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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784004150039
みんなの感想まとめ
社会の中で当たり前とされる行動が許されなかった時代、黒人差別に立ち向かうキング牧師と彼の仲間たちの奮闘が描かれています。バス乗車ボイコット運動を通じて、彼らは非暴力的な抵抗の重要性を訴え、愛と冷静さを...
感想・レビュー・書評
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公共のバスに乗ること。空いている席に座り、目的地までそこに座り続けること。そんな当たり前が許されなかった社会がありました。不正と侮辱が蔓延する黒人差別への対抗として、バス乗車ボイコット運動に踏み切ろうとしたキング牧師と同胞たちの闘いの記録です。
いかに血を流すことなく、自分たちの切なる願いを世に伝えることが出来るのか。対応を少しでも誤れば大きな衝突に発展しかねない緊張感のなか、キング牧師は“非暴力=愛”のもと丁寧に言葉を紡ぎ、同胞たちに冷静に努めるようキリストの教えを説き続けました。
キング牧師自身その先頭に立ちながらも悩み、苦しみ、その責任の重さと悪意ある圧力に押しつぶされそうになった事実にも触れています。その時彼の心を支えたのはキリストの教示でした。キング牧師が辿り着いた一つの解釈は、一読の価値があります。
最近触れる機会のあった『ドリーム』(原題:『Hidden Figures』)という作品も、1960年前後の黒人差別を扱った内容でした。共通して言えるのは、差別行為が日常へ当たり前に溶け込んでいること。さらに、特権を握っている立場の者たちは簡単に利権を放棄せず、不正を不正と認めにくいということです。
黒人差別に対抗する運動としては、アメリカのごく小さな地域の出来事に過ぎないかもしれません。しかもその運動が成功に至るまでに、とてつもない努力を要しました。
しかし小さくても大きな前進。今なお差別のニュースは絶えませんが、いつか「過去の出来事」となる日が来ることを願って止みません。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
非暴力的抵抗の実践が、その当人によって詳細に語られている。臨場感がすごくて出来のいい伝記映画を見ているよう。昨今のアメリカにおける反移民的な動きを見るにつけ、手段を選ばぬ差別的な動きは、昔も今もアメリカ社会に変わらず存在していることがわかるが、今は連邦政府までもが差別を助長しているところが、キングの時代よりもかなり悪いと思う。
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キング牧師の自筆になるバスボイコットからなる人権獲得の道程である。キング牧師の活動や演説は有名であるが、この本が現在キング牧師のことを知るすべての人に知られているとは言えないのではないか。現在普通に販売されていないのがおかしい。
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マーティン・ルーサー・キングの1958年の本。1955~1956年のモントゴメリーのバスボイコット運動を中心とした著作。
この運動については、キングに関する本でよく説明されているので、なんとなくわかった気になっているのだが、やはり当事者がボイコット終了後あまり時間をおかずに書いてある本はいろいろ伝わってくるものが違う。
キングはやはり言葉の力が強くて、彼の思想や信念を知るには、演説集が良いと思うのだが、この本は等身大なキングがいる気がする。
訳文の主語が「ぼく」とされているせいもあるかもしれないが、一人の博士課程を修了したばかりの牧師が、たまたまの成り行きで、バス・ボイコット運動の指導者、スポークスマンになって、運動をやっていくなかで、悩み、苦しみ、恐怖に教わりつつ、前に進んでいくなかで、リーダーとして成長していく過程が伝わってくる。
演説集では、ボイコット初日(12月5日)の歴史的な集会でのキングの演説は見事なもので、わたしは運動の最初から非暴力という方法論でやるということが明確であることから、これはもともとのキングの考えと思っていたのだが、この本によると演説を考える時間がほとんどなく、原稿なしで話したものであったようである。直前まで、運動を激励することとそれが暴力的なものにならないように、キリストの愛と繋がったものであるように悩んでいたという。
印象的なのは、キング一人のリーダーシップだけでなく、正しく自己組織化的にいろいろなプロジェクトが立ち上がり、運動が組織化されていくプロセスである。
そして、1年間、淡々と運動を続けているだけではなくて、その運動を潰すべく、さまざまな暴力が使われ、また政治もいろいろな手をうってくる。そうしたなかで、なすすべもなく負けそうになるなかでも、人々が団結して活動を続けていく姿は感動的としかいえない。
この本では、当事者が語る運動の経緯が中心なのだが、同時に、思想的な背景についても説明がなされており、キングのなかでの非暴力思想の理解がどう発展したかがわかって、興味深い。
あと、訳者は、マルクス系の人のようで、キリスト教的な世界観には批判的なようで、運動を評価しつつ、少し皮肉なコメントもあとがきには書いてある。この訳本が出版されたのは、1959年。まだ、公民権運動がこの後どうなるのかがわからない時点で、さらにはソ連の崩壊もまったく想定の範囲外だったわけで、その後、訳者はどう思っただろうか?もっとも、BLM運動などをみると、またどう思うのだろうか?
なんかそんなことを考えてしまった。 -
SDGs|目標10 人や国の不平等をなくそう|
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/702352 -
自由への大いなる歩み―非暴力で闘った黒人たち―
公民権運動など、黒人の権利のために闘った英雄、キング牧師が、自身が率いたモントゴメリーのバスボイコットを克明に記録した名著。運動の記録と同時に非暴力運動を率いるまでの思想的遍歴についても述べている。キング牧師は今でいうアクティビストであり、牧師であり、そして博士であった。私は小学生の頃にキング牧師の分厚い伝記を読んで以来、キング牧師のファンであるが、自分自身もヘーゲルやマルクスを一定レベルで知ってから本書を手に取ったため、今回の機会で彼の行動の基盤となる思想について学問的な理解ができた。
本書を読んで思うのは、キング牧師について社会改良を目指す社会派牧師であり、緻密な戦略家であるということだ。社会派牧師ということは、P30-31で述べられている下記の文章で感じる。
「宗教は本らの姿に忠実であろうとするならば、同時に人間の社会的条件についても関心を払わねばならない(中略)宗教は、垂直の面ばかりではなく水平の面の上でも活動する。宗教はたんに人間と神をまじわらせるばかりでなく、人間と人間をまじわらせ、すべての人間を彼自身とまじわらせようとするのだ。宗教は人間の魂を変え、彼らを神と結びつけようとするのであるのだが、他方では、いったん魂が変えられた後に良き機会が与えられることができるように、人間の環境を変えようとする。どんな宗教であろうと、人間のやましいに関心を払っていると告白しながら、彼らを呪う貧民窟や彼らを窒息させる経済状態や彼らを不具にする社会状態に関心を払おうとしない宗教は塵のように干からびた宗教なのだ」
宗教は、弱者がその環境に甘んじるために頼るアヘンではなく、やはり地上の国を変革することを指向しなければ、それは塵のようなものであると断定する語り草は、マルクスによる宗教批判を宗教という枠組みの中で昇華している様が見て取れる。社会主義は、宗教の決別を宣言するが、キング牧師は牧師という立場のなかで、社会変革を志向したのである。そして、個人的にはこのタイプが一番強いと感じる。キング牧師は社会主義者のように弱者に寄り添い、社会変革運動を行うのだが、家に爆弾を投げ込まれたり、毎日のように脅迫の手紙や電話が届いたりと強烈な反撃を受ける。その中で、キング牧師は何度も精神的に参ってしまうが、その一方で、神との対話を通じて不死鳥のように復活するのである。
キング牧師がモントゴメリーに赴任した際に感じたのは、そこでの黒人たちの無意識的な劣等感であった。南部の黒人たちは、人種的隔離の制度にあまりにも強く影響されてしまったがゆえに、彼らはひたすらおとなしく現状に適用することに努めていたのである。彼らは、無意識のうちに自分たちが劣位にあることを甘受することで、現状のつらさを逃れようとしていた。そして、彼らは経済的にも白人に雇われる社会的存在であり、人種的隔離に反発しようものならば解雇されるリスクがあった。そうした中で、人種的隔離を内面化することは、黒人たちにとっては仕方がないことであった。しかしながら、キング牧師はその現状は誤っていることを彼らに伝えるのである。神の下の平等は、黒人にも等しく与えられるべきであると提唱するのである。キング牧師は、「消極的に悪を受け入れる者は、悪を行うことを助ける者と同様に、悪に巻き込まれているのである」と南部の人々の考え方を少しずつ変えていったのである。この発想は、すべての差別に対して言えるであろう。昨今では、性差別やLGBTという問題についても考えられる。現行の社会制度が差別を助長するものであるならば、それらを受け入れること自体が、差別に加担することになるのである。
キング牧師は、徐々に南部の人々の意識を変革していくのであるが、ローザパークス婦人事件(バスで白人に席を譲らなかったがゆえに黒人女性が逮捕された事件)を発端に、彼らの変革運動はバスボイコット運動に発展する。この運動は、バスでの人種的隔離や人種差別に対して抵抗するものであり、バスの顧客の大部分を占める黒人が、バスに乗ることを拒絶することで、差別是正を社会に訴えかけるものである。個人的には、本書において、この運動を先導指揮するキング牧師の冷静な戦略家という側面が強く感じられた。キング牧師は、バスボイコットを宣言すると同時に、教会の所有自動車の相乗りタクシー制度を立ち上げて、すぐさま大体の交通機関を確保するのである。ただ理念を説くのではなく、実際に運動を継続する上で問題点となる部分に対して先回りして対抗策を打ち、運動に参加する人々を支援する姿勢は、非常に参考になる。さらに、郵便配達員をしている黒人労働者の知恵を借りることで、円滑にマッピングを作り上げ、相乗りタクシー制度をより良いものにしていくという姿勢は、まさに起業家である。そうした観点で、キング牧師は弁が立つだけの人間ではなく、マネジメントに精通した人間であった。キング牧師が、黒人の日常的な生活に対して関心を払い、代替交通機関の立ち上げなどの地に足の着いた施策を打っている点がまさしく、この運動を成功に導いたのではないかと感じる。
キング牧師は、上記のような代替制度を運用する一方で、黒人たちに徹底した非暴力を訴え続けられたのである。そうして、ボイコットを続ける具体的なアクションプランを作ることで、暴力による変革に人々がなびいてしまうことを言葉の力によって、防ぎ続けたのである。キング牧師は、暴力を憎んでおり、暴力が暴力しか生まないという暴力の危険性を理解していた。それゆえに、黒人による運動をソフトランディングさせるためには、運動に暴力性をまとわらせてはいけないことにこだわっていたのである。キング牧師は、非暴力的抵抗について、こう語る。「非暴力的抵抗の原理は、二つの対立物のもつ真理―つまり服従と暴力―の極端な面や非道徳的な面を避けて、この両者を調和させようとするものである。」
つまり、非暴力的抵抗は、暴力的な変化運動と、制度への服従(という名の制度への加担)をアウフヘーベンした一つ次元の異なる運動であるのである。
アメリカではBLMが行われているが、BLMに必要なのはキング牧師のようなリアリスティックかつハートフルなリーダーではないかと思う。BLMは個人的には暴徒化してしまっているように感じる。暴力と服従を超克した非暴力抵抗が差別に打ち勝ってきたのであることが歴史では証明されている。ゆえに、キング牧師の思想に立ち返らねばならないだろう。 -
Black lives matter運動の最中、海外のインスタアカウントなどは真っ黒画面で埋め尽くされ、白人の有名人は自分たちがどれだけ特権を受けてきたか学び直す必要があると投稿。これを眺める日本人の私は何をすべきなんだろう、と思ったとき、改めて思うのは米国について映像を通してなんとなく知っている気になっていて、一応旅行でも訪れたことはあるけれど、実はその本当のところを知らないということだ。ドラマを何本かみたといっても有色人種の現状を描いたものはほとんど見たことがない(例外は、白人夫婦+アフリカ系、ベトナム系、コロンビア系の養子と実子という6人家族を描いた“here and now”で、これにはアフリカ系アメリカ人が警察に捕まったときの怖さが少し描かれていた)。
この本は言わずと知れたキング牧師の本だが、実際に牧師らが起こした行動がなんだったか初めて知る内容もあって衝撃だった。バスの差別的な座席制度の廃止を求めたのは知っていたが、そのためにバス乗車を拒否した黒人たちの輸送手段を確保するという、ロジスティックが確保されてこその運動であったとか、家に爆発物が送りつけられたことがあったとか。備忘録としてまとめると
-ガンジーの非暴力抵抗に影響を受けた
-差別廃止を訴えると同時に、これまでの差別が生み出してきた黒人の自己評価の低さ、差別による経済格差を指摘
-白人側に差別廃止=脅威と受け取られないために取るべき慎重な行動
といったことが差別される当事者側から、俯瞰的に冷静に、そして怒りを持つことなく書かれている。差別的制度自体が廃止された今、制度や法への抵抗という意味では古いかもしれない。でも、人々の考え方や態度という面では悲しいかな、まるで2020年の現状を指摘しているようだ。この知性と希望に満ち溢れた本を、この後筆者自身が殺されてしまうという結末を知りながら読むのも辛いものだった。でも、とても勉強になった。 -
公民権運動が絶頂期を迎える、1960年代に突入する直前に書かれたキング牧師の自叙伝。
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図書館から
ちょっと古いかな -
バスボイコット運動の詳述。主語をぼく、ぼくたちと訳した訳者の慧眼に敬服する。なぜなら、本書は歴史と共に著者の内面と思想と宗教を扱ったもので、「親しみ」こそが、その価値を不動のものにしているからだ。キング牧師28歳の時に発刊された。
キリスト教への傾倒は理解できないが、そこから離れた彼自身の思索を紡いだ言葉は、刺激に満ちている。
・この町の緊張は決して、白人とニグロの間にあるのではない。それは根本的には、正義と不正の間に、光りの軍勢と闇の軍勢にあるのだ。
・「わたしはここでわたしが正しいと信ずることのために闘っています。だが、いま私は恐れているのです」
・再びバスにかえるときは、敵を友にかえるにたりるほど親切に振る舞おうではないか。
・南部に自己の権威と運命を新たに自覚した新しいニグロがいることを理解しなければ、モントゴメリーのバスに関する抗議運動を十分に理解することはできないだろう。
・たゆまぬ努力を怠るときは時間自身が非合理的な感情主義や社会を破壊する暴力の味方になってしまうだろう。
・現代の社会的転換期の最大の悲劇は、悪人たちの甲高い要求の声ではなく、善き人々のおそるべき沈黙だということを記録せねばならぬだろう。
・非暴力抵抗を主張する人々は、ひとは反対者に対して肉体的な攻撃を加えるべきではないという服従を主張する人たちの意見には賛成するが、同時に他方では、ひとは悪に対しては抵抗せねばならぬという暴力を主張する人々の意見にも賛成して、バランスを取るのだ。
・ネルーはかつて、イギリス人は、インド人が非暴力をもってかれらに抵抗したときほど憤慨したことはいまだかつてなかったといった。
・人間的な成熟を示す確実な印の一つは、自己批判にまでたかまる能力だ。 -
リーダーシップの本質を直感的に学んだ。
まだ自分の中に落とし込めていないが、いつかもう一度読み返して、キング牧師の神髄に至りたい。 -
「私には夢がある」ではじまる有名なワシントン大行進での演説。
この本を読むまで、あれはその場で情熱の限りに訴えたのだとばかり思ってました。
しかし、あの名演説は、じつはキング牧師が何日も何日も考えに考え抜いて、なおかつどういう身振りで、どういう声の抑揚で訴えたら皆のこころに響くかと悩み抜いた末の名演説でした。
(聴いたことある人はわかると思いますが、あの声の震えもじつは計算されたものです)
こういった行動をずるいという風に考えることもできますが、僕はそうは思いません。
公民権運動が目指した運動の形態はガンジーから学んだ「非暴力・非服従」です。勇気ある言葉、正義の言葉で人々の良心を呼び覚ますことができるかどうかに成功の如何がかかっていました。たとえ演出の部分があったとしても、真実の叫びだったからこそ、公民権運動は勝利できたんだと思います。
自宅に爆弾をしかけられたり、弾丸を打ち込まれたりと始終暗殺の恐怖に苛まれながらも、信念を貫こうとする一青年の姿が、とてもリアルに描かれていて感動できる本です。
キング牧師の生き方は、ひとりの人間が信念を持って行動したら、どれだけ世界が変えられるのか、という希望の物語そのもののような気がします。
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[ 内容 ]
一九五四年、アメリカ南部モントゴメリーで差別待遇の廃止を求めた黒人たちは、バス乗車ボイコット闘争に立ち上った。
一年の激しい闘いの後,ついに五万の固い団結は勝利し、これが発火点となって黒人革命が燃え上っていく。
本書は、「愛と非暴力の思想」を掲げ、この運動を指導したM.L.キング牧師の闘いと内面の記録である。
[ 目次 ]
[ POP ]
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☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、今から42年前の1968年4月4日にテネシー州メンフィスで邪悪な白人のならず者によって射殺され39歳で命を落とした。
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出版社/著者からの内容紹介
一九五四年,アメリカ南部モントゴメリーで差別待遇の廃止を求めた黒人たちは,バス乗車ボイコット闘争に立ち上った.一年の激しい闘いの後,ついに五万の固い団結は勝利し,これが発火点となって黒人革命が燃え上っていく.本書は,「愛と非暴力の思想」を掲げ,この運動を指導したM.L.キング牧師の闘いと内面の記録である.
目次
まえがき
Ⅰ 南部へ帰る
Ⅱ 抗議運動以前のモントゴメリー
Ⅲ 決定的な逮捕
Ⅳ もっとも偉大なる日―十二月五日
Ⅴ 運動は勢いを加える
Ⅵ 非暴力への遍歴
Ⅶ 反対者の方法
Ⅷ 絶望的な人々の暴力
Ⅸ ついに人種的隔離は撤廃された
Ⅹ 今日のモントゴメリー
Ⅺ ぼくたちはここからどこへ進むのだろうか? -
学生時代父が買ってきてくれました。
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