレディスは、サー・ウィロビー・パターンにおいて、それ以前にもそれ以後にも、他にまったく類の見られぬ我意のひとをえがきだした。この小説をよんで、多少とも良心の苛責を感じないひとは、ひとりとしていないことだろう。サー・ウィロビーを、憎むべき、また笑うべき人間としているさまざまな特性のうち、少なくとも一部分は、わたくしたちのだれもがもっているのだが、それすらもたぬというひとがあったら、そのひとは、サー・ウィロビー以上の我意のひとであるにちがいない。このあわれむべき主人公は、ある特定の人物をさしているのではない、われわれすべてを指すのだ、とメレディスはいったが、まさにその通りである。というわけで、わたくしが『我意の人』をおすすめするのは、この小説が、正気にみちた、よんで楽しい作品だから、というだけではなく、あなたが自分自身について知っておいたほうがよいあるものを、この小説からまなびとることができようと、考えるからでもある。

    p60
    モンテーニュの懐疑主義については、いろいろなことがいわれてきたが、もしもすべてあるひとつの問題には二つの面があり、確実性を求めることが不可能なばあいには、偏見を避け、虚心坦懐でいるのが賢明だとする行き方が懐疑主義であるとすれば、たしかに彼は懐疑主義であったといえよう。だが、その懐疑主義は、彼に寛容の徳ー今日いよいよ必要となってきているこの美徳を教えた。つまり、彼は、人間に興味をもち、生活を楽しもうとしたところから、寛容の徳を身につけるにいたったのだが、もしもわたくしたちにして、同じ美徳をもつことができさえしたら、わたくしたち自身が幸福になるのを助けてくれるばかりか、他の人びとを幸福にするのに役立つことだろう。

    p71
    ドストエフスキーの人物は、自然の暗黒な力と共通なものをもっている。彼らは普通の人間ではない。情熱的で、極端に精神的で、痛ましいほど敏感で、極度の苦悩を経験することができ、何事についても並はずれていて尋常ではない。彼らは神のために悩み苦しむ。その行動は、まるで精神病院の狂人のそれである。だが、彼らの常軌を逸した行動は何かふしぎな意味をもっていると考えられ、そして彼らが、かように苦悩を通して自己の本性を暴露しているのは、じつは人間の魂のもつかくされた奥底と、そのおそるべきさまざまな力とを明らかに示しているのだ、ということをしみじみと思わないではいられない。

    p72
    ドストエフスキーは、みずから苦しんだひとであってはじめてできることだが、人間の苦しみにたいして、深いあわれみの心をもっていた。「ひとを裁くな。ひとを愛せ。その罪を恐れるな。罪を犯したひとを愛せ」と彼はいった。この小説をよみおえたとき、あなたの感ずるのは、絶望感ではなく、魂の高揚である。みにくい罪のあいだから、美しい善がその光を放っているからである。

    p77
    『クレーヴの奥方』は、読者の心を深くゆり動かす物語である。話の主要人物は、それぞれ自分の義務であると考えることを、はたしたいと望んでおりながら、自分の力ではいかんともしがたい事情のために敗れ去るからである。ひとに何かを求めるときには、そのひとにできないものまで望むようなことがあってはならない、というのがこの小説の教訓であるだろう。

    p80
    わたくしは思うのだが、自分にたいしてうそ偽りをけっしていわぬ者で、この意志の弱い、怒りっぽい、虚栄心のつよい、あわれむべき男の告白をよんで、「けっきょくの話が、この男と自分とのあいだに、どれだけの違いがあるだろう。自分はこの赤裸々な告白をよんで嫌忌をおぼえたが、もし自分のほんとうの姿が完全にわかったとしたら、はたしてこの男くらいりっぱに見えるだろうか」と、自分自身に問うてみようとしないひとが、ひとりでもあるだろうか。そこで一言ご注意申し上げておくが、だれにせよ、この書物をよむ者は、このむずかしい世の中を渡って行くにさいして、わが身を守るもっとも有力な武器である自己満足を、程度の差こそあれ、かならずかきみだされるにちがいないのである。

    p102
    わたくしは、ジョンソン博士が典型的な英国人であると同じように、フランクリンは、真に典型的なアメリカ人であると考える。その彼にたいして、なぜ同国人のアメリカの人びとが共感をおぼえるのをさしひかえがちであるのか、その理由を考えてみるのに、わたくしはただひとつの説明しか思いつかことができない。つまら、彼にはインチキなところが、ぜんぜんないからなのだ。

    p107
    ホーソーンは、繊細な耳とすぐれた技量にめぐまれ、巧緻な言いまわしを工夫することができた。従属文がたくさんあって、半ページも長々とつづく、ひびきのよい、釣りあいのとれた、水晶のように澄みきった文章を書くことができた。堂々とした文章を、変化にとんだ文章を書くことができた。彼の散文は節度を知っていたので、誇張に走ったり単調におちいったりすることがけっしてなかった。彼の隠喩は然るべき意味を持ち、直喩は適切、用語がまた題材にぴったりとあっている。

    p115
    ポーは、詩人である以外に、鋭い批評家でもあって、短篇小説の技術を分析した彼の短篇小説論は、久しいあいだ、彼の後継者たちの作品を支配しつづけた。

  • 14/05/04、神保町・小宮山書店で購入(古本)。

  • 欧米文学の主要作品の特徴を見事に説明している。ただしやや分量が少ないか。

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