追われゆく坑夫たち (岩波新書)

  • 岩波書店 (1960年8月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (245ページ) / ISBN・EAN: 9784004150244

みんなの感想まとめ

人権が無視された過酷な労働環境を描いたこの作品は、戦後の坑夫たちの生活をリアルに伝えています。著者は原爆症に苦しむ彼らのエネルギーを取材し、同じ坑夫同士の序列や非人道的な待遇を浮き彫りにします。読者は...

感想・レビュー・書評

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  • 先日読んだ『シャギー・ベイン』も閉山した炭鉱町が舞台だった。80年代だったが、その行き場のない鬱屈した感じ、貧困が人の希望を根こそぎ奪うところは、国や時代が変わっても変わらないと感じた。
    また、その劣悪な、人道も人権も無視した労働は『ケルト人の夢』のアフリカやアマゾンの原住民の様子と重なった。
    しかし驚くのはこれが戦後高度成長期の日本だったこと。戦前ならまたわからないでもない。戦前戦中に人権なんかなかっただろうと思う。しかし戦後は憲法も変わり、人権意識も芽生えた頃だし、生活も右肩上がりで豊かになった時代。
    石炭をあらかた掘り尽くした上、エネルギー原料が石油・天然ガスに変わって行く中、炭鉱労働者達がいかに悲惨な暮らしをしていたかを知ってショックを受けた。
    特に採炭率が低く、ガスや水が出たり、地盤が弱かったり、機材が持ち込めないほど狭く低く全てを人力で行わなければならなかった中小の炭鉱労働のひどさは、植民地の原住民や奴隷とどちらがひどいか言えないくらいである。植民地の原住民や奴隷は無理やり連れてこられたが、炭鉱労働者は自らヤマに入る。それしか食べていく道がないからだが、ヤマでヒロポン打たれて一歩も地上に出ないで働いても、自分と家族が食べていけるかというと、いけないのである。しかし逃げ出そうにも監視は厳しく、働けば働くほど借金が嵩むシステムなのである。どうしても休みたくて、決まった時間外に穴から出るとツルハシで殺されることもあったとか、落盤しても助ける手間がかかるから放置とか、それが許されるとは、どういう国家なんだ。
    労働法も機能しておらず、労働者は短期間で別のヤマに移る者も多い上、経営者が目を光らせているので、労働組合を作るのも難しい。誰が密告するかもわからないし、組合を作ろうとしていると目されれば即刻クビ。一家全員路頭に迷う。
    閉所恐怖症もあり、夜読むと息苦しくなって眠れなくなった。

    著者が書き残さなければ、永遠に闇に葬られていたことだったろう。なかったことにされたことだろう。京大出てエリートコースだって歩めたのに、労働者としてともにヤマに入り、彼らの声を書き残すのは、信念がなければできなかったことだと思う。
    読むのは辛かったが、高度成長期の影を記録した記録文学の名作だと思う。
    そしてまた、上野英信、森崎和江、石牟礼道子らを生んだサークル村の文学者たちの偉業に改めて頭を垂れる思いがする。
    サークル村の特徴は、ドキュメンタリーやルポルタージュ、ノンフィクションというより、文学であるという点。この本の文章も著者の思いがつまった文章が胸に迫った。
    これは日本の歴史であり、世界で今も同じような劣悪な労働を続けている人々の怨嗟の呟きであり、こういう人々がいるということを忘れてはいけないと強く思う。

  • 夏目漱石の『坑夫』を読んでから炭坑に興味がわき手にとって読んでみたが、本書と『坑夫』とで坑夫や炭坑生活の描かれ方に可也の差異があり戸惑った。
    夏目漱石が描きたかったのはあくまでも人間であり炭坑の実態ではないのでそれも致し方ないとはいえ、本書に描かれるというか、捉えられている炭坑生活はあまりにも悲惨で、現実に目の当たりにすれば目も当てられないほど。肩入金という名の奴隷売買まで存在し、それが1960年代まで続いていたというのだから驚かずにいられない。
    本書で紹介される坑夫のほとんどははたからみれば自己の世間知らずによる自業自得な人生を送ったとも言えるが、時代背景などを加味して考えればそんなことは軽々しく言えないし、戦前ならまだしも戦後に実質的奴隷制度が日本に依然として蔓延り、しかもそれによって日本の経済が全てでないにしても支えられていたという事実は現代人の一人として恥にしか思えない。

    巻末に「日本の中小炭鉱とその労働者たち - 跋にかえて -」と題した附録が添えられている。本文では主に現地の坑夫の経験や証言、また筆者の体験や見聞を紹介しているが、時代背景をそこから読みとるのは難しい。その説明がこの附録に書かれている。
    結局その背景になっていたのは、当時の国際社会で石炭から石油へとエネルギー源の遷移があったことと、日本という国がそれに対して有効な対応を取り得ず、結果として坑夫を使い捨て資源のように消費し、時代遅れとなった石炭という資源を却って非消費物のように奉ってきたことであった。石炭鉱業合理化法なる法律も実際は坑夫を失業させ恐慌をおこし、職を求める失業坑夫がより条件の劣悪な炭坑へ堕ちていく社会的仕組みを形成しただけであった。
    こういった時代背景を知ると、日本という国は昔から同じことをして来たんだなと悲しくなる。表層だけで物を考え、つけ焼き刃な対応を繰り返し、なんとか凌ぎきるとそれを深く考えて次にいかそうとしない。そしてネタをかえて同型の問題がおこると実に無策で、またつけ焼き刃な策で誤魔化す。日本人の明治期から始めた西洋化なんぞというものは所詮この程度。

    p.239
    「わが国の労働者階級の失業が、総じてふるい社会構造、労働市場のなかで前期的な法則と形態をとっていることは、しばしば指摘されているとおりである。しかし、戦後の失業のことにときがたい矛盾は、このような構造のなかで、きわめて現代的な失業の法則、独占資本の危機段階に特有な構成的失業が、質的にも量的にもきわめて大きく作用していることに原因がある。このふたつの残酷な法則がからみあい、加速しあってつくりだす失業は、一旦ここにおちこむとふたたびまともな産業雇用に再吸収される機会がとぼしい巨大な底なし沼のごときものとなった。また当初から正常な雇用に入りえないで『下層社会』に沈湎する大量の失業者を作りだすことにもなった。」

    p.240
    「戦後の炭鉱労働者が、敗戦にともなう厖大な数にのぼる戦災、引揚、帰還兵士と戦時工業の崩壊によって放出された失業者のプールとして、昭和23年に46万人を数えたことは、その後十余年にわたる炭鉱失業を一層救いがたいものにした。……炭鉱は他の……工業に比べても格段に大量の労働者を、不断に排出し廃棄する地下産業である。」

    日本のこの手の問題に対する態度については何も本書の筆者だけが向き合ってきたわけではないし、何人もの人が声をあげて、いくつかはそれがきっかけとなり改善されたこともあろうが、日本が根本からかわることはないし、人はそしてどんどん無気力になり、政治への無関心が強くなる。外野からやいのやいの言っている自分も所詮はその一部であり、麻痺して無関心が募り、憤りを覚えつつも現実逃避に走る。過酷な労働を強いられた坑夫が博奕にはしり女を買って借金を殖やしていくのを嗤う資格は固よりない。

    本書については、随所随所に組合の話がでてきて、共産党がらみの話もでてくるのが気になった。また、初めの方はわりと観察的な描写が多めなのに対して、後半の数篇はどうも情緒的で、小林多喜二の『蟹工船』でも読んでいるような感じだった。
    学生運動の話なども終盤にでてくるので、まあそうゆう運動が盛んなりし時に書かれた本なのだろう。今となっては社会運動家も共産党も恃むに足らずとだれでもわかっているので、あくまでも「そんなー、時代もー、あーあーったねとー」なノリで読み飛ばした。

    それにしても、文中イニシャルで名前が伏せられている人物は誰なのか。すごく気になる。鬼畜にも劣るほど卑劣なことをして社会の役にも立っていない人物の名前を伏せるというのは、筆者も報復を怖れているのか。それとも情報を提供してくれた坑夫たちへの配慮なのか。どうせリアルに書くならイニシャルでぼかさず公表すればよいのにと思ってしまうのは素人の浅はかな考えなのか。

  • 原爆症に苦しみながらも、坑夫たちの生活を取材して書いていったエネルギーがすごい。
    戦後にこんな世界があったのかと思うくらい、人権もなにもない生活。
    そして、同じ坑夫であっても序列があって、お風呂を断られたりするのが切なかった。

  • 日々の暮らしの中に、辛く悲しくかちこちになって動けなくなった坑夫の暮らしがフラッシュバックするようになった。売血の記述目当てで読んだけど、現在のブラック企業は非人道的な旧時代企業と地続きなことを痛感した。

  • 夏目漱石の坑夫とは比べ物にならないぐらい悲惨でリアルである。それも戦前、戦後の話である。端島の軍艦島で逃げ出せないので軍隊に入る、あるいは戦後では炭鉱では給与が払われないので自衛隊に入るという話である。会社を整理解雇で社宅を追い出されるということは現代と同じである。
     世界遺産に軍艦島がなったが、いい炭鉱でのはたらきということで貨車で連れてこられ、船で島に連れてこられた。さらに、コンクリートの建物で、上から鉄の柱があり、逃げたりさぼったりするとこれにつるされて殴られ、さらにアカエイの毒のムチでたたくことが監督から言い渡されるなどひどいことである。このことを世界遺産となるときにはひとことも説明がなかった。明らかに企業側の功労としての世界遺産である。こうした悲惨な状態は掲示されたという話は聞かないので、朝鮮人労働者として強制連行されたという事実も掲示されていないのは当然であろう。給与がきちんと支払われたという会社の説明や上級幹部の説明をうのみにした説明が現在でも行われている。
    ルポルタージュのひとつであるが、フィールドワークのの事例としても貴重である。
     世界遺産となった富岡製糸場の時の、ああ野麦峠と
    同じ状況である。

  • かなり衝撃的な内容だった。ここに書かれている坑夫の様子は、現在の派遣契約を見るようでもあった。資本家による搾取は金銭や健康だけでなく、目に見えない「心」までも奪うことができるのかと、恐ろしい気持ちになった。

  • (1999.07.27読了)(1991.09.20購入)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    戦後日本には「貧困」があった。地の底の炭坑では人間が石炭を掘っていた―石炭から石油へのエネルギー転換の時代を背景に、日本資本主義を最底辺で支えた筑豊の中小炭坑の悲惨な実態を暴いた。1960年8月初版の本書は、怠惰と飽食の時代を痛撃しつづける戦後ルポルタージュの古典である。

  • これこそルポルタージュ。「事実」が「言葉」によって、書かれ、残されている。しかし…収録されている写真も…書かれていることはもとより…むごい。

  • とにかく悲惨。ショッキング。
    中小鉱山の坑夫たちは、1度入ったら抜け出せない絶対的貧困のループに入りこみ、財産も人間性も失い、ただ動く物体として、危険な現場で限界まで肉体を搾取され続ける。

    絵に描いたような、いや絵よりも衝撃的な「資本家に搾取される労働者」。
    ここには確かに組合が必要だったし、国家の統制による共産主義に希望を見出そうとした人がたくさんいたのもうなずける。
    比べたら「派遣切り」なんてかわいいものだ。

    1950年代にこんな闇の世界があったとは。
    あの子供たちはいまどうなっているんだろう。

  • 昭和30年代の炭鉱夫の実態を追ったルポである。

    現在と比べ全く坑夫の待遇が違って驚く。

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著者プロフィール

1923年、山口県に生まれる。京都大学支那文学科を中退して炭鉱に入り、1957年まで海老津炭鉱、高松炭鉱、崎戸炭鉱などに鉱夫として働く。そのころより炭鉱労働者の文学運動を組織するとともに、炭鉱についてのルポルタージュを書く。1964年に「筑豊文庫」を創設。1987年没

「2014年 『眉屋私記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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